2.ギター少女と夕焼け空A

「ギター上手いな。もっと弾いてくれ」
 女の子の目の前に、浩平が立っていた。
 座ってギターを抱える少女と、夕陽を背後に立つ浩平。
 当然、少女の方が浩平を見上げる形になる。
「……これは?」
 この時、浩平は初めて女の子の声を聞いた。第一印象の通り、優しい感じのする声だった。
「あんた、ストリートミュージシャンってヤツだろ?」
「…………」
 女の子は何かムッとしたようだった。
「まさか、100円じゃ足りないのか? がめつい芸人だ……今月は金欠なのに」
 しかし、あれだけの演奏を聞かせて貰ったんだから、少しぐらいは奮発するか。
 浩平は薄っぺらいサイフの中身を確認しようとした。
「あ、あたしなぁ、ストリートミュージシャンとちゃうねん」
 驚いたことに、彼女が話すのは関西弁だった。やはり大きな目をしていて、今は少し口の端が引きつっている。
「なに? じゃあ、リバーサイドミュージシャン」
「それもちゃう」
 浩平は頭の単語帳を必死にめくったが、女の子は疲れたように否定した。
 やっとこさ100円玉を掘り出す。
「なんでもいい。ほらっ」
 チャリ〜ン♪
 さっきと全く同じ音が、人気のない河原に響く。
「やめいっちゅうねんっ!」
「ぐぁっ……!?」
 女の子は、いきなり大声を上げた。思わず耳をふさいでしまう浩平。
「あたしはストリートでもリバーサイドでもないゆ〜とるやろがっ! 耳遠いんか、ボーズ!」
 ギターを草むらに置き、まくし立てる。
「その“チャリ〜ン♪”ゆうちゃらけた音はなんやねん! こバカにしとるんかっ!」
 浩平の中で第一印象が音を立てて崩れていった。張り上げられている声には優しい響きが残ったままだったから、その矛盾に更に混乱する。
「いや、そこに空き缶があるから。てっきり物乞いかと」
 浩平が指さし、少女が目で追う。その先には、しっかりと「鯖の水煮」の空き缶が口を開けていた。
「ちゃうわっ! 偶然や、偶然!」
 慌てて否定する。
「偶然にしては、出来過ぎ……」
「どついたろか、こんガキャァ」
 底冷えのする声で言われ、さしもの浩平も口をつぐんだ。女の子は肩で息をしている。
「あ、そう。じゃあ、この200円は回収して、と」
 浩平がサバ缶に手を伸ばしたとき、女の子ははっとして身を乗り出してきた。
「ちょ、ちょい待て、ボーズ。せっかくやから、それもろとくわ」
 かしゅっ!
 素早い手つきでかすめ取る。
「……なんなんだ、あんた。言動と行動が激しく違うぞ」
「いや〜儲けもんやなぁ。こんだけあれば、トーフ2丁とパスタ買えるで……家に麻婆ドーフの素確かあったな。うひょ〜、今晩は麻婆ドーフにパスタケチャップ和え、マヨネーズ和えもええかもしれん……デラックスやな〜」
「人の話聞いてないだろ。って言うかあんたそのメニューはなんだ」
「なんだとはなんや。ミハルちゃん特製、“万里の長城VSエッフェル塔定食”や」
「長ったらしい上に意味がわからないぞ。しかもパスタだったらエッフェル塔は絶対違う」
「要するに和洋折衷、ちゅうことやな」
「それも思いっきり違う」
 200円を胸元で握りしめ、ついさっきまでの怒り狂った様子から豹変してうんうんと嬉しそうに呟いている。目の焦点が合っていない。
 ますます第一印象とはかけ離れた女の子だった。
 優しそうな声と顔に似合わない関西弁の強烈なセリフ回し。プライドが高いのか低いのか分からないが、様子から察するに、かなりの貧乏人のようだ。制服自体はピシッとしたものを着ているし、肌や髪の手入れなんかもきっちりとなされているから、見た目には分からない。どこからどう見ても、普通の女子高生だ。
 中身はそうではなさそうだが。
「玄米と具ナシ味噌汁以外のもんを食うなんて、ひさしぶりや〜」
「…………」
「パンの耳も味気ないしな〜」
「…………」
「いや、ちょい待てよ? せっかくのチャンスやから、もっと栄養のあるもん買った方がええんちゃうか……?」
「…………」
