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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第10話

夜に来たる



 例えば、である。意志は他のどの感情よりも優先順位が高く、精神は他のどんな存在よりも高等なものであるとしたら。
 人間の行動は、どのくらい崇高なものだと言えるのだろう。
 空を見上げても。手近にある何かに触れても。言葉を喋ることも。物を食べることも。風呂に入ることも。情欲に溺れることも。
 そして、人を殺すことさえも。
 その結果得た快楽、不快、後悔、苦悩……全てが愛すべき対象と成り得るのだろうか。
 決して凌駕されることのない個々の意志。裁かれない罪。尊い脳たち。
 それが真理であったらよかったのに。
「そう思わない?」
「何が……って訊き返したら凄いことになりそうですから、とりあえず『いいえ』って答えときますぅ」
 ちっ……と舌打ちして、私は椅子の背もたれに深く体重を預けた。
 校舎の三階にある写真部の部室。私と、『くそったれかなちゃん』こと加奈子しかいない、寂しい部屋の中。
 カメラを筆頭に、名も知らない幾多もの機材らが置いてある。隅の方には現像するときのための暗幕があったが、今は開かれていた。
 窓の外は暗い……というか、何も見えない。当たり前だ、夜なのだから。夜なのだから。夜なのだから。なんで夜なんだ。
「なんで夜なのよ」
「時間が経ったからですぅ。そんなことも分からないんですかぁ? 先輩ってとってもお馬鹿さんですぅ」
 とりあえず……その前に、やらなければならないことがあるらしい。

 …………
「……私が先輩にお願いしたいことがあるって言って、夜に学校に来てもらったからですぅ……」
 なぜか両頬を真っ赤に腫れ上がらせている加奈子が、実に殊勝な態度でそう答えてきた。だが、そんなことが聞きたいのではない。
「私が訊いてるのは、その理由よ。なんで夜じゃなきゃ駄目なのか!? それを教えろって言ってんのよ」
 途中、語気を荒らげながらもそう尋ねて……私は加奈子の返答を待つ前に、目の前の机の上にある写真を指さした。
「あと、これを使って私に何をさせたいのか。その理由もね」
「愛し合うというのはいいことですぅ」
 何の脈絡もなく、加奈子は潤んだ眼差しで天井を見上げ、胸の前で手を組んで見せてきた。何が言いたいのか、おおむね想像はつくが……
「男と女に限らず、動物さんたちや水中の微生物さんたちまで、その愛は果てしなく偉大ですぅ」
「微生物は……確か関係なかったように思うけど……そうと言い切れないあたり、あなどれないわねー」
「愛は密かに育むものと、よくおばあちゃんが言ってたですぅ」
「孫にそんなくだらないこと教える前に、ちゃんと躾けとけってのよ」
「私は先輩と、神楽先輩の関係を邪魔したくないんですぅ。おばあちゃんの言葉通り、密かに愛を育んでいて欲しいんですぅ」
「えーと……確かさっきあんた、ありとあらゆるスキャンダルを暴きまくってきたとか言ってなかったっけ?」
「そこでっ! 私がこの写真とネガをお返しする代わりに、先輩に少し手伝ってもらいたいことがあるんですぅ」
「要するにスキャンダル写真を餌に私を利用しようってわけね」
「そんな、人聞きが悪いですぅ、羽鳥先輩☆」
 ごまかすように……実際ごまかしているのだろうが……甘えた声でそう言いながら、加奈子は頬に両手を当てて肩をくねらせた。
 ……こいつ……もしかして、私を馬鹿にしてるんだろーか?
 殴り倒してやろうという衝動をなんとか自制して、私は口を開いた……決然と、明確な意志を込めて。
「悪いけど、私とあいつはそんな関係じゃないの。その写真に映っていることも、向こうが勝手にやってきたことなんだからね」
「えー。でもでも、羽鳥先輩もまんざらじゃないって顔してるじゃないですかぁ」
「そう見えるだけよ。カメラ写り悪いのね、私」
「でもでも、大変なことになりますよぉ? これ、次の校内新聞に載せるつもりなんですからぁ」
 ……何がいらいらしたわけでもない。むしろ、自分がこういう行動に出るであろうことは分かっていたから。
 私は椅子を蹴って立ち上がると、加奈子の胸倉を締め上げた。そのまま強引に椅子から立たせて、彼女の身体を壁に押しつける。
「……関係ないのよ。公表したいなら、そうするがいいわ。でも、これだけは覚えときなさい……私は、あんたの手駒にはならない!」
 加奈子の身体を少しだけ引いてもう一度壁に叩きつけてから、私は彼女から手を離した。そのまま、足を出口へと向ける……
「……羽鳥優歌……昭和六十四年八月二十六日生まれ……」
 淡々と……そして静謐に紡ぎ出された加奈子の声に……
 私は、まるで凍り付いたように、立ち止まっていた。
「幼い頃から病弱で、幼年期を施設で過ごす。小学校入学と同時に、羽鳥家へと戻る……幾度かの入院を繰り返しつつも、無事卒業。中学は通学中の事故を避けるため、家から最も近くの私立中学に入学する」
 一言だけ……たった一言だけどうしても叫びたい言葉が、頭の中でだけ響いている……声に、出せない。
 …………やめろ…………!
「昭和八十年、中学卒業間近……突然の心臓発作で、羽鳥優歌は…………」
「やめろ!」
 ……その叫びが自分のものであると気づいた瞬間、気づいたこと。
 叫んではならなかった。どうして叫んでしまったのか。声を出すべきではなかった!
「……切り札は最後に出す。定石ですぅ」
 浅い吐息の音とともに吐き出される加奈子のその言葉に、深い後悔の念に苛まれながら……
 私は、振り返った。そうしなければ……ならなかった。

