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Original Novel 五穀豊穣 Presents



王命の剣


2.銀髪の男








 細々と燃える焚き火の明かりが、ほの赤くサーラの顔を照らした。

 すでに夜であり、雲一つない空は驚くほどに星の数が多い。
 かまどの中でパチパチと枝が爆ぜる。かまどと言っても、砦跡に転がっている煉瓦のかけらを組んだ即席の物で、その上には、やはり拾ってきた素焼きの壺が水を満たして鎮座していた。
 サーラは深くため息をついた。立て膝の状態で靴を脱ぎ、足首をまわす。ほとんどが革製の、底の厚い砂漠用の靴だったので、ずいぶんと疲れていたのだった。ようやく、人心地つけた気がする。
 外套を畳んでその上に座る彼女のひだりてには小山になった灌木の枝が置かれていた。火にくべて朝まで保つほどはなく、もともと湯を沸かすためにだけ拾ってきたものだ。
 そして少し離れたみぎてにはやはり外套が畳んで置かれ、それを枕にして一人の男が眠っていた。
 長身であり、顔は灰色のヒゲに覆われ、そしてボサボサの髪は見事な銀髪だった。
「…いったいどうしたらいいんだろね……」
 サーラは男のヒゲづらを一瞥し、ひとりごちた。
 男の名はアスラン。それが本名かどうか、サーラには分からない。この男の所持品のひとつにそう記してあっただけである。
 あの場所からサーラが連れてきたのだった。
 そう、銀髪の男アスランは、あの場所でただ一人の生存者だったのだ。



 通常の倍、時間をかけて、サーラは砂丘を登り切った。ここを越えればその先が見渡せるだろう。その手前で姿勢を低くし、用心しつつ気配を探る。
 今はもう、あの凄まじいまでの殺気も喧噪も完全に消え去って、自分の鼓動だけがやけにサーラにはうるさく感じられた。
 砂の上に手をついた姿勢のまま、サーラは逡巡していたが、不意に鼻をひくつかせた。フードの下でその顔が強張る。乾燥した空気が嗅覚を少し鈍らせていたが、彼女はその匂いを知っていた。
「…っ! 冗談じゃない。───急がなきゃ!!」
 慌ててサーラは立ち上がり、その勢いのまま砂丘を越えた。日没とは別の理由が彼女を急がせたのだった。

 サーラは絶句した。
 砂の大地に奇怪な影が大地に幾つも伸びていた。
 西日が倒れ込んだ人間たちを照らしている。その数は6つ。そのどれもが外套を羽織っており、そして皆男だった。倒れ込んだ姿は、うつ伏せだったり、仰向けや横向きになっていたりと様々だ。
 うつ伏せに倒れている男を囲むように5人の男が倒れており、あらかた砂に吸い込まれているものの、それでもおびただしい血が流れ出していた。
「くそ…!」
 サーラは素早く腰の袋から『ラント香』の入った瓶を取り出し、辺り一面に振りまいた。余分に持っていたもう一瓶も取り出し、惜しみもせずまんべんなく振りまく。さらには倒れている男たちから瓶を取り出し、もう二瓶ぶんを神経質なまでに撒き散らした。
 それだけの事をしてようやく安心したのだろう、サーラは大きく息を吐き、腕で額の汗を拭った。そして改めて辺りの様子を見回した。
 倒れている内の5人をサーラは彼らを知っている。皆が皆手練れで、一対一で戦って果たして勝てるかどうか。『6人目の男』はその彼らを倒したのである。相打ちとは言え、人の強さとはとうてい思えぬほどだった。
「……・悪かったね。巻き添えくわせちゃって。どこの誰かは知んないけど、何も盗ったりしないから安らかに……」
 フードの下で神妙な顔を作り、名も知らぬ不運な男に向かってサーラは手を合わせる。が、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
(……相打ち?)
 サーラはその思考にどこか違和感を覚え、もう一度死体を検分した。
「…違う、相打ちなんかじゃない」

 5人の男たちは全員首に致命傷を負っていた。突かれたり、あるいは切り裂かれたりと、その死が一瞬だった事が見て取れた。改めて、『6人目』の異様なまでの強さに驚かされる。が、問題はその事ではない。彼らは5人ともが何らかの得物を手にしていたが、その刃先には一滴の血も付いてはいなかったのだ。
「………まさか」
 ゴクリとサーラは唾を飲み込んだ。恐る恐る首を男たちの中心に倒れている『6人目』に向ける。逃げ出したくなる衝動をこらえ、近付く。照らす夕陽に、初めてサーラは男が銀髪であることに気付いた。
 男が起き出す気配はなく、ゆっくりとサーラはしゃがみ込んだ。
 息があるか確認しようと伸ばしたサーラの手が途中で止まる。フードの中でサーラの目がこれ異常ないくらいに大きく見開かれた。
 銀髪の男には息があった。その渇ききった口元がわずかに動いている。何を言おうとしているかは聞くまでもない。水だ。
「…………」
 サーラはゆっくりと男から離れた。
(……どうする、この男)
 手練れを5人相手にして倒した男。いたずらに関わるにはあまりに危険すぎる。関わりを避けるのならこのまま放っておけばいい。そうすればやがて死ぬだろう。
 一方で、この男が握っているかもしれない情報も無視できぬものである。この場で何が起こったかを、見たわけではないのだから。
(それに……)
 ゆっくりと、サーラは再び銀髪の男に近付きかたわらに膝を落とした。
「〜〜〜〜〜〜っ。……しょうがないじゃない、ったく! …感謝しなよ」
 幾分恨めしげな口調でサーラは呻り、含んでいた『氷玉』を吐き出した。ほとんど溶けかかっているが、これでも充分なほどだった。
 それを掌に転がし、二言三言サーラは『呪文』を唱えた。その途端、サーラの掌から水が勢いよくほとばしった。あふれかえった水が勢いよく男の顔をぬらす。乾きのとれた唇が先程より大きく動き、そこに向けてサーラはゆっくりと掌を傾けた…。