「あかんわ。200円とあたしの料理の腕前考えたら、無理なこっちゃ……って、何座っとんねん!?」
 浩平は女の子が食い物の想像に浸っている間に、隣に腰掛けていた。置かれていたギターを適当にいじっている。
「ぎぃぃっ!? 勝手にさわんなっ、どあほっ!」
 バイ〜ン、ボンッ……
 浩平が弦を押さえて弾いてみても、音らしい音は鳴らなかった。
 血相を変えた女の子がすぐに取り上げる。
「不良品……」
「ちゃうわっ! ボーズがヘタッピィなだけや……あ〜あぁ、こんないらん所にべたべたと指紋つけてもーて」
 ギターケースから水色の布を取り出して、『ハァ〜』と息を吹きかけながら指紋を拭き取っていく。
「こないやからトーシロはあかんのや……」
 ぶつぶつと文句をもらしながら手を動かす。
「バアさんくさいぞ」
「……ボーズ、もうちょい、言葉は選ぶもんやで……?」
「ぐあぁっ……」
 にやけた表情で凍り付いた少女が、浩平の頭をがっしりと鷲掴みにし、ぎりぎりと圧力をかける。
「き、気を付ける」
 浩平が素直に撤回すると、少女は鼻を鳴らしてから手を放した。
 またしばらく拭く作業をし、ギターをあらゆる角度から見て、やっと納得がいったらしく布をケースに戻した。
「いつまで座っとるんや。良い子はお家に帰る時間やで?」
 辺りはもう薄暗くなっていた。空には1番星まで輝いている。
 浩平は肩をすくめて言った。
「200円。オレは客」
「うぐっ……いちいちムカつくやっちゃな」
 しばらく意地を張ったように黙り込んでいたが、女の子は再びギターを弾き始めた。
 今度も明るいイメージの曲だった。夜が訪れようとしている河原にはそぐわない。女の子のすらりと伸びる左手の指が、指板の上をせわしなく動き回る。
 紡ぎ出される和音。脳裏に浮かぶ澄み切った青空。
 すぐ側で聞く女の子のギターは、さっきの何倍も上手に聞こえた。
「釣り合わない気がする」
 曲が終わった後、浩平は呟いた。
 女の子は、なにも言わない。
「せやから――」
 言葉を止め、もう暗くなった空を見上げた。
「せやから、ええの。釣り合わんから、ええんや」
 その声は、うって変わって静かだった。
「夕焼け空に合う曲なんて、弾きとうない……願い下げや」
「夕日、嫌いなのか?」
「嫌いや」
 はっきりとした答えが返ってくる。
「どうして?」
 女の子の無表情が、浩平に向けられる。表情がないことに、逆に糾弾の意味があることを悟った。
「ボーズの名前は?」
 視線を穏やかに流れる川に戻し、浩平に訊ねる。
「折原浩平」
「浩平、か。あたしは道城深春(みちしろみはる)や」
「ヨロシクな、深春」
 浩平はなれなれしく握手を求める。
「あのなぁ……ずっと気になっとったんやが、自分生意気ちゃうか? ボーズ――浩平は見たところ中学生やろ?」
「ビンゴ。よく分かったな」
「あたしはな、この制服着とるように高校生なんや。高2や、高2。少しは目上のモンに対する礼儀っちゅうのを知らんのか」
「俺にコロシの罪をかぶれっていうのか? アネさん、それだけは勘弁だ」
「なんの世界の話をしとんねん……」
 深春はがっくりと肩を落とし、そそくさと帰り支度を始めた。大事そうに取り出したギターを、今度も大事そうにしまい込む。
「ほなな、浩平」
「ほなな、深春」
「…………」
 深春はなにも言わずに、大きなギターケースを背負って去っていった。
 浩平もその後すぐに、芝から腰を上げた。しばらく座りっぱなしだったから、関節が少々ぎこちない。
 立ち上がってから、足下に何か落ちていることに気がつく。金属製のピックだった。
 浩平は、それを拾い上げると夜空を見上げた。
「…………」
 道城深春とは今日初めて会ったはずだったが、さっきの奇妙な違和感といい、頭の何処かでだぶるものがあった。
“自分と似ている”
 端的な感想がそれだった。

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