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Original Novel Michiyoshi Presents



剣舞祭


2 もし教皇なら

充克(Michiyoshi)



私たちが……というのは斐築さんと、私こと一軌のことですが……立ち止まってから、そろそろ、また雪が降り始めようかという時。
そんなふうに、天気に意識が回るくらい時間を置いてから。
完全に私たちを取り囲む形で、現れた人数は五人。
全員が青年という言葉でひとまとめにしてしまえる、そんな人たちです。もちろん体格なり容貌なり衣服なりに違いはあるんでしょうけど、私にはあまり見分けがつきません。
拍子抜けするみたいですが、ごく普通の身なりをした人たちです。年齢は私と斐築さんとの中間にばらついているでしょうか。
……普通なら、風を巻きながら忽然と現れる、なんて非常識なことはしませんけど。
「出羽の小雀どもが、遠路はるばるご苦労なことだな」
などと、出会い頭にいきなり悪役じみた台詞をぶつけたのは斐築さんです。
たっぷりと皮肉のつまった物言いに対して彼らは一様に、屈辱的そうに顔を歪めました。
そんな表情まで見分けるのが面倒で、私は呆れかけたのですが………いました。一人だけ、感情を顔に表そうともしない人が。
現金なもので、それまで十把一絡げにしてしまっていた彼らのうち、その一人だけが他よりも冷淡そうな、目を離してはいけない人なように思えてきます。
私が気づいたくらいですから、斐築さんもとっくに気づいているでしょう。
「虚勢はよせっ」
他の四人のうち一人が、そんなふうに切り返しました。
まあ、それは、こんな包囲された状態で余裕なんて見せても、虚勢にしか見えませんよねえ。実際に虚勢以外の何物でもなくて、反応から向こうを窺っているだけなんですから。
相変わらずの冷たい睥睨で、斐築さんも言い返します。
「優位を確信しているのなら、そんなものに煩わされるな」
奥歯を噛み締める音が聞こえてきそうなほど、彼は怒りを露わにしました。
当然ですよねえ、追い詰めている相手から説教なんてされたら。
私なんかは慣れたものなので苦笑するしかありませんが、斐築さんは本当に、対面している相手の神経を逆撫でするのが上手なんです。というか、嬉々としてやっているとしか思えないくらい、活き活きしていたりするんですけど。
あの、とんでもなく傲慢な嘲笑がやばいんですってば。
おかげで私は場の緊張から離れながら、先方の観察に専念できるんですが。
「黙れっ!」
大音声で、さっきの人が怒鳴り散らしてきます。
「故郷を見捨て、あまつさえ奉るべき尊神を棄て、今さら都合よく神剣ばかりを取り戻そうなどという恥知らずどもに、我らの大義を非難できる謂れなど無い!」
………………。
「貴様らは故郷が燃え陥ちる様を後ろ目に、何を考えていた!? 隠れ里の長家に生まれながら、その中核たる神剣ばかりか、父と姉さえも引き換えにして逃げおおせ、不様に生き長らえて! あの重葦が今の貴様らを見れば、笑うだろうな!!」
斐築さんは黙ってそれを聞き流しています。
顔色を変えないまま、嘲笑を浮かべたままで、それが硬まったように。
私は、再び優勢を取り戻した顔になって笑っている人たちのうち、観察の目を一人に向けました。先ほどの、毛色が違う感じのした一人です。
彼も笑っていますが、笑みの質が違いました。他の人たちは余裕と嘲りの笑みなのに、彼だけはもっと別のものを楽しんでいる、どこか矛先の違う笑い方です。
……読まれてますかねえ?
ただでさえの人数差で、明らかにこちらが不利。しかも、これで問答無用でないのが不思議なくらい、相手は最初から殺気立っていました。仮に荒事になだれ込んだとして、どう働いても、私たちの不利は動かしようがありません。
冷静さを失うわけにはいかないんです。
余裕を突き崩して、その隙につけ込む、というのが理想だったんですけど……。
「よくもまあ、自分に酔っていなければ言えないような台詞ばかり、ぺらぺらと吐き出せるものだ。出羽では呪誦や祈祷と一緒に、口喧嘩まで教えてくれるのか。俺たちを殺すなり妖物扱いで調伏なりするために来たんだろう? 早くやったらどうだ」
斐築さん、それは逆効果です!
