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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



咎を背負いし者……


発端

by 遊真



 
月が頭上で男を照らしていた。
そっと眼鏡の縁に手をかけながら、男は月を見上げた。
繊細な顔立ちのその口から静かな声が、闇に溶け込んでいく……。
「幽かに香りはのぼる…、蕾のさきが尖っているのは内からのぼる香りをその頂点でくいとめるのだ…。」
穏やかに流れるこの詩をなんと呼んだろうか…。
男はただ、ただ歌いながら夜道を歩く。
「花がひらいた時は香りもひらいてしまう…、残りの香のみの花を人は観ている…。」
十メートル間隔で続く街灯が縫い付けた男の影は、酷く暗い。
漆黒に染められ、もうそこは元にはもどらないのではないかと…しかし。
むろん、男が歩み、影が去った後は元に戻る。
「白薔薇はその葉を噛んでも白薔薇の香りがする。その香りは枝にも根にも創られている。花とはじめて香りが開くのではない…。白薔薇の香りそのものがその花を咲かせるのである…。」
男はついと視線を月から目の前へと変える。
二人組みの青年が、手にコンビニの袋を持って角を曲がってきた。
何か他愛のない事を喋っている。
興味なさそうにその二人組みを目で追っていた男が…。
……にたり。
笑った。
「手についた香りなら墓場までもってもってゆかねばなるまい……ふふっ…。」
今宵の獲物が決まった。
 
 
 
 
空気が和らいでいた。
穏やかな雰囲気がそこに確かにあった。
耕一は二人の従妹に、慈しむ視線を向けながら、せがまれるまま近況を話す。
この熱帯夜に、密やかに流れる風は天然の冷涼となってすり抜けていく…。
虫の泣き声をBGMにして、いつまでも続く話しは、それこそ夜が明けるまで途絶えようがなかった…。
が、初音が耕一の話しの後をついで、高校生活の話しをはじめた時。
それは来た。
唐突に耕一の意識下から底上げされる負の念。
負の念とはまさに鬼の力。
それが唐突に沸き上がったのだ。
(なんだ……これは……?)
何かが、己の鬼の力と共鳴している。
(な…ん…だ……。)
「でね、その先生が言うの………。」
弾むように話す初音の声は既に、聞こえない。
ちょうど自分だけが水底にいて、彼女は水面から話し掛けているような…そんな不明瞭な響きだけが耕一の耳に届く。
(…そうか。)
必死に己の中の鬼を押さえながら、耕一は思いたった。
灯台下暗しとはこの事だ。
この共鳴は知っている。
つい一月前まで感じていたあれだ……。
「鬼の…殺気!?」
知らず口にしたその言葉と同時にずどん、と強烈な衝撃が横隔膜を揺らした。
「ぐっ……。」
「お兄ちゃん?」
思わず苦鳴を漏らした耕一に、ようやく初音は耕一の様子が可笑しい事に気づく。
(殺しやがった……。)
初音の心配気な声音は完全に耕一の耳から遮断されていた。
別の所へ意識が飛んでいる。
そうして、確かな映像として耕一は捉えた、血の散華を。
間違いない。
(……この近くに鬼がいる。)
初音は耕一の横顔を見、息を飲んだ。
耕一の瞳が紅く光っている…瞳孔が縦に裂け、いつもは優しいはずの従兄の目が、果てしなく剣呑な凶器と化していた。
触れれば切れる諸刃の刃だ。
月光の加減で起きた錯覚などでは断じてない。
「初音、部屋に戻りなさい。」
蛇に睨まれたかえるの様に、耕一の瞳から目を逸らせない初音に楓の声が飛んだ。
「えっ……で、でも。」
「戻りなさい。お願い……耕一さんは大丈夫だから。……話しは後でするから…。」
姉の強い瞳に見つめられ、初音はただ肯いて、言う通りにするしかない。
それでも苦しそうにうめく耕一をそのままにして行くのは躊躇ってしまう。
「初音…。」
「うん……。」
大事なものを残していくように、初音は振り返り、振り返り部屋へと戻っていく。
やがて初音の姿が角を曲がったのを確認すると。
「鬼がいる。……狂気につかれた鬼だ。」
耕一はぐらつく身体を叱咤して立ち上がった。
「耕一さん…。」
「親父を殺っておいて、他の鬼をほったらかしにしておくわけにはいかないよ。」
決心した事だ。
賢治を殺すと決めた時、耕一は己の身の置き所を決めていた。
人の心を無くした鬼を狩り続ける……贖罪のために罪をし続ける永劫の矛盾の中で生きると…。
「慣れない感応で、知覚が鈍っています。このまま鬼を追うのは危険ですっ。」
「大丈夫。」
静止しようとする楓にその一言だけを告げ、耕一は夜空に舞った。
弧の軌跡を描きそのまま塀へと着地する。
双眼を瞑り気配を探る。
いつのまにか、冷涼を伴った風がぬるくなっている……。
湿気を伴って耕一の身体にまとわりつく…。
月の周りに暗い雲がその勢力を強めていた。
もうすぐ、雨が降る…。
と、その生ぬるい風に運ばれて………血の臭い…。
(……いた。)
かっと瞳が開く。
このまま真っ直ぐ、西へ!
だんっ、と踏みつけた塀の瓦が一枚、弾けとぶ。
驚異的な跳躍をし、家から家へと…風のような速さで疾走する。
獲物を見つけた猛禽類のように……。
咎を背負った鬼が走る。
 
