冬の匂い

 

 

「……どこ行っちゃったんだろうね、あの2人」

 あれから3日がたった。警察も捜索を開始したが、依然として弓は発見されなかった。それどころか、共に探していたはずの天田までいなくなってしまったのだ。

「フム、これは何らかの事件に巻き込まれたと考えるべきだな」

「縁起でもない事言わないで!」

 浦木と美奈が勝手な憶測をしている(おおむね浦木だが)のは映研の部室だ。いつもは放課後のいこいの場なのだが、先輩二人がいないためがらんとしている。

「別に冗談で言ってるわけじゃないさ。ボクは本気で心配しているのだよ。それとも『二人手に手を取って愛の逃避行』のほうが良かったかな?」

「そっちの方がまだまし……」

「そして二人の訪れた温泉宿には20年前の悲しい恋物語が!湯煙の中に消えた美人女将の運命は!老婆は全て知っている!とか」

「結局事件じゃない……」

「うッ」

 歯切れの悪い返事である。後半は冗談で言ったのだが、さすがの美奈もだいぶナーバスになっているようだった。

 浦木なりに元気付けようとしていたのだが。

「わかった!僕が二人を探すよ。必ず見つけてみせる!」

「どうやって?」

「俺に不可能は無い!」

 どこぞの二重人格天才狼少年なセリフをはいてみる。

「同じ『こういち』でも、決まり度で1mol(モル)倍は負けてるわね」

「アボガドロ数?」

 化学の授業で習った原子量の単位で負けっぷりをあらわされてしまった。(ちなみに10の23乗とかいうものすごい数になる)

「ボクは奴に天文学的に負けていたのか……」

 実際には化学的に負けているのだがショックのあまり気づかないらしい。

「浦木の負けっぷりはどうでもいいから、どうやって先輩たちを探すのか聞かせてよ。なにか考えでもあるんでしょ?」

 今の口撃で少し気がまぎれたのか、美奈の方から問い掛ける。

「それはだねえ……」

「それは?」

「ええっと……」

 今度は浦木の歯切れが悪くなる番だった。いいアイデアなどあろうはずも無い。なにせ反射で口走っていただけなのだから。(この辺が無脊椎動物と呼ばれるゆえんである)

「た、探偵とか雇ってみるとか……」

「はあ、浦木に期待したあたしがバカだったわ」

「なにおう、それは探偵さんに失礼だぞう」

「そんなドラマみたいにかっこいい探偵が「強くなければ生きていけない……」とか言ってくれたらあたしなんかイチコロよ」

「村崎さんって結構マニアックだよね」

「ぐッ」

 いたいところをつかれたのか、一瞬怯む村崎。(確かに15才の女子高生がマーロウを知っているあたりが。いや、もしかしたら「イチコロ」のほうがマニアックかもしれない)

「あんたに言われたくないわよ!」

「フ、何をいう。ボクのマニア度など天田先輩に比べたらまだかわいい方さ。あのひとは初代ガンダムのモビルスーツの形式番号が全部言えるんだぞ」

「先輩……」

(しまった、口がすべった!)

 せっかくここまでうまく話題をそらしていたのだが(そらした話題がガンダムネタというのもなんだが)うっかり『先輩』というNGワードをはなってしまったので、努力は水の泡となってしまった。

「…………」

 気まずい沈黙が戻る。

 ピキン!

(う、まただ)

 あの日感じた鋭い頭痛をまた感じた。別に風邪を引いているわけでもないし、長く響くわけでもないのでほうっておいているのだが。

 その直後、

 コンコン

「は〜い。どうぞ」

 映研に来客は珍しい。あってもたいていはクラブ顧問が連絡事項を伝えに来る程度だ。

 そう思って浦木は入室を許可した。誰であろうとこの重い空気を何とかしてくれるなら大歓迎するつもりだった。

「失礼」

 しかしドアを開けて入ってきたのは見たことの無い男だった。

 年の頃は20代半ばだろうか。さっぱりと刈り込んだ髪と引き締まった顔つきが、野性的な精悍さをかもし出している。油断無く部室内を見まわす眼光は鋭く研ぎ澄まされた刃を思わせた。

