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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



あの日から




by 森田信之



……私…今夜は泣きながら眠ります。

目が覚めたら一番にあなたを探すでしょう

今夜の出来事が夢であることを信じて…………

 

 

「耕一お兄ちゃーん!」

「耕一! どこにいるのよー!」

 朝から柏木家の四人姉妹はただならぬ雰囲気だった。

 実父の葬儀のためにこの家にいた彼女達の従兄、柏木耕一の行方がわからないのだ。

 昨夜までは四人とも彼の姿を見ている。が、今朝早くにはすでに耕一の姿はなかった。

「どこに…どこいっちゃったのよぉ……」

 次女の梓が泣きそうな顔で姉を見やる。が、梓のたった一人の姉、千鶴は梓よりもはるかに生気のない顔をしていた。

(…夢じゃ……なかった………?)

「千鶴姉、こうなったら警察に届けようよ。これだけ探してもいないんだ。もうあたし達の手には…」

(まさか……私が…?)

 千鶴は震えている。

 自分で自分の身体を抱きかかえるように、まるで寒さに凍えているように震えていた。

「…千鶴姉?」

(まさか……私がこの手で…耕一さんを………)

 不意に千鶴が玄関から飛び出した。彼女が向かっている先は、柏木家から少し山道を歩いたところに有る水門だ。

 もしも彼女の「夢」が現実だとしたら、耕一の亡骸はそこにあるはずだ。

「千鶴姉さん!」

「初音、追いかけるよ!」

「うんっ!」

 3人も千鶴の後に続く。

 走っている最中も、千鶴には不安と焦燥、それに例えようもない後悔と恐怖、自責が襲い掛かっていた。

 夕べの出来事が夢であって欲しい。出来れば全てが夢で、また笑顔で「ただいま、千鶴さん」と言って欲しい。

 しかし、もし夕べの出来事が全て事実だとしたら…?

 愛する人に抱かれ、その直後に自分の手で愛する人の命を絶っていたとしたら……

 涙がこぼれてきた。走っているのに視界が急にボヤける。それでも、走るスピードは落とさない。

 後ろから3人の妹達がついてくるのが解る。彼女達の息遣いまで感じ取れるくらい、千鶴の感覚は研ぎ澄まされていた。

 だが、それでも耕一の気配は感じられない。この隆山のどこかにいるはずの耕一の存在を感じ取ることが出来ない。

「……いない…?」

 水門の前にたどり着いた。が、そこに耕一の姿はない。

「やっぱり……夢だったの…?」

 ほんの少しの希望だった。しかし、それもすぐに消えてしまった。

 風に乗って運ばれてきたかすかな匂い。

 血の匂いだった。錆びかけた鉄のような匂い。

 常人なら気づきもしないだろう。それでも千鶴にははっきりとわかった。

『耕一さんの血の匂いだ……』

『夢の中で嗅いだ、耕一さんの血の匂いだ…』

「千鶴姉っ! どうしたのよ、急に…」

「……ここに…いるかと思って…」

「…千鶴お姉ちゃん、心配なのはわかるけど、とりあえず警察に届けた方がいいよ」

「千鶴姉さん、とりあえず家にもどろう」

「そうだよ、ひょっとしたら家に戻ってるかもしれないからさ」

 戻ってくるわけはない。

 だが、妹達にそんなことを言うことは出来なかった。

 何故なら、柏木耕一は自分がこの手で殺してしまったのだから。

 

 

 静かな夜だ。だが、柏木家の中はそれ以上に静まり返っている。

 静まり返った茶の間には、梓、楓、初音の3人が集まっていた。

「…まさか……叔父さんだけじゃなくて耕一まで…」

「そんな! そんなことないよ! 耕一お兄ちゃん、絶対どこかで…」

「じゃあどうしてこれだけ探しても見つからないんだよ! 1週間経ったんだよ? 1週間、警察の人も地元の人も、消防の人もみんなで探して見つからないんだよ? 生きてるならどうしてここに帰って…」

