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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第18話

歌えないわたし



「逃げろ……逃げろ、クリス!」
 叫び声は生と死の狭間で。言葉は血と肉の狭間で。
 業火の中、青年は剣を一本携えて、迫り来る戦士たちに向かって構えた。
「いくら君でも、もうどうにもならないんだ! だから、逃げろ……!」
 私は……そう必死に叫んでいる男の背中を見つめていた。精悍な身体を持つ男。今は血にまみれた、その身体……
 何故、私をそうまでして守りたいのか……理解できなかった。
 逃げなければ死ぬんだ。
 死ぬかもしれないのに、私を守ろうとしている……馬鹿だ。この男は、きっと馬鹿だ。
 そして……私も馬鹿だ。
「クリス……君に逢えたことを、この世界に感謝している」
 男は小さくそう告げると……戦士たちの方へと駆け出した。
 そう、馬鹿だ……みんな馬鹿だ。
「逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 
 
「…………ばか」
 ぼーっとした頭で、私は譫言のようにつぶやいていた。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい……私は枕代わりにしていたベッドの端から顔を上げ、時計を見上げた。
 壁掛け時計は、一時を示していた。
 帰って来たのが十一時……たったの二時間か。
 今日は色々あった……加奈子をしばき倒したり、気の狂った生徒たちをしばき倒したり、わけのわからない連中をしばき倒したり……
 ……そんなんばっかりか、私は……
 なんとなく自分でうんざりしながら、私はベッドの上に視線を移した。
 私のベッドで、規則正しい寝息を立てている亜弥子……本当に気持ち良さそうに寝ている。
 ……ひとが殺されそうな目に遭ってたっていうのに、この娘は……
「…………あんたも、ばかね」
 私はくすっ、と微笑んで、もう一度、ベッドの上で腕を組んで、そこに頬を落とした……
 眠い……
 もう少し、眠らせてくれ……

 
 
「ねぇ、お姉ちゃん、だれ?」
 喧噪沸き立つ商都の大通り。私は裏返しにしたローブを纏った姿で、建物に背を預けて地に腰を降ろしていた。
 ローブの表側は見せられない。殺されてしまうから。
「……誰でもないわ」
 と、私は、声を掛けてきた七、八歳ほどの少年の顔を見上げ、かぶりを振ってみせた。
「私に近づくと、危ないわ……早く、離れた方がいい」
「お姉ちゃん、怖い人なの?」
 興味本位で……本当にそうかどうか分からないが……少年が訊いてくる。そうだ。私は他者の目から見れば、怖い人なのかもしれない……
 溜め息に近い苦笑を漏らして、私は告げた。
「本気で怖い人になれたら……もっと楽だったかもしれないわね」

「魔女め!」
 糾弾。
「誰かそいつを! そいつを殺せぇっ!」
 痛み。
「王都の軍隊を全滅させたのはそいつだ!」
 逃走。
「奴は魔女だ……! 魔女を殺せ!」
 私が求めたのはこんなんじゃない!
「殺せ! 殺せ! 殺せ……!」
 これが、人間。
「殺せぇっ!」
 殺してやる。
 みんな殺してやる……!

 夕焼け。
 崩壊した街並み。道を転がる人間たち。かつて、人間だったモノたち。
 泣き声が聞こえてくる……子供だろうか。
 ……もうどうでもいい。
 私は虚ろな眼差しで……周囲を転がる死体の群れを見下ろしていた。

「うっ……うぇ……うあああ」
 泣いているのは、誰?
「ふぅっ……ああっ……ううっ……」
 何が、そんなに哀しいの?
「う……うあ……うあああああん……」
 ……………………ねぇ。

「お姉ちゃん、どこか痛いの?」
 少年が……驚いた顔で、私の顔を覗き込んできていた。
 私は慌てて首を振り、手の甲で無造作に涙を拭った。
「やっぱり、怖い人じゃないよ」
 少年が続けてくる……それは恐らく、何の根拠もない言葉だったろう。
 ただし当人にとっては、根拠など必要なかったのかもしれない。
「怖い人じゃないよ……」

 人を殺すこと。
 世界から、その存在を抹消してしまうこと。
 ……分かっているはずなのに。
 ヒトを求めたのは自分だって、分かっているはずなのに!
 ……分かっていた、はずなのに……