「君達はここの部員だな。浦木康一君と村崎美奈さんだね」

「そうですが、あなたは?新任の先生じゃあないですよね」

 浦木も負けじと男を見据える。とは言っても、こちらは怯える小動物の方だが。

「人にモノを教えるのは苦手でね。俺はこういうものだ」

 コートの内ポケット(秋だというのにロングコートだ)から名刺を取り出してくれる。それによると、

羽佐間探偵事務所所長  羽佐間 士狼

「探偵さん?」

 ややすっとんきょうな声をあげてしまう。それでも羽佐間という男は律儀にうなずいてくれた。

「君達に少し聞きたい事があってね」

「ハイ!なんでしょう!」

 元気良く応えたのは美奈だった。そう、ついさっきまで暗く沈んでいたはずの彼女だ。

(もしやもう?ちょっとワイルドな感じだからか?ちょっと大人の男だからか?ちょっとたくましそうだからか?ちょっとかっこいいからか?出会ってから1分30秒も経たず?フ、あんたミニ4ファイターを超えたぜ)

 美奈に向かって乾杯のポーズを取る浦木。しかし有言実行とはいえ、こうもたやすく落ちるとは、

 村崎美奈、恐るべし!

「行方不明になった二人のことについてだ」

 美奈の熱視線もなんのそのといった感じで、ぶっきらぼうに質問してくる羽佐間。

(野郎、さてはこういう状況に慣れてやがるな?ちきしょう!悔しくないぞ!悔しくなんかあるもんかァ!)

 内情とは裏腹に、拳を握りプルプルしている浦木。これ以上無いくらいに悔しそうだ。

「君達と仲が良かったと聞いてね。できれば当日の様子を教えて欲しい」

「あの日の事ですか……」

 少し沈みがちになりながらも、美奈は3日前に起こった出来事を話そうとした。それに慌ててストップをかける浦木。

「(ボソ)ちょっと村崎さん」

「(ボソ)なによ」

「(ボソ)こんな出会ったばかりの胡散臭い探偵にべらべらしゃべっちゃっていいの?」

「(ボソ)いいのよ、この人は信用できるわ」

「(ボソ)なぜにわかる?」

「(ボソ)女の勘よ」

「(ボソ)そんな非科学的な」

「勘をバカにしちゃあいけないな」

『うわあ!?』

 驚きぶっとびな二人。無理も無い。特に浦木は聞かれると非常にまずい内容を口走っている。

「耳はいいほうでね」

「き、聞こえてらしたんですか〜」

「あらかた」

 眉ひとつ動かさずにそう言われると、逆に大きな恐怖を感じる。

「信用できないというのも無理はないが、俺は弓小枝子の母親から依頼を受けている。君達のことも教えてもらった。彼女のためにも協力して欲しい」

 そう真摯な眼差しで語られてはいやとは言えない。浦木達としても、何とか先輩を探したいと願っているのだ。

「わかりました、ボク達が最後に弓先輩を見たのは……」

 あの日の出来事をかいつまんで説明する。撮影途中から弓が走り去った事、その後、商店街を共に探しまわった天田も消えてしまったことを話した。

 さすがに二人の恋愛のもつれまでは言わなかったが。

「……大体はわかった。すまないが、ここに二人の持ち物は何か残っていないか?」

 話を聞き終わった羽佐間が要求したのは、なんとも意外なものだった。

「弓先輩のカバンが残ってますけど、なんに使うんです?」

「ん?まあその、彼女の居場所を推理するのにちょっと、な」

 やや歯切れ悪く応える。それでも一応はプロの探偵なのだろうから、なにかしら特別な意味でもあるのかもしれない。

 カバンを渡すと、じっくりと観察しだした。表にして裏にして、匂いでもかげそうなくらい顔を近づけて実に熱心だ。

「よし」

 気がすんだのか、カバンを返してくる。

「もういいんですか?」

「ああ、覚えた」

 どういう意味だろう?カバンの特徴だろうか?どこにでもありそうな薄型の通学カバンなのだが。

「さて、彼女が駆け去ったという屋上に案内してもらえるかな」

「ハイ!こちらです!」

(は、早え!)