 実際、造作もないことだった。
 世界の中心である私にとって、人の記憶を操作することなど造作もないことだった。
 だが、何でもできるというわけではない。そこに存在しているものを他の何かに変化させることはできないし、最初からなかったことにす
ることもできない。
 ただ私は、そこにあるものを『操作』することができた。
 例えば、物質を原始単位で操作し、崩壊させることができる。空気を圧縮し、それを弾丸として飛ばすことができる。
 ……人間を、壊してしまうことも。
 だからといって、全てをどうこうできるわけではない。中心としてのこの力にも、限界はある。
 生きるための術。
 死なないために、私はこの力を使ってきた。何千年、何百年……この力のおかげで今、私は生きている。
「先輩がどういう手口を使って死人さんに成り代わったのか知らないですけど、協力してくれるのならそんなのはどうだっていい話ですぅ」
 というのは嘘だろう、と胸中で確認しながら、私は彼女の横について暗い廊下を進んだ。当然だ……『興味がないはずがない』。
「実はお願いしたことというのは、学園七不思議の解明なんですぅ」
 またわけのわからんことをほざきおってからにこのアホンダラが……
 と、今回ばかりは迂闊に言うことができなかったりする……近頃、それに関する目撃証言を多数、耳にするからだ。
 私がこの学校に身を置いてからの三年間だけでも、十人以上の生徒が体験談を述べている。中にはデマもあるだろうが……
「トイレの花子さん。ひとりでに曲を奏でるピアノ。意志を持ったかのように動く人体模型……意外とありきたりなのが多いのよね」
「天井に張り付いた糸こんにゃくを探し求めて夜な夜な校内を徘徊する鍋を持った女生徒というのが、最もミステリアスですぅ」
「……それは初耳だけど……なんで糸こんにゃく……?」
 戦慄にも似た脱力感……なんだかよく分からないけど……を覚えながら、私はうめいていた。
 その私の声を無視して、加奈子はひとりで熱く語っている。拳を高々と掲げて見せながら。
「来たる三日後、二月一日発行の校内新聞に向けて、私はどーしてもこの七不思議の真実を解き明かさなければならないんですぅっ!」
「そのネタが七不思議っていうのはまあいいとして……なんでそんなに焦ってるわけ? まだあと一年あるんだから、別に急がんでも……」
「甘いですぅっ! 新入生さんたちから『七不思議を解明した伝説の先輩』……または『レジェンド・オブ・先輩』として親しまれるために
は、二年生のうちに全てをやり遂げなければならないんですぅっ!」
「いや……まあ、どーとは言わんけど……」
 肩をすくめ、呆れ声でそう言ってやる。すると加奈子はなぜか満足げにうなずいて、後を続けた。
「その第一歩としてまず、最も目撃証言の多い『踊る闇』を解明しようと思うんですぅ」
「踊る闇……?」
 聞いたことのない言葉に、私は思わず訊き返していた。
「校舎内の暗闇が、川の流れのように蠢き出すんだそうですぅ。さながら大勢の霊魂が、成仏できずに廊下を彷徨っているかのように……」
 緩やかに両手をくるくると回しながら、雰囲気のある声で説明する加奈子。暗くてよく見えないが、目を細めたりもしているようだった。
「特に、部活帰りの生徒さんたちからの目撃情報が多数……同じ写真部員の先輩も、ほんの一週間前に見たそーですぅ」
「……へぇ……」
 確かに、信憑性の薄い話ではない。むしろそれを偶然と結びつける方がおかしいだろう。
 ただ分からないのは……『何故、闇が動いていると認識できたのか』ということである。
 闇は、見えるものではない。そこに光がないから、空間が黒く見えるだけだ。その見えないものが、どうして動いていると思ったのか。
『さながら大勢の霊魂が、成仏できずに廊下を彷徨っているかのように……』
 それが事実だとしたら、一体この学校は何だというんだ。
「じゃあさっそく手分けして調査開始ですぅ! 私は二階、先輩は三階をお願いしますぅ!」
「あっ! ちょっと待……!」
 と、呼び止めるのも虚しく……加奈子は既に廊下の奥の闇の中へと走り去って行ってしまった。
 くそっ……闇に紛れて、後ろから襲ってやるからなっ! 絶対っ!

