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CANVAS Short Story



藍より愛し


by 久々野 彰




『藍より愛し』


「お兄様‥‥」
「あ、藍ちゃん。どうしたんだい」
「あの‥‥」
「ん?」
「わたくし、聞いてしまいました‥‥」
「え、何が?」
「お兄様、このままですと特待生の資格を剥奪されてしまうとか」

 ああ。
 そう言えばそうだった。
 このところそれどころじゃなかったからすっかり忘れてしまっていた。


「あと、今度の絵のコンクールで入賞すれば、その話はなくなると」
「‥‥」


 そう言えばそんな話もあったような。
 まぁ、絵を止めてしまうオレには関係ない――そう思ってそのこともすっかり頭の
外に追い出して今日までずっと過ごしてきてしまっていた。


 もう、人に強いられるように絵を描くことは止めてしまおう。
 それが適わないのであれば、絵を描くこと自体やめてしまおう。


 そうオレは思った筈だった。
 しかし、なんだろう。
 この今のオレの中の違和感は。


「お兄様。絵を描くことがお嫌いになったのですか?」
「え‥‥」
「恋ちゃんのお誕生日の時といい、学園祭で美術部の部室の前の時といい、お兄様が
とても嫌そうな顔をなさっていましたので‥」


 そう、あの時のオレは絵に関わる事を見聞きするだけで嫌だった。
 話題の隅にオレの絵の事が登る事が嫌で堪らなかった。
 けれども、今は‥


 今のオレはどうなのだろうか。


「オレは‥」
「あの‥‥覚えていらっしゃいますか?」
「へ?」
「わたくしが恋ちゃんのことでお兄様をお呼び立てした時‥‥公園を歩きながら紅葉
を見ていたら、兄様がわたくしに言って下さった時のことを」


 …綺麗だなって思っただけ‥‥藍ちゃんをモデルにしたら、きっといい絵になるん
 じゃないかなってね


「あの時、わたくしは照れてしまってすぐにはぐらかしてしまったのですが‥‥」

 あ、ああ‥‥。
 そう言えばそんな事を言った憶えが。


 あの時は本当にそう思ったのだ。
 紅葉に見惚れる藍ちゃんの構図を枠に収め、キャンバスの上で描いてみたいという
欲求が本当に自然に。


「本当のところ、あの時のお気持ちは、どうだったんですか?」
「本気だったよ」
「あ‥‥」
「あの時が自分がどうとか考えないで、本当に自然にそう思えたんだ」


 あの時、自然に絵が描きたいと思えていた。
 そう、彼女を描きたいと思ったのだ。


「そ、それでしたら‥‥その、もし宜しければ‥‥」
「藍ちゃん?」
「わたくし、お兄様と芸術の為に脱ぎますっ!」
「えっ!?」
「不束ものですが、モデルにならせていただきます」
「‥‥」
 絶句。
 オレは一瞬、声が出なかった。


 ぐっと彼女が作った握り拳。
 彼女なりに相当の決意があっただろう。
 行く度も悩んだのだろう。
 躊躇いもあっただろう。
 けれども今の彼女の目は真剣だった。
 オレを見つめている彼女は、心からオレの事を想って言ってくれていた。


 それに比べてオレは何だ。
 ちょっと世間の厳しさに触れただけで凹んで、子供のように拗ねて、挙げ句の果て
には全てを周りのせいにして自分自身への反省なんて考えもしなかった。
 甘えていた。
 描かないんじゃなくて、描けないだけ――そんな事を嘯いていた頃の自分をどやし
つけたくなった。


 オレは誰にも強制されることなく、本当に描きたいものを描きたい。
 だったら――いるじゃないか。
 オレが描きたいもの。
 オレの目の前に。



 彼女の思いにオレは答えたい。



 オレは決意した。


 けど、


「あのさ、絵のモデルって言っても‥‥別にヌー‥」
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――――っ!!」
「お兄様‥」
「うわたぁっ!?」
「‥チッ」

