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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



柏木家の団欒


〜家庭訪問編〜

by 五穀豊穣



 ……パシッ!
 乾いた音と共に、千鶴さんの手からコップがはたき落とされた。
 普段はのんびりとした居間が、緊迫した雰囲気に包まれる。
 またかよ。
 帰ってきていきなりの展開に、俺は自分の星回りを呪わずにいられなかった。

「か、楓。…あなた、いったい何を…」
 唇をわななかせ、青ざめた顔をした千鶴さんが言った。
 そうなのだ。千鶴さんの手からコップをはたき落とした人物は、まさしく楓ちゃんに他ならなかった。
「……らい」
 その楓ちゃんがぽつりと何か言ったが、聞き取れなかった。
「千鶴姉さんなんて大嫌い」
 冷たい目をしてそう言った後、楓ちゃんはきびすを返し居間から出ていった。
 そのとき室温が6度ほど下がったかのような錯覚に俺は見舞われた。
 そのうちの3度は楓ちゃんの発言によるもので、もう3度は……。
「わ、わたし、お姉ちゃんの様子を見てくる!」
 言って、初音ちゃんは居間から逃げるように出ていってしまった。
 梓のやつはクラブで家にいないので、俺はたった今千鶴さんと二人っきりになってしまった。
 あまり喜ばしい状況ではなかった。こんな場合じゃなかったらなぁ…と思っていると。
「わ、私が何をしたって言うんですか!!」
 字にも書けない形相をした千鶴さんが、突然叫んだ。
 キ、キレちゃってるよ、この人。さしずめ、冷凍庫にひとり取り残された気分とはこんな感じなんだろう。
 恐る恐る様子をうかがうと、千鶴さんは肩を震わせ床に落ちたコップをじっと見つめていた。
 正直言って怖かったが、俺は凍死したくなかったので、何があったのかを訊き出す事にした…。


 何でも今日は家庭訪問の日であったらしい。もちろん、楓ちゃんのだ。
 楓ちゃんは柏木家きっての優等生のはずだ。その彼女が学校での素行が悪いとは俺には思えない。
「ええ。私もそう思ってますし、実際先生もそう仰ってました」
 なら一体何が楓ちゃんをあそこまで豹変させてしまったのだろう?
「とにかくさ、一から詳しく話してくれる?」
 刑事さんよろしく、俺は千鶴さんを促した。


 その頃。
 耕一が千鶴にしている様に、楓の部屋でも初音が姉から話を訊き出していた。
「…お姉ちゃん。何があったのか知らないけど、あれじゃあ千鶴お姉ちゃんがかわいそうだよ」
「初音」
「な、なに」
 静かな姉の口調に不吉なものを感じて初音がたじろぐ。
「あなたがどう思おうと勝手だけど、私の前で二度とあの女を姉さんだと言わないで」
 凛とした口調には、どこか殺気さえうかがえた程だった。
 二人の間には、何か余程の事があったのだろう。正直言って、そんな事に首を突っ込むのは嫌だと初音は思っている。けれど、ここは自分の暮らす家なのだ。自分が守らなくて、誰がこの家を守るのか。
 いささかオーバーな決意を胸に、初音は切り出した。
「だけど、耕一お兄ちゃん、すごくびっくりしていたよ。このままじゃお兄ちゃんもきっと心配すると思うんだ」
 楓はしばらく初音を見つめていたが、ようやく日頃以上に重い口を開き始めた…。


「うちが今日、先生が訪問した最後の家庭だったんです」
 すみずみまで思い出すように、おとがいにちょこんと指を当て千鶴さんが語る。
 ううっ…相変わらず可愛い仕草をする人だ。
 (何があったのか知らないけど、俺がいるじゃないか。さあ、涙を拭いて…)
「……さん? …耕一さん?」
 そしてこう、ガバッと床に押し倒して……
「耕、一、さん!!」
「は、はいっ!」
 気が付くと、千鶴さんがいぶかしげに俺を軽く睨んでいた。
 さっきまでの恐怖もどこへやら、どうも俺は妄想タイムに入っていたようだった。
 咳払いをひとつし、俺は続きを訊くことにした。
「うちが最後の訪問先だったんです」
 千鶴さんはさっきと同じ事を繰り返し言った。
「ですから、私は考えたんです」
「考えたって?」
「先生にお出しする物ですよ」
 気の回らない俺に、溜息混じりに千鶴さんが言った。
 そうか、普通家庭訪問する先生にお茶のひとつ位出すもんだよな。
「ええ。ですけどうちは最後じゃないですか。お茶は勿論のこと、きっとコーヒーも紅茶も先生はすでに飲まれてると思ったんです」
「うん。だけどそれがどういう…」
「コーヒーや紅茶は飲みすぎると胃に良くないじゃないですか」
 さすがは高級旅館『鶴来屋』の会長だ。俺はそこまで気が回らなかった。
 俺は感心すると共に、床に目線を移した。
 そうか、だから…。
 その先は訊かなくても分かった。分かってしまえば、あまりにも千鶴さんらしい失敗だ。
 先生、きっと対応に困ったんだろうな…。その様子を思い浮かべただけで思わず苦笑してしまう。
 大方の事情は飲み込めた。
 だが、なぜ楓ちゃんがあそこまで冷たい態度をとったのか、それは未だに謎だった。


