Back/Index/Next
Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第11話

朝が来る前に



 何を考える必要もなく。理解する必要もなく。
 そうしようと決意するより早く、私は前方の床の上を転がっていた。身体の向
きを変えながら、素早く起きあがる……そして、
「……ふっ……!」
 鋭く吐息し、踏み出す。私を襲った、銀色の閃光……右手にナイフを携えた人
影へと。
 ほんの数歩で、私は人影のすぐ目の前まで接近した。左手で相手の右手首を掴
んでさらにこちらへと引き寄せながら、右肘を相手のこめか
みを狙って突き出す!
「くっ……!」
 とうめくように吐き出された人影のその声は、男のものだった。まだ若い、少
年の声……
 神楽?
 そう私が訝ったときには、もう遅かった……男は身を仰け反らして私の肘を避
けると、同時に力任せに右手の拘束を振りほどいていた。
 男のナイフが、再度閃く。
 なんにしろ……
「あんたが誰だか知らないけど!」
 私は姿勢を低くして叫びつつ、一気に相手のふところに踏み込んだ。振り下ろ
された刃が私の頭の真横を通り過ぎて、彼方へと……
 至近距離での武器による攻撃は、かなりその方法が制限される。状況によって
は、武器を持っていることそれ自体が致命的にもなり得る。
あとはそいつの経験と実力次第。それが私を上回っているかどうか!
 弾けるのは一瞬、結果が収束するのも一瞬。
 互いの身体が擦れ合うほど近接した状態で、私は相手の胸元から突き上げるよ
うに掌底を放っていた。それに反応したのか、間合いを取ろ
うとしたのか分からないが、男が後ろに跳び退る。
 かわされた……が、それでも別に構わなかった。人間が瞬間の判断で取れる行
動の数はたかが知れている……反撃は、無いはずだ。
 逃げる男を追って、さらに深く相手のふところに踏み込む……今度は拳を、全
力で前方に突き出しながら。
 打ったのは胸の中心。肉体全体の軸である場所に衝撃を受けて……さらに後方
に移動していたために自らの身体を支えることもできず、男
は背中から床に転がった。呼吸ができないのか、苦しげに鼻と口から不規則な息
を漏らしている。
 私は男を見下ろし……男の横に落ちているナイフを拾い上げながら、言葉の続
きを言い放った。
「殺す気がないんなら、ナイフなんて持たないことね。こんなんで斬りつけたく
らいで相手が死ぬとでも思ってんのなら別だけど」
 そう、この男に殺気はなかった……もし本当に殺すつもりだったら、迷わず刺
してくるはずである。
 刃物を見せて威嚇しようとしていたのだろうが、私を甘く見たのが運の尽き。
日本に来る前……世界中を旅して回っていたとき、私は幾度
も戦火に巻き込まれて、その度に必死で生き抜いてきた。そのための術を、私は
身につけなければならなかった。
 だから、こんな殺意すら持ち合わせていないような奴に、この私をどうこうで
きるわけがない。
「で……あんた、誰?」
 そう訊きながら、私は男の胸倉を掴み上げて月明かりに顔を照らしてやろうと
した……
 刹那。
 まだ弾けきっていない。結果は収束し終えていない。一瞬はまだ続いていると
いうことを悲惨に知覚しながら、私は男の身体を突き飛ばし
ながら身を翻した。
 何か黒いものが視界を真横に横切る。それが通り抜けるとき、私はこめかみの
あたりに鈍い痛みを感じていた。
「あぐっ!」
 悲鳴を発して初めて、私は何か棒切れのようなもので殴られたのだと自覚し
た。
 眼球が震えている……激痛と共に訪れた、身体を支える全ての支点が消失した
ような脱力感と落下感に耐えながら、私はなんとかその場に
踏みとどまった。ここで倒れることは、それこそ致命的になり兼ねない……
 いつの間に部屋に入って来ていたのか……あるいは、既にどこかに隠れていた
のかもしれないが……、新たに姿を現した人影は無造作に凶
器を床に投げ捨てると、最初に襲撃してきた男を肩に担ぎ上げて、部屋から飛び
出して行った。
「待てっ……!」
 慌てて後を追おうとするが、軽い脳震盪でも起こしているのだろう、真っ直ぐ
に歩くことすらできなかった。痛む頭を押さえてみると、ぬ
るりとした感触が指に絡みつく……出血、している。
 尋常じゃない……夜中に生徒が学校の端末を見てしまったという程度のこと
で、刃物を見せてきたり凶器で殴ってきたり……
 あるいは、誰かがこの学校のことを調べようとして潜入して、それを私に目撃
されたから襲った……?
 ……違う……
 漠然と、私はそう思っていた。何の根拠もない。何か、違うような気がする。

