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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫に願いを


1st



 苦痛の始まりは、おおむねそんな感じだった。
「もう駄目だ……『死』が拡大し過ぎている。分かるだろ? 今がその瞬間だってことが」
 彼は唾棄するようにうめいた。その声は、震えている……もしかしたら、嗚咽だったかもしれない。
「理解なんかしたくないわ。だって、『痛い』だけだもの」
 私がそう嘆息混じりに返すと、彼は力なく首を振った。同時に、胸を押さえる。疼く古傷に、耐えられなくなったように。
「でも、それが僕らの『運命』なのさ。この『痛み』が、世界を安定させることに繋がるんだよ」
「私たちは済世者じゃない。まして、『運命』に制御されるだけの儚い存在でもない」
「『神』にはなれない、か……ロジックな、君らしい意見だ」
 おどけた仕草で肩をすくめて、彼が言ってくる。私は無視して、眼前の『光景』を見据えた‥‥
 破滅が、渦を巻くように。まるで世界を喰らい尽くした天使たちが、『楽園』へと還っていくかのように。
 その『楽園』に、もう果実はひとつたりと残ってはいないというのに。
「それに、もう手遅れよ。もうすぐ終わるわ……この世界」
「この世界の何が嫌だったんだろうね、『彼女』は。このままでは陽が昇る前に……いや、月がその輪郭を空に刻む前に滅んでしまう」
 大地は、その自らの意志で。大気は、その怒りを以て。そして人は、その『歓喜』の祈りと共に。
 分解されていく世界。すなわち原初への回帰! 不完全の再構築!
「この『痛み』を乗り越えなければ、世界も、僕らも生き延びることはできない」
「だから、もう駄目なのよ。早く……終わってしまえばいいのにね」
 私は、ありったけの嘲りを何にぶつけるでもなく吐き捨てた。実際、どうでもいい。この世界がどうなろうと、私が彼と共に滅ぼうと。
 だが彼は、それを許してはくれないようだった。まるで罪を言及しているような、そんな眼差しをこちらに向けてくる。
「もう嘘は無しにしよう……自己欺瞞を繰り返していても、自分が辛くなるだけだ」
「……何が言いたいの?」
「つまり、君次第ってことさ」
 私の手を取りながら、彼が真っ直ぐにこちらの瞳を見つめてきた。彼の声に、もはや震えはない。
 …………決意、したのね。
「僕が『弓』となり、君の心が『矢』となる。放つのは君‥‥そして射るのは『彼女』だ」
 彼の身体が光へと、緩やかにその輪郭を失っていく。行き着く形はただひとつ……
 唐突に……今まで意識していなかった『苦痛』が、裂けた血管から噴き出す鮮血のように私の中に溢れる。
 これが、世界の『痛み』……『彼女』と共にある『痛み』……私の、『痛み』!
「……あなたの……『痛み』……?」
「いや、みんなの『痛み』さ。世界と心に夢を包含しようとした、人々の『苦痛』だよ」
 彼は、もう彼ではなくなっていた。一本の『弓』が、私の手の中にある。弦は、まだない。
「弦は、君の身体の一部で補うんだ。どこでもいい。要らないと思う部分を使ってくれ」
「私に、死ねと言うのね……こんなどうでもいい世界のために」
「この世界は確実に壊れるだろう……でも、君は死なない。君には未来が用意されている」
 彼の言葉の流れが促したかのように、私は目を伏せた……眉間が、痙攣している。頭の奥で鐘が鳴り響いたりもしていた。
『苦痛』が拡がる……『死』へと『堕ちる』感覚……唸りが、喘ぎが、涙が……私が……ああああああああああああああああああああっ!
 …………壊れる。
「滅びを待つか、『運命』に抗うか……君がどちらを選択しようと、僕は後悔しない」
 分からない……分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない‥‥
「そして、最後に『約束』だ」
 浮かんでは弾け、生まれては殺され、白くなっては黒くなり、笑っては泣き、信じては裏切られ‥‥‥‥
「また会おう‥‥クリスミスティ=キャロル」
 ………………叫んだら、狂った。

≪つづく≫


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