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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



咎を背負いし者……


飛び火

by 遊真



 
柏木家に伝わる忌まわしき血の名残を克服した先には、更に忌まわしい使命が耕一を待ち構えていた。
その使命の下、彼は実の父親を、その手にかけた……。
あの日、あの夜、あの時の彼の瞳を楓は忘れる事ができないでいる。
自分のためにも、彼のためにも、忘れなければいけない事だというのに…。
何者も溶かす事の出来ない、永久凍土のような、凄まじいまでの孤独を、楓は忘れる事が出来ない。
(あれは『あの人』の瞳だ……)
自分が最後にあの人を見ていた時の瞳。
愛するものを無慈悲に、その手から奪われようとした時の『あの人』の慟哭と何ら変わりようがない…。
(……神さま……)
もし、そんな存在があるのならば……。
なぜ……なぜまた、あの人に同じ道を歩ませようとするのか。
なぜ、そっとして置いてあげないのか……そして……。
(なぜ、わたしを、あの人と同じ時の流れに、置いたのですか……)
私は彼のために何もしてやれない。
助ける事ができない。
楓は、暗雲に覆われた夜空を眺めながら一筋の涙を流していた。
ずくん、と楓の右手がひどく痛んだ。
夜の中に映える白い滑らかな肌に、すっと朱が染抜かれていく…。
耕一の痕は、彼女の痕だ。
あの晩、彼の瞳に『あの人』を見た時から、楓は、肉体も心も、すべてを『あの人』に同化させていた。
すべての痛みを共有し合った。
私は彼と伴にある……。
それは、ただの一人よがりな自己陶酔でしかないけれど……。
そうでもしなければ、この弱い心は、どうにかなってしまいそうだった。
(…神さま……)
風鈴が、楓の頭上で澄んだ音を四方に響かせた。
……蒸し暑い空気を浄化する事ができても……それで彼女の迷いを浄化する事はできない…。
そっと双眸を閉じると、彼女は内の激情を、いるはずのない神にぶつけた。

(一体どれだけの咎を彼に背負わせれば気がすむのですかっ!)

「楓……」
耕一の行った後の縁側で、何をするでもなく葛藤する楓に背後から千鶴の声がかけられた。
思考をまるで、切れ味の鋭い刃物で切断されたように……、楓は我に返った。
ぎょっとして、楓は振り返る。
驚いたのは、不意をつかれたからではない。
その声音があまりにも、冷たく無機質なものだったからだ……。
「姉さん…?」
厚く垂れ込めた暗雲に遮られ、月の光は地上から失われていた。
足音も気配も全て断って…。
薄闇に紛れるようにして、千鶴は楓のすぐ真後ろに立っていた。
寝着姿ではない。
楓は形の良い眉を顰める。
姉の様子がおかしい……。
すぐにその気配を察する事が出来た。
「…何をしているの、楓。こんな所で…」
「………別に…何でも…」
「無い、わけはないわよね……」
言葉尻を姉に奪われ楓は、口を固まらせる。
「教えてちょうだい」
高圧的な口調だ。
それ以上に、とてつもないプレッシャーが楓を襲う。
混乱した。
(……なぜ………)
なぜ、姉は自分に殺気を向けるのだろうか?
「……耕一さんは…」
千鶴の口から耕一の名前が紡がれた。
楓は嫌な予感を覚える。
この予感には覚えがある。
二度。
一度目は、両親が死ぬ間際、二度目は叔父が死ぬ間際。
そして……これが…。
三度目。
今までになく強い、不安を楓は感じた。
全てが壊れる気がした……両親が亡くなっても、叔父が亡くなっても壊れなかった、柏木の絆が壊れる気がした…。
出来る事なら、次に発せられるであろう、姉の言葉は聞きたくない。
聞きたくはない。
………だが。
「…耕一さんは、……賢治さんを……」
無残にも予感は的中する。