 愛が欲しかったわけじゃないのさ。
 優しくして欲しかったわけでもない。
 ……ただ……

「ねぇ、優歌。今日一緒に帰ろ?」
「おはよー、優歌♪」
「ねー、ナンパいこーよナンパー。優歌だったらいっぱい釣れると思うのよねん♪」
「なんだっていつもいつもあんたの罪を私が償わにゃならんわけっ!?」
「優歌ってさー。生きる理不尽よね」
「ゆぅぅぅぅぅぅぅぅ、かぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「分かってるわよ。あんた、不器用だもんね」
「それに何も知らないままじゃ、胸を張ってあんたのこと親友だって言えないもの。ね?」
「……優歌」

 ……ただ、私は……

 
 
 不意に、世界が現実感を帯び始める。
 私はうっすらと目を開き……耐え難い違和感に、曖昧な疑問が胸中に浮かんだのを自覚した。
 泥のように、あるいは夕日のように疲れ切った身体。頭も重い……少し、頭痛がしていた。
 右手が痺れている……そうか、手を枕にして寝てたから……
 だが、疑問は氷解しない。
 光と、闇と……
 機関車の警笛。空を唸らせる飛行機。道を削りながら走る馬車。人の雑踏……水面に、水滴が落ちる音。
 そんな色と音を想像しながら、私はゆっくり顔を上げた。その際にくらりと頭が揺れて、視界が霞む……
 大したことのない疑問だった。
 亜弥子が半身を起こして、私を見つめていた。
 彼女の視線。違和感は、どちらかというと本当に耐え難い部類に属していたのかもしれない。
 左手に、何か滑らかなものが触れている。私はそれを取って自分の顔の前まで持ってきた……と……
 それは、人間の手だった。
 すると、見慣れた顔がほころびに崩れる。
「あんたの寝顔って、可愛いのね。初めて見たわ」
 彼女の唇から漏れた声に、私の身体はぞっとした……脳が、一気に覚醒を始める。
 私は慌てて亜弥子の手を離すと、なるたけ自然な動作でベッドから離れた。手探りで床に転がっているクッションを掴み、こちらに引き寄せる。だが焦っていたせいで、私はそれに座るという行動ができなかった。
 意味のない行為に見えただろう。
 亜弥子は面白がるように笑みを深めると、寝癖のついた自分の髪をくるくると指に巻き付けながら、
「寝てるときは天使のくせに、ひとたび私の顔を見ると悪魔になるっていうのはどーかな、と思うけど?」
「あれが私なのよ」
「どうかしら」
「修学旅行は亜弥子と同じ部屋だったじゃない。私の寝顔なんて……今更だわ」
「ただ目をつむっているだけなのは寝顔とは言わないわよ」
「……気づいてたの」
「友達歴は三年だけど、中身が濃密だからねー」
「私は……あなたのことは、何も分からないわ」
 ただ一言……私のその言葉に、部屋に静寂が訪れる。
 私は一瞬、亜弥子から目を逸らそうとしたが……彼女は、こちらの瞳をまっすぐに見つめていた。
 亜弥子は指から髪をほどくと、眼差しを細めた。笑みではない……決して、笑みなどではない。
 周囲を見回し、彼女が尋ねてくる。
「ここ、優歌の部屋?」
「ええ」
 私はうなずいた。
 だが、言葉が足りない……そして、その言葉を音に変えて伝えるには、決意が必要だ。
 私は唇をなめて、続けた。
「……羽鳥、優歌の部屋よ」
 その言葉の意味を理解したのか……それとも不可解だったのか。
 亜弥子は再び、こちらへと向き直ってきた。互いの視線が、交錯する。
「私にもね」
 告げてくる声は、少し重い……言うことに躊躇しているのだ。
 亜弥子は続けた。
「私にもね……見えたのよ。そう、色々……」
 アリス=リアルライズ。
 唐突に浮かんだその名に、私は思わず目を伏せた。
 理解された……
 ……して欲しかったはずなのに。今は……後悔、している?
 何よりも怖かった。
「ねぇ」
 と、いきなり亜弥子はベッドから降りて、
「お風呂入らない? 寝汗でもかいたのかな、べたべたすんのよ」
 そう告げてきた。
 断る理由もなかった……というより、思いつかなかった。
 無意識下で、逃げようとしている自分に腹が立った。
 ……逃げるな。
「ええ」
 そして……私は、立ち上がった。

