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Original Novel
NODOAME Presents



例えば、ひとりの少女がいたとする






夜の薄闇は人の恐怖。ヒトが畏怖すれば夜は笑う。
風の猛りは人の雑踏。ヒトが騒げば風も踊る。
そして、花の香りは‥‥‥‥
「何をしているの?」
 小柄な、金髪の少年が目の前に立っていた。呼ばれたのは、少女。
 少女は眠気にも似た虚ろな眼差しで少年を見返すと、
 右手に持った籠を相手の顔の高さまで上げた。
「お花‥‥買ってくれるの?」
 問いに問いで返されて、少年は一瞬、身じろぎしたようだった。
 しかし彼はすぐに平静を取り戻すと、すまなそうに微笑んで、
「残念だけど、僕は彼らのように裕福じゃないんだよ」
 と、彼は街ゆく人々を一瞥した。紳士淑女から恰幅のよさそうな老夫婦、
 何が楽しいのかよくわからない、満面の笑顔をその顔に張り付けた親子連れ。
 だが、そんなことは言われなくても分かっていた。
 少女は籠から花を一輪つまんで、少年に差し出した。
「だったらこれを買って、少しでも裕福な気分を味わうといいわ。きっと楽しいわよ」
「無茶を言わないでよ‥‥君だったらどうなんだい?
 花が売れて、お金が手に入ったらそれで幸せなのかい?」
「いいえ。でも、そのお金で好きなものを買えたら‥‥多分、幸せでしょうね」
「そう。なら、僕はその花を買おう。それでお互いが幸せになれるんだったらね」
 少年が、ズボンのポケットからありったけの金貨
 ‥‥たったの三枚だが‥‥を出して、それを渡そうとしてきた。
 だが少女は我知らず、その手を押し止めていた。
 かぶりを振って、うめく。罪に背中を叩かれたかのように。
「そのお金は私のものにはならないの。だから私は何も買えない。幸せにはなれないの」
「‥‥だったら何故、君はここにいるんだい?」
 少年のその言葉に、少女は顔を上げた。
 自分がどんな顔をしているか分からない‥‥憎悪に引きつっていたかもしれない。
 ここにいる理由なんて、ひとつだけだった‥‥‥‥
「そうしないと、生きていけないからよ」
 少女は答えた。その内容を、
 少年は聞く前から予想していたかのように、自然に笑いかけてきた。
「君の花を全部、僕に売ってくれ。代金は僕だ。今日から僕は、君のものになろう」
 少年のその言葉に、少女は呆気に取られて、思わず目を見開いていた。
 少年が、続ける。
「僕が、君の幸せになる」
「あなたを売って、別の幸せを買うかもしれないわよ?」
「僕が犠牲になって君が幸せになれるなら」
 少年は真顔で言い放って、こちらに手を差し伸べてきた。
 ‥‥ふと、どこからか笑い声が聞こえて‥‥
 それが自分のものだったと気づいたとき、少女は彼の手を取っていた。
 街の灯りは人の灯火。明かりあるところにヒトがいる。
 夜の薄闇は人の恐怖。ヒトが畏怖すれば夜は笑う。
 風の猛りは人の雑踏。ヒトが騒げば風も踊る。
 そして花の香りは‥‥少女の幸せ。花は少女の翼となる。

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