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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第13話





 何かを嫌になること。
 つまり、逃げ出したくなる気持ち。本当にそれを放棄したくなるということ
が、一体どういうものなのか。
 なんとなく、分かったような気がした。
「軽く足を前に出すんだよ。そう、後は重心が横に傾かないように調節すればい
い」
 人工の冷気が充満している屋内。広々とした空間は真っ白で、どこか空虚さを
漂わせている。人気がなかったとしたら、まさにその通りだ
ったろうが。
 いずこからか、流行りの曲が流れてきている。人々の楽しそうな話し声。そし
て、地面を削る忌々しいその音……
 氷の上に立っていた。身体を支えるのは、靴の裏ではない……そこに取り付け
られた金属で。
「あ、ほら駄目だよ。もっと姿勢を正して……うん、いいよ。うまくなってき
た」
 神楽に手を引かれながら……
 私は、無様な格好で氷の上を滑っていた。この場合、滑らされているのだろう
が。
 私が姿勢を崩すと、神楽がすぐに受け止めてくる。どうでもいいけど腰にだけ
は手ぇ回すなよ。
「生身で武器を持った相手を叩き伏せられるくせに、どうしてスケートとか繊細
なスポーツはできないのかな」
 嘆息しつつ……それでも笑顔は忘れないで……神楽が告げてくる。黙れくそっ
たれ。
「大体、氷の上を滑るのなんて生きる上では必要ないでしょうが! しかもこん
な変な靴でっ!」
「言い訳だね。それにスケート靴って結構、機能的に作られてると思うけど?」

「知らないわよ! 問題は、なんで私があんたとこんなとこに来なきゃなんない
かってことよ!」
「楽しいねぇ」
「だああああああああっ! アホばっかりなのか私に周りにいる奴ぁぁぁぁっ
!?」
 と……
 我を忘れて絶叫してしまった私は、うっかり神楽の手までも放してしまい、勢
いに抗えず両足だけが非情にも前方に滑り出されたのを自覚
していた。視界が、上下にブレる……どうしようもない落下感の中で、私は天井
を見つめていた。
 やがて、後頭部に衝撃。一瞬、目の前がぐるんと反転したように見え、目と鼻
の奥が熱くなって痺れる。氷が背中に触れて、冷たい。
「いっ!……たぁ……」
 引き絞るような声で私はうめきながら身を起こそうとする……が、不意に目の
前にあるものを見て、思わず硬直していた。
「痛……っ……大丈夫、羽鳥さん?」
 ……神楽。
 ちょうど私の上に重なるように倒れ込んできていた。どうやら倒れるときに、
思わず彼の身体を巻き込んでしまったらしい。
 顔は接触しそうなほどに近く、吐息はその流れを感じるくらいに。
 そして、胸に感じる彼の手の感触……彼の、手?
「ひきゃああああああああっ!?」
 思うが早いか、私は神楽を突き飛ばして、氷の上を全身を使って這い滑りなが
らリンクの端まで逃げた。他の客たちが、何やら妙な生き物
を見るような眼差しで見てきているが、そんなのは知ったこっちゃない。自分の
身体を庇うように両腕で抱えて、とりあえず私は叫んだ。
「王道だろうがお約束だろうが実際に実行する奴があるかぁぁぁぁぁっ!?」
「いや……なんのことだかわからないけど……」
 当人はまったくなんのことやらといった顔で、こちらに近寄ってきた。そして
私の手を取って立ち上がらせながら、告げた。
「そろそろ出ようか。スケートは無理みたいだしね」
「だから無理とかいう以前の問題だってさっきから何度も何度も何度も何度も…
…!」
 やはり神楽に手を引かれながら……私は憤りと共にあるひとつのことを悟って
いた。
 分かっちゃいたさ。
 これはある意味、戦いなんだってことは。

 戦その一。
 ジェットコースター(連続三回転仕様。『失神者続出! 覇王・菊一文字〜マ
チルダの夢に堕ちて〜』)
「うきゃあああああああああああああああっ!!」
「はっはっは。あんまり叫んでばかりいると舌、噛むよ」

