『かれらの"いわゆる"アリバイ』

「つまり‥‥動機があって被害者を殺せるのは、このクラスにしかいない」

 10月21日、昨晩から降り続く冷たい雨は、コテージ群を包んで未だにやむ気配は無い。
 私立浅葉高等学院━━神奈川の外れにある、山と緑と湖に囲まれた私立高校。その修学旅行中に事件は起こった。 引率の教師の一人である、立浪明彦41才が、何者かの手によって殺されたのだ。
 事件があったのは、2日目の宿泊施設であるコテージの一室。 この学校では、クラスごとにコテージを分配し、引率の先生と共にそこで一泊する算段になっていた。 そして立浪教諭が死んでいた部屋は、彼に与えられていた引率者用の部屋であった。
 このコテージには、立浪教諭のほか、彼が引率していた2年6組の生徒29人と、コテージの管理人夫婦の合計32名しか当時いなかった。 そして、消灯時間を1時間過ぎた10月21日午後11時2分、生徒達の部屋となっている6つの部屋をそれぞれ見回ったことが生徒達の証言で明らかになっている。
 つまり、死亡推定時刻はそのあと教諭が共同風呂に入り、管理人夫婦に挨拶をして部屋に下がった後の、11時30分から翌日の朝6時40分に限定される。 教諭たちは、その日の朝6時30分に、その日のスケジュール確認を行う予定になっていたのだ。

「そして、時間になっても現れない立浪先生を他の先生が呼びに来て、死体を見つけたのが6時40分‥‥」

 立浪教諭の引率するクラスの生徒の一人である長沼秋冬(ながぬま・あきと)は、事件が起こったせいでもとにいたコテージを追い出されたためあてがわれた、当座の空きコテージのロビーでソファに腰掛けていた。

「全員に話を訊ければ早いんだけど‥‥」

 当然のことながら、「私が先生を殺しました」なんて告白する生徒がいるはずがない。 しかし、11時半より先のほかのコテージのメンバーは、全員その中から出ていないことが確認されているため、犯人"の疑い"があるのは、立浪教諭と同じコテージにいた2年6組の生徒しかありえないのである。

「あ、長沼くん」

 彼がソファに寄りかかったまま難しい顔をして悩んでいると、後ろから声がかけられた。 びくりとして振り向いた彼の前の前に立っていたのは、事件当夜彼と同じコテージにいた‥‥つまり同じクラスの生徒である、稲城万里佳(いなぎ・まりか)であった。

「い‥‥稲城さん」

 彼女の姿を確認した瞬間、秋冬はほほを染めて顔を逸らした。万里佳は首を傾げる。

「? ‥‥ねえ、何考えてたの?」

 ひょい、と秋冬の顔の目の前に移動して、やわらかな微笑を見せる万里佳に、思わず彼は息を呑んだ。さらさらなセミロングの黒髪の香りが鼻をくすぐる。

「い、いや‥‥」

 さらに視線を彼女の瞳から逸らすと、秋冬は喋り始める。

「僕もぐっすり眠っていたから、もしかして誰かが部屋の外を歩いてても判らなかった、とは思う」

 両肘を太腿の上に乗せて、手を口のところで組む。物事を考えるときの癖ともなっている格好だ。

「でも‥‥僕たちに犯行は不可能なんだよ」

「はんこう? ‥‥ああ、立浪先生の」

 一瞬だけ万里佳は悲しそうに目を細めると、切り替えるようにことさら明るい声で云った。

「ふーん‥‥どうして?」

 興味が出てきたのか、万里佳は難しい顔に戻った秋冬の横に、腰掛けた。
 三度びくりと身体を震わせ、秋冬は身体を離そうと少しだけ動いて、期待に満ちた万里佳の視線に動きを止めた。そして"話"を続けた。

「あのコテージは、外から鍵がかかるようになってるんだ」

「‥‥そうなの?」

「昨日、先生が云ってたろ? 消灯時間の1時間後、見回りをしたあと、部屋に外から鍵をかけるって」

「うぇ、じゃ、外に出らんないの?」

「まあ、トイレも部屋の中にあるし、特に困りはしなかったと思うけど」

 口元に手を当てておおげさに驚く万里佳に苦笑しながら、秋冬は考える。 コテージの管理人にアリバイはないが、動機もない。むしろ、自分のコテージでそんな事件を起こしては、儲けにも影響が出るというものだ。わざわざそんなことはしないだろう。
だいたい‥‥コテージの振り分けはクジだったのだ、ありえない。 となれば、自然に犯人はコテージの中にいた人間ということに‥‥。
「ねえ、長沼くん?」