今の彼らには、ただの悪態と諦めにしか聞こえない。やはりそう思ったらしく、五人の包囲網がじわりと狭まったよような重責感が襲ってきます。
「その勢いで、重葦も殪すつもりなんだろうが……」
なおも嘲笑混じりに斐築さんは続けました。
「手柄は個人別に数えておいたほうがいいぞ。どうせ、いちばん『得点』の多い奴が神剣を獲得できるシステムなんだろう? ご友人に差はつけないとな」
その台詞に、はっとして、五人は思わず顔を見合わせていました。
……この状況で、疑心暗鬼なんて撒きますか、この人は……。
でも、隙はできました。
「一軌!」
「はいっ!」
私は勢いよく応えて、左手を振り上げました。

ああ、そうでした、言い忘れていましたね。
およそ例えるべき形容というものが見つからず、その感覚を言葉にして表そうというのなら、まずは躰の内深くにあるものを手探りで捜し出す感触。
指先が触れたとたん、それは熱を伴って加速的に肥大化。もはや探る必要もないほど確とした存在になったそれは、すでに抑え込むことすら苦労するほどの力の塊でした。解放の糸口を与えることによって、ようやく形を取るそれは。
冷たい夜気と、闇夜の暗がりを軽々と圧倒して。
燃え上がり、篝火のように揺らめいて、私の左腕から炎が噴き上がりました。
言い忘れていましたね。
まあ、私たちはいわゆる、『こういう』類の人間です。



その空間にある時間の、距離の意味が激しく変動する。
『機』と『間合い』という古臭い概念に取って替わられた空気は、いきなり先制とばかりに広範囲へと撒き散らされた炎によって静から動へとさらに流動。
続いて一軌は腕をだらりと下げる。
さもそれが当然というようにコートの左袖からするりと滑り落ちたのは、漆塗りの刀だ。特に大振りという誂えの物ではなく、よく土産物屋で見るような木刀と同サイズの代物。
小太刀と分類される刀剣である。
すでに低く身をたわめている斐築へと投げ渡すと、彼はその方向も見ずに後ろ手で受け取る。
パシ、という掌と鞘がぶつかる快音と同時。
時間は、動より刹那の連続へと激動。
正面にいた青年から眼を離さず、斐築は直線的に疾走。とっさに身構えた、先ほど怒鳴っていた男をあっさり無視すると、その後方で茫然として、仲間の顔を見つめることしかできないでいる一人へと肉迫した。
「馬鹿っ、そっちに……」
五人のうちの誰かがそんな声を上げた。
ようやく斐築が自分に向かっていることに気づいた者ではないだろうが、誰にしろ、斐築にとっては意味のない叫びだ。
鈍い打撃音が、それを本当に無意味なものへと変えてしまう。
「雑魚だな」
前傾姿勢から走りざまの勢いを乗せ、さらに限界まで身を低く落としての肘打ちを下腹に叩きつけた。手首を傷めたくないので、拳では殴りつけない。
顔色を青黒くしたところまで確認して、もう斐築はそいつから警戒を解く。
今の一撃で昏倒するにしろ悶絶するにしろ、無力化されたことには変わりない。
基本的に……乱闘のような荒事に際して……人間は俗に言うような武道の達人の一撃をまともに受けたとしても、そうそう行動不能になるものではない。アドレナリンを垂れ流しにしている人間は、多少の痛みや四肢の損傷程度では止まらないものだ。
だから戦意を喪失、もしくは意識が混濁するところまで手加減なしに痛めつける。
もっとも、最初から素手とはいえ『武器』を持った相手に手加減するつもりなどなかったが。
斐築が振り返ると離れた場所の三人目が、何やら片手の人差し指と中指を立ててこちらに向け、その姿勢のまま焦った様子で動けないでいる。
