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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



咎を背負いし者……


咎を背負いし者達(中編)

by 遊真



 
渦を巻いて突き出された手刀を、身体を沈めて躱す。
数本の髪が雨の中に舞ったかと思うのは一瞬で、すぐに風が闇の中へと奪い去っていく。
それを目で追うような暇はどこにもない。
水煙を発し地面を疾走する蹴り足が、体勢の低くなった側頭部めがけて飛んでくる。
咄嗟に右手でガードして衝撃に備えたが、そこに足は来ない。
フェイクだ。
「くっ」
水平から垂直へ流れるように変化した細い足首が唸り、踵が頭上へ落ちてきた。
鬼の重量が加わった踵落しだ、生半可に腕を割り込ませても、腕ごと頭蓋骨を粉砕されかねない。
上半身を軽く捻って、斜め後方へスウェーして避けた。
圧倒的な質量が、間一髪で眼前を通り過ぎる。
余波だけで、額が数ミリ割れて、鮮血が迸った。
それを頬に点けて、千鶴が云う。
「鬼を制御できる事、ずっと騙していたのですね」
何時から、という問いに、耕一は紅い目を光らせたまま、冷ややかに答えた。
「昔から……、水門で起きたあの事から、ずっと……」
「皆があなたの事を心配していたのに、なぜ」
問い詰めながら、千鶴の攻めては途絶える事が無い。
一歩、二歩と素早く間合いが詰められ、鋭い鬼の爪が、耕一の首筋の皮を削っていく。
「俺のような鬼がいたら、親父や叔父さんの狂気が直ぐにでも覚めてしまう気がしたからだよ…」
そうなのだ。
鬼に目覚めると同時に、少年は、いらぬ知性と理性を手に入れた。
そいつらは、無邪気さと甘えを全て奪い取って、世の闇を知らず安穏と生きる事を許さなかった。
実の父から離れろとろくでもない論理を押し付けてきたのだ。
「ほんとは、嫌だったよ」
耕一の呟きは、風鳴りが掻き消す。
どんっ、と背中に押し付けられたのは太い松の幹。
跳躍して、その木を飛び越えた。
千鶴と耕一とを一つの木が別つ、僅かな間がそこに出来る。
雨の音にまぎれて、か細い千鶴の声が聞こえてきた、幹の後ろだ。
「………なぜ叔父を殺したのですか?」
稲妻が近くに落ちた。
大気をどよめかし、空気を焼いて、白煙がしらじらと立ち上る。
メキメキと、大木が倒れる音が木立の間から、聞こえてきた。
一度、そちらに視線を向けてから、耕一は松の向こうの千鶴に云った。
「………なんでだろうね……」
理由なら幾らでも、紡ぎ出す事が出来た。
親父の苦しみを終わらせてあげたかった。
親父の狂気を止めなければならなかった。
親父の変わって行く姿を見るのが忍びなかった。
………千鶴さんにだけは人殺しをさせるわけにいかなかった。
全部が少しづつ真実で、全部が少しづつ言い分けなのだ。
言葉に成すのは難しい。
耕一は、悲しそうに顔を俯けた。
「俺はもしかしたら、鬼なんて制御できていないのかもしれないよ」
どんな理由があろうと、親を殺す子がいるだろうか……。
「そう思い込んでいるだけで、もう、狂っているのかもしれない。自分が自分であると信じれない時は、あるんだ…」
前世の記憶。
楓は簡単にそれを受け入れてしまっているが、耕一には受け入れるべき許容量はなかった。
俺は俺だと、何年もの間突っぱね続けている。
それでも、楓と会えば心が安らぐし、切なさが胸の内をよぎるのだ。
「俺は……」
「……耕一さん」
千鶴が、そっと耕一の言葉を遮った。
顔を上げた先にはやはり松が一本、華奢な彼女の身体を完全に見えなくしている。
葉の上に乗る雫の音が、耳に響く。
「………私も、狂っているのかもしれません……」
「………」
「……私、叔父が鬼に捕らわれたその時は…」
「殺してくれる、と云ったんでしょう」
「……知っていたのですか……」
無言で肯定した。