 今は、そんなことはどうでもいい。
 これから私がやるべきことは……決まっている。

 誰もいない空間……加えて夜とくれば、どんな小さな物音でも、大きく聞こえ
たりするものだ。
 靴の裏が床を叩き付ける音が、廊下の向こう側から聞こえてくる……まだあま
り遠くへは行っていないようだ。
 まあそれはそうだろう。人ひとり担ぎながら走っているのだから、その速度は
たかが知れたものだ。
 私はそちらへと駆け出そうとしたが、まだ頭が重かった。足が思うように前へ
進んでくれない……
「仕方ないか……」
 舌打ち混じりに私はつぶやいて、前方の空間の様子を強く頭の中に描いた。
 暗闇の支配する誰もいない廊下。何もないはずの空間に裂け目が生じ、彼方の
光景がそこに映っているイメージを浮かべる……
 あとは簡単だった。
 眼前にある現実の光景と、頭の中にあるイメージの光景とを、そっくりそのま
ま『入れ替えた』。
 イメージが現実を超越し、眼前にその姿を浮かび上がらせる。空間に裂け目。
その向こう側に彼方!
 私はその裂け目に身を投じた……視界がぐるりと逆転するような錯覚が、平衡
感覚を狂わせる。
 次に床に足をついたとき、そこは既に一瞬前まで私がいた場所ではなかった。