 恋が飛び込んできた。
 勢い込んで。
 飛び蹴りをかませながら。


「な、何すんだ、恋っ!!」
「それはこっちの科白よ。このケダモノ!!」
「ケ、ケダ‥ってなんでだよ!」
「藍が世間知らずで素直で人が良いことに付け込んで一体、何をしようとしていたの
よっ!!」
「あのなぁ、恋」
 やっぱり誤解したのか。
 頭が良い割には相変わらず、藍のことになると思考が固まってやがるなぁ。
「恋ちゃん。誤解ですわ」
 藍ちゃんが脇でそう言うが、興奮した恋には聞こえていないようだ。
 鼻息荒く、オレを睨み付けながら噛み付かんばかりがなりたてる。
「いい? この際だからアンタに言っておくと藍の身体はあたしのモノなんだからっ
! ‥‥じゃなくて、えっとその何? え、えっと‥‥」
 言った後、慌てたようにバタバタと手を動かして誤魔化そうとするが、何かもう全
て最初の一言で終わっている感じがする。
「‥‥」
「‥‥」
「‥っ! ぁっ‥ がくてっ‥‥」
 だからオレは尚も言葉にならない呻きを漏らしながら、バタバタと身体を動かす恋
に言ってやる。
「‥‥恋。建前を考えてくるの忘れたな」
「う、うん‥‥藍の決してセクシーじゃないけれど清楚で柔らかで輝きを放つほど美
しいその柔肌をアンタなんかに‥‥じゃなくてっ! そーゆーのが許されると思って
るのっ!?」
「それより恋、鼻血鼻血」
「そんな罠に引っかかると思って‥‥ってあれ!? え、えっと‥‥うっ、ア、ア、
アンタのせいよっ! こないだ一緒にお風呂に入った時の事思い出しちゃったじゃな
いのっ!」
 擦るように拭く両手の甲まっ赤っ赤。ドツボのようだ。
「ケダモノ‥‥」
 ボソッと声が聞こえる。
 藍ちゃんの声だった。
「あ、藍‥‥これはその、えっとあのね。コイツの妹として‥‥」
 ダクダクと鼻から血を流しながら、青ざめて身を引いている藍ちゃんに迫る恋。
 説得力まるでなし。

 長年の友情、ここに尽きたって感じだな。
 脆かったなぁ。
 女の友情はあてにならないっていう俗説は本当だったんだな。
 超納得。

「とにかく、恋ちゃんは黙っていてください。これはわたくしとお兄様の愛の共同作
業なんですから」
「愛のって‥‥あの‥‥」
「駄目よ駄目よ駄目よ! そんなの絶対に絶対に絶対に赦さないから!!」
「だからさ、オレはヌードなんかじゃ‥」
「この際はっきり言っておきますが、わたくしはお兄様と結婚するのですからお兄様
とわたくしが合意の上で何をやろうとも、恋ちゃんにとやかく言われる筋合いはあり
ませんわ」
「ただ、絵を描くだけでそんな‥」
「あたしはコイツの家族で妹なんだから、口出すのは当然の権利よっ!!」
「あの、二人共聞いてます?」
「わたくし達夫婦の邪魔はしないでくださいっ!!」
「アンタ、鷺ノ宮財閥の令嬢でしょ? そ、そ、そんな人生をドブに捨てるような真
似、出来るとでも思ってるの!?」
「あら、お母様を初め、家族中みんなが喜んでくれましたわ。お兄様のお父様、私に
とっての義父様も、恋ちゃんのお母様からも皆、祝福してくれましたわ」

 言い争う二人。
 しかし勝敗は一目瞭然だ。
 圧倒的に恋が押されまくり、既に泣きべそ状態。
 片や藍ちゃんは鼻で笑うように、そんな恋に対して畳み掛けていく。


「あ、あ、藍のばか――っ!!」
 あーあ。
 最後は号泣していっちゃったよ。
 女って怖いな。


「くすくすくす、ほんの冗談でしたのに」
 その一言で済ます藍ちゃん。
 いいのか、それで。

「あ、藍ちゃんって、意外と意地悪なんだ。あはは‥」
「はい。今まで気付きませんでしたか?」
「あ、あはは‥‥」


 想像以上でした。


「それじゃあ改めて‥」
 そう言ってニコニコと微笑む藍ちゃん。
 何でそんなに楽しそうに笑えるんだと思ったが触れないでおいた。
 これが惚れた弱みというやつなのか?
「はぁ‥」
「私を、描いて下さい」
 オレが溜め息を吐くと、それが場の収まった合図だとばかりにそう言い出される。
 そして準備とばかりにそそくさとブレザーのボタンを外す百合奈先輩。
「私は、洋服を描いてほしいわけではありません」
 そう言ってブラウスとスカートだけになる百合奈先輩。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
 見守るオレと藍ちゃん。


 あれ?


