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Original Novel Michiyoshi Presents



剣舞祭


3 nameless one

充克(Michiyoshi)



十二年前にあった出来事だ。
事実だけを並べる。
布流剣、群雲剣の二振りの神剣を奉った隠れ里がひとつ、潰滅した。
生き残りは子供が三人だけ。祭祀長の家系に生まれた長男と、側役の少年、そして拾い子。
それ以外は残らず殺されている。
『隠れ里』としての規模はたいして大きなものでもなかったため、せいぜい地方小村程度の人口でしかなかったのは、数の上では僥倖……と皮肉に受け取ることもできる。
例外ということでならば、二名。
まず挙げられるのは裏切り者だ。
隠れ里内部に、住民たちを殺戮し尽くした『何者か』たちを先導した者。
幾重にも『陣』に囲まれて外界からの侵入を拒んでいるのが隠れ里であるから、内通者がいない限り、入り込んでくるのは不可能なのである。
……その『何者か』たちも、決して大人数ではなかったそうだが。
ともあれ裏切り者というのは。
柊重葦である。
祭司長の家系に生まれ、当時の祭司長の兄であった男。
何処よりか招き入れた者たちより与えられた三本目の神剣、十握剣を持って。
共に暮らしてきた者たちを、実の弟までをも、神剣より放った業火で灰に変えたという。隠れ里の大半も、彼が焼き尽くした。
その意図は明らかでない。
二人目。
布流剣、叢雲剣は奪われたが、両剣を扱える者は限られている。
代表が祭祀において直接剣を奉る『依童』だが。
その『依童』が拉致された。
柊寂夜である。
柊重葦に殺害された祭司長の娘、つまりは重葦の姪だ。
布流剣、叢雲剣両剣は意志を持たない力の塊であるが、剣としての業を持ち合わせている。戦の中で振るわれることを望むのだ。
それを鎮めるのが『依童』たる彼女の役目であった。
無論のこと、それにこそ振るう者の素質と資質が問われる。
隠れ里潰滅より十二年。
二振りの神剣、柊重葦、三本目の神剣、柊寂夜、『何者か』たち。
それらの消息は途絶え、未だ知れない。
はずだったのだが…………

近々、十二年振りの祭祀が行われるという。



女は、闇の中を歩いていた。
その闇というのは、どのような光の差し込まない暗さとして闇足るのか。
端的に云う。霊相が極端に、というより、完全に陰に傾いている。光あるところに生きる者には耐えられないほどの暗さ……もちろん単純に光量の話ではなく……なのだ。
ゆらりと蠢動した闇の一部が、くすくすと笑った。じっと恨みがましい視線を投げかけてきた。ひらひらと蛾のようにはためいた。ぬらりと粘つく足音を引きずりながら後を追ってきた。ひそひそと何事か影口でもたたくように相談した。
それらの全てを、慣れた様子で無視して。
女は、方位の知れない空間にあっても確信的な歩調をしていた。
闇の中の矮小なものどもが囁くまでもないように、女は、異貌だった。
三つ揃いの背広姿は、ここではかえって違和感があるだろう。まっすぐに伸びた髪は、違和感という語彙の意味を消失させてしまう金とも銀ともつかない不思議な綾。
単純にその顔立ちを整っていると云ってしまうのは簡単だろうが、まずそんな印象を抱いた後、見る者は更に形容するべき言葉を探すことになる。
異質であり、超然としている、ということだ。同時にそれらを美しいと感じさせる。
冷たく鋭いが、決して醒めてはいない瞳の色は……雅楽に登場する鬼や龍がそうであるような、人とは一線を画した存在である証の……黄金。
そして片手に、闇の中にあってなお深く暗い太刀を持っている。
さすがに刀は抜き身ではなく、立体感の希薄な鞘に収められていたが、一から十まで尋常でない彼女のたいした救いにはならないだろう。
もうひとつ。
首に小指ほどの太さの、細い革ベルト状のチョーカーを巻いている。まっとうな価値観で見ればそれなりの代物らしく、ご丁寧に金無垢のプレートなど貼り付けられていた。もっとも、彫り込まれている文字は細緻すぎてとても読めないが。
女は、ふと気づいたようにその首輪に指を這わせて。
……それだけだ。
果たしてどのような感慨を抱いたのか、いや、感慨の有無さえ知れない。
他には独り言を喋るでも無駄な仕草をするでもなく、ただ、歩く。

