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Kanon Another Story



永遠の煌き




by 幻



 子狐がいた。
 時間すらも凍ってしまいそうなほど、厳しい寒さに包まれた丘の上に、たった一匹で、まだ夜も明けきらない東の空をじっと見つめていた。
 その横顔は、まるでこれから神聖な儀式でも行うかのように真剣で、静かな情熱に満ちていた。

 彼らは人間から「妖狐」とよばれ、遠い昔から畏れられてきた。
 妖狐たちはその不思議な力で、里の人間達に時には災厄を、時には奇跡をもたらした。だが、今となってはそれを語る人間達も少数である。実際、妖狐達の力は時を経るごとに衰え、彼らは今生命の黄昏に身をおいていた。

 しかし凛として空を見つめる子狐の姿に、そんな悲愴感は一欠片もない。
 厳しい自然を生き抜いてきた誇りのためか。それとも、ありきたりな若さ故の自信のあらわれなのだろうか。
 何かが始まる……。
 そんな予感がした。これから始まる輝かしい未来に思いを馳せるように、子狐はそっと目を閉じた。

 東の空に淡くかかっていた雲が黄金色に輝き出す。
 暗く冷たく長い夜に終止符が打たれる瞬間。朝陽は、すべての生命に、新しい営みに向かって歩み出すための勇気をもたらしてくれる。
 希望の光が丘を白く照した。
 子狐は再び瞳を開く。
 瞳に映った朱い輝きは、子狐に新しい生命を灯したかのようだ。
 空を朱く焦がしながら、輝きを増してゆく朝陽。
 その朱が、丘のふもとの街並みを照らしはじめる。
 昨夜の冷え込みが厳しかったせいか、街を流れる川からは霧がたちこめ、街は高い建物を残して、もやの下に沈んでしまっている。

 バキィッ!!バリバリ!!
 静寂を打ち破るかのごとく、異様な轟音が山にこだまする。
 寒さで木が裂けたのだ。凍裂とよばれる現象である。
 正確には寒さのためではない。限界まで極まった寒さがふっとゆるんだ次の瞬間、それは起こる。
 朝陽が運んだぬくもりが皮肉にも、その身を切り裂いたのだ。
 寒さの厳しい山奥ではたびたび起こることで、特に珍しいことではない。何本もの木々が、誰も知らないところでそうして生命を終えてゆく。
 子狐にとっても、それほど気にとめることではなかったはずだが、そのとき子狐はふと考えた。

 それは幸せだろうか……?
 長く暗い夜の果てにもたらされた、待ち焦がれたぬくもり。
 そのぬくもりの中で生命を終えることができたなら、それは幸せなのだろうか?
 子狐は再び訪れた白い静寂に思考をゆだねようとした。

 風が起こった。
 次の刹那、子狐の思考は中断された。
 耳を立て、瞳を見開き、体を緊張させて街を凝視する。
 感じたのだ。
 朝もやの街を吹き抜け、丘を登ってきた一陣の風に、懐かしいぬくもりを……。
 子狐は次の風が吹くのを待った。
 トクン……トクン……。
 胸が高鳴っていくのがわかる。
 昔触れた一瞬のぬくもり、忘れない、忘れられない……しかし、ある日突然それは終わってしまった。光だけで暖かさのない日溜まりに、突然放り出されてしまった。

 次の風は吹かなかった。
 だが、子狐にとって、確信にいたるには充分であった。
 あの人が戻ってきた……。
 子狐は起きあがり身を翻して、森の奥へと向かって駆け出した。
 どこか遠くで、また木の裂ける音がした。子狐には、それはまるで別の世界からの音のように感じられた……。



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