「殺したの?」

「あ…ああ……」
言葉が出てこない。
喉の奥で摩耗して、掠れてしまう。
まるで、このまま絶息をしてしまうかのような息苦しさが、楓を襲った。
姉が一体どうやって、叔父の死の真相を知ったのかは解らない。
……そんな事はどうでもいい。
それより……。
(……姉さん…)
彼女の言葉に集約された、憎悪の念。
まるで今にも耕一を殺しかねない、強烈な想念。
(……今にも。……姉さん、もしかして……そんな……)
「駄目っ!」
考えるよりも先に、楓は叫んでいた。
そうして、姉の両手を必死で掴んだ。
ぞくりと悪寒が、楓の手に伝わってきた。
姉の手はこれほどまでに、冷たかったのか……、これでは、まるで……。
……死人ではないか。
「姉さん、駄目っ! 耕一さんは、私達のために、叔父さんを……自分のお父さんを…」
「殺したのよね……」
ゆらりと、千鶴の黒髪が、風に流れた。
切れ長の瞳を、危険なほど細める。
既に彼女の双眸は、血のように紅い光彩を放っていた。
「ぅあ……」
浴びせられた鬼気に、立ち竦みそうになる…。
そんな楓に、千鶴は一瞥を咥えて、呟いた。
「…ねえ楓。私は別に何のために耕一さんが叔父様を殺したかなんて聞いていないの。殺した事実さえあれば、それでいいのよ。後は何もいらない。言い訳じみた理由なんて、理屈なんて、しがらみなんて……もうどうでもいいの……だって……」
吐き捨てるように……。
人という人格を吐き捨てるように……。
後には鬼という人格しか残らないのに……。
千鶴は一線を越す言葉を、いともた易く、発した。
「私は、私じゃないのだもの…。あなたの知っている柏木千鶴は、賢治さんが死んだ時に、一緒に死んでしまったのよ…」
ふっと寂しそうな笑みを千鶴は浮べた。
「気づかなかったの? ねえ誰も気がつかなかったの? 楓、私が千鶴じゃないと気づかなかったの? 誰も、気がつかないで、死んだ私を千鶴と呼んで……。だったら私の存在って何なのかしら。私の変わりは死人にでも勤まるのかしら…」
千鶴の青ざめた唇から、焼けるような赤い雫が溢れて…垂れた。
「私が私でいられたのは賢治さんの前でだけ…。だから私の存在は、賢治さんが消えた時に、消えたの……。ふふふっ、なんで許す事が出来るのよ。どんな理由があたって、なんで許す事ができるのよ…。例え、それが耕一さんであっても、許してしまったら……私は……」

「私は、本当に死んでしまう」



* * * * * * *

 

道無き道。
「はっ」
眼前に迫った人程の大きさの岩を、軽やかに地を蹴って、耕一は躱した。
着地した足元の下草を踏みつける。
乱立した木々の隙間を吹き抜ける風のように……。
切り立った崖の上を何の苦も無く、驚異的なバランス感覚を持って疾走する。
崖下、眼下に見える山道を、ちらりと一瞥した耕一は、ある事に気づいた。
……この景色には覚えがある、と。
再び前方に視線を向けると、きらりと光る何かが見えた。
(湖面……?)
そう認知した刹那。
頭上から飛来する巨大な物体の風切り音を、耕一の聴覚が捉えた。
「追いついてきたっ!?」
とっさに足場のない、崖側へステップする。
間一髪で、ちょうど耕一が駆けていた地面が、まるで爆発したかのように土砂を巻き上げた。
粉塵の中に、黒い影が見える。
そのまま崖の斜面を滑り落ちて、山道に降り立つと、耕一は直ぐに崖の上を仰ぎ見た。
影が分厚い粉塵の膜を纏って跳躍した。
宙に悠然と舞う。
地響きを立て、鬼が耕一の目の前に、その圧倒的な体躯を現した。
闇に光る、二つの瞳。
「もう、鬼ごっこはお終いにしろ、か…、せっかちな奴だな…」
縦に裂けた紅色の瞳で、相対する鬼気に負けぬ圧力を発しながら、耕一は悪態をついた。
うっすらと額に浮き出た汗を無造作に拭い去る。
かすかに肩が上下していた。
息が切れている…だが、鬼の方はまったくその気配がない。
一度大きく深呼吸をして、耕一は双眼を瞑った。
どんどんと湿度を増していく夜気。
その風に吹かれて、ざわめく葉擦れの音…。
近くで、湖面が小波立つ音も聞こえた。
一人と一匹を中心にして、高まり、渦巻くのは……御伽草子に記載された邪悪な鬼達が持つ、呪眼さながらの、触れるだけで切れてしまうような尋常ならざる殺気。
(やる、しかないよな…)
そしてすっと体を横に開き、右の拳を眼前に上げる。
「いいぜ、そろそろ決着をつけようか」
かっと開けられた耕一の瞳は、狩猟者のそれだった。
鬼が剣呑な牙をむき出しにして笑った。



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