唐突に。
眼に映るままならば、そう感じられるふうにして女は目的地の前に立った。
実際の道程は、やはり知れない。
いつの間にか女は鉄格子が壁のように並んだ通路にいた。見えるのは格子の列ばかりで、格子の向こうはおろか天井、床までもが闇に呑まれている。
それは幾つもの座敷牢だった。
無数の囁きたちは格子の向こう、さらにその隅で固まっている。時々、細い細い糸が通路へと伸びてくるのだが、すぐ枯枝のように力を失ってしまう。主に妬みの感情が含まれた視線が女に注がれるのだが、依然として無視。
牢のひとつ。
女は、ひとつだけ静寂を保った牢の前に立っている。
じっと牢の中を見つめて、しばし。
やがて立ちつくしているのに飽きたのか、片手でスーツの懐から煙草など取り出して咥える。きれいに切り揃えられた爪が擦り合うと、小さく無色の火花が散って。
煙草に火がつく。
女の顔を縁取る形で、顔の周りだけ金銀綾色の髪が赤く照らされた。
途端に粒のような光源に、揺らめく紫煙に、ニコチンの臭気に、数えきれないほどの矮躯が依代を求めて殺到した。
女は煙草から離した指で首のチョーカー、そのプレートを撫でる。
すると無数の、幾つもの、数えきれないほどの、哀切な魂削く悲鳴が闇に響いた。
次に闇を支配したのは沈黙だ。
「……礼を言う。個を無にしてやりすごしていたが、改めて意識を割くこともできなかった」
女が立った牢の内から、そんな声がした。
低くしわがれた男の声だ。
「なんだ、死んでいたのかと思ったぞ」
女は煙草の灰を落としながら、素気なく言った。凛とした声音だった。
牢の内より苦笑の気配が伝わってくる。
ぼんやりと浮かび上がり輪郭を確としたものに移したのは、白髭白髪の初老の男。正座した姿勢できっちり背筋を伸ばしており、両手は青袴を履いた膝の上にある。
初老とは云ったが、それは白い髭と髪から与えられる印象のためであり、その見事なほどの白さだけに着目すればもっと老齢にさえ見えるだろう。相反した特徴として、男の体格は決して隆々としたものではないが、無駄な贅肉と縁のない若々しい頑健さを保持している。
それでも老人として見える理由は……瞳に疲れがある。
疲労ではなく、何かしらの減退による精神的な衰弱だ。
疲れた苦笑を浮かべた男の名を、女は呼ぶ。

「無様だぞ、重葦」

「おまえの甥たちに見せられた姿ではないな」
落胆の色を隠そうともしない声でそう言った。
いっそう苦笑を暗いものにして、重葦は億劫そうに応えようとした。久しく動かす体だ。どうにも鈍っていて仕方がない。
ひとしきり舌を湿らせるのに苦労してから。
「お隣りさんたちがうるさくてね、寝つくのにも難儀していたんだよ。潜めた寝息が止まっても私はここに入れられたままだとばかり思っていたけれど、ハインド、君も暇じゃないはずだ。見舞いに来ただけではないだろう?」
ハインド、と呼ばれた女は、無言で首肯。
まだ重葦に生きる意志があることを認めた満足感を、声に出してしまわないための首肯だ。利害の一致は……客観ではなく主観では確かに一致していたはずなのだ……まだ続いている。
「国津神たちを諌める名目で祭祀を執り行なう」
「諌める……? 何か不順津神たちと国津神たちの折り合いに不都合ができたのか?」
ハインドは、肩をすくめて。
「名目と言った。十二年ぶりに行われる祭祀だ、方々の頭領や土地神どもは一も二もなく賛成した」
「おこぼれにあずかろうとしている、か……無理もないな。しかし、そうか。もう十二年も経っているのか。私が燃やした隠れ里も、弟の死体も、とっくに土に返っているんだな」
「送霊の式をする必要もなかったんだ、あの時おまえが燃やした者たちは魂魄まで焼き尽くされ、もはや輪廻の輪の外にも内にもいない。おまえが望んだ通り、一人を除いてな」
疲れた色だけは消えない表情に、ほんの微かな喜びがにじむ。
そんな変化をハインドは見逃さずに。
「……おまえが望むのなら、おまえをあの娘の天数が満ちるまで待っていられる体にしてもいい。今回の協力だけでもそのくらいはできる」
どこか、懸命なものを声に含ませて言った。
鉄格子を挟んで、重葦は初めて正面から彼女と視線を重ねた。
「いや。いい」
短い否定。
「そうか。惜しいな……」
諦めの声も短かった。
「……まあいい。話を戻そう。祭祀に必要な依童はアレクトが代役できる。だが形だけでも旧態からの引継ぎを行うために、叢雲剣と布流剣のかつての依童の同席が要る。片方は……」
おそらく、すでに答えが分かっているだろうと確認するために重葦の顔を見た少しだけの間。
「おまえの姪を出す。時空凍結の陣は解けないが、参席しているだけで意味はあるだろう」
「私の立場は、第三者としての立会人、ということか。私にそんな大役が務まるのかな?」
「だから、おまえには十握剣を持ってもらう」
ほう、と重葦は思わず簡単の息を漏らしていた。
それに構わない形でハインドは言葉を続ける。
「以前のように貸したのでは仲介者にならない。だから、あれは正式におまえの所有物ということになる。もちろんこれまで名目上では意味がない。今度は儀礼を通してもらうぞ」
「……また、あの剣を持つのか……」
「嫌か?」
「ああ、いや……どうなんだろう。よく分からないな」
自分からした質問だったが、彼女はその返答に頓着せずに。
「あと、もうひとつ………邪魔が入るだろうが、それの相手をすることも考えておいてくれ」
訝しそうな重葦に二、三秒ほど言葉を焦らしてから。
「おまえの甥と、弟子が来る。がんばって止めてくれよ」


