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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



咎を背負いし者……


火祭

by 遊真



 
闇から舞い落ちた雫が一つ、耕一の肩に落ちた。
それがたぶん、この雨降る夜の始まりだった。
記録的な大雨となった豪雨の始まりに……。
「うおおおおぉぉォオオオオオオッ!!!」
耕一の発する雄たけびが、しだいに獣じみた咆哮へと変わっていった。
辺りの空間へ、その低い振動が伝播していく。
山の頂から吹き降ろす風とはまた別の、『流れ』によって、下草が木の葉が…ざわざわとざわめいた…。
爆発的な力の発露。
鬼としての人格を極限にまで高める。
それでいて、人としての人格は、その圧倒的な破壊の衝動に、主格を譲り渡してはいけない。
ぎりぎりの境界線上で、自己内での死闘を繰り広げながら、耕一は己の力を解放していった。
相対する鬼は、その高まる力を恍惚した表情で見ていた。
素晴らしい力だ…。
鬼は震えた。
恐怖を感じて震え、そして恐怖で震えた事に歓喜して震えた。
こんな戦いに身を置きたかった。
絶対的有利のまま狩りを行うのは、それで面白いものではある、しかし……やはり時には、野兎ではなく、狼を狩ってみたい。
命のやり取りを楽しみたい…。

柳川も震えた。
この同類との戦闘で死ぬかもしれない恐怖に震えた。
まだ死にたくはない。
どんなに狂い、醜く生きようとも、死にたくはない……それが彼の動かさざる事実だった。
(……ああ、そうか……)
意識の檻に閉じ込められたまま、柳川は、そこで始めて理解した。
(俺は…死にたくないのか……)
どんなに死を覚悟しても、死にきれないのは……。
それが答えなのか…。

いつのまにか雨は、激しさを増していた。
葉を打つ雨の音が、ステレオのように遠くから…近くから…、鼓膜を打つ。
その雨の飛沫の中。
犬歯の如く、耕一の歯が鋭く伸びる。
身体が一回り大きくなり、上着が、ズボンの裾が破れ飛ぶ。
髪が、生き物のようにうねり、短髪であったそれは、腰の位置まで伸びて、しなやかに流れた。
稲妻が虚空を閃く。
黒から白へと反転した世界に、浮かび上がったのは二匹の異形なる獣。
続いて闇を取り戻した空間に、低く響く雷鳴。
地を激しく叩く雨音。
間髪を入れず、二度目の……閃光。
それが…。

闘いの合図。

横殴りの風が一際強く吹いた。
白撃の中、二匹の姿は、その場から忽然と消えていた。


 
* * * * *

 

『ごめんね……』
あたしが、謝っている。
『ごめんね……』
ただただ、それだけを言葉にし続ける…。
時折、鳴咽が混じる。
泣いているんだろうか…。
梓は、小さな身体を震わせて泣き続ける自分を、ぼんやりと眺めていた。
自分が泣き続ける理由……。
それは、部屋の中心に敷かれた蒲団の中で、苦痛の声を上げる少年。
体中の水分が全て抜け出してしまっているのではないかと思われるほどの、大量の汗を流し、昼夜を問わず、もう二日も寝込んでいる…。
時折、両手を天井に向けて、伸ばして…、もがく。
"俺はまだ、死にたくない"と呟き続ける声を聞くにつけ、梓は謝り続けていた。
……誰かが、部屋の前までやってくる…。
気配を感じつつも、梓は、寝込んでいる少年から目を離さなかった。
「梓……」
障子戸が開き、部屋へ入ってきたのは、姉だった。
そっと梓に近づくと、その華奢な肩に、ぬくもりが降ろされる。
それで幾分、梓は、救われた気がした。
「少し、休んだ方が良いわよ…。このままだとあなたの方がまいっちゃう…」
姉の気遣いに、感謝しつつも…。
梓は、肩に置かれた、その手を払い除けた。
「やだっ! 耕一が…、あいつが起きるまで、あたしはここを離れないっ」
振り向いた先にある姉の顔は、困った表情を浮べている。
「耕ちゃんは大丈夫よ」
「やだやだやだっ! 」
すぐにでも謝りたかったのだ。
耕一が起きたら、すぐに謝りたかった…。
姉の声音が逸そう、柔らかくなり、感情を昂ぶらせた梓を包み込もうとする…。
「でも、梓まで寝込んじゃったら、どうするの?」
「それでも良いっ!」
「だって、……それじゃあ、耕ちゃんの面倒を誰が看るのよ…」
「うっ……」
姉の台詞に、声を詰らせる。
「わたしが、看てても良いのかな?」
それも嫌だった。
当人の前では借りてきた猫のように大人しい癖に、自分の前では、姉をべた誉めする耕一。
「………いや…だよ…」
限りなく小さい声で、そう答えると、それでもちゃんとその言葉を聞き取って、姉はにっこりと微笑んだ。
「だったら、休むこと。…ほらっ」
再び梓の肩に手を置くと、千鶴はゆっくり立ち上がる。
姉に押される様にして、後ろ髪を引かれる思いで、梓は部屋の外に出た。
廊下には、二人の妹が姉達を待っていたかのように立っている。
姉が梓の耳元で囁いた。
「この娘達も、ずっとこの場所から動かないのよ」
仕方無い娘達、と姉さん風を吹かせて、千鶴が苦笑する。
みんな……。
みんな耕一の事が大事なんだ……。
兄のように、弟のように、親友のように、……そして……。