「うっわ、広いわねー、あんたんとこの風呂!」
 亜弥子の感嘆の声が、風呂場に響く。言うほど広くはないように思うのだが……
 湯船は、大人が一人足を伸ばして入れるという程度の広さ。壁やタイルに金をかけているということもない。標準的と言えるだろう。
 私は亜弥子に続いて、素足をタイルの上に乗せる。適当に身体にお湯をかけてから、浴槽に身体を浸した。
 続いて亜弥子も、浴槽に入ってくる。ていうか、豪快に足を上げて入るなよ。
「ぷぁーっ! きもちいいーっ♪」
 おっさん臭い声など発する亜弥子。窓開いてんだから、ちったぁ静かにしろって……
 湯船から漏れたお湯が、滝のように流れ落ちていく。当然だ、二人も入ればそうなるに決まっている……
 そうなるに決まっている。
「ねぇ。お父さんとお母さん、いるんでしょ?」
 ……話が、始まるに決まっていた。
「いるでしょうね。もうすぐ朝だもの」
「優しい?」
 一瞬、亜弥子が何を言っているのか分からなかったが、なんとなく意味を察して、私は答えた。
「ええ……二人とも、私のことを本当の子供のように扱ってくれる……不満なんて、感じたことないわ」
「羽鳥……優歌……には、会ったこと、あるの?」
 それは痛烈な質問だった。だが、今更その答えに窮することはなかった……私は淡々と、
「ないわ。私が見た彼女は、遺影の中の姿だけよ」
「両親は……二人は、あの催眠術で……?」
「人の心ってね。永遠に他者の手で支配できるほど、脆弱じゃないのよ」
 そうだ。もう既に、二人にかけた記憶操作は解けているはずだった……私が羽鳥優歌であるという、記憶操作は。
「それでも、二人は私に普段通りに接してくれる。夢を見ているんじゃないか、って勘ぐったこともあったけどね」
「……お父さんとお母さんが、好きなのね」
 亜弥子のそのせりふは……正直、私自身にもよく分からなかった。
 自分をここに繋ぎ止めていてくれる存在としては感謝している。それ以上のことなど、考えたことすらなかった。
 でも、実際に考えてみるに……
 いや、考えるまでもなかったのかもしれない。
「……多分、ね」
「いいわねー……羨ましいな、そーゆーの」
 頭の後ろで手を組み、亜弥子はさらに身体を湯の中に沈ませた。
「……実を言うとね。自分でもびっくりしてるのよ」
 皓々とした明かりを灯している天井の電灯を見上げながら、彼女がつぶやく……私は、訊き返さない。
 何が言いたいのか、分かっていたから……
「初めてなのよ。こんなにも、あんたのことが知りたいって思ったのは……いえ……」
 と、彼女は苦笑して、ゆっくりと言い直してきた。
「他人を知ろうと思ったこと自体が初めてなのよ……きっと」
 ぴちょん……
 というその音は、排水溝の水滴が落ちた音だったのだろうが……
 なんにしろ、亜弥子は続けた。
「親がね、嫌いなのよ。あいつらも私のこと嫌ってる。昔からそうだった……憎み合いの多い家族だったのよ」
 彼女の瞳は、どこか遠くを見つめていた……彼女の言う、『昔』を夢想しているのか……
「お姉ちゃんがいるんだけどね……もう、二年近くまともに口利いてないわ。時々、名前も忘れそうになる……」
 その眼差しが、こちらを向く。目と目が合い、その瞬間、気付いたこと。
「ただ、私はあいつらが怖かった……人間ていうものが怖かったの。だから両親を、お姉ちゃんを拒絶したの。そんな私の気持ちを知ってい
たんでしょうね。だから私は……あいつらに拒絶された」
 ……聞いて欲しいのだ。私に聞かれたがっている。聞かれることを願っている。
 だから喋っている。聞いてもらうために。
「今の私からじゃ想像もつかないでしょうけどね。これでも中学の終わり頃までは、すっごい自閉症だったのよ。人の顔を見るだけで嫌だった。人ゴミの中なんてもっての他。吐き気がしたわ……そういうの」
 湯の熱さのせいだろうか……亜弥子の顔は、少し紅潮しているようだった。
「分かってるわ……原因は、自分にあるんだってことぐらい。言葉を発するすることで、みんなから珍しがられるのが怖くて、どんどん無口になっていった。何かをすることで、みんなから茶化されるのが怖くて、どんどん行動力をなくしていった。分かってるのよ……」
 ……彼女は気づいていただろうか。
 自分の表情が、色を失っているということに。
「みんな怖かったのね……親を通して、人間というもの全体を見ていた。ほんと、大したことじゃないのにね」
「今も……怖いの?」
「どうかな……分からない。ただ、親は今も嫌いだと思う」
「……本当に?」
 私は訊き返す。
 亜弥子は……急に唇を塞ぎ、湯に視線を落とした。瞳に、揺らぐ水面の波の模様をそこに映していた。
 その様子は、考えているふりをしてごまかしているようにも見えた。
 だが、それは杞憂だったらしい。
 ぽつり、ぽつりと……亜弥子は、再び語り始めた。
「どうして、って思うのよ……」
 瞳の揺らぎが、輝きへと変わる。それでも、揺れていることに違いはなかったが……
「朝起きたらおはよう、出かけるときは行ってきます……帰ってきたときはお帰りなさい……寝るときは、おやすみなさい……」
 声も揺れる。身体を包んでいる湯も、微かに揺れているようだった。
「みんなでその日あったことを適当に話し合いながら食事を取る……テレビを見て笑い合う」
 涙。
「どうしてそんな当たり前のこともできないんだろうって……どうして……」
 ……抱き寄せてはいけない。
 頑張ってきたんだ。人を好きになれるように……両親を好きになれるように頑張ってきたんだ。
 私の知っている亜弥子は、いつも頑張っていた。
 だから抱き寄せてはいけない。
 今のこの瞬間も……次の瞬間も……彼女は、頑張っているから。

