S a n c t u a r y

1840 / 12 / 31

戸が、キィという音を立てて開く。
中に入ってきたのは、青年。
その青年は血を流していた。それも一目で重傷とわかるような深い傷。
右足を引きずるようにゆっくりとゆっくりと中へ進んでいく。
両脇には木の長椅子、正面には祭壇、そしてその奥には咎人の像。
外は騒がしい。もうすでに夜闇が街を包んでいるというのに。
だが、その青年は気にせずに歩いていく。
そして長椅子の最前列、祭壇の前に辿り着いたとき、
「だれ!?」
女の声。青年はゆっくりと声のしたほう――右の扉を向く。視線は今扉を開けたばかりの女に向けられていた。修道女? 若い。まだ18,9ぐらいの少女。
「シン?」
その声を青年は聞いたとたん、祭壇に倒れた。
派手な音とともにワインの入ったグラスは床に撒き散らされ、パンの乗った皿は砕け散る。
その様子を見た少女はシンと呼ばれた青年に駆け寄り抱き上げる。血が破れた袋から溢れるようにあたりを浸食していく。
「この声は……クリス、かな」
「ええ……」
静かに頷く。
「最後が君か。でも、それもいいかな」
「何を言ってるの? それよりこの傷、どうしたの?」
少女のてのひらは血塗れ。それにもかかわらず青年の頭を自分の腕に埋める。
「外の騒ぎを知らないかい?」
いまも外からいろいろな音が聞こえる。
罵声、怒号、銃声、悲鳴。
怖くて聞かないようにしていた。でも、
「知ってるわ。昼間にバチカンの人がきたから」
「彼らは、人を探してるんだ。僕達をね。ライプティヒに旅行に行った僕達はそこで夜魔とあったのさ」
訝しげな少女。でもやがて言葉のカタチを理解する。
「……ねぇ、どうなるの?」
「あいつらはいつでも目的は一つしかないよ」
……そう僕を殺しに来たんだ。
「やだよぉ、なんでシンが死ななきゃいけないの?」
「人じゃなくなったからだよ」
啜り泣く。本当は声をあげて泣きたいけど外でシンを狩ろうとしている人たちに見つかってしまうから。
「僕が変わったってわかった瞬間、パン屋のレイや隣の家のフィステ、泣き虫のスウェインまで銃を取り、鍬をとって僕を襲ってきた。ほらこの傷を見てみな。優しかったエレナ婆さんが撃った弾が当たったんだよ」
「でも私はヤダ。何が変わったの? 昔のまんまのシンじゃない。私が好きだった頃の」
「いや、変わったよ。人じゃないいんだ、もう。もう、神の祝福を受ける身じゃない。ヒトの敵。生きるために血を吸わなければならない、凶々しい存在」
「それでも、シンはシンだよ……」
どこか遠くから銃声が聞こえる。そして叫び声も。
「もう助からないよ、この傷じゃ。なら異端審問官なんかに殺されるよりも……」
「なんで? 助かるでしょ?」
「そう、もう人じゃないからね。でも、それには君の血を吸わなきゃいけない」
「吸って。シンが助かるなら。ヤダよ、私一人なんて」
「本当の吸血鬼にはなりたくない。ライプティヒで僕を吸血鬼にした奴は本当の吸血鬼だったさ。生きるために人を狩ることを肯定したから……。でも、僕はそんなふうには成りたくない。君の血を吸うってことは心まで人であることを拒否するってことだ」
もう息はかなり薄い。このままでは本当にここで死ぬ。
「人じゃないって何なの? いいよ、私はシンとずっと一緒にいたいから。人じゃなくてもいい。だから、だからここで死んじゃうなんてイヤ!」
少女の声は闇に吸い込まれていく。
少女は自分より一回り大きい青年の体を持ち上げ、青年の顔が自分のうなじにかぶるように抱き合う。
「吸って……」
甘美な囁き声。それに従えたら何も悩まないのに。
「ダメだよ。そんなことしたら君は背信者になってしまう。一生陽の当たらない闇の中に隠れて、いつも追手に怯えて暮らす。そんな生活はさせたくないし、したくない。だから、せめてここで僕を殺して。君の手で」
わずかな逡巡の後。
「……わかった」
少女はパンを切り分けるためのナイフを掴む。
「クリス……」
「何?」
「……ありがと。こんな辛い役押しつけちゃって。最低だよな」
気にすることないよ。だって…………
少女は刃を喉に当て一気に引く。少女の顔が歪む。生まれて初めて人を傷つけた感触に、
そして、生まれて初めて自分の喉を切り裂いた感触に。
「クリス? 何をしてるんだ!」
少女の傷は深い。致命傷になりうる傷だ。少女の血は喉から流れ、白い修道服を緋く染めながら、床でもとは同じ物のように青年の血と混じり合う。
「どうする? 私の血を吸って私をシンと同じ物にしないと、私、死んじゃうよ」
「バカッ! こんなことしたら……」
「シンと一緒にいられるようになれる」
「…………!」
耳に触れた致命的な言葉。
声にならない言葉と思い。
その言葉につき動かされて、青年は少女の喉に口を当てた。
「あっ……」
音をたてて青年は血を嚥下していく。青年のからだからはもう血は流れていない。飲み切れなかった血が口の端から線を引く。
そして、10日前にされていたことと同じことをする。
「我は夜闇の主。陽に背き月に忠誠を誓った者。血の契約により低位から高位へと昇華させり。ここに我はリリスの名に於て新たな同胞を迎える」
うなじの皮膚を軽く歯で摘む。
「痛っ!」
簡単に皮膚は破れる。その綺麗なうなじに自分の歯を潜り込ませる。
少女の意識が途切れがちになる。
「シン……、私のほうがシン……よりも悪い……娘だよね。恋人が、一番…………嫌がるようなことやって。でも、シンが……どっか行っちゃうなんて絶対にイヤ……なの。だから……シンは悪くないよ」
すっと眠るように少女の体から力が抜ける。
青年は少女を抱え直すとそのまま祭壇に頭をもたれさせた。
視界に無数の天使達、そして十字架に張り付けられたイエス。子供の頃はスウェインやクリス、後はエレナ婆さんとここで日曜日に礼拝をしたものだった。その時はこの精緻なフレスコ画を純粋に、綺麗と思い圧倒された。
しかし、今は……
断絶。この世界との。神に祝福されることはない。
今は純粋に、綺麗と思い疎外される。
腕の中で少女が身じろぐ。
「シン……?」
「なんだい?」
少女の体がわずかに硬くなる、でもほんの一瞬のこと。打ち消すようにくすりと笑ってみせると、僕の耳元に唇を寄せ、歌うように囁いた。
「……なんでもない。ここにいるか不安になったの」
「大丈夫。ずっと君の傍にいてあげるよ」
もうここに来てからずいぶんと時間が経った。街の人間には見つからないだろうが審問官達は吸血鬼狩りのプロ。逃げるのにこしたことはない。
「そろそろ、いこうか」
「そうね。傷、大丈夫?」
「ああ」
二人は立ち上がる。ゆっくりと扉の前まで進んでいく。
扉を明けるとそこは、一面の闇に包まれていた。明かり一つない闇に。
「クリス、付いてきてくれるかな?」
「ええ、喜んで」
二人の影は闇の中に溶け込んでいった。
後に残ったのは緋く拡がった血溜まりと、咎人の像だけ。
黒い潤んだ瞳が、闇の中で僕を射る。
「もう、私をひとりにしないでね」

Special Thanks to …

S.Tominaga

S.Fujita

Y.Izakari

H.Sakuma

Bloody Moon Project