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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第12話

おもちゃ箱



「で、なんで私が生徒指導室に呼ばれなきゃならないの?」
 教室に入ってくるなり亜弥子は私の席の前に一直線に向かってくると、無表情
でそう訊いてきた。
「なんかさっき校門のとこで、先生四、五人に囲まれて同時に『来い』って言わ
れたんだけど」
「じゃあ行かなきゃね」
 と、私は頬杖などつきつつ、亜弥子から窓の外へと視線を移す。ああ、今日も
空が綺麗だ。
「だから、なんで?」
「じゃあ行かなきゃね」
 繰り返す。ああ、今日も空が綺麗だ。昼頃には雨が降るんじゃないだろうか。
それとも雪か?
「……ちくしょう……ちくしょう……ちき……」
 あくまで無表情で(虚ろとも言う)天井を見上げながら、亜弥子が呪詛のよう
につぶやいている。ああ、今日も空が綺麗だ。灰色だけど。
 ……とりあえず。
「亜弥子っ!」
 私はがたんっ、と席を立ち、亜弥子の手を取った。さすがに驚いたか、彼女は
目を剥いてこちらを見返してくる。
「私たち、親友よねっ!?」
「えっ?……あ……う、うん。そう……かも」
 亜弥子がしどろもどろにそう答えたのを見計らって、私はさらに顔を近づけ
た。互いの吐息がぶつかり合うほどに、近く。
「一年の頃から亜弥子は私の友達でいてくれた……そんな大切な友達に疑われる
なんて、私、耐えられないっ!」
 最後の叫びと同時に、涙を流す。頬を伝い、顎から床へと。
「亜弥子とは、これからもずっと一緒にいたいのっ!」
 そして……亜弥子の身体を、抱きしめる。肩を震わせ、小さな嗚咽など漏らし
ながら。
「優歌……うん、私も同じ気持ちよ」
 優しく私の身体を抱き返して、亜弥子がうなずく。
 私は顔を上げて……涙に濡れた顔で、亜弥子を見つめた。彼女は微笑み返して
いる……少し、ぎこちなくはあったが。
「そうね……私、どうかしてたわ。何かあったからってすぐに優歌のせいにしち
ゃって」
「ううん……いいの、私が悪かったんだから……でもね、それは……」
「分かってるわ。あれが優歌なりの表現の仕方なんだって。ふふ……不器用だも
んね、あんた」
 こつん、と軽く私の額を小突いてくる亜弥子。次いで、頭を撫でてくる。
 そしてゆっくり私の身体を離しながら、
「じゃ、行ってくるわ。大丈夫、私もあんたも悪くないもんね」
 それだけ告げて、彼女は教室を出ていった。それと入れ違いに、結賀さんが中
に入ってくる。
 騒々しく廊下を疾走していく亜弥子を怪訝に見送りながら自分の席につき、私
に問いかけてくる。
「保坂さん、どうしたの? なんだか凄く爽やかな顔してたんだけど」
「昨日の夜、学校で起こった爆破事件の参考人として呼び出されたらしいわ。な
んでも現場に彼女の生徒手帳が残されていたそうよ」
 ハンカチで無造作に顔を拭いながら、私は淡々と早口でそう答えた。
「……保坂さんってそこまでやるような人には見えないんだけどなぁ……」
「事あるごとに自分が疑われるもんだから、とうとうキレたんじゃないかしら。
あんなのが友達にいると思うと怖くって……」
 そう言って再び泣き真似をする私を、きょとんとしている結賀さんを除く教室
中のみんなが呆れた表情で見ていたが……
 それに関しては、かの有名な、素晴らしい名言に従うまで。
 気にしたら負けだ。

 結局、その日一日、亜弥子が教室に姿を見せることはなかった。ちゃんちゃ
ん。

 放課後。暮れゆく太陽が大地に斜に夕日を差している。雨が降りそうだったあ
の朝方の空が、嘘のようだ。
 私は校庭の植え込みの芝生の上に、大樹を日傘代わりにしながら大の字に寝そ
べっていた。朱色の木漏れ日が、きらきら輝いている……
 グラウンドからは、運動部員たちの威勢のいい掛け声。時々、失敗した部員を
叱責する声も聞こえてくるが。
 こうして……地面をお腹にくっつけて寝るのって、何年ぶりだろう。
 大地……世界の土台。あるいは舞台か……
 たまに、どちらが本当の世界なのだろうか、と思うことがある。
 目に見えるこの世界か……私の心の中にある世界か。
 そしていつも、導き出される答えはひとつ。馬鹿馬鹿しい……
 目に見えるもの、触れられるもの、感じられるもの、それらが世界だ。
 いずれ、この世界にも『苦痛』が溢れる。
 そのとき、私は…………
「……こんなとこで寝てたら、風邪、引くよ」
 と……
 柔らかい感触を頬に感じて……私は、反射的に身を起こしていた。
 相手は誰だか分かっている。さりげなく、一発殴ってやろうと私は拳を突き出
す。
 ふわ、と……何か、物干し竿に掛けられた薄地のシーツでも叩いたような錯覚
すら覚えて……
 気がついたら。
 私は背後からその声の主に、突き放った方の手首と腰を掴まれていた。
 そのまま耳元で、相手が囁く。
「ダンスの相手? いいよ、付き合ってあげる」
 ……考えるまでもなかった。
「それがあんたのやり方だっていうんなら、思いっきり馬鹿にしてあげるけど
?」
 私は冷たく告げて、相手の手を振りほどいた。そして、振り返る……振り返り
たくはなかったが、背後を見せたままでは何をされるか分か
ったものではない。この男は……
「それが、君のやり方かい?」
 そう言って微笑みかけてくるこの男は……
 私を殺せる、唯一の人間だ。