 羽佐間が聞いてから3フレームで(1フレーム=60分の1秒)美奈が応えた。さすがに浦木の超反応でも割りこむのは難しい。

 さっさと部室を出ていく二人を追うように、しっかりと部室の戸締りをしてから浦木も後を追った。

 

 

 その後の羽佐間の行動もなにか不可解だった。屋上に経ってしばらくすると、なにか納得したような顔でまた降りだす。すると、今度はなんの案内も無しに校門の方へ向かってゆくのである。

「羽佐間さん、どこへ?」

 たまりかねて浦木が質問すると、

「彼女の足跡を追っている」

 平然と応えられてしまった。

(そくせき?あしあとって事か。でも廊下やアスファルトの地面に?)

 納得しかねる浦木。それを察して、

「実際に足跡を見てるわけじゃない。匂いを嗅ぐというか……まあこれも推理と経験に裏付けされた勘だ」

「すっご〜い。推理でなんでもわかっちゃうんですね」

 美奈が感嘆の声をあげる。目はすでにハートマークだ。

「まるで灰色の脳細胞ですね」

「ポワロはあまり好きじゃないな。俺は自分の眼と耳と鼻で現場を確認しないと気がすまないんだ」

 探偵だけあって、その手の小説とかにはくわしそうだ。(ちなみにポワロは自室で安楽椅子に座りながら情報を聞くだけで犯人を見破るすげえおっさんだ)

 やがて校門につくと、立ち止まった羽佐間からねぎらいの言葉が出た。

「ありがとう、ここまででいい」

「え〜」

(やっぱり早エ!)

 『ここまででいい』の後半あたりですでに不平を漏らす美奈。よほどこの羽佐間という男が気に入ったらしい。

「せっかくですから商店街まで案内しますよ」

「そ、そうか、ならお願いしよう」

 意外にあっさりと引き下がった。またもスタスタと歩き出す。美奈の好意の視線もまったく意に介さずだ。

(ちきしょう、突き放しても追いすがられる事に慣れてやがるな!きっとそうに違いない。うらやましくなんか、うらやましくなんか無いもんね!)

 内情とは裏腹に、歯を食いしばってギリギリしている浦木。心底うらやましいらしい。

 商店街への道中は、美奈の質問攻めだった。

「探偵さんってすごいんですね。はじめて見ました」

「儲からないからな、成り手がいないんだろう」

 そういう意味の質問ではないだろうが。

「羽佐間さんはどうして探偵に?」

「他に向いてる仕事が無かったからさ」

 ぶっきらぼうな言い方ではある。

「探偵になって何年くらいですか?」

「人生の5分の1ぐらいだな」

 25歳と仮定すると5年。そこそこのキャリアと呼べるだろうか。

「独身なんですか?」

「あ、ああ」

 ぶしつけな質問である。

「付き合ってる方とかは?」

「い、いや」

 この辺からだんだん羽佐間の様子がおかしいのだが。

「どこに住んでらっしゃるんですか?あと電話番号も」

「さ、さっきの名刺に載っている」

 かなり個人的な質問にたじろぎながらもしっかり答えてくれる。思ったより気のいい人なのかもしれない。浦木としては羽佐間のうろたえっぷりが見れて少しセイセイした。

 美奈がかなりメロメロになったころ、ようやく商店街についた。

「あ、ありがとう、ここまででいい」

「え〜」

(これと同じ光景を見たことがある!デジャビュってやつか?)

 浦木がいらん心配をしているが、当人達はさほど気にしていないようだ。

「ここで先輩達を探すんでしょう。だったら私達もお手伝いします!」

「いつのまにか人数に入れられてる?」

「ん?浦木君なんか言った?」

「い、いえ……」

 にこやかな笑みに底知れぬ恐怖を感じたため、浦木は従わざるを得なかった。まだ命は惜しい。

「いや、ここからは俺の仕事だ。協力感謝する」

 そう言い残してスタスタと人ごみに消えていく。夕暮れの商店街はそれなりににぎわっており、すぐに見えなくなってしまった。

 

 

「謎な人だった……」

 残された浦木はなんとなくつぶやく。狐につままれたような気分だった。突然現われ突然消える。ほんとにあった事かも怪しいくらいだ。だが、先ほど貰った名刺が、これが現実であると雄弁に語っている。