(『射線』上に味方がいるから射てないのなら、自分が位置を変えればいい。さすがに、そこまで教えてやるつもりはないがな。しかしこいつら、あれだけ偉そうなことを言っておいて………)
片手でしっかり合口に鞘を握り直して、若干の落胆と共に思う。
(……素人か? 判断力が鈍すぎる。実戦不足もいいところだ)
ともあれ手加減はしないと決めたばかりだ。死人が出ても後悔しないでもらおう。
人数差に頼ってそこまで考えていなかったのならお笑いぐさだが、それなら喧嘩を売った相手を間違えたのだ、ということで納得させよう。
筋が通っているのか身勝手なだけなのか難解な論理を巡らせつつ、戦況を確認。
『戦況』だ。こんな単語、普通なら使いはしない。
嘲笑が自嘲まで含んでひきつる。
(二人が一軌の側に行った。三人が俺の担当か。そのうち一人は……完全に潰しておきたいところだが、贅沢は言えないな。次に対応したほうがいい。もう一人は使うべき『術式』を選べず硬直中。最後の一人は…………)
実際は言葉にもせず、そこまでを瞬時に判断。
また次の瞬間には、ほう、と心中で感嘆の声を上げていた。
さっき自分たちに向かって言い放題に言ってくれた男が、刀相手に怯みもせず向かってくる。斐築はこいつがリーダー各だと推察していたが、胆力の面においてはその条件を充分に満たしているらしい。
拳を振りかぶる予備動作までで、だいたいの攻撃は予想できる。
やはり素人物としか思えないが、思い切りのよさでそれを補った踏み込み。素直にそれを後退して避けようとしたが、最初から拳撃が届くような間合いではなかった。
「禮っ!!」
そんな掛け声と共に拳が開き、掌底へと移行するのを見て、隙ができるのを覚悟で必死に横へと跳び退る。
ヴン、と風を巻いて、掌底から無形の槍が伸びた。
「おまえら、調伏を人間相手に使うのに躊躇い無しか!?」
翻ったスタジアムジャンバーを風が叩く感触に、ぞっとしながら斐築が叫ぶ。
調伏というのは、陰陽道などで云う直接攻撃のための呪術を指すが……改めて斐築が語意を掘り返すまでもなく、非現実的な単語である。
それ以前に。
(しまった!)
問題になるのは、さっきから後ろで『射撃』準備をしていたもう一人に、仲間を巻き込まず自分を狙える射線を提供してしまったということ。
「梵っ! 金剛蔵王権現招禮!」
馬鹿らしいほど日常離れした、呪文めいた詠唱が声高に聞こえてくる。先の回避行動によって崩れた姿勢はまだ持ち直していない。
圧力が届いてくるのを、眉間が押される感触として知覚。
「揃いも揃って……!」
投げ出すようにして右脚を振り、それに無理やり体を引っぱらせて踏み込みに変える。抜刀の形になり、左足で地面を蹴り飛ばした。
対して、先方は例の指を二本立てた手……刀印を向けてくる。
「命木行、起風ッ!」
「調子に乗るな!」
発動の鍵となる一声に合わせ、抜即斬……居合いの形で刀を振るう。
ザンッ、と。
圧潰音とも切断音とも取れる、たいして響きもしない音がした。
そんな音よりも、重厚な風の圧力が吹き散らされ、周囲を地面と言わず建築物と言わず無差別に駆け巡った音のほうがよほど大きい。近くにあった常夜灯も煽りを受けて鉄柱はひしゃげ、ガラスも砕け散ってしまっている。
「うわあああああああっ!?」
飛礫が鎌鼬に変わったのと、要因を同じに。
たった今、斐築に向けて不可視の圧力を射ってきた男が、腕を押さえて悲鳴を上げている。再び殴りかかろうとしていた側の男が振り向くと、腕の傷口から溢れる鮮血を止めようと必死になっているところだった。足元の血溜まりに落ちているあれは、指だろうか?
