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Original Novel 五穀豊穣 Presents



王命の剣


1.砂漠の逃亡者








 陽は中天を越え西に傾きはじめてはいるが、照りつける陽射しの強さはいかなる慈悲も感じさせないほどであった。

 ダガール砂漠の中心部。そこをラクダにも乗らず徒歩で旅する影があった。
 一面が黄色の砂におおわれた砂漠ではあるが、荒涼と言った感はさほどでもない。丈の短い草が所々に生えており、まばらにベンケイチュウと言ったサボテンも高く天に伸び、極めつけに砦跡が幾つか見られるせいだろう。

 砂漠を焦がしつけるかのような陽は日没が近付くにつれ少しずつ弱まってきてはいるのだろう。だが、所々にたつ陽炎が旅人にそれを疑わせるのだ。砂漠の空気は水分に乏しいためこのような現象が起こる。大地に吸収された熱が輻射で地表に漂うからだ。

 ひとり砂漠を往く影は、今小さな砂丘を越えたところだった。何気ないそぶりでゆっくりと進路を左にそらし、近くにある半ば廃墟と化した砦跡に入っていった。あまりに滑らかな動作のため、身を潜めたのだと言うことが分からないほどだ。
 深緑の目立たないフード付きの外套をすっぽりと羽織っているため、素性は定かではない。砂埃の侵入を防ぐため口元も布で覆っていて、フードの隙間からわずかにのぞく目が険しく陽炎越しに砂漠をじっと睨んでいる。
 時折吹く風にまばらな灌木がかすかに鳴るが、見たところ人影は見当たらない。それでも、硬く握りしめたフードの襟、その下の胸には確信があった。

(……いる。奴らはまだ追ってきてる。間違いない。ここは焦れた方が負けだ)

 フードを被った人物───サーラは自らに言い聞かせ、用心深く身を隠しつつ来た道の監視を怠らないが、焦る気持ちは時間と共に増すばかりだった。
 口に含んだ『氷玉』が段々と小さくなってきている。手持ちはもはやなく、何とか日没までにオアシスの町にたどり着いておきたかった。…奴らに見つかる前に。

 サーラは追われる身だった。
 可能な限り逃走の痕跡は消してきたが、無駄だったらしい。
 また、誤算もあった。思ったよりも砂漠の風が弱かったのだ。これでは足跡を完全に消し去ってはくれないだろう。だからこうして追いすがられてしまっている。
 砦跡に入ったのは苦肉の策だった。
 廃墟と化しているとは言え、身を隠す場所はまだいくらでもあるし、そうなれば連中探す手を分けなくてはいけなくなる。それがサーラのもくろみだった。
 だが、今サーラは追っ手が果たして何人で来ているか、それすら分かっていない。
 (……3人。3人までだったら……)
 そう願いつつも、サーラはそれが叶うとは思っていない。生まれてからこっち、幸運に巡り会ったことなど一度とてなかったから…。

 気配を殺し、追っ手の気配を探り、待つ。それだけの事が今のサーラにはひどく苦しい。
 一面に広がる黄色の世界には人気などまるでなく、疲れ果てた身体が、いないのではないか、と希望的観測を抱かそうとするのでそのたびに気を引き締めなくてはならなかった。
 陽は少しずつ傾きはじめてはいるが、この暑熱はすぐに下がってくるわけではない。だが、夜も更けて完全に闇に包まれる頃、気温は一転して冷却へと向かう。砂漠にしては潤いのあるこの地でさえ、夜明け前には息が白くなるほどに下がるのだ。
 旅人が口をそろえて言う砂漠の恐ろしさ───乾きと急激な寒暖の変化。
 その後者に対する備え───『炎玉』をサーラは持っていなかった。



 おそらく追っ手は持っているに違いなく、こちらに手持ちがないことはやがて気付かれてしまうだろう。外套ひとつですごせるほど砂漠の夜は甘くはない。連中をどうにかしない限り、火を焚けるはずはなく、わずかばかりの酒で暖をとることもかなわない。俗に言う八方塞がりというヤツだった。
 舌打ちをこらえ、どうすればいいのだろう、とサーラは必死で考える。フードからわずかに覗く目は、まだ絶望に侵されてはいない。
 敵わないのを承知で斬りかかる……のは考えるまでもなく愚策だ。
 おそらく連中は『殺し』の命を受けてはいない、そうサーラは判断している。したがって薬で眠らされて厳重に捕縛された上で連れ帰られるに違いないのだ……もと居た場所に。
 それを思うと外套の下で身体がわずかに震える。そんな事になるくらいなら……死んだほうがマシ、なのだろうか。…どちらも御免だった。でなければ危険を百も承知で何のために足抜けしたのかわかりはしない。