「ふっふっふ」

「ど、どうしたんだい村崎さん。無気味な笑いを浮かべちゃって」

「燃えてきたわ!あたし達で先輩を捜し出すのよ!」

 バックにメラメラと炎を燃やす美奈。その間も、先ほどの「無気味な笑い」に強烈なスピン・チョップでツッコミを入れる事も忘れないあたりがちゃっかりさんだ。

「げほっ、げほっ、捜すったってどうやって?警察もさんざん捜して見つからないのに?」

 チョップがもろに喉に入ってせき込む浦木。確かにこの3日間警察も遊んでいたわけではない。

「でも、なんか羽佐間さんだったら見つけちゃいそうな気がするのよ!」

「また『女の勘』かい?」

「勘をバカにしちゃいけないって羽佐間さんも言ってたわ!十分な推理と経験から導けば、必ず当たるはずよ」

「そんなもんかな〜でもそれなら羽佐間さんに任せておけば良いんじゃないの?」

「バカねえ、ここで協力してポイントを上げれば、助手にしてもらえるかもしれないじゃない。ああ、ハードボイルドな探偵に美人助手……ステキ〜」

(美人助手……)

 口がそう動くのを知覚した瞬間、浦木は2フレームで口をふさいだ。先ほどのスピン・チョップは生命の危機を感じさせるのに十分だったからである。

(フ、往年のマス・オーヤマを彷彿とさせる、いいチョップだったぜ)

「浦木はあたしの助手にしてあげるわ。つまり助助手ね」

「なんか奇妙な冒険ができそうだね」

 浦木はすかさずポーズを取る。背中を向けつつ両腕を肩に回し、脚は微妙な位置で交差させ、目は流し目だ。

「いまいち決まらないわね」

「うぉっ、人にここまでさせておいて!アンタ今なんつった!」

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ドォ

 と文字が浮かび上がる。もちろん個人的主観においてだが。

「まあそれはさておき」

「さておかれよう」

「あたしの勘だとまだ二人はこの辺にいるのよね」

「そうかなあ」

「そうなの!」

 まったく根拠の無い事をここまで言いきられては反論の余地も無い。まあどこぞの温泉宿に愛の逃避行をかましているよりかは幾分ましな見解だが。

 浦木が自問自答していると、

 ピキンッ!

「っ痛、まただ」

「最近よくなるわね。ほんとに大丈夫?」

「いや、別に調子が悪いわけじゃないんだけど……」

 頭を押さえて何気なく辺りを見まわすと、

 ピキンっ!

(うっ、今、何かを見たら痛んだような)

 そう思って今度はゆっくりと辺りを見まわす。すると、確かに痛みがひどくなる方角があった。

(あ、あのおじさんを見たら頭痛が……)

 視線の先には、帽子をかぶった中年太りの男がみえる。男が離れていけばいくほど、痛みが和らいでいくようである。

(どういう事だろう?……)

 浦木は漠然とした焦りを感じていた。言葉では言い表せないなにか。もっと本能に呼びかける焦燥感。恐怖といってもいい。

 ドクンッ、ドクンッ

 全身の血が逆流しているような感覚にとらわれる。行かなくてはならない。追わなくては、あの男を……

 理由はわからない。だが、彼の中のなにかが訴えている。

「……行こう……」

「へ?どこへ?」

 美奈が間抜けな声をあげるが、今はそれどころではない。男を見失わぬよう、人波の中に飛び込む。

「ちょ、ちょっとまってよ〜」

 あわててついてくる。浦木のただならぬ様子にどうしていいかわからないという顔をしながら。

 

 

「ここで匂いが途切れている……」

 そのころ羽佐間は、とある路地裏を散策していた。

 しかし匂いが途切れているとはどういうことであろうか?ふと地面を調べ、なにか細い糸のようなものを拾い上げる。

 クモの糸だ――

「間違い無いな」

 そう、この路地裏こそ、3日前、弓と天田が謎のクモ怪人にさらわれた場所なのであった。

 この男、弓の匂いをたぐってここまでやってきたとでもいうのだろうか。

「ち、うまく匂いを消してやがる……」

 

 

