5.みちしろ みはる

 ジャガジャジャジャ〜ン♪
「おう、深春センパイ」
 夕日の河原。深春が滞りなく1曲弾き終えたとき、横から妙になれなれしい声がかかった。
「……コーヘイか。また来たんかい」
 道城深春の声には明らかに拒絶する意志が含まれていたのだが、浩平は気付かないように平然と横に腰掛けた。
 今日も昨日と同じ場所、同じシチュエーション。
 と、深春の険しい表情が、ふっと緩んだ。
「“センパイ”つけるあたり、浩平もちっとは考えたんやな。感心したで。少しだけやけどな」
「まあな……でもセンパイ、『また来たんかい』って言うけどな、悪いんだけど俺の方が先にこの場所に居座ってたんだぜ? センパイは最近だろ、ここに来たの。そのことも少しは考慮に入れてくれよな」
 深春は苦笑を浮かべた。
「この場所に関しては浩平の方がセンパイっちゅうわけやな。なるほど、了解したで」
「早速なんか聞かせてくれ。注文はしないから」
「……仕方あらへんな、場所代として1曲聞かせたるか」
 浩平の言葉に、深春はまんざらでもない様子でアコースティックギターを構えた。
 ジャララジャララジャラジャジャジャジャ〜ンッ♪
 ロックテイストな音楽だ。昨日のポップな曲とは別に、浩平は体の内側まで響くような重圧感を覚えた。通常、アコースティックギターではそのような表現には限界があるものだが。
 深春は、6本の弦をかき鳴らす右手の技が巧みだ。手首から先が鞭のようになめらかにしなり、凄みをきかせたいところでは肘から先もストロークに使う。そのことによって見事な強弱を楽曲に与えているのだった。
 ジャガジャジャジャジャジャ〜ン♪
「やっぱセンパイ、上手いって。ひょっとしてプロ? デビュー間近、とか」
「あんなぁ、コーヘイ。プロっちゅうのはそんな甘い世界やないで? ただギターの上手い連中ならそこらにゴマンとおるんや。そういう中で食ってく為に1番重要なんは実力やが、運も必要なんや。うまけりゃ必ずプロとして成功するわけやない」
 純粋に賞賛する浩平に、深春は諭すような声音で応える。
「“売れてるアーティスト”っちゅうのはな、言い換えれば現代人の感性にしっくり来るアーティストってことなんや。いくら自分がええ曲作った思っとっても、その時代が受け入れん限りは売れっこない。それがホンマに名曲やとしてもな」
「そういうもんか?」
「そういうもんや。それでなくとも今の時代はマスコミがやかましくてな、自分の個性があってないような若者は、有名だって言われるもんに注目したがる。売れないアーティストでも才能溢れる連中はたくさんいて、でも、ほとんどの人に知られてないんや。みんな表面的なトコで満足してるんやろうけど、はたから見たら――あたしから見たら虚しゅうなるんや。それはもったいないことやで。もっと広い視野っちゅうもんを持つべきや。世の中にはな、えーもんがぎょうさんあるんやから」
 広い視野を持って世の中を見渡す、それが深春のポリシーだった。
 まだ中学生ながらも、流行を追いかけて生きているわけではない浩平は、深春の言葉に共感を覚える。
「何となく、分かるな」
 浩平は無責任な発言をしたくなかったから、“何となく”と付けた。
「そう言えば、センパイの弾いてる曲って、オリジナルか?」
 深春は笑って首を横に振る。
「ちがうで。今まで聞かせた曲は全部<Avant Pop Star>の曲や」
「アバン・ポップ・スター? 聞いたことないぞ」
「知らんの? かなりの有名どころやで?」
「だって俺、TVとかラジオの音楽番組の類は全然聞かないからな……でも、“有名どころ”って、つまり売れてるアーティストのことだろ? それって、さっき言ってたセンパイの言葉に反してないか?」
 深春が眉をひそめて浩平に顔を近づける。茶色いショートヘアーの上にのった水色のカチューシャが、夕日を照り返した。
「あたしはな、何も流行にどこまでも逆らえ言うてるんやない。広い視野を持て、っちゅうことや。流行ってる流行ってないに拘わらず、ええもんはええ。流行だからといって頭ごなしに否定するんは、それに流されてばかりと同じ、貧しい考え方やで」
