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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



咎を背負いし者……


咎を背負いし者達(前編)

by 遊真



 
「ふん…、そんなくそ面白くもない…手品で殺られてしまうとはな……」
柳川は波間に身を横たわらせて、空から降る涙を浴びていた。
気づいたら、自分は自分だった…。
鬼は……。
どこかへ行ってしまっていた。
少しの間を置いて…。
「意識の具現化さ。鬼の真の力は、肉体にあらず。ここにこそあり」
若者はこちらを見下ろして、こめかみを二度小突いてみせた。
生命の炎のやり取りを終えたばかりだというのに、まったく感情にむらがない。
恐ろしいほど落ち着いている…、完全に鬼を支配しているのだ。
若干の羨望を感じたが……、所詮、もうどうでもいいことである。
自分は自分だ。
他の誰にもなれるわけがない。
鬼にも、こいつにも、………あいつにも………。
「くだらん……、人並み外れるのもいい加減にして欲しい」
いらない力だ。
手に余る力だ。
何かを得られた試しはない。
失ったものなら、たくさんあるが……。
「それが、俺達の宿命……って、そんな安っぽい科白で送られるのは御免か?」
脇腹辺りに、火鉢で抉られるような激痛が走っている。
そっと手を這わして、そこには、何も存在しない事に柳川は気づく。
腹も、臓腑も…。
湖面が赤く染まっていた。 その色は徐々に濃く、広がっていく……。
「もうすぐ、あんたは死ぬよ」
そうなのだろう…。
己の死を見取ってくれる若者の顔を、瞳に焼き付ける様にして…睨んだ。
最初から最後まで、そうやって斜めに生きて行くのが自分らしいと………。
(馬鹿、だな……俺は…)
嘲笑を浮べる。
眼鏡を中指で押し上げようとして、かかっていない事に気づく。
どこで落してきた事やら…。
手持ちぶたさになったその手を、力無く握り締めた。
そして、空に向かって、突き上げる。
不敵に笑ってやった。
「俺は……、全てを壊したかったんだよ……。あの傲慢不遜な広がりをみせる悠久なる空も、地上の赤で、染め上げたかったのさ。……昔から……ガキの頃から……」
誰も見てくれはしない、かまってくれはしない……、俺は望まれて産まれてきてはいない。
父親は名前しか知らない。
母親は、父親の影として自分を扱う。
この世が自分のためには存在していないと気づいていた。
だから、こんなちっぽけな己さえも受け入れてくれない世など、壊してしまえと……。
「俺もそうだよ。あんた、似てるな……」
以外な返答に、拳に這わせていた視線を再び、若者に向けた。
目が霞んでいる。
どしゃぶりの雨のせいではなくて……。
「お前の顔が見えない」
「俺はあんた、あんたは俺。それでいいだろう」
「…………そうだな。……それが…いい……」
ひたひたと背中を浸す湖水が、体温を急激に奪っていく。
(寒い……)
「寒い……」
思った事を理性で封じる事ができていない。
思考が垂れ流しになっている……。
こんな弱音は吐きたくないのだ…。
「寒い……」
「でもな」
意に反して、死への……否、孤独への恐怖に震える柳川。
それを見て見ぬふりをし、静かに、優しく若者は説く。
「この世は自分を見てくれない、孤独だ、なんて考えは、大概が過ぎた思い込みだぜ。それはただいつまでも子供みたいに拗ねているだけの、甘えだよ」
(甘え…)
「俺は……、誰かに、甘えたことなど……」
「気づいていないのか? …………そうか、だから寂しいんだな。不器用な奴…、人の事は言えんけど」
若者は笑ったらしい…。
嗚呼、もう何も見えない。
激しかった筈の雨はどこへいった?
こんなに夜闇は濃かったか?
ただ、上下に身体が優しく揺すられる……。
それはまるで、誰かに抱きかかられているような…、母親の胎内にいるような。
……不安を除いてくれる、温かさ…。
(悪く……ない……)
そう思うのはなぜだろう…。
「お別れだ、もう一人の俺……」
「……お別れ…か。……ふん」
もう、眠らせてくれるのか…。
やっと、自分は眠れるのか…。
(これで……睡眠不足も……解消だな……)
馬鹿な事を考える自分に……。
苦笑でも。
初めて心から笑った。