「はあ、はあ、たしかこっちに……」

 人波の中をかき分け、帽子の男を捜す。これといった特徴も無いのですぐに見失ってしまいそうだ。

 だが、今の浦木は奇妙な頭痛のおかげで、大体の方向を感じる事が出来た。

「あのおじさんがどうかしたの?もしかしてあの日に見たとか」

「見たような見なかったような……でもなんとなく気になるんだ」

「なんとなくねえ……あっ」

 帽子の男が人波を離れ脇道に入った。あわてて後を追う二人。こそこそと物陰に隠れながら追跡する様は太陽に吠えそうだ。

「(ボソ)もち、あたしがジーパンね」

 考えを読まれたのか、先に人気キャラを取られる。

「(ボソ)じゃあボクはラガー」

 あの頃はカッコ良かったのだと力説しながら(あんたら一体何歳なんだ?)尾行を続行する。

 まったく気づかないのか、帽子の男は人気の無い路地裏をどんどん進んでいった。

 やがて街の喧騒は遠ざかり、夕日もくれ落ちて薄闇に世界が支配される。男は行き止まりの袋小路にたどり着き、ゆっくりとこちらを振り帰った。

「……なにか、ご用ですか?……」

 ビクウ!

 気づかれていた。二人はまんまとおびき出されてしまったのである。自分達の行動のうかつさを呪いながら、浦木は角から出る。そう、浦木だけ。

「(ボソ)村崎さんはここで待ってて。なにかあったら人を呼んできて」

「(ボソ)了解」

 意を決して帽子の男と対峙する。

「私に何かご用でも?……」

 中年太りの他にこれといった特徴も無い男なのだが、その声はなにか得体の知れない鋭さがあった。

「い、いえ。用というほどでもないんですが、3日ほど前にこの辺を通りましたか?」

 ピキンッ!

 質問しながらも、浦木の頭痛は増していった。

(間違い無い、この人に近づく事に警報が鳴ってるみたいだ)

「ええ、通りましたよ。それがなにか?……」

「実は、その日にウチの高校の生徒が2名ほど行方不明になりまして……」

「ほう……」

 しばし黙考する男。常識的に考えれば、初対面の人にこんな質問を投げかけるのは無礼だが、浦木にはみょうな確信があった。なにがどうとは説明できないのだが。

「質問する相手が悪かったですねえ……」

「どういうことです?」

「グルメを自負する者としては、目の前にごちそうが転がりこんできて、見逃すわけにはいきませんから……」

(何を言ってるんだこの人は?)

「特にそこのお嬢さん……」

「はいっ?」

 間抜けにも返事をしてしまう美奈。しかし、隠れていた美奈をどうして『お嬢さん』だとわかったのだろう。

「あまり香水などは使わないようですね。大変結構。最近では珍しいタイプだ……」

「そ、そうですか?ハハハ……」

 気まずい笑いが漏れる。

「不純物は消化に良くないですから……」

(!)

 今のは決定的だった。浦木も自分の考えが信じられなかったが、そうとしか考えられないことも事実。迷っている暇は無い。

「村崎さん!逃げて!」

「え?え?」

 話についていけないのか、慌てふためく美奈。だが、そのまま熟考する時間を与えてくれるほど、敵は寛大ではなかった。

「逃がしませんよ……」

 言うが早いか、男は美奈に飛びかかる。そう、誇張ではなく飛びあがったのだ。

 袋小路をふさぐ形で立ちはだかった浦木の頭上をやすやすと越え(浦木は170センチ。クラスでも普通の身長である)5メートルもの距離をひとっ飛びだ。およそ人間の跳躍力じゃない。

「ッキャアアァ!」

 あっという間に追いつかれ後から組み付かれる美奈。その万力のような力で掴まれては、女の力ではびくともしない

「声を出しても届きませんよ。なんのためにこんな裏道までおびき出したと思います?……」

 

 

「今のは?……」

 人波の中を流れながら、羽佐間は美奈の悲鳴を聞いた。だが、周囲の人間はまるで気づいた様子は無い。

「あっちか」

 軽く舌打ちしながら悲鳴の聞こえた方向に走り出す。この雑踏の中で、彼だけが悲鳴を聞きつけたとでも言うのだろうか。

 裏道に入り、路地裏を疾走する。

「……向こうか」

 羽佐間がたどり着いた袋小路は、今まさに美奈が帽子の男に掴まっている地点の裏側だった。間には高さ8メートルの塀。周りこむにはかなりの遠回りをしなくてはならない。

 だが、羽佐間の取ったのは、別の手段だった。周りを見まわし、人の目が無い事を確認する。一体何をするつもりなのか。

「はぁ!」

 気合一閃。助走ののち、8メートルの塀をやすやすと飛び越えた……

 