 深春の言葉には説得力がある。
「ただな――」
 深春は笑いをこぼした。
「ヴォーカルのねぇちゃんには悪いんやけど、あたしがホンマに好きなんはそのギタリストなんや。浩平は曲聞いてもわからんやろうけどな、他のアーティストとは全然違うフレーズばっかり登場してな。ギターを練習すれば分かるで。そのギタリストは枠にとらわれない創造力に満ちとる。まさに、これぞモノホンのギタリスト、って感じやな」
「ほー、そうなのか」
 その話をする深春の声は明るく、よほどそのギタリストの腕に心酔していることが浩平には分かった。
「ところで、センパイの弾く曲って、普通エレキでやるもんじゃないのか?」
「……そうや。でもな、持っとらんのや、エレキギター。今そのための金貯めとる最中や。買うならやっぱり10万以上のギターにしたいもんでな」
 値段を聞いた浩平は眉をひそめる。
「そんなにするのか……そういう趣味にはまる人間の気持ちはよく分からんな」
「別にわからんでもええねん。浩平は浩平で、別の熱中できるもんを探してみたらいいんや」
 熱中できるもの。
 今の浩平には、考えるまでもなくそんな大それたものはなかった。部活にも所属せず、放課後を適当に仲間と過ごし、家に帰って晩ご飯を食べ、風呂に入り、テレビや雑誌を見て寝る。ちょっとした変化はあるが、日々をそうやって単調に暮らしているだけだ。
「……俺にはないな、今んところ」
 深春は自分のことのように残念そうにした。
「そーか。なるほどな。だったら、これから探したらええ。目の前にお膳立てされた仕事をこなしてるだけみたいに、ただボーっとして生きてるんは、もったいないで。せっかく生まれて来たんや、おもろいことを探そうと貪欲になったらええんや、貪欲にな」
 深春のイタズラっぽい物言いに、浩平は思わず破顔した。
「そうかもな。努力はする」
 浩平の目が深春のギターに注がれる。
「じゃあ、手始めにそのギターを」
「これは貸さんで。自分で用意するこっちゃ」
 言い切る前に強い調子で阻まれ、浩平は肩をすくめた。
「分かったよ……ケチ」
「ケチちがうで。これだけは譲れんの」
 その言葉に、偽りはなかった。そのアコースティックギターは深春が小4の頃から愛用し続けているものだった。まだ手のひらが小さくて、弦を押さえるのに苦労していたときから自由自在に指を動かせるようになった今まで、楽しいときも辛いときも、いつも側にあったのがそのギターだ。深春の大切な思い出が共存した、音響くアルバムである。
「初めは2万くらいのアコギ使ってみぃ。それでも結構いい音鳴るもんやで?」
「2万なんて持ってるわけないだろ。そういう先輩のギターはいくらなんだ」
 訊かれた深春はちょっと考え、すぐに意地悪げな表情に変わった。
「秘密や、秘密。教えてやらん」
「なんでだよ」
「それも秘密や」
「わけわかんねー……」
 それからしばらくチューニングをしていた深春は、いきなり吹き出した。唐突なリアクションに驚いた浩平が怪訝な顔を向ける。
「どうしたんだ?」
「いや、あのな……おもろいこと思い出してしもて」
 説明しながらも『プククッ』と笑いをもらす。
「今日、うちらの高校の剣道部、武道館で新人戦があったんや。そんで、あたしら応援に駆り出されてな」
 武道館。剣道。
 この2つのキーワードで、浩平は今朝の竹刀を抱えた女の子を思い出した。
「センパイ……ひょっとして、中学生も一緒の会場だったか?」
「ああ、そーやった。浩平らの学校も出とったな。応援は行かへんかったん?」
「うちの弱小剣道部の、しかも地区新人戦になんか応援行くわけないだろ」
「ふーん。そーかいな……じゃあ、知らんわけやな」
 深春はまた笑い出す。
「なんなんだよ、だから」
「あのな、あたしが笑っとんのは“女子中学生の部”についてなんや」
「ほほう、女子……中学生、ね」
 浩平はなんとなく嫌な予感がしていた。
