千年王宮

序段

四季の華

 ━━春は曙



「‥‥眠い」

人目もはばからず、大あくび。
仕方ないのです、こんなうららかな午後‥‥。

「はふぁ‥‥」

清涼殿に降り注ぐ、ぽかぽかとした春の日差し。
仏様だって居眠りしますよ、これじゃあ。

「仏様でも?」

「ええ、そりゃもう」

私は、御簾の向こうから楽しそうに声をかけてくださる宮さまに、そう返事する。

「確かに、そうかもね」

今、この部屋の中には十人近くの女房達がいる。
女房というのは、結婚した奥さんのことではなくて、宮中の貴族に仕える女性のことだ。
身の回りの世話から世間話まで、何でもござれのエリート職なのです。

「自分で云うなよ」

その女房の一人が、呆れ混じりにこちらを見た。
柱に寄りかかって眠そうだけど、その凛とした表情は決して崩れない。

「灯夜ちゃんだってエリートじゃないの」

「エリートなのは親であって、私じゃない」

冷たい印象を受けるけど、中身は優しくて、温かい人だ。
それに、学才もある。
そうでなければ、宮さまが後宮に上げたりするはずがないもの。
民部小弁殿の一人娘である、灯夜。
立場上、位は私よりも上だけど、向こうもそんなことは気にしていない。
つんけんとしているのは、優しさの裏返しなのね。

「なに考えてるんだよおまえ」

ちょっと引き気味な表情を浮かべて、灯夜ちゃんがこっちを見る。
声に出してたのかな‥‥。

「でも、ほんとに気持ちいいわよね」

御簾の向こうからの声。
我らが主人、清涼殿の主である中宮定子さまだ。
私たちはみんな、親しみを込めて"宮さま"と呼んでいる。
私より九つも年下なのだけど、やはり育ちがいいせいか、とても博識だ。
私が知っているほとんどの和歌や孔子、孟子といったものを、すべてご存知でいる。
末恐ろしいお人だ。

「宮さまもお昼寝なさったらいかがです?」

また別の女房が、半ば意地悪めいた口調で云う。

「うん‥‥だけど、こうしてうつらうつらしながら、眠るのを我慢するのが好きなの」

宮さまの言葉。

「それ、わかるなあ‥‥」

頭がかすれそうになりながら、それをどうにかこうにか耐える。
この感覚がたまらないのだ。

「あなたまで一緒になってどうするのよ」

くすくすと笑いながら、その人が云う。
年齢は私とそう変わらないのだけれど、私が子供っぽいところがあるからだろうか、とてもオトナに見える。
宮の中将の妹君で、昔の中国の本なんかをたくさん読んでいたらしく、宮さまにスカウトされた柚葉さんという人だ。
年齢相応に落ち着いた方だから、時々私なんかと比べられてしまって‥‥恥ずかしい。

「柚葉さんは眠くないんですか?」

ちょっと拗ねた物云いで云ってみる。

「眠いわよ」

いつもと同じ、くすっと小さく、奥ゆかしく笑いながら云った。
うん、そりゃそうだ。

「やっぱり春はこうでなくっちゃぁ〜」

ぐで、と、宮さまの前だというのに床に突っ伏している少女が云う。
年齢は、宮さまと同じか一つ二つ低いくらいだろう。
ここ後宮は中宮定子のおわす清涼殿のマスコット的な存在となっている、宰相の君。名前は菊花ちゃん。
宰相の君、というのは、『宰相』という名の役職の方の、娘さんという意味。

