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Summon night 2 Another Story



時詠みて糸紡ぎし者


Chapter 0

「始まりは赤い景色」

by 夕凪鶏一




 あの日の約束を、我等は決して忘れぬ。幾千の星霜が流れようとも、我等は待ちつづけよう。貴殿と同じ輝ける魂を持ちし者を。絶望を打ち払い、悲しみに終止符を打つ者を。
 我等と貴殿の、盟約の下に。





 青空が眩しかった。真綿を千切って浮かべたような白い雲が漂い、吸い込まれそうなほど深い青に向かって小鳥が囀りながら飛んでいく。耳に残る、快い鳥の声。
 のどかだ。風は暖かく心地よい。優しく包むような陽光を浴びていると、ついついまぶたが重くなってくる。
 薄汚れた壁に切り取られても、空の美しさが損なわれることはない。かつて何人もの先人達がそこを目指し掴もうとしたのも納得できると、少年は思った。
 すえた臭いのする風が吹く。臭いの元であるゴミがそこかしこに散らばった裏路地に、力無く手足を投げ出した少年が1人、壁に背を預け茫洋とした眼差しで空を見上げていた。身に付けた服は布切れと変わらないほどボロボロで汚れ、露出した肌は泥にまみれ色が病的に白い。まともな食事をしていない証拠だ。
 彼はスラムに暮らす子供だ。親の顔などとっくに忘れ、兄弟なんて居るのかも分からない根無し草。人間とゴミが同じ価値しか持てない街の裏側、真っ当な人生から脱落したクズどもが集まる吹き溜まりに産まれたか、そうでなくては捨てられた不幸者。
 投げ出した四肢に力を込めて立ち上がろうとして、少年は低くうめいて顔をしかめた。囲まれてぼこぼこにされたのだ。仕方ないだろう。
 彼は生きていく糧を得るために、盗みやスリなどを生業にしていた。年端もいかないひょろひょろのガキに仕事をくれるほど、世の中という奴は優しくない。それでも養ってくれる家族か保護者が居るならまだいい。しかし身寄りのない少年は、自ら働くしかない。いつか死ぬのなら、せめてそれまでは精一杯生きていたかった。
 今日も表通りに出て仕事をしてきた。隙だらけな商人風の男から首尾良く財布をスリ盗って、戻ってきた所を待ち伏せに遭った。少年は喧嘩が強い方だった。仕事を終えた後で素早く立ち去る足の速さも、時には大胆に行動して獲物を得る度胸も、簡単に喧嘩に転用が可能だ。しかし、10人もの人間に囲まれては話が別だ。
 逃げる間もなくタコ殴りにされ、折角の稼ぎも根こそぎ奪われてしまった。
「イヤに手馴れてたなァ。あれはぜってージミーのグループだな。くそっ、油断した」
 まことに景気の悪い声でぶつぶつと文句を並べながら、少年はなるべくゆっくりと身体を起こした。全身に引き攣るような痛みがあるが、骨が折れるような重大な怪我はない。殺されなかっただけでも運が良いのに、打ち身や擦り傷だけなんて出来過ぎている。知り合いなだけに手加減してくれたのか、はたまたオイシイ獲物を死なない程度にいたぶって次もよろしくとでも言いたいのか。
 解っている。こうしなければ彼らだって生きていけないのだ。少年は自分の盗みの技術に自信を持っているし、スラムではそれなりに顔も知れている。だが、誰もがそんな特技を持っているわけではない。数に物を言わせて他人を襲うことでしかその日の食事すら得られない者たちも居るのだ。ここは、そういう場所だ。
 壁に手をついて立ち上がると、服の胸元から紐につながれた親指大の緋色の勾玉が覗いた。少年が物心ついた頃にはそこにあって、ずっと彼の傍にあった。売れば高そうなのだがなんだか気が引けて、今では愛着がわいて手放せなくなってしまった。
 壁に寄りかかって勾玉を弄びながら、少年はもう一度空を見上げた。腹は空いているが、もう一仕事できるような体調ではない。人間なんて2・3日食事をしなくても死なないのは経験済みなのだから、今日はねぐらに戻って身体を休め、後日改めて稼げばいい。少年は引きずるような1歩を踏み出した。
 コツンと、何かがつま先に当たり、硬い音を立てて石畳の上を滑っていった。歩けば必ず何かに当たるような場所なので、最初はゴミかと思ったが、それは赤い色をした宝石のように見えた。
 普通の人間ならそう思うだろうが、少年はその宝石に見える石が、ただの石でないことを知っていた。
「<サモナイト石>?」
 少年がねぐらとして使っている崩れかけの廃墟に、いつの頃からかひとりの老人が住み着いていた。老人は自分は実は<召喚師>であると言い、理由は説明できないが追われているので匿って欲しいと頼んできたのだ。暇だった少年は、それを承諾した。