 ……さて。
「どーしたものか……」
 髪を掻き上げ、私は廊下の窓の手摺りに肘を預けた。天井を見上げ、深々と溜め息をつく……
 月明かりを頼りに、腕時計を確認する……それでもはっきりと見ることはできなかったが、十時を過ぎていることだけは見て取れた。
 大体そういうものは、見ようとすればするほど見れないものだと決まっている。幸せと同じだ。掴もうとすれば、逃げられてしまう。
 そして何より、意味がない……少なくとも、私にとっては。
 ……とは言え、じっとしてた方が無意味だと感じるのも事実だし……
 しゃあない。とりあえずあの馬鹿を追いかけて後ろから殴って気絶させ、手っ取り早く終わるとするか。
 そう意を決して、私が歩き出した……そのとき。
 ……何故、今まで気づかなかったのか。前に一度、ここには訪れたはずなのに。
 生徒会室が、すぐそこにあった。その扉が、わずかに開いている……
 誰か……そこにいる?
 私は足音を潜めて、ゆっくりと生徒会室へと向かった。その小さな隙間から中を覗き込んでから、素早く室内に身を滑り込ませる。
 部屋に、明かりはついていなかった。人がいる様子もない。廊下よりも空気が冷えているように感じるのは、ただの気のせいだろう……
「……でも……」
 何か、不自然な……そう、違和感のようなものを、私は覚えていた。闇が闇であるための条件が、どれかひとつ欠けているかのような……
 黒一色の中に白を見出したような矛盾に悪寒すら覚えながら、周囲に視線を張り巡らし……
 部屋の中央の円卓の上に置いてある、ノートパソコンを見つけた。緑の小さな光が、その表面に灯っている。電源が入っているのだろう。
 私はそのノートパソコンの前の椅子に腰を下ろし、慎重にディスプレイを開いた。皓々と光を放つ画面には、上から下まで人の名前が表示されていた。生徒名簿らしいが……
「三年五組……私のクラス?」
 一番上に記されていたクラス番号を見て初めて、それが私のクラスのものだと知った。
 生徒の名前の横には、それぞれアルファベットが一文字打たれている。恐らく、成績や普段の素行の評価を表す記号なのだろうが。
 比較的、BとCが多いようである。Aは……おお、さすが結賀さん。天然秀才お嬢様というだけのことはある(天然はどうか知らんが)。
 えっと……へ? 嘘っ!? 保坂亜弥子・A!? いつの間にあの小娘、学校の端末いじくりやがったってのよ!?
 畜生! 無事に卒業なんかさせてやらないからなっ! 覚えてろくそったれ!
 ……と。
「……何? これ……?」
 私は眉を顰め、何か今までに見たことのないものを見る心境で、ディスプレイを凝視した。
 羽鳥優歌・Z。
 Z。アルファベットの最後の文字。
 自分で言うのもなんだが、私はどちらかというと成績はいい方である。こんな致命的な評価をされるような覚えは何ひとつとして無い。
 もしかして……このアルファベットには、何か別の意味がある……?
 ふと視線を下げてみると、神楽の名前の横にも『Z』と打たれていた。私と、神楽だけである。他には見当たらない……
 指導者と、それをされる側の関係? そう考えれば、少なくとも辻褄は合うけど……
 そしてさらに視線を落とし……カーソルキーを押して画面を下に流しながら……やがて、最下部に至った。
 そこで見たもの。生徒名簿の表の右下……小文字で、短く記されたその言葉……
『最終更新日 一月二十九日二十二時十六分』
 二十二時!?
「まだ……いる!?」
 戦慄が、膨張する。即座に椅子を蹴り倒し、何も考えずに部屋の外へと向かって駆け出す!
 ……刹那。
 すぅっ……と。あるいは、さぁっ、と。
 背後の闇が、『踊った』ような気がして……
 振り返ると同時。
 こちらをめがけて、銀色の閃光が闇を滑り渡ってくるのが……見えた。
                                                ≪つづく≫



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