「こらこら‥‥お行儀が悪いですよ」

柚葉さんが菊花ちゃんをたしなめる‥‥いつもの光景だ。

「ねえ」

「へっ?」

ぼうっとしていたらしく、宮さまからの呼びかけに驚いてしまう。

「やっぱりあなたもほんわかしてるのね」

「ああ、いやその、えっとこれは‥‥」

ご主人の呼びかけを無視するとは、わざとでなくとも言語道断。
こうなれば切腹覚悟で━━。

「切腹はもう少し時代が先だ」

あう、心の中を読まないで欲しいなあ‥‥灯夜ちゃん。

「み、宮さま、えっとその、ご質問は━━」

「くすくす‥‥あなたも、春は好き?」

宮さまが笑いを堪えながら云った。

「うー、そんな笑わないでくださいよ」

「まあまあ」

とは云いながら、やはりまだまだ笑っている。
まあ、いいや。
とにかく今は、絶好のチャンス。
私は前々から、季節に云いたいことがあったのだ。

「いえ、宮さま」

ずずいっと御簾に近寄り、宮さまの表情を仰ぐ。

「春は、曙です」

「あけぼの?」

宮さまが聴いた言葉をそのまま返してくる。
と同時に、部屋の中にいた女房達が口をそろえて同じことを云った。

「はい、曙です」

「曙‥‥というと、ああボブ・サ━━」

「去ね」

菊花ちゃんの時代考証無視な突っ込みに、灯夜ちゃんが一撃を与えた。
首筋に手刀、しばらく起き上がれまい。

「朝、ってこと?」

何事もなかったかのように、宮さまが続ける。

「はい、朝です」

「どんなところが?」

柚葉さんが、口元の笑みを崩さずに聞いてくる。
まるで、私の答えを待っているかのようだ。
‥‥負けないぞ。

「なんというか、こう‥‥だんだん白んでいく山の上の空が、少し明るくなって紫色に変わっていくところとか‥‥」

巧く説明できているだろうか‥‥こういうのは、目で見て感じないと難しいからなあ。

「雲がうすーく、ほそーく、たなびいている感じ?」

「そうそう、それです!!」

柚葉さんのナイスフォローが入る。
宮さまも他の女房達も、情景を思い浮かべてくれているといいな。

「じゃ、夏は?」

「夜でしょう」

間髪入れずに答える。

「まあ、昼間は暑いからな」

と、灯夜ちゃん。

「月があれば云うまでもないわね」

今度は柚葉さんだ。

「はい。でも月が出ていなくても、蛍とかたくさん飛んでいるときれいですよね」

「蛍‥‥」

お、宮さまの感嘆。好感触だ。

「たくさんもそうですけど、ひとつ、ふたつってぽつぽつ飛んでるのも情緒があると思います」

たくさんでも、少しでも、見栄えがする。
こんな良い景色が他にあるだろうか。

「雨が降るのも好きだな」

ぼそり、と、だけど宮さまでも聞こえるくらいに通った声で、灯夜ちゃんが云う。

「いいこと云うねぇ」

ぽんぽん。

「頭をぽんぽん叩くなよ‥‥」

「それでは次、秋」

宮さま。まるで取り仕切っているみたいだ。気分がいい。

「はい、秋。秋といえば夕暮れ」

「夕日の落ちるのは風情があるわね」

「カラスがねぐらに帰ろうと、三羽四羽、二羽三羽って連ねて飛んでいるのが好きです」

オレンジ色の背景に黒い影、映えるなあ。

「たくさん連なった雁なんかが飛んでいくのは?」

「それもいいなあ」

宮さまの言葉に、女房達がぼうっと虚空を見つめる。想像しているんだな。

「日が落ちてからは、何はなくとも虫の声ですね」

これは私だ。

「うん、秋って感じがするね」

宮さまが微笑み、続けて。

「そして最後━━冬は」

「朝でしょう。それも早朝。"つとめて"ってヤツです」

「寒いだろ」

灯夜ちゃんの当然な突っ込み。これにも返答を用意してありますとも。

「雪が積もってたりしたら、いいでしょ」

「━━う、それは、まあ、な」

どうやら灯夜ちゃんは、冬は好きじゃないらしい。
こういう子にこそ、そのよさを感じてもらおうじゃないか。

「雪のほかに、霜が立っているのもきれいじゃない?」

「う‥‥」

柚葉さんが横から援護射撃。
灯夜ちゃんにしてみたら余計な攻撃なんだろうけど、喰らっている。よし、あと一息。

「だが、雪も霜も降ってなければただ寒いだけだ」

お、私から目を反らしたな。
反撃はなかなかのものだが、それは負ける者のやることであるぞ。

「火鉢に火を起こして、あちこちにあったまった炭を配って歩いたりするの見ると、冬だなあ、って感じるでしょ」

「うぬぬ‥‥し、しかし」

まだ抵抗する気か、しぶといやつめ。

「でも、昼になってある程度暖かくなってくると、火鉢の中が灰ばかりになって、なんか情けなくなるよね」

柚葉さんの、こっちの気が萎えるようなセリフ。
畳み掛けるために、思っていても云わなかったことなのに。
あなたはどっちの味方なのだよ。

「その辺にしておいたら? 灯夜がかわいそうよ」

宮さまが苦笑しながら声をかけてくれたおかげで、勝負はおじゃんになった。
━━って、なんでこんなに躍起になっていたのだろう、私は。
まあ、面白かったから、いいか。

「宮さま、そろそろ夕食の支度が」

ぱたぱたと走り寄ってきた者があったかと思うと、そんな声が響いた。

「もうそんな時間?」

ふと外を見ると、確かに空に夕焼けが混じってきている。

「みんなで話していると時間が早く経つものね」

宮さまが笑顔になる。
容姿のことは一切書いていなかったけど、宮さまは、それはそれは美しいお人だ。
齢は十七歳、青春真っ只中だ━━普通の人なら。
宮さまは十五歳のときに、四歳年下の天皇一条帝に嫁いだ(そのときの一条天皇は十一歳ってことになる)。
だから、きっとそんな普通の少女としての暮らしは、ほとんどできなかっただろう。
けど、それだからこそ、私たちがいて、宮さまの日常を面白おかしくして差し上げなければならない。
私は、少なくとも、そうした目的を達成するためにここへ来たのだと、呼んでくださったのだと、思っている。

━━この、春の日差しよりも遥かに暖かな、優しさと才とが入り混じった後宮、清涼殿に。

「━━どうかしたの、清?」

「え、いやあの、なんでもないです、はは」

びっくりして意味もなく笑いを返す。
宮さまは、首を傾げてこちらを見ていた。

最後になったけど、自己紹介をしよう。
私は、清少納言。そう呼ばれている。
ここに来てから宮さまにつけてもらった、いわゆるニックネームというヤツだ。
私はこれを、これから一生の名前にしようと思っている。
だから、みんなも私を、そう呼んでほしいのだ。