 それから、老人はお礼だといって少年に文字の読み書きを教え、ついでに異界の者を喚びだして使役する法、<召喚術>を教え始めた。知っていれば何かの時に役立つかもしれないと、少年は教えられることを真面目に吸収して身に付けていった。
 お前は見込みがあると言われて、本気になっていたのかもしれない。
 その老人はすでに居ない。現れた時同様に、ある日突然消えてしまったのだ。部屋の中がメチャメチャになっていたから、追っ手にでも見つかってしまったのかもしれない。少年には関係の無い話しだが。
 <サモナイト石>も、老人に実物とやらを見せてもらったことがある。危ないからといって触らせてもらえなかったが。
「なんで、こんな所に…」
 悲鳴を上げる身体をなだめすかし、少年は屈んで赤い石を拾おうとした。その時、勾玉を結んでいた紐が切れ、石畳の上を跳ねて石と並んで止まった。紐はもう何年も使っていたので、寿命だったのかもしれない。少年は舌打して2つの石をまとめて掴んだ。
 唐突に指の間から光が漏れた。日の光の下でもそうと分かるほど強い、赤色の光。
「な!?」
 急速に全身から力が抜け、膝が砕けてしりもちをついた。さらに強くなっていく光に反比例して、全身の力が抜けていく。まるで少年の力を光が吸って輝きに換えているかのようだ。
 少年は自分が何をしてしまったのか知った。詳しい理由など何一つ解らない。はっきりしているのは、<サモナイト石>が自分の魔力を吸い上げて、異界とこの世界を繋げる門を形成しようとしていることだけだ。しかもこれは、正規の手続きが成されていない。例え異界の者を召喚しようと、制御することはできない。これは、<召喚術>の暴発だ。
 魔力はいまだに吸い取られている。以前老人から、魔力を一度に大量に使いすぎると命を削り、下手をすれば死んでしまうかもしれないと脅されたのを思いだし、自分はここで死ぬのかと考えた。
 やがて手の中から石1つ分の感触が流れて消え、空へと昇っていく。門が開くのだ。
 霞んではっきりとしない頭を無理に動かして、少年は思考を続ける。この街には常駐している<召喚師>が居ない。自警団ならあるが、そんな一般市民に毛が生えた程度の集団では、召喚された異界の者に対抗できるとは考えられない。ものにもよるが、<召喚術>の一撃は完全武装した騎士団1個師団すら壊滅させる威力がある。<召喚師>に抗う術を持っているのは、同じ<召喚師>だけだ。
(死にたくないなァ)
 仰向けに倒れ見上げた空に、夏の陽炎に良く似た歪みが生じた。無理やり穿たれた穴を塞ごうとして空間が反発して、歪みの外周に極彩色の火花が飛び散る。世界と世界が部分的にではあるが接続されたことを物語るそれは、<召喚術>の完成を意味する。何が出てくるのか解らないが、術者の魔力を倒れるまで使ったのだから、よほどの大物が召喚されるのだろう。
「無理にとは言わないけど、俺を助けてくれるイイ奴は居ないか?」
 残された魔力はごく僅か。命を支えられるギリギリの量を残し、少年は言葉と想いを魔力に乗せて門の向こうへと送った。上手くすれば、誰かが応えてくれるかもしれない。
 何か硬いものが弾ける音がして、門をくぐり赤い光の塊が飛び出した。光は門の下の空に漂うと、目を射る強烈な輝きを振り撒きながら膨らんでいく。少年は目を閉じ、物理的な圧力すら感じさせる光を全身で浴びた。あまりにも光が強すぎて、一時的にせよ視力が殺されてしまうほどだ。
 腹の底に響くような力強い獣の咆哮に、少年はうっすらと目を開ける。
 青空を背景に、炎のような紅い鱗で全身を鎧った蛇が飛んでいた。その辺のなまくらでは及びもつかないであろう爪と牙を見せつけ、脚の生えた蛇が風の中に踊る。その姿はひどく幻想的で美しく、異質で禍禍しかった。
 大多数の人間がそうであるように、少年もぽかんと竜のものとなった空を見上げていた。<召喚術>によって召喚された異界の者は始めて見た。いくら予備知識があっても、実物を見た時の衝撃は凄かった。それが召喚の難しい竜ならばなおさらだ。
 紅い鱗の竜が、天に向かって咆哮する。耳を貫く大音量の咆声は現実の衝撃となって街を襲った。王者の咆哮の前に石造りの建物はあっけなく潰れ、地べたを這いずりまわる人間は紙くずのように吹き飛ばされた。弓などを持ち出して果敢にも立ち向かう者も居たが、元々届く距離ではない。届いたとしても、ただの鉄の矢じりでは竜の鱗を貫くことは絶対に不可能だ。
 今まで保っていたのが不思議なくらいの意識に、砂嵐のようなノイズが走る。限界まで力を振り絞ったのだからしょうがないだろう。
 最後に目に焼きついたのは燃えゆく街と、自分を抱き上げた鬼の顔だった。





