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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



あの日から




by 森田信之



 急に、千鶴が玄関先に視線を移した。梓たち三人には何も聞こえないし、誰かがやってきたという気配もない。

「なに…? どうしたの千鶴姉?」

「……こういちさん…」

 幻覚だ。梓はそう直感した。耕一の帰りを待ち侘びる余り、何もない玄関に耕一の幻を見てしまっている。

「…こういちさんが……」

「千鶴姉、あたしが行って来るよ」

 初音と楓に目で合図を送る。二人ともその合図の意味を理解したようだ。

 まだ千鶴は一人には出来ない。常に誰かがそばにいてやらなければいけない。日をおう毎に少しずつ正気を取り戻しつつあるものの、それでもまだ安心できるというレベルにはほど遠かった。

「…まさかね」

 梓の視界には見なれた玄関がある。もちろんそこに耕一の姿はない。だが、戸の向こう側に人影が二人分見えている。

「あ、すぐ開けますから」

 急いで鍵を開け、少しだけ戸を開いた。

「突然お邪魔して申しありません、県警の長瀬と申します。こちらは…」

「やぁ。心配になってね」

「あ、足立さん…」

「おや、ご存知でしたか。…ちょっと時間よろしいですか?」

「え? 今から…ですか?」

「はい。ほんの十分ほどです。お話しておきたいことがありまして」

「……解りました。それじゃちょっと外で…妹達には私から話します」

「そうですか。それじゃ車の方へ」

 玄関先にはパトカーが一台停まっていた。どうやら足立もこれに乗ってきたらしい

「それで、何かわかったんですか?」

「えぇ。これなんですが…」

 と言って長瀬が取り出したのは、ボロボロになった上に血がべっとりと付いたTシャツだった。もちろん、血は完全に渇いている。

「これ……」

「河原の藪の中から発見されたんです。見覚えはありませんか?」

 Tシャツを持つ梓の手が震えている。間違いない。

「耕一の……シャツです…あの日、確かにこのシャツを着てました…」

「そうですか…今のところ発見できたものはこれだけなんですが、これが柏木耕一氏のものだと解っただけでもかなりの前進です。どうも、ご協力ありがとうございました」

「……あ、あの…」

「はい?」

「…耕一は……生きてるんでしょうか…」

 今まで何も手がかりがなかったにせよ、絶望的な証拠も見つからなかった。それだけに、心の中で「耕一は生きている」という希望を持ちつづけることが出来た。だが、今こうして絶望するに充分過ぎる証拠を付きつけられて、梓も顔色が真っ青になっている。

「……諦めないことです。持ち物が見つかった以上、どこかにいるということは確実になりましたから。警察も全力をあげて捜索しています」

「梓ちゃん…大丈夫、どこかで必ず生きてるよ。……何か困ったことがあったら、いつでも電話しなさい。会社の方にでもいいから、遠慮しないで電話するんだよ」

「…はい……」

 