「あんたに会って、私は変わったんだと思う」
 ようやく落ち着いた亜弥子は、私の髪にシャワーをかけながらそう言った。声に、もう震えはない。
「そりゃね。入学式早々、人を陥れるような奴に出会ったんですもの。少しは変わらないとおかしいわよ」
「……忘れたわ。そんな昔の話」
「ほぉぉぉぉう?」
 不敵に亜弥子がそう声を上げると、彼女はシャンプーを私の顔にかけてきた。
 目を閉じるのが遅かった……熱さを含んだ激痛が、目に走る!
「痛ぁぁぁぁぁっ!?」
「式のとき、ちょうど前の席にいたあんたにトイレの場所訊いたら、大声で『保坂さんが漏れそうらしいです、誰かトイレを紹介してあげて下さい』って会場に響き渡らせたのを、忘れたとは言わせないわよ」
「思い出したっ! 思い出したから水ぅぅぅぅぅっ!?」
 素直に認めると、亜弥子はシャワーを私の顔に振りかけた。充分に目を洗ってから、彼女を睨み据える……
「くそっ……なんてことしやがんのよ」
「いつもの仕返しよ。あんたと違って、こんな程度で済むんだから、可愛らしいもんじゃない?」
 ちっ……と私は舌打ちして、そっぽを向いた。亜弥子は笑っているようだったが……
 考えてみれば……これも『初めて』だったかもしれない。
 亜弥子が、私に対してやり返すというのは。
「……ねぇ。そろそろ訊かせてよ」
 突如……と言えば、突如だったかもしれない。
 私の髪を改めて洗い直しながら、亜弥子は話を切り出してきた。
 足下から駆け上がり、脊髄から脳裏へと。
 痛みにも似た脈動が、波のように全身を走り抜ける。指先が震え出す……目の奥が、痛い。
 いずれにしろ……教えるつもりだったはずだ。
 決意は、もう既にしておいたはずだ。
 なのに……どうして、『痛い』?
 胸の奥が苦しい……嘔吐感すら伴う息苦しさ。声を出せば、本当に吐いてしまいそうだった……そして……
「私はきっと後悔しない」
 全ての不快感が、消失していた。逆流する痛みが、今度は心地よさを引き出してくる。
 亜弥子が、背中の方から私を抱いていた。優しく包む彼女の腕。背中に当たる、乳房の弾力。
「あんたが本当は誰であろうと……そんなのはどうでもいいことよ」
 それは嘘だ、と私は胸中で付け加えた。
 どうでもいいとは思っていないだろう……そう、どうでもいいとは。
 だが、それが紛れもない優しさだということは分かる……彼女の行為も。言葉も。声も。
「話して……優歌」
「私は……」
 私は、語り始めた。