「…普通にお茶を出してれば良かったのよ。そうしたら先生も形だけ口を付けて済んでたのに」
「う、うん。でも千鶴お姉ちゃんを責めるのは良くないよ」
 困った顔を浮かべた初音が取りなすように言う。
 すでに初音も何があったのかを、大方知った後だった。
「他人事だから、初音はそんな風に言えるのよ…」
 ぽつりと、楓の口から冷たい呟きが漏れる。
「…お、お姉ちゃん。そんなことないよ、そんなこと」
  「いえ、分かるはずないわ。担任の先生に『牛乳』を差し出す姉を持つ私の気持ちなんて!」
 ……そうなのだった。
 あれこれ気を回した結果、千鶴が先生に出したのは『コップに入った白い牛乳』だったのだ。
「飲める、初音!? あなたなら飲める? 『牛乳』よ! それも初めて訪れた家でよ。飲めるわけないじゃない!!」
 激昂した口調で、楓が言い募る。
 珍しいと言うより、生まれて初めて目の当たりにする姉のキレた姿に、初音はただ震えるしか術はなかった。
「で、でも、千鶴お姉ちゃんだって、悪気があったわけじゃないんだし……」
 それでも震える口調で姉を弁護するあたりが初音たるゆえんだろう。
「初音。本気でそう思ってるの?」
「え?」
「あの牛乳が何か、初音も知ってるでしょ」
「う、うん」
 初音は答える。姉の言う通りだったから。千鶴が差し出した牛乳、それは毎朝楓が欠かさず飲んでる、特別製の物だ。姉の様子を見て、いずれ自分も、と初音は思っている。
「どこかで訊きだしたんだと思うの。あれが『胸が大きくなる牛乳』だって事」
 そう言った楓の目は鷹のように鋭かった。
「か、考えすぎだよう…」
「なら! どうしてさっきあの女は牛乳を飲もうとしたの!?」
「そ、それは……」
「それは、何なの。さあ、言うのよ初音」

 じりじりと楓ちゃんが初音ちゃんに迫る。
 もう限界だった。いくら夢とはいえ、見るに耐えられなかった。あんなの断じて楓ちゃんじゃないっ!
 そして俺は目を覚ました。


   布団の上に上半身を起こし、ハァハァと息を吐く。
 Tシャツもトランクスも、そればかりか敷いてある布団までもが汗でぐっしょりと濡れていた。
 途中から夢だと気付いていたにもかかわらずだ。
 ひとつ深呼吸をして起き上がる。
 障子から薄く射し込む朝日が、今日もいい天気であることを俺に教えてくれる。
「そんな馬鹿なことあるわけないじゃないか」
 自分で見た夢を笑い飛ばし、俺は居間へと向かった。


「おはよう、耕一お兄ちゃん」
「ああ。おはよう、初音ちゃん」
 相変わらず、天使のような微笑みで挨拶をしてくる初音ちゃんを見ていると、夢で疲れた心が癒されるような気さえしてくる。
「おはようございます、耕一さん」
 声を揃えて挨拶をよこしたのは千鶴さんと楓ちゃんだった。
 ほら見ろ。この姉妹はこんなにも仲がいいじゃないか。
 両親とうちの親父を亡くして以来、この姉妹たちは仲良くお互いを支えてきたんだ。それはこの場にいない梓だって同じ事だ。
「はい、お兄ちゃん。お味噌汁」
「おっと、サンキュー」
 言って、湯気の立つ味噌汁を初音ちゃんから受け取ると、
「…どうぞ、耕一さん」
 よそったご飯を楓ちゃんがタイミング良く俺に差し出す。
 受け取り、そのままひとくち分ほおばり、続いて味噌汁をふくむ。
「しばらく食べないうちにまた上手くなったんだな」
 心配そうにのぞき込む初音ちゃんに俺は言った。
「えへへ、良かった。梓お姉ちゃんの代わりがつとまるか心配だったけど」
「クラブの合宿だったっけ?」
「ええ。今日の昼には戻って来るって言ってました」
 俺の問いに千鶴さんが応えた。

 梓がいないのは残念だけど、それでも楽しく朝のひとときは過ぎていく。
 当然と言うべきか、楓ちゃんが真っ先に食べ終わり、自分の食器を台所へと運ぶ。
 そして楓ちゃんは牛乳びんを片手に戻ってきた。
 カタッ…と俺の手から箸が落ちた。
 それに気付かず、じっと見つめる俺に楓ちゃんが言った。
「…どうかしましたか?」
「い、いや。な、なんでもないんだ」
  「そうですか」
 つぶやき、楓ちゃんは一気に牛乳を飲み干した。そして立ち上がり、学校へと向かう支度を始める。

「じゃあ姉さん。先生は5時くらいに来るって言ってたから…」
 カラカラと玄関を開け、楓ちゃんは出ていった。
「あ、あの、千鶴さん。…先生って?」
「実は今日、楓の担任の先生が家庭訪問に来られるんですよ」
 そう言って、千鶴さんはにっこり微笑んだ……。


 余談ではあるが、その日の昼頃、隆山駅で東京行きのチケットを取ろうと必死の大学生を女子高生が引きずっていったとの目撃談が流れたが、柏木家とは無縁のことだろう。……たぶん。
 


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