 四日が過ぎた。未だに耕一の行方は解らない。

 この四日で変わったことと言えば、千鶴を精神科医に診察してもらったことくらいだ。

 どうやら千鶴のこの症状は一時的なものらしい。心労が原因で、理性が一時的に外れてしまったようだ。

 今は大事を取って、ベッドに寝かせてある。

「何にしても良かったよ、これが一生モノじゃなくてさ」

「うん。もうしばらく休めば、元の千鶴お姉ちゃんに戻ってくれるみたいだしね」

「あとは耕一さんが…早く帰ってきてくれれば……」

「…そうだね…」

 耕一の捜索は、Tシャツが発見された河原を中心に行われている。水門から下流に至るまで、川の隅々までくまなく捜索してはいるが、未だに耕一は発見されていない。

「…あ、もうこんな時間なんだ…」

 時計の針は午後四時半を指していた。そろそろ夕食の買い物に行かなければいけない。

「今日は私が行って来るね」

「うん、気を付けてね初音」

「うん。それじゃ行って来る」

 いつものように財布とお守りを持って、いつも通り門をくぐって商店街へ向かう。

 途中、電柱などに貼られた尋ね人のポスターに視線を移す。そこには、初音にとって見なれた顔がある。

 柏木耕一の捜索を呼びかけるポスターだ。この付近のものは初音も何枚か貼っている。

「耕一お兄ちゃん……」

 初音にとっては物心ついた頃からずっと、実の兄のように慕ってきた存在だ。小さい頃から遊びに来るのを楽しみにしていたし、今でも、ずっと家にいて欲しいと思っている。

「…どこに……行っちゃったの…?」

 ポスターの中で微笑む耕一に問い掛けてみても、誰も答えてはくれない。…はずだった。

「…?」

 ポケットの中で何かが動く感触。

 ポケットには財布とお守りと、あとハンカチが入っているだけだ。しかも、歩くときの衝撃で動いたというものではない。何かが「自発的に」動いたのだ。

 慌ててポケットの中を探ると、まるで「それ」が自分から初音の手の中に飛び込んでくるように動いた。

 手の中にあったものは…

「お守り…? どうして……?」

 それは耕一の父、つまり初音の叔父にもらったお守りだ。どういうわけか、そのお守りがぼんやりと光っているように見える。

「なに…? なんでこれが光ってるの?」

 きょろきょろとあたりを見まわす。

 周囲には特別変わったものは何もない。いつもの商店街だ。夕飯の買い物をする主婦でにぎわっている。

 何気なく体の向きを変えると、お守りの光が強くなった。

「……え?」

 不思議に思って今度は逆方向を向いてみる。すると、今度はお守りはほとんど光らない。もう一度もとの方向を向くと、また強く光を放つ。

 道の真中でくるくると体の向きを変えているのだから「一人で何をしてるんだろう」という目で見られるかもしれない。だが、そんなことは今の初音にとってはどうでもいい。

「…叔父さん……耕一お兄ちゃんのいる場所を…教えてくれてるの?」

 今度の問いにはお守りは何も答えない。ただ、蛍光塗料にブラックライトを当てたような、神秘的な光を放っているだけだ。

 まるで意を決したように、今まで歩いてきた道を走って引き返し始めた。

 そして、ついさっきくぐった門をまたくぐった。

「梓お姉ちゃん!」

「初音? どうしたの? もう買い物終わったの?」

「違うの! 楓お姉ちゃんも一緒に来て!」

「ちょ、ちょっとどうしたって言うのよ?」

 訝しげな梓の目の前に、お守りを差し出した。

 お守りは商店街にいたときよりも強く光を放っている。耕一に近づいたらしい。ということは、耕一はこの家のすぐ近くにいる、ということだ。

「光って……? どういうこと?」

「きっと耕一お兄ちゃんのいる場所を教えてくれてるんだよ! 行ってみよう!」

「ちょ、ちょっと待って初音、落ち着いて。お守りが光ったくらいで…」

「普通お守りは光らないじゃない! きっと何かあるんだよ!」

「…梓姉さん、私…初音と一緒に行ってみる」

「楓…?」

「ひょっとしたら何の意味も無いかもしれないけど、でも何もしないで諦めるよりはいいと思うから…」

 しばらく黙り込む梓。

 確かに、今のこの状況では「手がかり」というものは無いに等しい。何か行動を起こしたとしても、その行動はほとんどが手探りに近いようなものだろう。

 それなら、このお守りに期待して動くのも大して差は無いはずだ。

「…よし、行こうか」

「千鶴姉さんは…?」

「千鶴姉ならさっき寝たばっかりだから、鍵閉めて行けば大丈夫だよ。もう一人でも心配しなくていいみたいだしね」

 三人が頷く。そして、三人そろって柏木家を後にした。

 