 さっき逃げ出したふたりの姿が、すぐそこにあった。人影が男を担いだ状態
で、必死に足を前に投げ出し続けている。
 空間の操作。時間と距離の法則崩壊!
「逃げ切れるって思ってた?」
「っ……!?」
 私の声に、人影がぎくりと立ち止まり、きびすを返してこちらを振り向く。
 その際に、月の光が人影の顔を照らし出した。同じく、男。まだ若い、高校生
くらいの少年だった。肩に担がれている方も、髪が短いとい
う以外は、ほとんど同じようなものだった。ふたりとも、黒いのっぺりとした服
に身を包んでいる……
「真夜中に女子校に潜入して、気になるあのコのパーソナルデータをゲット!…
…てとこかしら?」
「……そうか、お前が……」
 私のせりふを無視して、少年は口惜しげにうめいた。私から視線は外さず、彼
は続けた。
「奴め……一体何を考えている……?」
「人の顔を見つめながら独り言いうの、やめてくれる?」
 肩をすくめて私がそう言ってやると、少年は男を床に下ろして、後ろから……
恐らく、ズボンの後ろポケットだろうが……携帯用の警棒を
出してきた。つくづく凶器の好きな奴だ。
「本来、お前には手を出さない予定だったんだがな……悪いが、少し眠ってもら
うぞ」
「いきなり背後から殴り倒しといて、予定もくそもないでしょうが」
 と、私が言い返しているうちに、少年は警棒を振り下ろしてきた。
 咄嗟に横に跳んでかわそうとするが、まだ身体が思うように動かない……ずき
ずきとうずく頭をなるたけ意識しないようにしながら、左腕
を高く掲げ、警棒を受け止める。骨と金属が衝突する、嫌な音がした。
 重く、割れるような激痛が左腕を駆け抜ける。肩まで痺れ、半身に力が入らな
い。だが、骨は折れていないようだった……もっとも折れて
いたとしても、その程度なら後ででも再生できるので、とりあえず今は無視して
おく。
 相手が次の行動に移る前に、私は左斜め前方に身を投げ出し、ちょうど少年の
右斜め後ろの位置に移動した。
 そして振り返りざま、右肘を相手の首筋に叩き込む!
「がっ……!?」
 悲鳴は、短かかった。私はすかさず少年の手から警棒を奪い取り、その柄の部
分で相手のぼんのくぼを痛打した。
 もはや声すら上げずに、少年が顔面から床に倒れる。同時に、私の意識も波の
ように揺らいだ……
「手間、かけさせるんじゃないわよ……」
 そう、頭を右手で抱えながらうめいたそのとき……
 視界の端で、何かが動くのが見えた。すぐさま反応できず、少し遅れて私は首
をそちらへと向けていた。
 最初の襲撃者。今まで床で寝ていたはずの男が、少年の持っているのと同じ警
棒で殴りかかってくる……!
 避けられない……!?
「…………!」
 脳天への激痛。揺れる脳。途切れる意識。最悪は死さえも覚悟しながら、私は
ただ為す術なく振り下ろされる警棒を見据えていた。
 が……それは私に直撃する寸前で、がくん、と豪快に軌道が逸れた。見ると、
男の身体もどこか傾いていた……いや、傾いている。
 勝利を確信した眼差しのまま、男は警棒と一緒に床に倒れた。気を……失っ
た?
 わけがわからないまま私は周囲を見回し……
 三人目の真夜中の訪問者を、見つけた。
「神楽……!」
 学生服のまま。だが表情は『学生』のそれではなく。その美少年は、拳を肩の
高さぐらいまで上げた姿勢で佇んでいた。
「殺す気で殴りかかってどうするってんだよ。なぁ、そう思わないか?」
 言葉の後半はおどけた調子で、神楽が拳を下ろしながら言ってくる。
 私はそれに答えるつもりなど、毛頭なかった。頭の中で、目の前の空間が凝縮
するイメージなど浮かべながら叫ぶ……
「こいつらのことはどうだっていいのよ! あんた……一体、何者なの!?」
「俺はただの、この学校の生徒だ。知ってるだろうが」
「……あんたがそういうつもりなら、私にだって考えがあるわよ」
「殺すか? 俺を」
 挑発的に、神楽が親指で自分を指し示してみせる……
 その仕草が癇に障ったわけではないが……私は即座に、頭の中のイメージを手
前の空間と交換していた。
 凝縮された空間はやがて熱を生じる。金属と金属が擦れ合うような不快な音を
響かせながら、それは神楽を中心に爆裂した!
 まるで小さな太陽が生まれたかのように、光が弾ける。熱波が周囲の空気と壁
を焦がし、衝撃波が廊下中の窓を破砕する。天井の蛍光灯が
連鎖的にけたたましい音を立てながら割れ、破片を床に巻き散らす。
 一連の破壊が終わった後、凄まじい煙が廊下に立ちこめていた……割れた窓か
らそれらが外へと排出され、やがて視界が晴れ渡る……
 そして……ひしゃげた空間が修正されていく中で……神楽は、平然とそこに立
っていた。
「なっ……!?」
 絶句して、私は思わず目を見開いていた。
 有り得ない!
 胸中で悲鳴を上げ、背後の壁にふらふらともたれかかる……
「これを待っていたよ」
 わずかに目を伏せながら、神楽は溜め息に乗せて言葉を紡いだ。
「もう、お前は俺からは逃れられない。分かるか? お前は自分自身の手で、自
らに足枷をはめたんだ」
「何を言って……!」
「切り札は最後に出す。定石ですぅ」
 その間の抜けた声に……聞き覚えのあるその声に。
 私は愕然と……どうしようもない虚脱感を覚えながら、そちらを振り向いてい
た。
 そこには……カメラを片手に満面の笑顔を浮かべている、加奈子がいた。もう
片方の手は、腰の横でくるくると無意味に回している。
 不意に漠然と、私は思い出していた。
『写真部のスクープメーカーとは私のことですぅ☆』
 ……スクープ『メーカー』!
「最初から……そのつもりだったのね……」
「やっぱり七不思議を解明したくらいじゃあ、伝説にはなれっこないですもんね
ぇ」
 軽い口調でそう言ってくる加奈子から視線を外しながら……私は朦朧とする意
識に抗うのをやめ、床の上に座り込んだ。
 踊らされた。
 そしてこれからも踊らされるであろうという怒りに、私はただ、唇を噛み締め
るより他なかった。
                  
                              ≪つづく≫



Back/Top/Next