親父が電話で漏らした事は伏せる。
耕一にとっても、あの電話の件はまるで夢幻のように、現実味が無い出来事だった。
親父の醜態など信じられなかったし、信じたくもない。
ただ、目が覚めた時、怒りに任せた壁のひび割れだけが、これは事実であると、繋ぎ止めていた。
「だったら説明は、要りませんね……。私の考える事は、耕一さんには、憎いらしいほど全て見透かされているでしょうから」
「うん、言わなくていいよ、千鶴さん…」
「ねえ、なんて怖い女なんでしょう私は。……私、叔父様を殺して差し上げますと云ってしまった時……」
「………千鶴さん」
「ほんとは……ちっとも辛くなかったんですよ…。辛くないどころか、幸せで恍惚としていたんです。大好きな人と添う事が不可能でも…、大好きな人をこの手で自ら殺す事が出来る事に、打ち震えたんです……。たった一度だけの命の炎を私のこの手で狩り取ることができる……」
耕一の瞳は揺れていた。
悲しい鬼の女の性に、心を泣かせた。
涙がでないのは僥倖でしかない。
「でも、千鶴さんは、泣いているじゃないか。そんなどうしようもない思いに、傷ついて泣いているんでしょ?だったら、鬼なんかじゃない、千鶴さんは人間だよ」
「私の殺意は留まらないわっ。………賢治さんをこの世から消し去った事に怒りはないの、そうじゃない、そうじゃなくて、賢治さんを私に代わって殺したあなたが憎いのよっ」
メリメリっと水分を含んだ湿った幹に一筋の縦線が入った。
割きイカの如く、糸を引いて真っ二つになる松の木。
中心に長い髪を風に靡かせた女のシルエットが一つ。
「あなたが憎くて、殺してしまいたい。あなたが好きだから狩ってしまいたい。そんな私でも鬼ではないと?」
頬を滑る涙が、雨滴と混じった。
凍り付くような白い肌が、雷光に浮かび上がり、いっそう冷たさを増す。
「千鶴さんみたいに優しい人が、鬼なわけないでしょ…」
――――吟ッ
空気が弾け飛んだ。
交錯したのは、冷徹な瞳と憂いを秘めた瞳、そして、女の細い腕と男の逞しい腕。
お互いの息がかかるほどに、ぎりぎりと攻めぎあい。
血を吐くように、一言。
「それ以上は言わないで……」
嫌だよ。
耕一は千鶴を見据えたまま心のなかで突っぱねる。
もう、これ以上辛い思いはしたくない、悲しい犠牲は見たくはない。
だから、自分は柏木の門をくぐったのだ。
楓との約束を守る為。
彼女等が幸せに生きる事が出来る素地を作らなければならない。
千鶴の抱えた闇は、自分が払拭する。
「千鶴さんを、助けたい」
表情の無かった千鶴の瞳が、大きく見開かれた。
よろめくように後退する彼女を、耕一は追わない、言葉だけが追った。
「………俺は、俺が解らない。だけど千鶴さんを助けたいと思う心は信じられる」
なぜなら、自分は鬼に覚醒する前から、この気丈な女性が好きだったから…。
「どうすればいい?殺して気が済むのなら、俺を殺してくれ。でも、それで千鶴さんは幸せなのか?もう苦しまないですむの?」
「わ、わたしは……」
初めて千鶴が動揺した。
瞳がその制御を失ってしまったのか、虚空を彷徨する。
無意識の内に首を横に振った。
子供が嫌々をするように………。
「わたしはっ!!」
「千鶴さん」
一歩、耕一は前へと足を出した。
「来ないでっ!!」
千鶴の腕が、耕一の胸元へと伸びた。
大木をも刺し貫く鬼の爪を、耕一は避けようとしない。
力を篭めた瞳で、千鶴の目だけを見据え続ける。
千鶴の選ぶ道を信じて……だが。
「止めてぇっ!!」
二人の間に、小さな影が一つ割り込んだ。
誰も、耕一でさえ、その突然の介入者に意表をつかれた。
千鶴の一撃は止まらない。
貫く。
ぱあっと一瞬の大輪を咲かせるかのように、赤いものが飛び散った。
艶やかな黒髪が、肩で流れる……。
華奢な肩が、びくりと震えた。
いつもは涼し気な瞳が、今は苦悶で歪んでいる。
「楓ちゃんっ!!!」
耕一は、少女の名を呼んだ。