 

「村崎さんを放せ!」

 帽子の男は村崎の動きを封じ、その首筋にいやらしく舌をはわしている。

「ひゃっ!なにすんのよ!」

「(じゅる)良い味です……」

 味覚を堪能するかのように、舌なめずりして確かめる。姿形こそ人間だが、もはや人間と呼べる代物ではない。

「やめろ!」

 なんとか彼女を引き剥がそうとつかみかかる浦木。だが、

「邪魔ですよ……」

 接近したところに鋭い蹴りがみまわられる。風を巻きこみつつ放たれたそれは、強烈な破壊力をもって浦木の腹を襲った。

「ぐふう……」

 そのまま壁に叩きつけられ崩れ落ちる。激しく吐血!どうやら内臓をやられたらしい……

「浦木ィ!」

「く、くそ……」

 このままなにも出来ないのだろうか。弓がいなくなったときもなにも出来なかった。天田も。考えたくは無いが、二人はもう……

「ぐ、まだ……」

 怒りを胸に沈めず、両足にこめて立ちあがる。

「ほう……人間にしては頑丈ですね……しかし、立ちあがってなんになるというのです?……無駄な事はおやめなさい……」

(お、お前には……)

「お前にはわからんだろうな」

 浦木の心情を語ってくれた声の主は、頭上からコートをはためかせやってきた。華麗に着地すると、振り向きざまに胸元から銃を抜く。

 タン、タタン

 ためらわず発砲!狙いたがわず帽子の男の両肩を打ち抜いた。そのすきに美奈は自力で脱出する。

「何者です?……」

 肩を打ち抜かれたせいか、ダランと腕を下げながら帽子の男がつぶやく。しかし、銃傷から血は出ていない!

「名乗るほどのもんじゃないさ」

 油断無く銃をポイントし、コートの男は浦木を美奈に預ける。

「動けるか?」

「羽佐間さん!」

 美奈が歓喜の声をあげる。怖かったのだろう、目には涙すら浮かべて。浦木は彼女のそんな表情をはじめてみた。

「帰れといったはずだ」

 対する羽佐間は厳しい表情だ。彼はこうなる事を懸念していたのかもしれない。

 しかし彼は一体どこからやってきたのだろう?浦木達は袋小路に閉じ込められる形なのだから、正面からではない。では上?建物と塀の高さはゆうに7、8メートルありそうだ。これを飛び越えてきたとでも言うのだろうか。

「ここは俺にまかせろ」

 聞きたい事はいろいろあったが(銃持ってるし)、うなずくと美奈と共に路地裏からの逃亡を試みる。

「そううまくいきますかね?……」

 帽子の男が不気味に唸ると、その口が突如大きく膨れる。

「カアァ!」

 シュバッ!ビチャッ!

「しまった!?」

 大きく膨らんだ口から、白い塊が吐き出される。それは空中で2メートルほどの大きさに広がると、羽佐間ごと壁にへばりついた。

「クッ……」

 それは柔らかい糸のように見えたが、驚くべき粘着力をもって羽佐間の自由を奪っていた。

 しかし信じられない事は立て続けにおこるものだ。いま糸の塊を吐いた男の体がメキメキと膨れ上がり、人外の生物へと変貌を遂げたのである。

「き、きゃああぁぁ!」

 恐怖の悲鳴が美奈から漏れた。そのあまりにおぞましい姿に少女の感性は耐えきれず、ほどなく気を失う。

(こいつが、弓先輩達を……)

 朦朧とする意識の中、失神した美奈を抱えながらクモ人間と化した男をにらみつける。

「ヌン!」

 鋭い刃物のようにとがった腕が、身動きの出来ない羽佐間に容赦無く打ちこまれた。

 ザンッ!ブシュウッ!