 『危険』と考えたとき、サーラは不意に何かひらめいたかのように顎に手を当てた。
 (……ここに『ギャリー』をおびき寄せる)
 ───それは途方もなく危険な考えであったが、どのみちこのまま手をこまねいていても仕方ないのも確かであった。
 何度かの身震いの後、サーラは武者震いだと自分に言い聞かせ、手早く準備にかかろうとした時…変化が起こった。
 ───先程まで静かだった砂漠に、突如複数の人の気配がたった。
 見つかった!? 思わず腰を浮かせ、瞬間、身体がこわばり暑さとは異なる汗が噴き出す。サーラはたまらず歯ぎしりを洩らした。せっかく、切り抜けられるかもしれない策を思いついたというのに!
   そしてその策を実行するには時間が必要で、もし見つかったのだとすれば、今からではもう遅い。
 サーラは死を覚悟した。跡形もなく、この身を焼き尽くす───そう思い油の入った瓶に手を伸ばしたが、それは早計だった。

 気配は物音をともなっていた。しかも人の声まで聞こえてくるのだ。
 どういうことなんだろう? と気配を絶つ事も忘れ、サーラはいぶかしむ。
 追跡者はふつう音などたてない。それは素人にすら分かり切ったことだ。それが一体……?
 緊張に乱れた息を整えながらサーラは耳を澄ました。その瞳からはすでに先程までの悲壮な決意は消えていた。
 澄ました耳にかすかに怒号が聞こえる。どうやら追っ手は何かと争っているらしい。
 その『何か』いかんによってサーラの運命は大きく変わるだろう。
 人間であれば人数に性別、そしてかけられた第一声によって敵か否かを判断しなくてはならない。
 だがサーラは別の可能性を考えていた。追っ手は間違いなく戦闘態勢に入っている。その人数を正確に知っているわけではないが、本気を出した連中であれば大抵の者など声をたてる間もなく倒されてしまうだろう。
 その追っ手に声をたてさせる相手…おそらくは偶然姿を見せた『ギャリー』に違いないと、そうサーラは判断した。
 だとすれば動かぬのが一番だ。しなやかな動きで、サーラは廃墟の内でもっとも広くかつ身を隠せる場所に潜んだ。あとは獲物を屠り、満足した『ギャリー』が去るまで待てばいい。

 再び砂漠に静寂が戻った。
 砂埃に霞み、赤く、黒く、鈍い輝きを放つ太陽は地平に沈み込もうとしていた。
 あれからずいぶんとサーラは待った。
 だが、物音がしなくなったと思うとそれきり気配も消えた。
 『ギャリー』ではなかったのだろうか? 『ギャリー』であれば、屠った人間を必ず食べるのだ。そのままにして行く事などあり得ない。
 とすれば、両者共倒れになったか、あるいはサーラををおびき寄せるための罠か。
 そのどちらも可能性としては低そうだった。砂漠で『ギャリー』に遭遇することは死と同義だ。だからこそ砂漠を往く者は特殊な香水で体臭を消す。
 後者の場合、気配に驚いた時にすでにサーラ自身も気配を絶つことを止めていた。襲うのであればその時にやってきたはずだ。

 どうやら『ギャリー』と先程の件とは何の関係もないようであった。
 そしてサーラは完全に陽が沈む前に動かねばならなかった。
 全てをなかった事にして先に進むか、あるいは何が起こったのかを確かめに行くか。
 瓦礫に身を潜めたまま、サーラは嘆息した。見上げた空にはすでにうっすらと一番星が輝いている。

「……こりゃ、行って確かめるしかなさそうだね」
 もう一度、今度は下を向いて嘆息し、サーラは歩き出した。
 来た道を戻って、すぐの小さな砂丘を越えた辺り。
 そこにこれから先の未来が待っているのだ。


(つづく)

 

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