「え?」

 秋冬の耳に、万里佳の声が届く。視線をそちらに向けると、彼女は机を睨んだまま小さな声で喋りだした。

「‥‥他のコテージの人は犯人じゃないの?」

「誰も外に出てないらしいよ」

「誰だって嘘はつくんじゃないの」

「いや‥‥それだけじゃないんだ」

 云って、秋冬は窓の外に視線を投げた。つられて万里佳もそちらを見つめる。

「すごい雨だねー‥‥冷たそうだし」

「うん。‥‥あれが証拠」

「へ?」

 万里佳が首を傾げる。少し得意げになって、秋冬は云った。

「外があんな雨で、それでも犯行を実行しようと思って外に出るなら、それなりの備えが必要でしょ。でも、その形跡がない」

「‥‥かっぱとか?」

「それもあるけど、一番はあそこの玄関だよ」

「あそこ?」

「僕らの寝てたコテージ」

 事件のあった日、秋冬は慣れない枕にいつもよりも早く目を覚ましていた。
 起床時間である6時30分までは部屋を出ることが出来なかったものの、その時間を過ぎるとドアのロックが自動的に解除される。 消灯時間後に外から掛けられる鍵は、そういうシステムだった。そうでなければ、緊急時に非難する際も、いちいち外から鍵を開けて回らなければならないことになる。
 つまりそういうわけで、6時30分になったとたん彼は部屋の外に出て、玄関のすぐ近くにある洗面所に向かった。 そのときに玄関をふと見たときには、玄関が濡れていたりなどの違和感は感じなかった、という。

「ふうん‥‥あ、でも、それだと」

 そこまで云って、万里佳が言葉を止める。秋冬は苦笑しながら、肩をすくめた。

「僕が犯人かも、って思ってるでしょ」

「あ、えっと」

「いいんだよ、警察にも最初に疑われたから」

 小さく自嘲気味のため息を漏らすと、秋冬はソファに背中を預ける。

「起きてすぐ、管理人さんに会ったんだ。そのあと顔洗いに行った。それに‥‥」

「それに?」

「どうやら、犯行が起きてから見つかるまで、少なくとも2時間以上は経っていたらしいよ」

「そうなの?」

 正確には死後4〜5時間は経過していたと思われる。犯行時刻はおよそ午前2時前後とされていた。

「警察は僕の記憶力を信じてなかったみたいだけど」

 玄関が多少変化があっても、起きたばかりの頭では、たいして正確ではなかろう、と警察は判断していた。

「でも、長沼くんの記憶力ってすごいもんね。見たものとか正確に思い出せるし」

「ありがとう」

 彼を少しでも知っている人間なら、まずその記憶力に驚かされることになる。 超能力というわけではないだろうが、初めて会った人間のその当時着ていた服装などが、ほとんど正確無比に記憶されているのだ。

「‥‥そういえば、さ」

「?」

 万里佳が首を傾げる。

「女の子の部屋にも、やっぱり先生って行ったの?」

「うん、来たよ」

 んっ、と声を上げて身体を伸ばしながら、万里佳が答える。

「みんな文句云ってたけどね、エロ教師とか」

「はは‥‥」

 仕事だと思うのだろうか。役得だと思うのだろうか。‥‥よほどの男じゃない限り、後者なんだろう。と、秋冬は思った。

「なに、どうしたの? 羨ましい?」

「えっ」

 心が読まれた気がして、びくっと身体を震わせた‥‥これで四度目か?

「長沼くんも健康な男の子だもんねー。仕方ないよねー」

 とか云いつつ、万里佳の目は悪戯っぽさに染まっている。

「あ、いや、その」

「否定しないところも長沼くんらしいや。おもしろーい」

「‥‥」

 真っ赤になって俯く秋冬に、万里佳は笑いが堪えきれずに声を上げ始めた。

「あはは、はは‥‥楽しい〜」

「稲城さん‥‥」

「はは、ははは、あ、ごめんごめん‥‥あははは」

「‥‥」

 自分のことを笑われるのは心外だけど、笑ってる顔も可愛いな‥‥。なんて場違いのことを思ってしまったりして、余計に一人で気まずくなる秋冬だった。

「あ、そうだ」

「あはは‥‥え、なに?」

「うん。昨日の夜、稲城さんは‥‥なにしてたの?」

「‥‥」

 きょとん、とした表情で秋冬を見つめる万里佳。そしてまた、ぷっと吹き出した。

「あはは、なに、それ、わたしを疑ってるのかな?」

「い、いや、そういうつもりは‥‥」

「知ってる、アリバイってやつでしょ」

「いや、まあ、なんというか‥‥」

 不在証明━━"いわゆる"アリバイ。
 当人が、事件発生当時その発生場所にいなかったことを証明する証言、もしくは証拠。 本人の証言だけでは証拠能力は不十分であるため、他人からの「裏づけ」や明確な「物的証拠」が必要となってくる場合が多い。

「部屋の鍵も閉まってたんでしょ」

「うーん‥‥わかんない」

「え?」

 予想だにしていなかった万里佳の言葉に、秋冬はぽかんとしてしまった。

「誰も確認しようとしなかったから」

「そうなの?」

「うん、そのまま12時過ぎまで起きてたけど、昼間に騒ぎすぎて日付が変わる頃にはみんな寝ちゃったし」

「‥‥稲城さんも?」

「うん、わたしも。だから、鍵がかかってることとか忘れてたし。ていうか知らなかった」

 自信ありげにこくりと頷く彼女を見て、秋冬はなぜかほっとした。

「じゃあ、稲城さんはアリバイは」

「うん」

 笑顔になって、答えた。

「アリバイは、あるばい」

「‥‥‥‥‥‥」

 ‥‥。
 ‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥‥。

「‥‥‥‥えっ、終わり?」



おわりです。