損傷具合はともかく、彼は自分の負傷に錯乱している。無力化二号だ。
「そんな……」
残った一人が見慣れない量の鮮血より他、もうひとつのことに動揺して呻く。
「風の弾丸を、斬り裂いた……?」
「集中が甘い」
言い放って、斐築は刀を鞘に収めた。
「もっと圧縮できていれば、散乱せず二つに割れながら俺に当たっていたんだろうがな。口訣の詠唱にも時間をかけすぎだ。それに巻き込まれるのを恐れて追撃できなかったおまえも悪い」
刀しか金行の持ち合わせが無かった、とは口に出さないが。
いつでも居合いの構えに移行できるように、左手に構えた鞘を腰に寄せて。
「さて……。残ったのはおまえだけだから隙を見逃してやったんだ。さっき言った大義とやらを少しでも全うしたいなら、正面から敗けろ。それくらいなら手伝ってやる」
「ほざけよ………」
仲間を傷つけられたことによる憎悪で禍々しく相好を歪め、男は両手を掌底に構えた。その掌で激しく風が逆巻く。

「はい、外れです」
軽くステップを踏んで後退した一軌の正面で、目には見えない衝撃塊が、これも目に見えない壁にぶつかって霧散した。隻腕の青年が着ているコートの片袖は、風に煽られてバタバタと暴れる。
幾度も続いた現象を、ようやく男は理解した。
「口訣も導引も必要とせずに障壁を展開だと!? 化け物め!」
一軌は相も変わらず緊張感のない苦笑を浮かべて。
「皆さんからそう言われますよ」
「なら、今のが最後だ」
そう聞こえたと思った時には右方向……一軌の腕が無い方向に、もう一人が回り込んでいる。数度の攻防で、今まで手こずらされてきた障壁は一度にひとつしか展開できないことは読まれていた。
回り込んできている一人は、さっき一軌が警戒したばかりの男だ。
そんな相手に接近を許してしまったことを悔やむ思いなど、反省の範疇にすら入らない段階で脳裏から破棄。対応に全神経が傾けられる。
迅速に。ただそれだけの形容をもって、一軌の左脚が高々と跳ね挙げられた。
「ッ!?」
上げる、という話ではない。両足が一本の柱に見えるくらい高々とだ。ただでさえの長身もあって、踵の位置は二メートルの高さを越えている。
大仰なようだが、要はただの踵落としだ。威嚇攻撃でしかない。
だが、190センチ近い長身で、そのくせ妙に打たれ弱い印象があって、しかも右腕を失っている青年がそんな動きをするだなんて、とても予想できなかった。おかげで踏み込みはわずかに、しかし致命的な失敗となる遅滞を生む。
軸足、右踵を回転の中心にして一軌の全身が旋回。その勢いまで利用しながら、大上段の斬撃のような蹴打が振り下ろされる。
ガヅッ
硬質で、どこか鈍い。そんな音をさせて攻防の瞬間が過ぎる。
男は片腕で踵落としを強引に払いのけながら掌底を放った。踏み込みが浅かったことにより直接打撃を与えることはできなかったが、斐築の時と同じように槍を思わせる突風が逆巻く。
上半身をのけぞらせた一軌の回避動作は反応が遅れていた。
こめかみのあたりを削って、鮮血が跳んだ。
半壊したサングラスの下から出てきた片眸……そう、隻眼だ。右の瞼は硬く閉ざされているどころか、縫合の痕がある。
片方だけ残った左眼の色は、夜目の乏しい光にも鮮やかな深紫色。
「おまえ……っ!?」
片目だったのか、という驚愕は喉から出なかった。
神剣を奉る隠れ里の生き残りは二人、片方は神剣の巫女の弟、もう片方は五行八卦に通じた銀髪隻腕の男。その上に隻眼という話は聞いたことがなかった。いや、それよりも、片目というハンデを抱えているくせに戦闘の真似事ができるだと?