「今日は団体戦の日でな、どこの中学かは覚えとらんが、試合時間になっても5人のメンバーが揃わんところがあったんや」
「ふーん……」
「そこの剣道部は女子のメンバーがほとんどおらんようでな、補欠もいなかったらしいんや。他の4人は『絶対来ますから』って審判に頼みこんでたんやけど、“不戦敗”を宣言されるのはもう目前。あたしは、自分らの弱小剣道部になんか興味あらへんかったから、なんやオモロげなモンやっとるなー思て、そっちの方ばっかり見とったんや」
「思いっきり野次馬根性だな、センパイ」
 ごすっ。
「ぐあっ……!」
 げんこつが浩平の頭頂部にめり込んだ。
「ええから、黙って聞ぃとき……呆れたことにな、そいつは女子のキャプテンだったらしいで。キャプテンが遅刻するだけでもなかなかどーしてアホくさいことなんやが、オモロいのはな……」
「な、なんだ?」
 直感的に、その先は聞きたくないような気がした。
「ずぶ濡れで登場したんや。頭のてっぺんからつま先までびっしょりや」
「……やっぱりあいつか。本物のきじるしさんかよ」
 今朝遭遇した熱血少女が“小便小僧”を実行したらしい。
 浩平の頭の中でその再現フィルムがリアルに再生される。小便小僧が根こそぎ折れて、その足元から水が爆発的に吹き出ていた。その“小便一歩手前”を、じゃばじゃばと猛烈な勢いで顔面に受けている少女がいる。
「それで、なんとか不戦敗を免れて、数分遅れで試合は始まったんや。今大会の試合形式は“勝ち抜き戦”やった」
「……で、その遅れてきたキャプテンは、やっぱ大将?」
「ふふ、ちゃうんやな〜それが」
 深春は意地の悪い笑みを見せる。
「先鋒や、先鋒」
「は?」
「あたしもな、普通キャプテンやったらもうちょい後の方にまわすもんやろ思ったんや。
でもな、試合の内容見たら、そんな疑問吹っ飛んだわ」
「……っていうと」
 浩平は恐る恐る訊ねた。
「その女の子は――防具に“七瀬”書いとったか――見事5人抜きしよった」
「ぐおっ……」
「ものすごい気迫の振りやったなー。あんなもん食らったらたまったもんやないで? 将来的に、いい選手になるやろうことが、素人目にもよう分かったわ」
「そーか、ははっ……要チェックってやつだな。覚えとこう」
「もう1つおもろいんはな……」
「まだあるんかいっ!」
「まだあるでぇ……ちゅうか変なことなんやけど、その七瀬っちゅう女の子な、気合いの声が普通と違うねん。ナントカコゾーって、まさに鬼気迫る様子で何度も叫んどったんや。気合いの声なんてほとんど奇声みたいなもんやから、よう聞こえんかったけど、それだけで相手はひるみまくってたで。ああいうのって、反則ちゃうの?」
 ナントカコゾー――それは間違いなく小便小僧だ。
「反則だ、それはっ。レッドカード一発退場」
「それはサッカーや」
 慎重に突っ込んだ深春が、浩平を見る。
「なんや浩平。顔色悪いで?」
「気のせいだ……」
 浩平は、ひたすら自分の顔を忘れていてくれることだけを願っていた。
 しばらく浩平を不思議そうに眺めていた深春だったが、西の空に落ちていく夕日を一瞥すると、再びギターをかき鳴らし始めた。
「それ、なんて言う曲なんだ?」
 浩平が訊ねる。
「CDとして発売されとらん、楽譜だけ発表された曲。“a Serene Blue Sky”――“澄んだ青空”ってことや」
 深春は心ここに在らざる答えを述べる。
 夕焼け空の下、鳴り渡る軽快なメロディ。
 ギターを弾けど、眼前にはやはり鮮やかな夕焼けの世界が広がっている。
 深春は目を瞑って曲のイメージに浸るように両手を動かしていく。
 頭の中で膨らませようとしている光景を上から塗りつぶすように、赤い光が瞼を貫いてくる。
「…………」
 ギターをかき鳴らす。
 イメージをぶつける。
 朱に逆らう。
 それは所詮、はかない抵抗だ。
 それでも深春はギターを弾くことをやめなかった。

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