「梓姉さんっ!!」

歯痒いような、心地良いような…、そんな曖昧な夢はそこで途絶えた。
「梓姉さん、起きてっ!」
誰かが自分を呼んでいる…、それも親しい者の声…、これは…。
うっすらと瞼を開けると、眩しい光が瞳に飛び込んできた。
もう朝なのか、と思ったが、どうやら違う。
点いているのは、蛍光燈の明りだ。
「梓姉さんっ!」
寝起きは悪い方じゃない。
むしろ、この家の中で一番、良いと自負できる。
梓は、柔らかいベッドに手を付くと、ゆっくりと上半身を起こした。
「……なんだよ、楓…」
ちらりと、壁に掛けられた時計に視線を這わす。
時計の針は、二時を指していた。
窓の向こうで激しい雨音が聞こえてくる。
雷鳴も微かに轟いた。
梓は、頭を掻きながら、一つ欠伸をした。
楓は、普段にも増して深刻そうな表情をしている…。
「……どした? 雨漏りでも始まった? もうこの家も古いからねぇ…」
明日にでも、耕一の奴に修繕を頼もうか、とか。
どうせただ飯食らってるんだから文句も言えまい、とか。
そう勝手に思考し始める梓に、楓は無言で首を振った。
さらさらと、羨望して止まない、奇麗な黒髪が肩で流れる。
「なに? 違うの?」
改めて、梓は、楓の姿を観察した。
寝着を来ていない。
楓は胸の前で、両手を組み合わせると、一度、双眼を瞑り、それから意を決したかのように、力強く目を見開いた。
普段の彼女を知る者からは考えられない、意志の強い、はっきっりとした口調が紡ぎ出される。
それも、梓の理解の範疇を越えた内容を紡ぐ。

「梓姉さん、一緒に来て。千鶴姉さんが、耕一さんを……殺してしまう…」

雨脚は逸そう、強くなる。


 
* * * * *

 

ナニヲシテイルンダロウ……。
身体中を、落ちてくる雨滴に晒しながら……。
ずぶ濡れになった服は、思ったよりも重くて…千鶴は何度も足を止めようとした。
それでも、結局…。
私は走っている。
雨の中を…。
隆山の山中を…。
大きな水溜りに、千鶴の足が躊躇無く踏み込まれると、彼女の服に勢い良く泥水が掛かった。
白地であったはずの服はもう、見る影も無い。
額に張りついた髪をどける。
曇天の夜空を眺めると、容赦無く、雨が瞳へと飛び込んできた。
嗚呼……。
思わずため息が一つ漏れた。
確かこんな夜だった……。
地上に堆積した業を全て荒い流せ、と言わんばかりの豪雨。
屋根を叩く雨音に耳を傾けて…叔父の帰りを待ちながら……結局、朝が明けてしまった、あの夜と同じ……。
あの夜、耕一が叔父を殺し、今、自分は耕一を……殺そうと、駆けている。
……箍が外れている。
それは自分でも、理解できていた……、なぜ自分は耕一を殺さなければならないのだろうか…。
楓に向けて、今まで偽っていた本性を迸らせても、結局確かな答えは出てこない。
自分の存在理由をかけて、あの人を殺す…。
そんな必要があるのか…。
解らない。
何も解らない。
……でも。