驚愕から生じた空隙に、するりと一軌が手を伸ばす。
「失礼。これがいちばん確実そうなので」
予想以上の握力で襟首を引き寄せられた。のけぞった体勢は、曲げられた木の枝が弾けるのを連想させる。これは、もしかして。
「おい、まさかっ?」
疑うまでもなく頭突きだ。
ごつんっ、という音は錯覚だったが、実際にそんな擬音が頭の中で暴れまわっているとしても不思議のないような衝撃。負傷よりも、その打撃によって意識が飛びかけたことのほうが重要だ。次の機先は一軌の手中に移ってしまったのだから。
「あ痛たたた……」
傷を押さえたりはしない。隻腕の自分が一本しか残っていない腕をふさいでしまうことの意味はよく知っていた。
一軌はぼやきながら、すっかり注意を逸らしていたもう一人を探る。
(軽口を叩けるような余裕も、これで出涸らしですかねえ)
せっかく何かの『術』に集中していたのだろうが、仲間が頭突きをくらって朦朧としかけていることに気を取られてしまっている。唱えかけた口訣もまだ途中の導引も台無しだ。
(私に向かってきてくれた人たちが、どちらも術主体の戦い方をする人たちだったのが幸いですかね。頑丈さには自信がありますけど、接近戦の攻防そのものではとても切り抜けられる気がしませんよ)
実のところ負傷、しかも流血してしまったのはかなりの痛手だった。集中が乱れれば『力』の収束も困難になる。力を現実への影響力に換えるには意志の介在が不可欠だが、その意志が集中を欠いているのでは話にならない。
(さっきまでみたいに、先方が隙を作ってくれるのを待つのは無理でしょうねえ。とても発動が追いつきませんよ。だからといって格闘戦は分が悪いから嫌です。と、なれば……)
ハーフコートの左袖から、斐築の刀を取り出した時のように何かをてのひらに落とす。今度はすっぽりと手に収まってしまう小さな物だ。
ようやく警戒を取り戻した男が身構えた。
一軌が取り出したのは、暗記カードの束だ。よく学生が英単語や歴史の年表を覚えるのに使うような、片端をリングでとめられた紙片の束である。
唖然としかけている男を尻目に、片方きりの手を塞いでしまわないようリングの部分を口の端に咥える。そのまま、左手から炎を燃え上がらせた。
再び、闇夜の漁港に浮かぶ雪景を陽炎で揺らめかせる。
(さあて、景気よくいきましょうか!)
とは、口が塞がっているため言うことができない。
ただ、この力を振るうことによる抑えきれない高揚感には、いつもそんなふうに叫びたくなるくらいの興奮が伴う。
単純に、自分の中の暴力性が出口を求めているだけ、とも肯定できるが。
対して男は、早口に口訣を唱えながら刀印を振る。
「バッ………バン、ウン、タラク、キリク、アク!」
刀印の描いた軌跡は、左上、右上、左下、頂上、右下、そしてまた左上へと戻って直線を引いた五芒星、晴明桔梗とも呼ばれる法印だ。
風の属性を介することなく、直接的な力をぶつけてくるつもりか。
一軌は容易く次手を読んだが、一方の男はそれどころではない。まともに口訣さえ唱えることなく炎を出現させる一軌に慄いているのだ。
人の器で超常の力を振るうのに必要なことは、力の方向性を定めることだ。自分自身に自分の力を確認させるため、それを正しく認識すること。そして、意志によって力を発現させること。この段階では、力は形を持つに至ったにすぎない。
力を安定させるために、内在的でない第三の要素が不可欠となる。
それを『法』や『術』と呼び、それについてまわるのが口訣と導引だ。
口訣とは精神集中のための詠唱を、導引とは同じことを目的とした身振りを指す。
従って、その後援が無い力というのはいつ暴走してもおかしくない代物なのだ。それを必要とせず力を振るうことができるのは、それこそ超常の存在くらいのもの。
化け物と一軌が言われたのもそれが理由だ。もっとも、彼の場合は髪の色といい瞳の色といい身体の特徴といい、それらの時点ですでに人間離れして見える。
炎は彼の手を焼かない。
てのひらに握り込むようにして一旦炎を消滅。暗記カードの中から迷わず数枚を選び、リングから引きちぎった。小さな紙片の表面には何か模様とも文字ともつかないものが、赤いインクでびっしりと描かれている。
カードを燃やしながら、炎が現出した。
同時に、男の側も口訣と導引を終了させる。
「妖魔退散! 禮っ!!」
(人を妖魔呼ばわりとは、あんまりだと思いますけどね)
ただの口訣だとは分かっていても、瞬間的な怒りを煽られる。その怒りさえも勢いに加われとばかりに撃ち出した炎が、同じように男の撃ち出した白光と激突。
するかと思われたが。
炎は弾けるように散開、無数の火の粉に変わって、旋回軌道で男へと殺到した。白光はと云えば、一軌は事もなげに身をかわしている。