「あ、おかえりー」
闇から抜け出たところで聞いた第一声はひどく明るいもので、ハインドは救われたような気分になったことを素直に自覚した。
あまり短くもなっていない二本目の煙草を、無造作に握り込む。指の間から細かい砂か灰のようなものがこぼれて、煙草は消え失せていた。
声というのは音階の高い、いかにも女の子じみた声だ。
「ずっと待っていたのか。街に出ていてもよかったんだぞ」
と、愛想の有無が分かりにくい返答をされたその女の子というのは。
スモックのような造りをしたベージュ色のコート姿で、低い身長がそんな格好から与えられる幼く見える印象を助長している。コンパスの短さを補うように必死になって脚を動かしながら駆け寄り、軽い体重をぶつけながら抱きついた。
二者の身長差は大きい。ハインドが水平に腕を上げたとして、その下を楽にくぐれるほどか。
その顔立ちを、ただ愛らしいものと云ってしまえない要因がある。少し肌の白さが目立つ頬の上、眼は閉じられたままなのだ。盲目、だろうか?
最後にもうひとつ。
膝下までゆるく波うつ髪は……銀白色。
「だって、なんだかあのおじいさん暗くて苦手だし、どこに何があるのか分からない街を一人で歩いてたって、おもしろくないし………まだ帰れないんでしょ? 私、本当は戻って皆と遊んでたほうがいいんだけど………」
「だからといって、ここで待っているのもな………」
苦笑というより、皮肉のようなものが混じった複雑そうな微笑。
そんな表情で、彼女たちは目前にあるものを見上げた。
細長い円錐形をした逆しまの氷柱。ただし不透明で、根元あたりの太さは巨木ほど、高さは彼女たちの上背を足したほどか。蛍でもまとわりついているような光の明滅がその周囲を包んでいる。
「この中に、叢雲剣と布流剣を使える剣の巫女がいるんだ?」
「ああ」
「もうすぐなんだね」
「ああ」
「ハインド、楽しみでしょ?」
「……ああ、そうだな。懐かしい顔ぶれとも逢えそうだ」
くすくすと少女は笑って。
「まだ日にちはあるんだし、ゆっくり待とうよ? 街、いっしょに歩いてくれるよね」
返して呆れたようなため息をつき。
「その前に、やるべきことは済ませておかなければいけない。分かっているだろう、アレクト? 今回は持ち駒の数が少なすぎるんだ、そのためにもおまえの力を使わなければ」
「実習課題ってこと? 廃品処理も兼ねられる有効な手段……だっけか」
「気が乗らないのは私も同じだが、もう実行に移してしまったことだ。今さらだな」
言って、その場から出ようと促すハインドの腕に、少女はしがみついて。

「でもさ、私も楽しみだよ。私のお兄様やお姉様に逢えるんだよね?」
ああ、そうだな、と。
女は、一度だけ振り向いてからそう言った。


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