9.きずなの橋

 太陽が沈みかけた西の空。目に染み入るようなオレンジの夕焼けが、世界を包み込む。
「今日はセンパイ、来ないのか……」
 浩平はいつもの河原で寝転がりながら、深春を待っていた。最近の彼女は毎日のようにここに来ていたから、今日も会えると思ったものの、未だ姿は見えない。
 彼女に会えないと、とても虚しい気分になる。浩平は自分が彼女に特別な感情を抱いていることを自覚していた。
 小川のせせらぎに、切なさをかき立てられる。心のどこかがうずく。
 やがて夕陽も山の向こうに姿を消してしまった。
「……帰るかな」
 浩平が体を起こしたとき、道の向こうから、独特な関西弁が聞こえた。
「しょうがないやろ。あたしだって納得したわけやないんやで」
「でもな、みぃちゃん。あそこで篠原さんに言うんは駄目や。彼女泣いとったよ」
「そんなん……あたしの知ったことやない。大体悪いのはあっちなんや」
「せやかて……」
「――センパイっ」
 浩平は立ち上がり、深春に手を振った。彼女は今日も、小柄な体にギターを背負っていた。
「おう、今日もおったんか」
「あのコ誰?」
 深春と一緒に下校していた知加子が訊ねた。
「折原浩平ゆうてな。最近知り合ったばっかの中学1年坊主や」
「へ〜え……みぃちゃんも隅におけんなぁ」
「あんなぁ知加子。中1相手に、本気で言っとるんか……?」
「なにゆーとんの。好いた惚れたに年の差なんて関係ないんやで?」
「あたしはそんな物好きやないっ」
 深春と知加子は、浩平のいる芝のスペースまでおりてくる。
「センパイ、この人誰?」
 浩平が至極当然な質問をした。
「クラスメイトの尾海知加子や。ほら、前話したやろ? あたしに関西弁うつしたヤツがおるって。それがこの子や」
「あの“おとなしくて影の薄い”人か」
 浩平が何のためらいもなく言い放ったので、知加子は深春にジト目を向けた。
「みぃちゃん……あたしのことどうゆー風に紹介したんかな?」
 対する深春は平然としたまま応える。
「どーもこーも、日頃の知加子そのまんまの姿を説明してやっただけや。やましいことなんて何1つ言ってないで」
「ホンマに? ……ならええんやけど」
 ちょっぴり不服そうな知加子に、浩平は右手を差し出した。
「俺は折原浩平。よろしくな、知加子……センパイ」
「こらっ、今センパイつけるのためらったやろ?」
 深春が耳ざとく突っ込む。
「ええよ別に。あたしは知加子で構わんよ」
 知加子は優しく微笑んだ。
「だめやだめや。年上の人に対する礼儀くらいは身につけとかなあかん」
「みぃちゃんは変なトコかたいよねぇ……とにかく、よろしくね、浩平くん」
 知加子は浩平の手を優しく握り返した。ほのかな温かさが、浩平の手のひらに伝わった。
「浩平がここにおるっちゅうことは、あたしのギターが目当てやな。しゃあない、いつもみたいに2,3曲聞かせたるか」
 深春は芝に座り込むと、ケースからアコースティックギターを取り出した。浩平と知加子は深春を挟むようにして座る。
 深春は軽くチューニングをしてから構えた。
「久々やね、みぃちゃんのギター聞くの」
「そーやったな。知加子の前では最近弾いとらんかったモンなぁ」
 1つ深呼吸して、深春の右手が動いた。
 その曲は以前浩平が聞かせて貰った<a Serene Blue Sky>だった。
 曲の名の通り、澄み渡った青空が脳裏に広がる。
 ジャララ〜ン……
 リタルダンドして曲は終わった。
「みぃちゃん、前より上手くなったんやない?」
「そりゃそーや。毎日最低2時間くらいは弾いとるからな」
「今のいつも聞かせて貰っとる曲やら、上手くなっとるのがよう分かるわ」
「そーやったな……初めてまともに覚えた曲もこれやったし。それ以来毎日弾いとるんや」
 深春は西の空を眺める。夕陽はとっくに沈んでいた。
 さわやかな風が、3人のいる河原を通り抜けた。芝がその存在を確かめるように綺麗な波を作る。
「センパイ」
 浩平が口を開いた。
「1つ言っておきたいことがあるんだ。真面目な話だぞ」
「……何や?」
「ほんっと、冗談でも何でもないんだからな」
「だから何やって」
 浩平は深春を見据えて言った。
「俺、センパイのことが好きだ」
 深春の代わり、知加子が「えっ」と小さな声を漏らした。
「……それは、今言ったとおり冗談やないんか?」
 深春は静かに訊く。
「そう言ってるだろ。俺は本気だ。本気で……」
 わずかな間が空く。
「あなたのことが好きです」
 浩平の真剣な眼差しを受けて、深春は優しく微笑した。
「そうか。なんか……むずがゆいな。浩平に告白されるなんて、思ってもみなかったわ」
 知加子は横で、何も言わずに行方を見守っている。
「あたしな、正直浩平は、生意気な弟みたいな感覚でおったんや。いっつも憎まれ口ばっかたたいて……でも、いつも強がっとる」
「俺……強がってなんかない」
「そんなことない。あたしには、分かるんや。浩平がどんな気持ちで毎日過ごしてんのか……余計なお世話ってやつやな。あたしやって、人には干渉したない。でもな……分かってしまうんや。だからあたし、浩平をなんとかして“癒して”やりたい思っとった」
「違う、違うよセンパイ。俺なんかより、苦しんでるのはセンパイ自身だろっ……?」
 夕日の河原で、その情景にそぐわない曲を弾き続ける。それが何か、深春の中でのわだかまりに対する“抵抗”であることは浩平にも分かっていた。
 深春は言葉に詰まった。
「あたしのことは……どーでもいいんや。んなこと気にせんでええ」
「みぃちゃんっ!」
 それまで黙っていた知加子が、大声を上げた。
「そんなんダメやで! いつもみぃちゃんはそうやって周りと距離を置こうとするんや。みぃちゃんかて……あたしのこと親友や思っとってくれとるはずやろ? そうやったらなんで、なんで胸の内を話してくれないんや……! 力になれるなれない以前に、あたしは真っ向からそれを受け止めてあげたいんや!」
 知加子の瞳には涙が浮かんでいた。知加子自身、最近の深春が時折見せる影に――それが何に対するものなのか知らない自分に歯がゆさを感じていた。
「知加子……」
 深春がうつむく。
「センパイ。付き合いの長さに比べたら、知加子センパイとは全然話にならないけど、俺だってそう思ってるんだ。俺……本気でセンパイのことが好きだから。好きな人を辛いことから解き放ってやりたいと思うのは当然だろ?」
「浩平くん……そうや。その通りや」
 2人の言葉を受けた深春はうつむいた顔を上げずに、呟くように言った。
「ありがとな……ありがとな、ホンマ。あたし……あたしなぁっ……」
 深春の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「知加子、浩平。2人に頼みがあるんや」
 震える声。2人は次の言葉を待った。
「あたしのこと、忘れんといてくれ。それだけや……それだけでええから」
 深春は涙を拭い、再びギターをかき鳴らした。
 無数の星が瞬く無限の空に、深春のギターは吸い込まれていった。

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