「ひっ…!」
群がる小さな羽虫のような火の粉に、男は防御すら忘れて逃げ腰になった。
物を燃やすような勢いはなく、衝撃だけの塊となった火の飛礫が男を打ちすえた。痛みへの覚悟もなく全身に石をぶつけられたような感覚に、あっさりと昏倒。
実戦慣れしていないということは、痛みに慣れていないということだ。
続いて、チンッ、と響いた小気味よい金属的な軽音に、一軌は反射行動だけで反応。
(終わって、ませんね)
足元から吹き上げてくるような殺気……としか呼べないあからさまに威圧的な敵意……に対して、迷うことなく左腕を突き出した。衝撃塊を防いだように障壁を展開する暇はない。
ずんっ
実際に音が聞こえたわけではないが、苦痛が腕から駆け上がって脳髄を、ひいては意識を揺さぶる音は、おおむねそんな擬音だった。
バタフライナイフが、深々と腕を貫いている。
先ほど頭突きで一時的な行動不能に陥らせた男が持ち直し、這うような低姿勢から突き上げてきたのだ。実戦経験の有無に関わらず、そいつが本気の目をしていることを一軌は見極めた。何のことはない、冷徹な視線に竦みかけただけだが。
竦みかけた、というだけで、行動に支障をきたしてはいない。
男は両手で握ったナイフの柄に力をこめた。引き抜こうとしているのか、それとも刃を捻って空気を入れようとしているのか。
一軌の覚悟のほうが速い。
いや、覚悟とさえ呼べない無謀な決断か。
男より速く自分から腕をひねり、骨に刃を引っかけた。最初からナイフは腕の腱に突き刺さっている。絡め取るのは造作もないことだ。
瞬時にナイフを奪い取られて、男の顔に驚愕が走った。
苦悶の声を上げてしまいそうになるのを自制。一軌はナイフが刺さったままの左腕から炎を出そうとした。刃が刺さっている間は、あまり出血もしない。出血しなければ、自分が血に動揺して集中を乱すこともないはずだと、無茶な理屈を組み立てる。
今の状況に必要なのは、理屈ではあるまい。
竦みかけていた戦意を、痛みから転化させた無理やりな激情……感覚としては八つ当たりと大差ないものだが……によって掻き立てる。
炎は、それらに替わって激しく吹き上がる。
男は退がる気など無いようだった。ナイフを奪われた驚きなど振り払って、すでに掌底を構えている。口の内で反芻するだけの唱え慣れした詠唱も聞こえる。
この至近距離で両者が術をぶつけるつもりなら、小細工は通用しない。
明らかに反射ではなく衝動により、全力で炎を叩きつける。



……叩きつけようと、したんですけれど。
炎、出ませんでした。
私が止めたわけじゃありません。誰かが止めたとしか思えませんが、それが第三者であるという以外、すぐには分かりませんでした。
私にてのひらを突きつけている人も同様で、ひどく驚いた顔をしてから、即座に後ろに跳んで間合いを外しました。正直、ありがたいです。私はナイフが刺さった腕の痛みを意識してしまったせいで、隙だらけになっていましたから。
戦闘を中断した形になったのは、斐築さんの側も同じでした。
間合いを離して私たちにてのひらを向け、必死になって何度も口訣を繰り返している人もいるんですが……どうやら無駄みたいです。
「どうなってるんですか?」
刀を収めるどころか構えまで解いた斐築さんに駆け寄って、私は尋ねました。ナイフは腕に刺さったままですけど、応急処置さえできるような状況じゃありませんし。
さて何がどうなってるのやら。
「ええと、いきなり炎が出せなくなって、それで、術が使えなくなったのはあの人たちも一緒みたいで………でも、斐築さんがやったんじゃないんでしょう?」
「当たり前だ」
「じゃあ、やっぱり第三者の乱入ですかね?」
「……あいつらに訊け」
素気ない返答はいつものことなんですけど、少し、雰囲気が違いました。
「誰だっ!?」
と、これまた独創性の欠落した誰何の声を上げたのは、最初に怒鳴っていた人。
応えたのは……新しい人影の男女。
「すいません。事情が分からなかったので、とりあえず仲介させてもらいました」
涼やかな。
そんな気取った形容がごく自然に当てはまるような、きれいな女の人の声でした。後ろで斐築さんが短く感嘆の息を漏らすのが聞こえましたが、それは彼女の声のためではなく。
彼女の、その声に見合った美しい容貌のためで。
さらに言うなら容貌の美しさではなく、その容貌自体のためでした。
濃紺色のブルゾンに包まれた体は女性としてはやや長身、体格は細い部類でしょうか。年齢は私と同じくらいでしょうけれど、瞳には妙に幼いような輝きがありました。
その瞳の色が、深紫。腰まで伸びたストレートの髪は、銀白色。
……微妙な色彩の差はありますが、私の髪と同じです。
こんな髪と瞳の色、偶然の一致なんて有り得ませんよね?