 神を祭る時に奏する舞楽。
 神楽、とはよく言ったものだ。
 もしかしたら、そう……
 彼は、全てを知っているのかもしれない。
「あなたは……何なの?」
 道行く車の群が、川の流れのように見下ろせる歩道橋の上。この季節にしては
珍しい、鮮やかな夕焼け。だがその朱の光は、錆びた鉄橋に
は反射しない。
「それが知りたくて、僕と一緒に帰るのを認めたの?」
 錆びた鉄。何の感情も映っていない神楽の声。返事は灰色。光は反射しない。

 互いに足は動かない。錆びついたからくり。壊れた可動式人形。潤滑剤はな
い。
「連中は何なの? 何故あなたは昨日の夜、あそこにいたの? どうして……死
ななかったの」
 言葉の後半は重く、低く、つぶやくように。潤滑剤はない。滑らない歯車はで
きそこない。回らないから。
「ずるいよ。幾つも質問するなんて」
「あなたの都合を考えてる余裕がないからよ」
「余裕がないのは僕も同じなんだけどね……」
 かぶりを振りながら、神楽。顔には笑み。粘土細工。変幻自在のミラースコー
プ。割れた鏡は危ないだけだ。
「欲しかったんだ。君と、こうして接触するための理由がね」
「口実、言い訳でしょう?」
「それだけじゃないさ。君が何者であるかという証拠も、ね」
 耳元で鳴らされた鐘のように。鼓膜ではなく、脳を震わす一声。鏡の破片が心
に触れる。そしてその傷から流れ落ちるものも心。
 ……誰だというの。
「誰だというのよ」
 胸中で編む言葉の糸。実際に吐き出した蜘蛛の糸。ぶらさがる蜘蛛に横はな
い。風に揺れても飛ばされても横はない。
「この世界で唯一、真なる者」
「……では、偽物は誰?」
「みんなだよ。所詮、ただの人形に過ぎないのさ」
「人間は人形なんかじゃないわ」
「人形が人間のふりをしているんだよ」
「あなたも……そうだというの?」
「……僕は」
 そこで神楽は口ごもった……鬱に目を細めて、こちらから視線を外す。合わな
い目と目。その間に空洞。何もないのと同じ。
 しばしの間を置いて、彼は答えた。明確な意志を、その瞳に讃えて。
「僕は、君に逢うために生まれて来たんだよ」
「そう。だったら今すぐ死んでちょうだい。私には必要ないから」
「冗談なんかじゃないんだ」
 彼の眼差しが、悲しみに揺れるのが見えた……ような気がした。空が泣くこと
もあるだろう。大地が怒りに震えることもあるだろう。
 私が、戸惑うこともあるだろう。
「壊す勇気も無いくせに……私に近寄ってこないで」
「……壊す?」
 多分……初めてのことだった。
 彼が、本当にその真意を知りたくて何かを訊き返すというのは。
 ……壊すのは。
「世界よ」
「壊せるはずないさ。少なくとも……僕には壊せない」
「何故」
「君がいるから」
 ……揺れる。
 錆びた鉄。できそこないの歯車。割れた鏡。ぶらさがる蜘蛛。その間に空洞。

 そして、胸が跳ねることもあるだろう。
「明日の日曜日……僕と付き合ってくれ。そうしたら、昨日のあの写真を君に返
そう」
「馬鹿なこと言わないで。第一、あの女が簡単にスクープ写真を手放すもんです
か」
「彼女には別の真実を与えるまでさ。もう既に手は打ってあるんだよ」
「……私を、どうするつもり」
 言いながら、私は歩道橋の下に視線を落とした。
 どこへ行くのか。どうして帰りたいのか。何を求めているのか。いつ終わるの
か……
 誰も止めようとしない無数の車たち。
 ……何のことはない。
「君と、一緒にいたいんだ」
 全ては流されるままなのさ。私も、世界も。
                   
                              ≪つづく≫



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