「残りを脱ぎますのであの、あちらを向いていて下さい」
「あ、はい‥‥」
 素直に先輩の支持に従うオレと藍ちゃん。
「えっと‥‥お兄様?」
「うん」
「何か間違っていませんか?」
「オレもそう思っているところだ」
 君を含めてな――そう言いたかったが止めておく。
 そんな風に背中で衣擦れの音を聞きながら、二人でヒソヒソと話し合う。
「もういいです‥‥」
 そんなことを言っている内に脱ぎ終わったらしく背中ごしに声を掛けられる。
「どう、ですか?」
 振り返るとシーツで身体を隠した先輩が、いつの間にか敷かれた掛け布団の上に座
り込んでいた。
「どう、って」
「その‥‥ですから、私の身体を見て、どう思いますか」
「栄養失調気味に見えます。三食キチンと食べていますか?」
 オレの目の前に三択が出る前に藍ちゃんが応える。
「えっと、それよりも何処から入ってきたんだ?」
「玄関です」
「鍵は?」
「誰かに蹴り破られたようにドアが壊れていましたが‥‥」
 恋め。
「まぁ、きっと恋ちゃんの仕業ですわね」
 何か嬉しそうに微笑む藍ちゃん。
 オレは君が一番よく判らないよ。
「あとで目一杯お仕置きしてあげないといけませんね、お兄様」

 いや、そんな笑顔で同意を求められても。
 でもお仕置きって何だろう?
 これもやっぱり聞かない方が賢明な気がする。
 妄想CG一枚ゲット出来るかもしれないし。

「ねえ、大輔ちゃん」
 いきなり呼び掛けられる。
「え?」
 見ると、オレを挟んで藍ちゃんの反対側に悠姉さんがいた。
 今日も姉さんは私服でジョニング。
「こうしていると、私たちって‥‥新婚さんみたいだよね?」
「し、新婚さん?」

 どこをどう見たら?

「うん、そういう風に見えないかな?」

 いや、これっぽっちも‥‥とは言わない方がいいのか?

「それは、見えないこともないと思いますが‥‥」
 またオレの代りに答えるのは藍ちゃんだ。
 でも、本当に見えなくもないの?
「見えないこともないと思う‥‥なんて、なんだかガッカリしちゃうな」
「だって、お兄様はわたくしと結婚したんですもの、ねえお兄様?」
「あ、ああ。姉さんに言わなくて悪いと思ったけど、実はオレ達付き合っ‥‥結婚?」
 ちょっと待てぃ。
「ええっ!? そ、それって本当? 麻生君!!」
 相変わらずジョニング姿勢で驚いて見せる姉さん。
 でも、ショックだったらしくオレの呼び方が先生モードに戻ってる。
「はい。実は先日、婚姻届をお役所に提出致しました。善は急げと言いますし」
 善も何もオレ、そんなのにサインした記憶なんて。
「私は麻生君の口から聞きたいな。本当なの?」
 どうやらオレの呼び方は意図的らしい。
 姉さんのオレへの好感度相当ダウン。
「そ、そんなこと聞かれても‥‥」
「くすっ、冗談だよ」
 そう言って、厳しめの表情を作っていた姉さんの顔が和らぐ。

 冗談!?
 冗談で流していいの、姉さんっ!!

「でも、大輔ちゃん、昔は私をお嫁さんにもらってくれるって、自分で言ってたんだ
よ。覚えてない?」
「覚えてない」
「勿論、覚えてるよ」
 藍ちゃんが二択の上を選ぶのと、オレが下の選ぶのとはほぼ同時だった。
 しかもオレちょっと積極的。
 かなり藍ちゃんから心離れている様子。
「そうなんだ、凄く小さかった時の話だから、てっきり、忘れてると思ったんだけど
‥‥」
「だから覚えてません」
 藍ちゃんは再び否定するが、姉さんは完全に無視して話を続ける。
 まぁ、藍ちゃんは覚えているもいないも知らないし。
「でも、そのときの言い方って実はスゴイんだよね」
「え?」
「オレには奇跡は起こせないけど…
 でも、悠お姉ちゃんの側にいることはできる
 約束する
 悠お姉ちゃんが、悲しい時には、オレがなぐさめてやる
 楽しいときには、一緒に笑ってやる
 白い雪に覆われる冬も…
 街中に桜が舞う春も…
 静かな夏も…
 目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も…
 そして、また、雪が降り始めても…
 オレは、ずっとここにいる もう、どこにも行かない
 オレは… 悠お姉ちゃんのことが、本当に好きみたいだからって……」

 それ、ゲーム違う。

「大輔ちゃんはそう言ったんだけど、それも覚えてる?」
「いや、多分それオレじゃないと思うんだけど‥‥」
「あ、別に責めてるわけじゃないから。引っ越しちゃったのは私の方だし、――ちゃ
んは当時の記憶を無くしてたんだから当たり前だよ」