お守りが光る方向へと歩くと、やはり裏山の河原に辿り着いた。どうやらこの辺に耕一が「いる」ということに間違いはなさそうだ。

生きているか否かは別にしても、できるだけ早く家に連れて帰ってやりたい。三人ともそのことを考えていた。

「…こっちみたいだけど…」

「ちょっと、その方向って何もないよ?」

「……あそこ…」

楓が河原の薮の中を指差した。

「…何あれ……? あんなのあった?」

「ううん、確かなかったはずだけど…あんな洞穴、今まで一回も見たことないもん」

「とりあえず…あの中に間違いなさそうだね」

初音が洞穴に近づくと、お守りはさらに強く光り出した。

「…うん」

「よし…二人ともここで待ってて。あたしが行ってくる」

「だめだよっ、中は真っ暗なんだから。私たちも行く」

「でもねぇ……」

できることなら、妹達を危険な目に合わせたくない。しかし楓も初音も、この時ばかりは何を言っても聞いてくれそうになかった。

「…わかった。それじゃそのお守り貸して。あたしが最初に行くから、二人も着いてきて」

正直な話、梓もこういう洞穴に入るにはあまり好きではない。出来ることなら入りたくない。

だが、この中に耕一がいるというのなら話は別だ。何があろうと耕一を連れて帰ってやる。そのためなら……鬼の力を使うことにもためらいはないだろう。

「…ずいぶん深そうだね」

「うん……でも別れ道が全然ないから…」

先頭は梓。その次に初音が続き、しんがりは楓だ。誰が指示するでもなくこの順番になっている。おそらく、柏木家の不文律として一番弱いものを守る、という決め事があるのだろう。初音は二人の姉達に前後をガードされた形になっている。

「……梓姉さん…」

「うん…初音も気づいた?」

「……うん」

どれくらい歩いただろうか。お守りの光を頼りに洞穴の奥へ奥へと進んでいたが、急に三人の足が止まる。

風景がまるで違う。

さっきまでの、岩肌がむき出しになってゴツゴツした風景ではなく、明らかに人工的な壁と床が姿を現した。しかも、その奥にはぼんやりと光るものも見える。

「二人とも気を付けて」

「うん」

その光は赤く、少なくとも梓たち三人を歓迎している様子ではなかった。それどころか、敵意をむき出しにしているといってもいい。

「……来るよっ!」

梓が左、楓と初音が右に飛びのく。そのちょうど真ん中を何かがもの凄いスピードで飛んでいった。

曲がり角の壁に当たって落ちたものは、どうやらスニーカーのようだ。

「……これ…耕一お兄ちゃんのだ…」

初音がスニーカーを拾おうと二歩踏み出した、その時だ。

「初音っ! 危ない!」

「きゃあっ!!」

何かが初音の小さな体を突きとばした。とっさに楓が受け止めて、壁に叩き付けられるのを防ぐ。

「このぉっ!!」

その次の瞬間にはすでに梓が攻撃態勢に入っていた。鬼の剛拳が初音を突き飛ばしたものに襲い掛かる。

十分すぎるほどの手応えだった。骨が砕け、靭帯と筋肉が裂けていく感触。

「それ」が床に倒れ込んだ。

「よくも初音をっ!」

さらに二発、「それ」の頭部に拳を叩き込む。

やがて、四回ほど大きく体を痙攣させて、「それ」は動かなくなった。

「……こいつら……鬼だよ…」

そう、「それ」は文字どおり、「鬼」だった。

梓たちにとっては遠い同族にもあたる鬼。それが今、彼女達に敵意をむき出しにして襲い掛かってきた。

(なぜ……邪魔をする?)

「邪魔? 邪魔してんのはあんた達だろうが! 耕一がここにいるのは判ってるんだ! 大人しく耕一を返せ!」

(あの男は…返すわけには行かん)

「どうしてさ!?」

(次郎衛門…)

鬼が呟くようにそう言った。同時に楓がびくっと体を硬直させる。

(あの男だけは…生かしておくわけにはいかん)

「そんな奴知ったこっちゃないよ! どうしても返さないって言うんなら…」

梓の足元の床がぎしっという音を立てた。

「力づくでも返してもらうよ!」

梓が床を蹴る。

人間には不可能な跳躍だ。助走も無しに、たった一蹴りで軽々と10メートル以上の距離を、しかも瞬時に移動した。

通路の奥にいた鬼の悲鳴が響く。

楓たちが梓に追いついたときには、すでに鬼は息絶えていた。

(そうか……オマエ達が…)

「耕一さんを……」

梓を押しのけるように、楓が前に立つ。

まるで下から風が吹きつけているかのように、楓の髪がざわざわと逆立ち始める。

「耕一さんを…返しなさい」

びしっ、という音を立てて、岩の床に亀裂が入った。

初音も梓も、これほど怒りをあらわにした楓を見たことはなかった。

言葉づかいは丁寧だが、全身から滲み出るような威圧感は、普段の楓からは想像も出来ない。

(黙れエディフェル!! この裏切り者が!)