「ぐはあぁ!」

 やすやすと胸を刺し貫き、鮮血がほとばしる。足元に血の池を作った辺りで、羽佐間はピクリとも動かなくなった。

「は、羽佐間さん……」

「ナガイハムヨウ。ジャマノハイラナイトコロデユックリトオアイテシテアゲマショウ」

 そう言うと、クモ男は浦木達にも糸を吐きかけ、グルグルと身動きの出来ない状況にする。軽々と二人を引っ張り上げるとまるで地面と同じように壁を這いはじめた。

「キョウノでぃなーハゴウセイデスネ……」

 

 

 目がさめるとそこは、なまぐさい匂いが充満する空間だった。

(……血の匂いッ?)

 薄暗いが、目を凝らすとそれなりに広い部屋の中にいることがわかった。どうやら、どこかの倉庫の中らしい。となりには美奈の顔も見える。まだ気がついていないようだ。

 身体はまだ例の糸のせいで身動きできない。見まわすと、まるで肉屋の倉庫のように並べてぶら下げてあった。

――人間が――

「オメザメデスカ?」

 その中のひとつ、明らかに人と違うシルエットの生物が音声を発した。もはや人のものとは思えない、キリキリと耳をつく声だ。

 おそらく自ら出した糸で、天井からぶら下がっているのだろう。巨大で、凶悪で、醜塊なクモがそこにいた。

「ボク達を、どうするつもりだ!」

 浦木は声を振り絞った。そうしなければ、この異様な空間の恐怖にのみこまれてしまいそうだ。

「モウワカッテイルデショウ?」

 8本の足の1本を使い、ぶら下げられている人々の一角を指す。

「!ッ、弓先輩!天田先輩!」

 そこには、同じくぶら下げられている二人の姿があった。暗がりでも、なんとか判別できた。

 だが、それは同時に悲しい事実を裏付けるこことなる。

「ニンゲンモ、カニヲタベルトキトカハカラヲワルデショウ?」

 浦木の胸を、悲しみと憤りが激しく駆け巡る。

「アタマカラバリバリトイウノハショウニアワナクテ」

 どうして、どうしてこんな事に……

「ナカナカシンセンデビミデシタヨ」

 二人は、中身を……内臓を根こそぎ抜かれていた。空っぽの胸は背骨までむき出しだ。そこだけがなにか特殊メイクのように浮いて見えた。皮肉な事に、他の部位……腕や脚、頭などはまったくの無傷である。

――その表情は、苦痛にゆがんだ凄絶なものであるが――

「……お前は……」

 他の遺体も同様だった。ざっと見ただけで十体は下るまい。

「やっちゃいけないことをやった……」

 浦木の身体を、たとえようも無いほどの激情が渦巻いていた。

「許せない……」

 それは純粋な殺意。

「ユルセナケレバドウスルノデス?」

 ドスゥッ!

 無造作に突き出された腕は、次の瞬間浦木の腹から生えていた。

 

 

「……人間時にも糸が出せるとはな。予想外だった」

 クモ男に胸を刺し貫かれ、絶命したはずの羽佐間がうめく。常人なら間違い無く致命傷である。

「何とか穏便に済ませたかったが……」

 全身に力をこめる。押さえこんでいた『野生』がふつふつと目覚め始めた。

「うおおおおおおおぉ!」

 その身を捉えていた糸の呪縛も、たまらず溶けくずれる。

――どこがどう、という感覚は無い。ただ熱いだけだ、体中が――

「間に合え!」

 夜の戸張が街を染める中、一匹の獣魔が解き放たれた……

 

 