今、あの人に会わなければならない。

 
 
* * * * * *

 
 
いつから、この、逃れられない咎に捕らえられた?

『助けてくれ』

臆病者と言われようが、避けたかった。

『助けてくれ』

できる事なら、抜け出したい……と。

『助けてくれ』

俺こそ、助けて欲しい……と。

『助けてくれ』

願って止まない…。

『助けてくれ』

でも、これが自分の選んだ道だ。

 
 
………。
……………。
アルバイト帰りの耕一を迎えたのは、暗い部屋で、まるですすり泣くような、か細い電話のコール音だった。
「おいおい……」
うんざりとして、腕の時計を見ると、もう深夜といってもよい時刻であった。
「誰だよ…、まったく……」
耕一は、ため息を一つ吐くと、靴を脱ぎ散らかして、部屋へと上がった。
遅い晩飯用のコンビニ袋を、ガラストップテーブルに置くと…。
それでも律義に、耕一は受話器を取った。
たぶんは、酒に酔った友人からの無意味なコールであろうが…。
「はい、柏木です」
苦笑混じりに、応対する……しかし…。
相手からの返答はなかった……。
まるで息を殺しているかのように、僅かな息遣いだけが、耳に付いた。
(悪戯電話か?)
この手合いは、問答無用で切ってしまうのが、耕一の常なのだが、今回限りはなぜか、そんな考えが浮かばなかった。
受話器を持ち返ると、執拗に問う。
「こんな時間に、誰ですか、一体」
相手の沈黙は続く。
受話器の向こうにはひどく重苦しい空気が流れている…。
現に、電話線を通して、こちらの空気まで重くなってくる気配を、耕一は感じた。
重く、絡み付く、粘着質の……まるでコールタールのような…空気。
その中に一抹の……。

懐かしさ。

「……親父か…」
耕一の誰何に、電話の主が震えた……気がした。
「……親父なんだな…」
数秒の間、だが何よりも長い時が流れる…。
「……耕一か?」
……親父の声だ。
この部屋に電話を掛けて置いて、妙な事を言う。
耕一は僅かに眉を顰めた。
「それ以外に誰がいると思ったんだよ」
「…………そうだな」
変な会話だ。
まったく噛み合っていないし、なによりこれが親子同士の会話というやつだろうか…。
そう考え、自嘲気味に耕一は口の端を歪めた。
「…元気にしてるか…」
そんな事を言うために、電話を掛けてきたのだろうか…。
(違うだろ……)
もっと話し合わなければいけない事は、たくさんあるはずだ。
耕一は、ただ形式ばった話をする賢治の言葉を右から左に流して、テーブルの上のビニール袋を見た。
せっかく暖めた弁当は、もう冷えてしまっているに違いない。
腕時計の秒針の音が、ひどく気になった。
「……親父、別に用がないのなら……」
切るぜ。
そう続こうとした言葉は、永遠に封印された。
唐突に、脈絡も無く、賢治の発した科白に封印された。