 そこまで言って初音の怯えきった顔に気づいたようだ。急に静かになる。

「……ごめん…初音が悪いわけじゃないのにね…」

「ううん…それより……」

 初音がちらりと後ろを見る。

 視線の先には千鶴の部屋がある。

「千鶴お姉ちゃん…大丈夫かな……」

 千鶴は2日前から寝こんでいる。何も食べず、何も喋らず、ほとんど眠りもしない。ただベッドに横になって、1日中泣いているだけだ。

 今日も朝起きてから今まで、何も口にしていない。

「このままじゃ千鶴お姉ちゃん…病気になっちゃうよ」

「耕一さんがいなくなって心配なのはわかるけど……」

「この何日かでずいぶんやつれちゃったし…何が起きてるっていうの?」

 再び静寂が訪れる。外からは鈴虫の鳴く音くらいしか聞こえてこない。

 この一週間で、隆山ではさらに数件の殺人事件が起きていた。その犠牲者の一人に、柳川拓也という刑事がいる。彼は自室の隣の部屋で射殺体で発見されたのだそうだ。

 そこには、同じマンションに住む阿部貴之という青年が拳銃を持ったままで発見され、同時に逮捕となった。が、重度の麻薬中毒のために立件は難しいだろう、とされている。

 そして、阿部貴之逮捕以来、毎日のように起こっていた連続殺人事件はぱったりと無くなってしまった。世間の目は阿部貴之を犯人と見ているようだ。

「……今は…警察を頼るしかないよ……悔しいけど、あたし達にはこれ以上…」

「いやぁああっ!!」

 突然、千鶴の部屋から悲鳴が飛び込んできた。聞き間違えるはずもない、千鶴の声だ。

「千鶴姉さん!?」

 楓が真っ先に飛び出して行く。当然のように梓と初音も姉の部屋へ向かった。

「千鶴姉さん! 落ち着いて!」

「耕一さん! 耕一さん!!」

 部屋の中では、脂汗をかいて髪を振り乱した千鶴を何とか押さえつけようと、楓が華奢な身体で奮闘している。

「千鶴姉! どうしたのよ!」

「初音! タオルを濡らして持ってきて!」

「う、うん!」

「千鶴姉!!」

 ひときわ大きな声で梓が名前を呼ぶと、ようやく少し落ち着きを取り戻したようだ。

「…千鶴姉……落ち着いた?」

「……あずさ…?」

 千鶴の目には生気というものが全くなかった。その上、正気を保っている人間の目でもなかった。まるで曇ったガラスのように、輝きというものが完全に消え失せてしまっている。

「…こういちさんは……?」

「…え?」

「こういちさんは…どこ?」

「……ち…千鶴姉さん…」

 涙を流しながら薄っすらと笑みを浮かべている千鶴。

 楓の背後で何かが落ちる音がした。振り向くと、初音が何か信じられないものを見たかのように呆然としている。

「千鶴…お姉ちゃん……?」

「……こういちさん…わたしの……こういちさんは…?」

「楓っ、初音も茶の間に行ってて!」

「え…?」

「いいから早く!」

 二人の妹達を部屋から出すと、梓は静かに姉に歩み寄った。

「あずさ…ねぇ、こういちさんは…?」

「千鶴姉……」

 姉の顔が歪んで見える。

 膝に水滴が落ちた。暖かい水滴だ。

 頬を何かが伝って落ちる感触がある。そこでようやく、梓は自分が泣いているのだ、ということに気づいた。

「千鶴姉…耕一は……」

「こういちさんは……どこ?」

 まるで言葉を覚え始めた子供のように、何度も同じ言葉を繰り返している。

 壊れてしまった。

 あせりと苛立ち、後悔と自責に耐え切れなくなったのだろう。うつろな目で梓の顔を覗き込みながら、同じ言葉を繰り返す。

「あずさ……こういちさんは?」

「耕一なら……耕一なら今…ここにはいないよ…」

「…こういちさんは……どこ…?」

「……すぐ…すぐ帰ってくるよ。その内さ、『ただいま、遅くなってゴメンね』とか言いながら。だから……だから…今は休みなよ。心配いらないから、ゆっくり寝てていいよ」

 最後のあたりは言葉にならなかった。

 千鶴がこうなってしまった以上、自分がしっかりしなければいけない。それは充分解っていたが、それでも涙を止めることはできなかった。

 