 クモ男の攻撃は致命的だった。引き抜かれた傷口からは噴水のように血がほとばしる。

「う、うわああああぁ!」

「オトコノハラワタハニガミガキツクテイケマセン。アナタハソノママシニナサイ」

 確かに、このまま放っておけば、30分もせず浦木は出血多量で絶命するだろう。だがそれは、裏を返せば30分は生き続けるということ。

――このままなにも出来ずに――

 クモ男は、となりの美奈に目を向ける。その細かく分かれた複眼を。

「デハ、めいんでぃっしゅトイキマスカ」

 のばされた鋭い腕が、少女をくるんでいる糸をかきわける。ほどなく制服の胸が見えた。

「や、やめろ……」

 体中の力が腹から抜けていくようだった。焼けつくように痛む。

 だが、意識ははっきりしていた。これ以上は無いくらいに。

 人は死の間際、それまでの人生を走馬灯のように見ると言うが、浦木は高校に入ってからの出来事を鮮明に思い出していた。

 春のクラブ紹介で、弓の演技に魅せられたこと。

 さっそく映研に行くと、同じクラスの美奈が先に来ていて驚いたこと。

 部長の天田と波長が合って、よくマニア談義を交わしたこと。

 弓の性格がフィルム越しとまるで違ったこと。

 夏休みの長期ロケにみんなで海へ行ったこと。

 少しづつ、彼女に引かれていったこと。

 そして、彼女の想いを知ったこと。

 ほんの数日前まで当たり前のように在った。そこに全てが在った。

 それが、壊れた。

 目の前のモノによって、壊された。

――絶望――

 全てを失った気がした。なにもかもが。

 だんだんと気が遠くなる。血が足りない……

 しかし、薄れ行く意識の中、異形の爪が少女にのばされていくのをかろうじて認識したとき、少年は目覚めた――

「やめろぉッ!」

 まだだ、まだ終わってはいない。自分はまだ生きている。

「マダソンナゲンキガノコッテイマスカ」

 終わってなどいない。目の前に彼女がいる。

 もう大切なものを失うのはいやだった。

 なにも出来ないのはいやだった。そして

――倒さねばならない敵がいる――

「……お前も、壊してやる……」

 

 

 街の夜空を、一陣の風の如く飛びすさる影があった。

「奴についた俺の血が道を示してくれる」

 その影は闇色の美しい毛並みにおおわれていた。耳まで裂けた口元には鋭い牙が並ぶ。

 屋根から屋根へ飛び交う脚力は、人を、いや獣を超越していた。

 人々の伝説には人狼と呼ばれる獣魔だった。

 その本性をあらわした羽佐間の超嗅覚は、人間時のそれをはるかに上回る。

 野獣の瞳が街外れの倉庫を捕らえたそのとき。

――悲しい咆哮が響き渡った――

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」

 心の限界を超えた出来事が、浦木の箍(たが)を外した。

「ッ!マサカ、オマエハ……」

 奥深く眠っていた野生がはじめて目を覚ます。

 その身を捉えていた糸の呪縛も、たまらず溶けくずれる。

――どこがどう、という感覚は無い。ただ熱いだけだ、体中が――

 地に降り立った浦木のからだが、メキメキと音を立てて変わる。

 内側から皮が裂け、紺碧のうろこに覆われた身体が現われた。

 悲しい色だった。

 腕には電柱もわしづかみに出来そうなほどの巨大さと凶悪さを兼ね備えたかぎづめ。

 眉間の上には鋭い2本の角が並び、突き出た口元には獰猛な牙が生えそろっていた。

 腰の後には、意のままに動く長い尻尾がある。

「オマエモ、『ジュウマ』ダッタノカ?ナラバ、メザメタバカリノウチニ、シマツサセテモラウ!」

 腕も、脚も、首も、人外のそれに変貌を遂げた浦木。龍人、とでも呼ぶべきだろうか。だが、その内に在るのは……

――歓喜だった――

 

 

 たどり着いたときには、全てが終わっていたようだった。

 ぱちぱちと焦げ臭い音を立てながら、かつてクモ男だったものが燃え尽きていた。

 それを殴りつづける者。

 辺りを見まわし、美奈の生存を確認すると、全てを理解する。

(彼女を守ったんだな)

 ほかの者達はすでに手遅れのようだった。幾度となく犯行を重ねていた証だろう。

(しかし、龍人とは)

 人の姿に戻り、ゆっくりと近づく。

「もうよせ、康一」

 そのうろこに覆われた肩に手をやる。見ていられなかった。

 痛々しくて。

「もう、死んでる」

 この少年にどんな言葉をかけたら良いだろう。

 とても、とても大切なものを失ってしまったであろう少年に。

 誰か教えて欲しい。

「お前は十分戦ったよ。仇は討った」

 炎のように紅かったうろこが、紺碧に変わる。

(紺碧のうろこか……なんて悲しい色なんだ)

 ゆっくりと人の形を取り戻していく。

「だからもう泣くんじゃない」

 その頬には、絶え間無く涙がこぼれおちる。

「ぼくは……うっ……ううっ……」

 涙はとどまる事を知らず、ただ静かに流れるのみだった。