「破術を使ったのはあの女だな」
斐築さんが私だけに聞こえるような声で呟きました。
「破術?」
「術の構築を阻害して、収束させた力を分解・霧散させるタイプのものだな。しかもここら一帯にかけられた範囲型だ」
「けれど、私まで邪魔されましたよ?」
「そこまで知るか」
説明が面倒なんですけど、私の炎は特別物……らしいです。意志のみによって発動するものだから、口訣も導引も必要がないとか。それほど便利ではなく、あまり小回りが利かないので、符術の真似事みたいなことをしていろいろ工夫を加えてるんですけどね。
いまいち分からないのが……
「すごいことなんですか、その破術って?」
ため息もつかず、慣れた解答。
「すごいことだ」
「なるほど。すごいことなんですか」
納得です。
さすがに不安になったらしく、斐築さんは続けました。
「……術の構成を分解させたと云っても、一度収束させた力まで消滅するわけじゃない。反動として術者に返すこともできたはずなんだがな。わざわざ相殺したか、改めて分解したか、それとも力の流れを変えて吸収したか。そのうちのどれかだろうな」
「ははあ、それは………」
とにかく、すごいことなんですねえ。
そちらはそちらとして。
私はもうひとり、彼女の隣りに立っている男性に目を留めました。
斐築さんより少し低いくらいの上背ですが、体重はもっと軽そうです。
黒い長髪はダウンジャケットの背中あたりまで伸ばされていて、後頭部の適当なあたりでひとまとめに括って……つまり、ポニーテイルってやつです。
中性的と云うんでしょうか。少し雰囲気を探らなければとっさには分からないくらい、顔立ちが……いえ、性別だけでなく、どこか年齢まで不鮮明に映ります。ただ外見だけなら私より年下に見えるくらいなんですが、どうしてもそれを信用できません。
髪型もそんな特徴を助長しているんでしょうけど、それだけとは思えません。時々いるんですよ、見た目と実際の年齢が釣り合わない人が。
斐築さんは彼の視線を追って……特に驚いたりもしませんでした。
彼は私をじっと見ています。
いえ、見ているだけなら、ただ観察されているってだけで済むんですけどねえ。
何かを探るような目つきなんですよ。それに敵意や不審が含まれているのなら、私も反発を覚えることができたんでしょうけど、違うんです。
懐かしいものを見る目つき、というやつです。
……初対面、だと思うんですがねえ。記憶力には自信ありません。
だからって他の何に自信がある、という訳ではないんですけどもねえ。
「失礼します」
と、意識を逸らしていた方、さっきの女性……やはり何度見直しても私と同じ髪と瞳の色です……が私の眼前に立っていました。
度胸のいい人ですねえ。あちらの五人組を無視してきたみたいです。
「厭な予感がするな」
ぼそっと、斐築さんが小さな声で呟くのが聞こえました。
それは、まあ、彼女の妙に期待と確信に満ちた表情から何を感じるかは、自由だと思いますけれどね。どちらかといえば、私も斐築さんに賛成かもしれません。
彼女はにっこりと、天使の輪にでも飾られていそうな笑顔を浮かべて一礼。
「はじめまして。私、ティシフォネ・クロームです。よろしければティスと呼んでください、兄様」

………………とりあえず。
斐築さんの根が深そうなため息を聞きながら、私は硬直しました。


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