 
 
千鶴は目を覚ました。
張り詰めた空気……緊張の糸が空間に余す事なく巡らされていた…。
無視できないほどの鬼気が流れてくる…。
(何事……?)
覚醒と同時に、彼女の意識は完全に機能を開始していた。
狩人としての彼女の才覚がそこにある。
薄手のガウンを羽織り、部屋のドアを開けた。
「初音?」
ちょうど、ドアの前を通り過ぎた初音を千鶴は呼び止めた。
「どうしたの、こんな夜中に…。」
自然と声を潜め、千鶴は詰問した。
そう、詰問だ。
尋常ならざる状況が、彼女から一切の感情を排除させている。
「えっ!………えっとぉ……。」
歯切れの悪い彼女が次の言葉を捜そうとするのを、根気よく待ちながら、千鶴は初音の胸元で光るものに気づいた。
(!?)
そっと手を伸ばして、その物体を手にとって見て…そこで千鶴の身体は凍り付いた。
ペンダント。
(叔父様が持っていたペンダント…。)
『これは地球外から取り寄せた、俺の大事なお守りなんだよ。』
叔父のほころんだ顔と共に、記憶がよみがえる。
「初音っ!」
既に千鶴の頭の中に、自身が目を覚ました理由など消えていた。
小さな両肩を掴む。
「えっ、えっ、えっ。」
突然の千鶴の行為に初音はただただ戸惑う。
「どうしたの、それっ。どこで見つけたのっ!」
叔父の遺品にそれはなかった。
肌身離さず持っていたはずのそれがなかった。
だったら考えられる結論は一つ。
叔父を殺した奴が、それを持って行った。
それは、誰?
「こ、耕一お兄ちゃんから貰ったんだよ…。」
激しく身体を揺する千鶴に、か細く答える初音。
瞬間。
千鶴の頭の中を幾つもの思考が巡った。
(何故?)
疑問。
(何故耕一さんがこれを持っていたの?)
疑惑
(賢治さんが肌身はなさず持っていたはずなのに。)
確信へと向かい、また揺れる…そんな事はないと…。
(どうして?)
いつ果てる事のない堂々巡り。
(どうしてなのっ!)
心の内の絶叫…。
――――――
やがてその混乱も収まる。
初音はその時見た千鶴の瞳に、恐怖した。
生気のない、人形のように、ただ空ろに何もない虚空を眺める…。
初音の肩を掴んだ手が力無くたれる…。
千鶴の結論が出た……。
(あなたが殺したのですか、賢治さんを。)



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