 …結局、水の大半はこぼれてしまったが、わずかながらも、確かに男に流れていったに違いなく、その顔色はずいぶんと生色を取り戻していた。
「……ずいぶん時間を食っちまった。急がなきゃ!」
 舌打ちし、今度は仲間たちの死体へとサーラはしゃがみ込んだ。
「…恨むんなら、あの下衆を恨むんだね」
 乾いた口調でサーラは言い放ち、外套の内ポケットやベルトに付いた革袋から手早く見つくろい、5人の所持品から『氷玉』や『炎玉』等、生存に必要な物を自分の背負い袋へと移し、外套と靴の中から血の付いてない物を選んでこれも自分の物にした。
「そうそう。こいつも貰っとかなきゃね」
 言って、ひときわ重い革袋を手の上で弾ませた。中身は金貨や銀貨、そして宝石だった。
 彼女はこれに関しては後悔することになるのだが、それは後日のことである。

 その後一苦労して、サーラは5人をひとかたまりにし、その上から油と『ラント香』をまんべんなく撒き散らした。これもまた彼らが持っていた物である。そして火を放った。
 荼毘に付したわけではなかった。国によってはその習慣がないわけではないが、砂漠では『死者は地に還る』というのが通説で、これには別の理由があった。
 全ては『ギャリー』が集まってくるのを避けるためだった。『ギャリー』は人の匂いに敏感で、砂漠を往く者にとって『ラント香』で体臭を消すのは必須の行為である。
 銀髪の男が返り血を浴びていなかったのは、こうした意味で彼にとってまことに幸運であったと言えよう。

 絶対的な闇と貴石のような銀色が混じった夜空に、煙が舞い上がる。
「……ごめん。ごめんね。」
 つぶやいて、サーラは悼むように目をつむった。目を閉じれば『あの晩』の事を思い出し、あふれそうになる涙をきつく目をつむることで、必死に彼女はこらえた。
 轟々と燃える炎がサーラを照らす。うつむき、わずかに震える彼女の胸中を知る者は、彼女以外この場にはいない。
 しばらくしてようやくサーラは顔を上げた。そしてフードを脱ぎ、まとめた三つ編みを引っ張り出した。
 炎に照りかえる顔は目を見張るほどに端正だった。黙って微笑んで、それなりの格好をすれば、どこかの王国の姫君で通りそうなほどだが、炎を睨み付ける目が清らかな王女よりも戦いの女神を思わせる。
そして左手で三つ編みを掴んだかと思うと、見事なまでの金の髪───それを根本からバッサリと切った。ほんの一瞬名残惜しげに見つめた後、炎の中に放り込む。
 それはせめてもの手向けと、そして決意だった。
「…ごめんね、ロニー。あたし、やっぱり約束は守れそうもないよ。けどさ、生き延びるから。言われたとおり、絶対に生き延びるから。だから、さ……許してね」

 去り際に、サーラは中型の『炎玉』をひとつ、炎の中に投げ込んだ。こうしておけばやがて周りの炎に反応して、全てを焼き尽くしてくれるだろう。
「バイバイ……」


 サーラは男を引きずるようにして歩き、フラフラになりながらも何とか砦跡に辿り着いた途端、へたへたと地面に倒れ込んだ。この時ばかりは砂漠で良かったと思った。
 そして盗ってきた外套を畳んでそれを枕にして男を寝かせてやる。夜にはなったが気温が下がるまではまだ間があるの、でサーラは外套を脱ぐことにした。羊毛を油抜きしただけの飾り気などない物だが、砂漠では必需品だ。夜の外気だけでなく、昼の強すぎる日差しからも守ってくれる。
 脱いでそれを足元に畳むと、彼女は薄い麻布を何枚か重ねただけの長衣姿になった。まだ外気はなま暖かいが、ずいぶんと楽になり、指を組んでサーラは大きく伸びをした。本当は靴も脱ぎたかったのだが、取り敢えずその前に砦跡を一回りしておく必要があった。
 銀髪の男はまだ目を覚まさないだろう。その寝顔からそれを推し量ると、サーラは半開きになった男の口に小ぶりの『氷玉』を放り込み、歩き出した。


(つづく)

 

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