 まず目に入った天井を見上げ、自分がどこに居るのか分からなくなった。今にも崩れてきそうなねぐらの天井ではなく、あの日見ていた青い空でもない。清潔な白を基調とした天井と壁紙。ひとりで暮らすには少し広すぎる部屋。備え付けの2段ベットの上段に寝ていた青年は、ゆっくりと上半身を起こした。
 徐々にだが記憶が復元されていく。机の上に栞を挟んで置いておいた本は、昨日の夜眠い目をこすりながら読んでいた教科書。両開きの窓が全開なのは、眠気覚ましに夜風を入れようとして閉め忘れていたから。何から何まで、昨日の夜寝る前に見た景色と一致する。
 悲しいほど私物が少ない部屋を見回すと、風が運んできた花の香りを胸一杯に吸うようにあくびして、青年はのろのろと上掛けをどけた。
「あー、イヤな夢見た」
 コキリと首の骨を鳴らし、青年は涙の浮いた目じりを擦る。寝起きの弛みきった表情は、どこか少年じみて見える。勝手に跳ねて自己主張する髪に指を入れてくしゃりとかくと、青年は上段のベットから飛び降りた。
 まだ眠そうな目で青空を一瞥。窓の外の空は青く澄み、大きな雲がのんびりと飛んで行く。今日も快晴だ。それから部屋の真ん中で大きく伸びをする。
 先夜の記憶が曖昧で、いつベットに入ったのか覚えていない。珍しく教科書なんて開いたりしたので、変な疲労が溜まったのかもしれない。日の高さから見て、すでに授業は開始されているはずだ。今から行っても内容は中途半端になってしまう。だったら行かなくて良し。
 さて、今日はどこへ行こうかなどと考えながら、ハエが止まりそうなのろさで着替えていると、規則正しい間隔を置いたノックが響く。そしてこちらの返事も待たずにドアが開かれる。数少ない知人の中でも、こんな無礼なマネをしてくれるのは1人ぐらいしか思いつかない。
 気にせず着替えを続行していると、侵入者と目が合った。なんとも整った顔をしているが、目つきが鋭くきつい。他者の干渉を拒むような冷たい空気を漂わせた見た目からしてクールな青年。女性陣の人気があるのも頷ける。
 青年はこちらを見て意外そうな顔をしたが、すぐに肩を落としてため息をついた。理由ははっきりとしないが、呆れられたらしい。
「まだ支度もしていないのか。このままでは間に合わなくなるぞ」
「あれ? 俺、ネスと何か約束してたっけ?」
「これだ…。冗談なら性質が悪すぎるぞ」
 目の前のクールな青年は、名をネスティという。何もかもが気に入らなかったこの場所で、何かと世話を焼いてくれた彼は信じてもいいと思えた。だから、親しみを込めてネスと呼ぶ。
「本当に忘れているなら教えるが、今日は君が一人前の<召喚師>になるための試験の日じゃないか!」
 普段の半分も動いていなかった頭が、ネスティの言葉に反応して徐々に回転数を上げてゆく。手始めにネスティが言ったことの意味を考えて、なぜ夜になって教科書なんぞを引っ張り出して読もうとしたのかを考える。事の重大さに気づくのには、2秒ほどの時間を要した。
「あぁぁっ!」
 今何時かなど見る必要は無い。試験開始までの時間はほとんど残っていない。ネスティが見にこなかったら、完璧に遅刻していただろう。やはり夜更かしなどするものではない。
「そもそも君は派閥の一員であるという自覚が足りなさ過ぎだ。授業はサボってばかりだし、たまに顔を見せたかと思えば居眠りばかりだし。最近は書庫に入り浸っているようだが、その向上心を授業の方に向けてもらいたいものだ」
 聞きなれたネスティの説教を右から左に流しつつ、寝巻きをクロゼットの中に放り込んで着替えを完了させる。この部屋から試験会場までの道順と出来る限りの近道を脳裏に浮かべつつ、大股に部屋を横切ろうとして椅子の脚に足をぶつけて転んだ。
「焦りすぎだぞ」
「そんなこと言ったって!」
 部屋の隅、一応は勉強用という役割をもらっている机に立て掛けられている自分の杖に這うように近寄ると、それにすがってよろよろと立ち上がる。まるで出来の悪い喜劇のようだ。心底呆れた様子のネスティの視線が痛い。
「とにかく、試験の日は来てしまったんだ。今まで不真面目な君の面倒を見てくれたラウル師範のためにも、どんな結果になろうと全力を尽くすんだ」
「…ああ、分かってるよ」
 ネスティの激励に手を上げて応えると、扉を蹴り開けて廊下に飛び出す。みんな授業へ行ってしまったのか、延々と扉が並ぶ廊下はしんと静まり返っている。端っこにある階段に行くためには、長い廊下を走らなくてはならない自分の部屋の位置を恨みつつ、騒々しい足音を立てながら青年は走った。




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