「梓お姉ちゃん…千鶴お姉ちゃんは…?」

「ようやく寝たよ。ここ何日か夜も全然寝てなかったから…」

「千鶴姉さん…どうなったの…?」

 しばらくの沈黙。初音も楓も、梓が口を開くのをじっと待っている。

「千鶴姉………壊れちゃったんだよ…」

「壊れた……? どういうこと?」

「しばらく…様子を見よう。もしずっとこのままの状態が続くようだったら…病院に連れてかなきゃいけないかもしれない」

「まさか千鶴お姉ちゃん…気が変に……」

 黙って梓が頷く。

 絶望的な状況だ。叔父を亡くし、頼りの綱であった従兄の耕一は行方不明、さらに長女の千鶴は気が触れてしまった。

「これから…どうしたらいいの…?」

 すすり泣きながら初音が呟く。だが、それに答えられるものはこの三人の中にはいない。

「…いい? 初音も楓も、良く聞いて。ひょっとしたら耕一はもう帰ってこないかも…ううん、多分もう帰ってこない。千鶴姉も元に戻らないかもしれない。だけど、今のこの状況は全部現実なんだ。だから…みんなが気をしっかり持たなきゃだめだよ」

「……うん…」

「貯金だったら叔父さんの遺産もあるし、初音が大学を出るまでくらいのお金はあると思うよ。とりあえず、明日あたしの方から鶴木屋に連絡して、千鶴姉を休ませる。初音も、それに楓もしばらく学校休んで」

「私達も…?」

「そう。しばらく休んで、気を落ち着かせるのよ。それから二人で耕一を探して」

「私達だけで…探せるかな……」

「多分無理だと思う。でも…何もしないでじっとしてるよりはマシよ。ひょっとしたら何かわかるかもしれないし」

「うん…そうだね」

「梓姉さんは…? 梓姉さんはどうするの?」

「あたしは東京に行って来る。耕一の部屋の鍵だったらバッグの中にあるだろうし、住所もわかるから。何かあったら二日くらい留守にするけど…その間しっかりやるのよ」

「…うん、わかった」

 自信は全くない。

 東京にある耕一の家に行ったところで、何かが見つかるとも思えなかった。恐らく行っても無駄足になるだけだろう。それでも、何か行動を起こさずにいられない。

 何もせずにじっとしていると、それだけで気が狂いそうになる。

「それから…」

「…?」

「千鶴姉のことも…留守の間、お願いね」

「うん。梓姉さんも気をつけて」

 

 