ひときわ体の大きな鬼が楓の目の前に現れた。楓が簡単に隠れてしまうくらいの、しかも全身を筋肉という鎧で覆った鬼だ。

(オマエも生かしてはおかん! リネット、アズエル、オマエ等も生かしてここから出さんぞ!)

「何だよそのアズエルってのは! そんなの知るかっ!」

再び前に出ようとする梓の足が止まる。

今まで、本物の鬼を相手に怖じ気づくこともなかった梓が、楓の威圧感のせいで前に出られないのだ。

「…耕一さんを……」

楓のスカートがわずかに舞い上がった。

風が吹いている。

洞穴の中で、空気が動いていた。次第にその動きは速度を上げていく。

楓の体内でも空気が動いていた。

大きく空気を吸い込み、肺胞の一つ一つにまで酸素を行き渡らせる。そして、腹筋と横隔膜を最大限に動かして、肺いっぱいに吸い込んだ空気を吐き出した。

「返せぇええええええええ!」

突風が洞穴内を駆け抜けた。いや、突風などという生易しいものではない。空気が鉄よりも硬い塊になって、鬼の群れに襲い掛かる。

すべては一瞬の出来事だった。

通路の奥に位置する大広間には、押しつぶされたような鬼の屍が小さな山を形作っている。

「楓お姉ちゃん…」

「楓…あんた……」

梓が歩み寄る。お守りの光はさらに強くなっていた。

「やるじゃない。さ、先を急ぐよ」

「梓姉さん…」

「あんた昔から感情を押し込めるタイプだったからね。たまには吐き出すのもいいものでしょ?」

まるで、カラオケでさんざん歌ったあとに「いいストレス解消だったね」とでも言うような口調だった。

別に驚くことではない。柏木家の人間である以上、通常は「不思議な力」と呼ばれるものを持っていても、それは不思議でも何でもない。持つべくして持っている力なのだから。

大広間の隅にあるドアを開くと、そこには見慣れた顔があった。

「耕一お兄ちゃん!!」

「耕一!!」

「耕一さん!!」

三人が駆け寄る。が、その目の前にさらに鬼が立ちはだかった。

(キサマらよくも…)

「うるさい! どけぇ!!」

台詞を全て言い終わる前に、梓の鉄拳が鬼の顔面にめり込んだ。ほかにも鬼が数人いたが、先ほどの楓の力と、梓の剛拳を目の当たりにしてろくに動くことも出来ないでいる。

「初音、耕一を」

「うんっ」

梓と楓が周囲を警戒している間に、初音が耕一を抱きかかえるように起こした。

「そうかい…あんた達が耕一を……」

(ち、違う! この男は…)

「うるさいっ! あたしは今気が立ってんだ! 変な動きしてみろ…一人残らずブッ殺してやる!」

この牽制は鬼達の動きを完全に封じるに十分すぎた。その後ろで初音が耕一の頬を軽く叩いてみる。

「耕一お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

「………ぅ…」

生きている。意識はないが、少なくとも息をしていることは確かだ。だが…

「梓お姉ちゃん! 早く病院に連れて行かないと…ひどい怪我してる!」

耕一の腹には、まるで熊の爪でえぐられたような大きな痕があった。傷口はある程度塞がっているとはいえ、治っているとは到底思えない。

梓が耕一を背負い、初音がお守りを持って先頭を歩く。楓が後ろに残る鬼達を警戒しながら、部屋をあとにした。

「…いいか、二度とあたし達の前に現れるな。今度現れたら…」

恐怖に脅えきっている鬼達を一睨みして、静かにドアが閉まった。




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