 当時って何ですか? 記憶なんて無くしてないし。

「‥‥けど、その約束って、もしかしなくても、今でも有効に決まってるよね?」

 姉さん、疑問形になってません。

「ほら、証拠の目覚し時計だよ」
 そう言ってヤケに可愛らしい時計を取り出して、スイッチを押す。

『オレには奇跡は起こせないけど…
 でも、「悠お姉ちゃん」の側にいることはできる
 約束する
「悠お姉ちゃん」が、悲しい時には、オレがなぐさめてやる
 楽しいときには、一緒に笑ってやる
 白い雪に覆われる冬も…
 街中に桜が舞う春も…
 静かな夏も…
 目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も…
 そして、また、雪が降り始めても…
 オレは、ずっとここにいる もう、どこにも行かない
 オレは… 「悠お姉ちゃん」のことが、本当に好きみたいだからって……』

「ほらね♪」
「それ、オレの声じゃないんですが」
 更に子供の声じゃないし。
「しかも「悠お姉ちゃん」の部分だけ後で当て嵌めたような形式が‥‥」
 珍しく意見が一致するオレと藍ちゃん。
 姉さん、それ持ち主に返して上げないと大変なことになるかも知れないぞ。
「ごめんね、雪ちゃん。ちょび髭はわざとじゃないんだよ」
 うわ、それは姉さん禁句です。

「呼んだ?」
 呼んでません瑠璃子さん。
「どうして御薗先輩までここに?」
「キミがア○ーキ二世を目指して君影さんのヘアヌードを激写しまくっているって聞
いたから確かめに来たんだけれども‥‥」
 そう言って室内を見回す。
 隣に元恋人の藍ちゃんがニコニコと微笑んでいる。
 布団には裸にシーツをまとっただけの格好の百合奈先輩がいる。
 悠姉さんは用意した小道具を片づけるのに忙しいらしい。
 恋の痕跡はドアが壊れていることで微かにかつて彼女が来たことを示していた。

「それどころじゃなかったわね」

 それに関しては仰る通りで。
 でも、それどころという程聞き流していい科白でもないような。

「うらやましいわね。君影さんは、なんだかんだ言って、少なくても、キミに気にか
けてもらえるんだから」
「この現状で本当にそう思ってるのか?」
 因みに百合奈先輩はあっという間に忘れ去られたので、三角座りをしたまま窓の方
を向いて寂しく佇んでいる。
「私のことを受け入れてくれる人は、残念ながら、今のところいないわね」
 大仰に悲しげに首を横に振る御薗先輩。
 仕方が無いので話を合わせる。
「御薗先輩は少なくても恋ちゃんよりは綺麗ですし、そんなことはないんじゃないで
すか?」
 藍ちゃんもそう口添えする。
 出来れば黙っていて欲しい。
「あるのよ。全てを受け入れてくれる人なんて、そうそう転がっていないんだから」
 そう言いながら御薗先輩は持っていた学生鞄を逆さにする。
 鞄の口が開いていて、中からドサドサと雪崩れのように手紙が落ちてくる。
 見る間でもなく全てラブレターっぽい感じだ。


 自慢?


「‥‥せいぜいキミ達は仲良くすることね」
「誰と誰が?」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「私とか」
 何故か自分を指差す御薗先輩。
 何か質問の原点すら消え去った模様。


「でも、わたくしとお兄様との婚姻届は既に区役所に提出されたのですが」
 藍ちゃんがそう言うと、
「あ、それなら受理されない筈だよ。私が7年前、大輔ちゃんの記憶が無くなってい
る間に血判で青田買い――もとい、婚姻届製作して区役所の金庫にしまって貰ってい
るはずから」
 と、姉さんが返す。
「あの金庫の中のものなら、現金や金券、株券共々私が御祓いと称して嫌がらせに行
って着服した際に、お金にならないものはまとめて捨てました」
 窓から差し込む夕焼けに染まりながら百合奈先輩がボソッと呟く。
「こんなこともあろうかと、ここに人数分の離婚届を用意してきたわ」
 すっと数枚の書類を御薗先輩は掲げて見せる。
 何かこの間中、背中がぽかぽかと何者かに叩かれているが、視界に入れずに話しか
けなければ別に問題はない。
 オレの気持ちとしては、恋の後を追ってこの場を離れたい気分。
 今何処へ。



「あのー、大輔ちゃん?」
「あ」
 おずおずと声をかけられる。
 いつの間にか、天音がいたりする。
 今更、一人増えた所で事態がどうなるものでもないが、この女はこの女なりに驚い
た顔をしている。
 そしてオレを見てぐっと握り拳。




「私、やっぱり獣医になるよ。なってケダモノの調教をする」




 ヒロインは何か決意した模様。
 ってーか、オレ様かなりピンチ気味。





                          <おしまい>


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