 戦その二。
 メリーゴーラウンド(ただし高速回転仕様。『ジャンキー・ゴー・ヘヴン〜君
も天国の扉を開けてみないか〜』
「これのどこがメリーゴーラウンドだってのよぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「はっはっは。ちゃんと捕まってないと危ないぞ」
「やかましいわぁぁぁぁぁっ!」

 戦その三。
 お化け屋敷。(本格サバイバル仕様。『戦慄! 戦士たちの亡霊〜銃弾は胸の
金貨が受け止めない〜』
「きゃああああああっ!? 蛇っ! 本物の蛇これっ! やめろっ、絡みつくな
ぁぁぁぁっ!」
「はっはっは。毒蛇じゃないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃ……て、きゃあああっ!? 網がっ! 網がぁぁぁぁぁっ
!?」
「はっはっは。捕まっちゃったねぇ」
「ひゃっ!? こら、やめろ、触るなぁっ! あっ! そこのあんた今どこ触り
やがったっ!? しばき回してやるから顔出せ!」
「はっはっは。ゾンビを殴ったりしちゃあ可哀想だよ」
「あんたも見てないで助けろってのよ!」

 戦その四。
 フリーフォール。(事故多発! 本日に限り閉鎖解除! 勇気のある若者求
ム! 『墜落くん〜死神の檻〜』)
「て、ちょっと待てっ! これに乗るのっ!?」
「はっはっは。やっぱり求められたら若者的にはやらざるを得ないでしょ」
「微妙に卑猥なこと言ってんじゃないわよ! あっ、こら、引っ張るなぁ!!」

「はっはっは。覚悟を決めとかないと後で後悔するよ」
「死んだ後で後悔もくそもあるかぁぁぁぁっ! 降ろせぇぇぇぇぇぇっ!」
「はっはっは。高いねぇ。このまま空に吸い込まれていきそうだよ」
「どこまで上がんのよ、これっ!? これはちょっと高すぎ……っ! きゃああ
あああああああああああっ!?」
「はっはっは。無重力だねぇ」
「普通、いきなり落とすかぁぁぁぁっ!? ひぃあああああああああああ………
…」
 ………………