「楓お姉ちゃん…どうしよう…」

「…千鶴姉さんも心配だし…今日は家にいよう。今日一日千鶴姉さんの様子を見て、落ち着いてるようだったら明日私が出かけるから」

「私は?」

「初音は千鶴姉さんの側にいて。今の千鶴姉さんは…一人に出来ないから」

「…うん、そうだね」

「梓姉さん…一人で大丈夫かな……」

 この日の朝早く、梓は一人で東京へと発った。とりあえず耕一の家へ行って、耕一が帰ってきたときのための着替えや、手帳などを取ってくることにしている。

 手帳に友人の電話番号とかが書いてあれば、そこに電話して行き先をある程度調べることも出来る。もちろん、それがほんの気休めに過ぎないことも充分自覚していた。

「初音、とりあえず千鶴姉さんのところに行こう」

「うん。…あ、水も持っていってあげないと」

 千鶴の容態は安定してきた。

 しかし、それと引き換えに彼女は正気を失ってしまっている。

 何かぼそぼそと呟いているかと思えば、耕一の名を繰り返し呼んでいるだけだ。そして、ひとしきり耕一の名を呼び終えると、また泣いてしまう。それの繰り返しだった。

 そのせいで、千鶴の目は真っ赤に腫れ、頬にはくっきりと涙の跡がついてしまった。

「千鶴お姉ちゃん、ほら、お水持ってきたよ」

「……お…みず…?」

「うん、ほら、喉渇いたでしょ?」

 初音が差し出したコップを不思議そうに受け取る。まるで自分が持っているものが何かわからないようなそぶりだ。

 しかし、どうやら水は飲めるものだということは憶えていたらしく、ゆっくりと飲み始めた。

「…はつね……こういちさんは…?」

「…耕一お兄ちゃんね…まだ帰ってこないの。でも、もうちょっとだからね、もうちょっとすれば帰ってくるからね」

 母親を恋しがる小さな子供に言って聞かせるような口調だ。だが、今の千鶴にはこうした口調で言って聞かせるしかない。事実、彼女は今『耕一』という居場所を求める、小さな子供と変わりはない。

 

 一方、東京についた梓は、真っ直ぐに耕一の家へと向かっていた。

 今まで一度も遊びに行ったことはないが、住所さえわかればタクシーを拾えばどうということはない。現に梓は今、耕一が住んでいたアパートの前に立っている。

「まさか…こっちに帰ってるなんて事ないよね…」

 もしもドアの向こう側に耕一がいたらどうしようか。とりあえず一発か十発ほど殴って、引きずってでも隆山に連れて行こう。

 もちろん、これはありえないという自覚があっての空想だ。

 かぎを指しこんで、左に回す。

「…やっぱり……」

 鍵は閉まっていた。部屋の中は薄暗い。しばらくいろいろと探しはしたが、少なくとも、ここに耕一が帰ってきたという形跡は見られなかった。

「とりあえず……電話でも入れとかなきゃ」

誰にいうでもなくそう呟いて、耕一の机の上にある受話器を取り上げた。

「……もしもし、初音? どう? 千鶴姉の具合は」

「うん……相変わらず…さっき足立さんから電話があってね、具合がよくなるまでゆっくり休ませなさいって」

「…そうだね。それで、ほかに何か変わったこととかは?」

「ううん…特にないよ。今は楓お姉ちゃんが千鶴お姉ちゃんを看てるから」

「そう。……こっちは何も収穫ないよ。もう今日の夕方の電車で帰るね。夜には着くから」

「…うん。………梓お姉ちゃん…」

「ん? 何?」

「…………」

受話器の向こう側からは初音のすすり泣くような声が聞こえてくる。

梓も責めることはできない。彼女も、東京に来るまでの電車の中で、一人で泣いていたのだから。

「初音……今夜には帰るからね?」

「……うん…」

「ちょっと楓に代わってくれる?」

「……うん……」

しばらく保留のメロディーが流れた後、楓の落ち着いた声が聞こえてきた。こういった事態のときに一番落ち着きを取り戻すのが早いのは楓だ。こんなとき、こういう妹の存在がどれだけ心強いか。

「梓姉さん…今日帰ってくるの?」

「うん。こっちには何もなかったからね。ただ、晩御飯には間に合いそうにないから、今日は楓が作って。初音は今日もちょっと作れそうにないから」

「…うん…」

「楓も…つらいだろうけど、もうすぐ帰るからね。それまで二人で頑張るのよ」

「……うん…大丈夫。それじゃ気を付けて」

「うん、それじゃ」

受話器の「切」ボタンを押したとたん、両目から涙が溢れてきた。

本当は彼女も、思い切り泣いてしまいたかった。ずっと、耕一が姿を消してから不安で仕方がなかった。だが、妹たちの手前、自分がおおっぴらに泣くわけにもいかない。そんな姉としての責任感が、ずっと彼女を支えていたのだろう。

「…うっ………」

こらえきれずに鳴咽が漏れてしまう。

今、この場所なら泣いてもいい。小さい頃から大好きだった耕一が暮らしているこの部屋なら、思い切り泣いてもいい。多分耕一も許してくれるだろう。そう思うと、緊張を保っていられなくなってしまう。

そしてついに、梓は声を上げて泣き出してしまった。壁の向こう側の住人に聞こえてしまうかもしれない、そんなことを考える余裕もなく、ただひたすら、我を忘れたように泣き続けた。 




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