 
 
*****

 
人外の者達が繰り広げた戦いの跡が、生々しくそこには残っていた。
巨大なハリケーンが通過した跡のように、地面は抉れ、千年杉の林は薙ぎ倒されている。
もう耕一達の鬼気を追う必要もない。
甚大な被害は、湖の方へと続いている。
吹き荒れる鬼気の衝突は既に止んで、たぶんそこにいるのは死んだ鬼と、あの人と、姉。
楓は、歯を食いしばり、真一文字に口を結んだ。
姉の息遣いが背後から聞こえる。
口元を緩めた。
「……ちょっと…、楓、早すぎ……」
梓の愚痴を軽い微笑みで受け流して、楓は振り返る。
「もうすぐそこ。梓姉さん、頑張って」
口調も表情も穏やかだったか、内心は言葉道理の思いである
本当に頑張ってもらわなければ困るのだ。
暴走した千鶴を止めるだけの力は、楓には無い。
身軽さでは、千鶴に引けを取らない彼女も、純粋な力の勝負となればからきしだ。
力だけなら一番の梓に頼るしかない。
それが解っているから、梓は緊張した面持ちで頷いた。
「今、頑張らなきゃ何時頑張るんだよ」
「愚問だった?」
「愚問」
楓の傍らを梓が抜けて行く。
それを肩越しに見詰めてから、楓もまた身を翻した。
姉の背中を追い、並んで、追い越す。
水溜まりというよりは、小さな池のようになった泥水の中に楓は足を踏み入れた。
ばしゃり。
茶色の飛沫が、白い頬を汚し、すぐまたそれを雨の雫が流していく。
(……こんな風に…)
こんな風に、自分達も生きていけばよいのかもしれない。
汚れてしまう事に脅えていては、前へ向けて足を踏み出す事など出来はしない。
闇雲でも何でも、踏み出さなければ、事は運ばない、時だけが無作為に流れてしまう。
もしそれで汚れてしまっても、嘆く事はないのだ。
人の心に消えない汚れなど、ありはしないのだから……。
「耕一さん……」
楓は無意識の内に従兄の名を口にしていた。
(あなたの背負った咎も…)

「永遠のものではないんです……」

囁きは、背後の梓にも届く事無く、疾走の風鳴りに掻き消えた。
微かな涙の跡も、雨に拭われた。
「楓、何か云った?」
「何も…」
「そう」
「ただ……」
「何?」
楓は暗色の雲を仰ぎ見た。
上空では、地上以上に荒々しく風が息巻いている。
闇がうぞうぞと蠢き。
大海を馳せる竜の如く、時折、雷光がうねる。
いつだったか読んだ神話の創世のような世界だ。
「耕一さんにとっての雨は誰なんだろうなと思って……」
梓が首を捻る。
「それって、どういう……」
「それだけの意味よ、梓姉さん」
横倒しの大木を軽い身ごなしでかわす。
車窓の景色のように、乱立する木々が後方へ飛んでいく。
前方の闇はいつまでも晴れず、まるで堂々巡りをしているかのような焦燥感を覚える。
それでも感じた。
(あの人が泣いている……)
まるで、一人死んでいく自分を前にしたあの時のように……。
彼の悲しみが深い。
そして自分は悲しみを共有するがために同じ深さまで暗く潜る。
全力疾走を続けても乱れない胸の動機が、加速した。
左胸に左手をのせる。
顔を俯けて、その手の甲を見る。
手が震えていた。

「同じだ………」

確かな既視感。
こんな闇の中、こんな雨の中、こんな森の中。
ただ一つの事を願って走る。
リズエル姉さんと、あの人と、私と……。
「楓っ!」
緊迫した声が、楓の思考を断ち切った。
はっと顔を仰ぐ。
木々の合間、黒々とした湖面のうねりが楓の視界に入る。
それを背景にして立つ二つの影が、刻み込まれた遺伝子の記憶に飛び込んだ。
雷光が瞳を焼く。
白撃に晒された美しい鬼へ、まったく無防備に近づくあの人を見た。
覚悟の笑みを見た。
「嫌だ…」
言葉が擦れて正しい音を奏でない。
嗚呼、姉の手が、あの人の胸に吸い込まれていく。
それは…。
「やめてぇっ!!」
空気の断層が産まれる。
その狭間に流れ込む風のように、楓は駆けた。
数十メートルの距離が零になる。
そして…。

鋭い衝撃が楓の腹部を貫いた。



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