 戦その……?(忘れた)
 観覧車。(どうやらこれは普通らしい)
「……よーく分かったわ。つまるところ、あんたは私を殺したかったのね……」

「なんでそうなるのさ」
 疲れ果てた私の声に、神楽はこともなげに答えた……ああそうさ。あんたはそ
ういう奴さ。
 空はもう暗い……太陽は既に地平線の向こう側へと姿を消していて、明かりは
といえば遊園地のナイトパレードの照明くらいのものだ。
 観覧車から見下ろすパレードは、少なくとも綺麗ではあった。空へと放たれて
いる多彩な光線、大地そのものが輝きを放っているかのよう
なネオンの明かり。行進する行列。暴れるピエロ。踊る紳士淑女たち。
 だが……一体、何が楽しいのか。
「結局、気持ち良ければそれでいいのね……」
 ふとついて出た私のその言葉に、神楽は何の反応も示さなかった。無感情な眼
差しで、地上を見下ろしている。
 答え得るせりふを持ち合わせていなかったわけではないだろう。ただ、他に言
いたいことがあるのだ。
 私の予想通り、彼はまったく別の話題を口にした。こちらに向き直り、儚げな
微笑みを張り付けて……
「今日は楽しかったかい?」
「……それで私が『うん、とっても楽しかったのぉ☆』とかって答えたら面白い
わよね」
 口元で拳を握りつつ首を傾げるといった仕草など交えながら、私は思いっ切り
皮肉ってやった。
 しかし彼は気にしたふうでもなく、独白めいた口調で続けた。そう、何を気に
する必要もないのだろう……
「僕は……楽しかったよ。これが、最後かもしれなかったからね」
「最後でよかったわ。次があるなんて思いたくないもの」
「そう、最後さ。だから、君にひとつだけ忠告しておくよ」
 あくまでも彼は真面目なようだった。
「連中を、甘く見るな」
「……あなたも含めて?」
 彼は答えてこなかった。無言で、表情ひとつ変えずに私の瞳を見返してきてい
る。
 しばしの沈黙の後……彼が、上着の内ポケットから写真とネガを取り出し、こ
ちらに差し出した。私はそれらを受け取り、ざっと確認して
から、ぐしゃ、と手の中で握り潰した。そして、頭の中で炎を描く……
 ぼぅっ……
 私の手の中で、写真が青白い炎に包まれる……煙は生じない。塵ひとつ残さ
ず、それは跡形もなく消滅した。
「これでもう、私の足枷はなくなったわね」
 唾棄するようにそう言って、私は笑みすら込めて神楽を見据えた。
 しかし彼はかぶりを振り、眼差しを鋭く細めて、
「足枷なら、まだあるさ」
 そう告げた彼は……既に、優等生神楽祐一ではなかった。
「いずれ分かる。お前は、もうこの運命から逃れることはできないんだ」
「この世界に、運命はないわ」
「それがお前らの傲慢さだというんだ! 俺は知っている……運命は……あるん
だよ。苦痛もな」
 苦痛。
 その単語を耳にした瞬間、私はあるひとつの仮定を思い浮かべていた。
 もしかしたら、この男は……
「あなた……まさか、『彼女』の……?」
「『彼女』……ユミルか」
 神楽が口にした『ユミル』という言葉を私は知らなかったが、彼にとっては同
義らしかった。
「彼女には何もできない。ただ、永遠に歌い続けるだけさ。誰も聴いてくれる者
のいない歌を」
 そこで、彼は立ち上がった。手を伸ばし、私の頬に触れる……そのまま髪へ
と。
「だが、俺は聴いている……お前の歌を」
 そして……軽く口づけしてくる。私は、不思議とそれを受け入れていた。
 唇に残る感触。
 跳ねる、胸。
「……聴いているんだ。それだけは忘れないでくれ」
 最後にそれだけ告げて……
 彼は、消えた。

 観覧車に一人、残されて。
 寂しいわけではなかった。暗いのが怖いわけでもない。どこまでも自分勝手な
あの男に、憤慨しているわけでもない。
 ……ただ、辛くて。
 私は、泣いた。

 翌日。二月一日。
 神楽は、学校に来なかった。
 ひとつだけ、訊きたいことがあったのに。
 ……彼は多分、もうここには来ないだろう。
 だから、後は自分の力で確かめなくてはならない。
 例え、その果てに私が壊れてしまおうとも。

 朝のホームルームで、先生から校内新聞が配られた。
 あくびを噛み殺しながら、私は他にやることもないのでその新聞に視線を落と
し……
「…………!?」
 そこに書かれている内容に、私は絶句していた。
 ……有り得ない。
 こんなことは有り得ない!
『校舎地下から謎の女性の死体が発掘! 発見者の写真部員宮代加奈子さんは以
下のように…………』
 聞いてみると、先生もそのことについて話しているようだった。
 だが、そんなことは問題ではなかった。
 新聞には、死体の女の写真が映っていた……まともに映すわけにはいかなかっ
たらしく、かなりのローアングルではあったが……それでも
顔を確認するだけなら申し分なかった。
 教会の礼拝堂のような空間に、十数メートルはあろうかという天井から鎖で足
首を縛られた、若い女の死体。
 青白い肌。床に向かって垂れ下がる髪。眼球だけは、しっかりとこちらを見据
えている……
 その顔に。
 私は、見覚えがあった……というか、忘れるはずがない。忘れるはずがない!

 ……『彼女』……
 この世界の創造主。私の、敵!
 不意に思い出される、神楽の言葉。
『彼女には別の真実を与えるまでさ。もう既に手は打ってあるんだよ』
「…………神楽っ……!」
 私は我知らず、うめいた。その声が聞こえたか、前の席の子がちらり肩越しに
こちらを見てくるが、無視した。
 足枷。
 どうやら否応なしに……
 運命は、既に始まっていたようだった。
                                    
           ≪つづく≫



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