「助けてくれ、耕一」

助けてくれ……だと?
幻聴か?
「助け…てく…れ」
呂律が回っていない。
「親父……、酔ってるな…」
それもかなりの酒量とみた、酩酊状態に近い。
今の今まで、それを察知する事が耕一には出来なかった。
良く考えれば、すぐ解る事だ。
あの親父が、自発的に電話を掛けてくる事などありえない。
「もう……俺は駄目だ……耐えられない…、直に……俺は……」
耕一は無言で、父親の泣き言を聞いた。
壁に掛けていた手の、指先が第一間接程、めり込んでいる。
「……もし、そうなってしまったら……、俺は、多くの人を……傷つける……」
この八年間、抑えていたものが、酒の力も手伝って弾けたのだろうか…。
いや、もっと重大な、鎮静剤を賢治は失っている……、妻という存在を。
「千鶴が……」
懐かしい名前が、父親の口から漏れた。
「……千鶴さんが、どうしたんだよ……」
耕一が促すと、一瞬だけ躊躇したのか、言葉が止まる。
そして……。
「……あの娘は、俺が鬼に…果ててしまった、時は……、殺して上げますと……」
かっと、制御不能の熱い何かが、心の内から吹き出した。
びきり、澱む空気を切り裂く、鋭い破砕音。
壁にめり込んでいた指が、更に深く食い込み、そこを中心にして亀裂が幾筋も、走る。
恫喝。
「頼んだのかっ!!」
「解らない……、もう、俺は俺じゃない。俺の知らないうち、俺は、千鶴に『頼む』と言っていた……」
弱い。
あまりにも弱々しい、父親の言。
電話機の上に、ぽつりと雫が一つ落ちた……。
驚いて、目の下を擦る…。
涙だ。
耕一は涙を流していた。
(畜生……)
親父の背中はいつも、大きかった、広かった……。
何時かは越えたい、山だったはずだ…。
なのに、なんでこんなに小さくなったんだろうか。
これは"老い"なんかじゃない。
そんな自然の流れの一事象、ではない。
柏木の血という"呪い"が、不条理に、早急に、自分から親父の背中を奪ったのだ。
「助けてくれ」
三度助けを乞う、賢治に……。

覚悟を決めた。

「……解った…、近々、会いに行くよ…」
耕一は静かに答えて、受話器を下ろした。
今日の出来事を、親父が、全て忘れている事を願って…。
……………。
………。

 
"俺の咎は、この瞬間から始まったのだ"

 
………。
……………。
風雨を諸共せずに疾走する鬼を、耕一は迎え撃った。
闇を纏って突き出される爪を、紙一重で躱し、相手の足元へ鋭く右足を飛ばす。
それを跳躍して逃れた鬼を、同様に跳躍して追た。
雷光が走る夜空で、二つの巨体が、赤熱した鉄を打ち合うが如き火花を、撒き散らす。
数十合の輝きは、空中に奇麗な弧を描いて、ぬかるんだ泥の中へと着地した。
泥水を吹き上げ、土砂を巻き上げ、クレーターと化した地面の中心で、尚も、互いの殺意は留まる事を知らず、巨大な竜巻となって、周囲を破壊していく。
山道から、傾斜のなだらかな林の中へ…。
闘いの場は、刻々と変化する。
幹を砕き、大木を根こそぎ倒し…。
「グアァァァァッッッ!!!」
耕一の拳が、鬼の顔面を捕らえた。
浅いながらも、その一撃に鬼の膝が落ちかける。
畳み掛けようとした耕一に、体勢を低くした鬼の、地を這う蹴りが顎に入った。
勢いは止まらず、何本かの木々をなぎ倒して、耕一の巨体が吹っ飛ぶ。
林を抜けて、ぽっかりと開けた空間。
水量を増した湖の岸辺に、水飛沫を上げて、耕一は突っ込んだ。
常ならば、水面に月でも写し取り、ひっそりと佇んでいるはずのこの湖も…。
その様相は一転していた。
強風に煽られて、大波が岸に何度も打ち寄せる。
すっくと立ち上がると、膝までを水に浸らせながら、耕一は、その波を弾き返した。
稲妻の閃きと共に、前方、木々の合間の闇から覗けた鬼の姿を睨み付ける。
こいつで、最後の筈なんだ……。
心中で、そう呟き。
最後の舞台を、この湖に決めた。
自分の中の鬼を覚醒させた場所が最後の舞台になるとは……。
そっと、だが一切の隙を見せず、僅かに耕一は鬼から、山の麓の方へ視線をずらした。

千鶴が、来る。

そして、後を追う様にして二つの鬼気。
咎の裁決は、やはりこの湖らしい……。



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