「……さらば…だ、もう一人の……俺……」

柳川は死んだ。



* * * * *



「その夢を知らず、その先を知らず、生きることを知らず……」
雨が痛い。
もう止んでくれ、そう叫んで止むのなら、耕一は何度でも叫びたい気持ちだった。
「何も知らず、己を知らず、ただ死ぬことだけを知る」
漂う屍を、耕一は抱き上げた。
人の死は冷たい。
「……このまま、水葬でもしてやりたいんだけどな」
この嵐では、それも無理そうだ…。
赤い血で満たされていた筈の湖面は、自然の浄化力を遺憾なく発揮して、既に黒く透き通っていた。
強靭な足腰で、岸へ向けて歩く。
何度も波が背中にぶつかってきた。
それに反抗するよう、砕きながら進む。
岸に上がり、水をめい一杯含んだ草地にその身体を寝かせた。
漠とした虚ろな瞳を僅かに哀れな男へ寄与した後……。
瞳に力を篭め直した。
まだ…、尽きてしまうには速すぎる。
溜飲してから…。
「……出てきてくれよ、いるんでしょ、そこに、………千鶴さん」
従姉の名を読んだ。
重厚な雨音の中に、かさり、とほんの僅かな自然でない草木の揺れを聞き取って…。
耕一は、腰に手を置いたまま振り返った。
「……耕一さん…」
女が一人たっている。
幽鬼のように、存在感をまるでなくした女が立っている。
長く奇麗な黒髪をしとどに濡らして…。
近くの木の幹によさりかかるように……、闇に沈み込むように……。
赤い瞳だけが、現実だった。
「何やってんのさ、風邪、引いちゃうよ…」
自分でも馬鹿らしくなるほどの場違いな科白を耕一は吐く。
いつかはと予見した、そして覚悟した事だが、目の前にこうもはっきりと対象があると場を紛らしたくもなる。
「耕一さん……」
千鶴はこちらの話など聞いてもいない。
穴が空くほど大きく瞳を見開いて、耕一の瞳の奥まで見透かそうとしている。
一歩踏み出た。
そして彼女はこう言う。

「あなたを、殺します………」



* * * * *



内にしまっておく限り、人に知られない限り、隠したものは現実とはならない。
それはただの刹那的な夢であって、思いであって、いつかは薄れて、消えてしまうものだった。
誰かが憎い。
誰かが羨ましい。
誰かが愛しい……。
どんな感情も、現実にするのが怖かった。
その先にある結果を見るのが怖かった。
ならば、全ては内に留まらせて、順々に時の成せる業で、昇華していこうと思った………のだけど。
心の許容量が、こんなにも狭いものだとは知らなかった。
すぐに一杯に溢れて、正の感情も、負の感情も交じりあって、二日酔いの激しい状態みたいに私を苛ました。
それでも詰めて、詰めて、詰めていったら。
ぼろりと、私の心は崩れはじめたのだ。
崩れ始めた後の崩壊は素早い。
日に日に、己が己でないように……。
私という存在が、欠けていく…。
怖かった。
だけど、私はそれ以上に馬鹿で……。
己が失われる怖さよりも、ためていたものが吹き出てしまうのが怖かった。
己の内面が周囲に吹き荒れるのが怖かった。
………。
叔父様は、私の溜めたものを簡単に肩代わりしてくれたのだ。
朗らかに笑って、何でも許してくれて……。
好きだったのだと思う。
昔の事でもないのに、なぜかはっきり思い出せないけど……。
好きだったのだと思う。
でもやっぱり……、私は馬鹿だから、その気持ちを伝えることはなかった。
こればかりは、叔父様に引きうけて貰うわけにもいかず、己の内に留めた。
そして、もう永久に解放されることはない、永久にできなくしたのは…。

柏木耕一。

あの人の息子。
わたしの従弟。
妹達の大事な人。
わたしの大事な人。

その人を……。

「……殺します……」
雨に打たれながら、柏木耕一に向けて云ったその言葉は、まるで夢の中のように現実味が乏しかった。
だから千鶴は、耕一に歩み寄りながら、もう一度言う。
「あなたを殺します」
そう。
そうだ。
自分は…。
柏木耕一を殺すためにここにいる。
右手をだらりと垂れ下げて、二三度、指を動かしてみた。
白く細い指は、ぎこちなかったが思い道理に動作する。
それを確かめて。
………たぶん。
やれる………。
「死んでください」
その変る事の無い、優しい瞳を前にして言葉を交わせる自信がなかったから…。
己の衝動が萎えてしまうのが怖かったらから…。
千鶴はただ、鬼の爪を光らせた。
人を……自身をも傷付ける諸刃を……。
きらり、と。



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