 
 
 ……全てを語って。
 私は疲労にも似ただるさを覚えていた。
 風呂から上がって、適当に髪を乾かした後、ベッドへ。いつも寝間着代わりに使っているサイズの大きいシャツ一枚の姿で……
 寒くはなかった。隣に亜弥子がいるから。体温というのは布団越しにも意外と伝わってくるものだ。
 胸の中の喪失感。暗い部屋にも喪失感。窓の外にも喪失感。
 失って、よかったもの。
 不意に……ふふっ、という亜弥子の含み笑いが聞こえてきた。
「……何?」
「いや……あんたって、私より遙かに年上だったんだなぁって考えたら……ね」
 亜弥子が、身体を反転させてこちらを向く。暗闇の中で、互いを見つめ合う……
「そんな長い時間を生きてきて……どうだったの?」
「……分からない。けど、色々あったわ……魔女として、罵られたこともあった。旅先で出会った少年を戦士として育てたこともあった」
「人を、殺したことも?」
 私は……亜弥子のその問いに、答えられなかった。舌が、急激な速度で乾いていく……
「あんたは、その『彼女』とかっていう神様を殺して、どうするつもりなの?」
 その別の問いは、こちらの胸中を見越してのことなのだろう。私は、今度は答えることができた。
「あいつは、世界をおもちゃのようにしか見ていない……だから殺すの」
「神様が死んじゃったら、この世界も終わるんじゃないの?」
「私がいるわ」
「神様に、なりたいの?」
「……亜弥子は……死というものを、どういうことだと思ってる?」
 唐突な問いかもしれなかった。実際、馬鹿げた問いだっただろう。それでも亜弥子は真剣に考えて、答えてくれた……
「私は……そうね。消えることだと思ってる。死んだらそこで終わり……本当の意味で、何もできなくなること」
「少し、違うわね……正確には、消えて終わって何もできなくなって、最後に『苦痛』になるのよ」
「……苦痛……」
「そう、苦痛……運命と共に定められた、ヒトの最後の成れの果て」
 頬が、ゆるんだのを感じた。我知らず、苦笑でもしていたのだろう……
「ヒトはそんなに馬鹿じゃない……いつかは気づく、この世界が、楽園の『模型』だってことに……」
 亜弥子には、私が何を言っているのか分からなかっただろう……私はとりあえず構わずに続けた。
「私が『彼女』に言った言葉よ。そしてそれは、現実になってしまった……」
「教頭先生ね」
「……ええ。私は彼らを止めなきゃならない。最悪は……殺すことさえも厭わない」
「先生たちは、何をしようとしているの?」
 もそ……と、身体の位置を直しながら、亜弥子が訊いてくる。私は曖昧に、答えた。
「多分……そう、例えば、『弓』を使って『彼女』を殺し、自分たちが神になろうとしている……とか」
「そのために……優歌を殺そうとしているのね」
「いえ、殺したいんじゃない……私の心と身体を使って、『矢』と『弦』を造るつもりなのよ」
「優歌じゃなきゃ……いけないの?」
 こくり……と、私はうなずいた。
 静寂が支配する夜の空間……外から、車のエンジン音が聞こえてくる。近くから遠くへと。
「……ねぇ、優歌」
 そっ……と、亜弥子の手が私の頬に触れてくる。親指が、目尻を撫でた……
「何がそんなに……苦しいのよ」
「苦しく……なんかない」
「嘘よ。だって分かるもん……三年も、一緒にいたから」
 彼女の手が、こちらの首筋にまで下がってきている……私は、抗わない。
 暗闇の中で、亜弥子の瞳に私が映っていた。弱々しい……悲しいくらいに弱々しい、私の顔が。
 ……告げる。
「もう、駄目なの……」
 こみ上げてくる熱さは本物だ。揺れたように見える世界はその熱さゆえ。冷たい外気は存在の証。
「もう嫌なの……何かを支えて、守って、頑張って……そんなことに意味はないのよ。分かってる……分かってるの……」
 溶ける胸。燃える眼球。溢れる感情の血。濡れるカラダ……
 逃げ道はないんだ。
「……お願い……」
 亜弥子の身体を抱きしめたのは自分の意志。彼女の胸の温もり、布団の暖かさ、涙の熱さ……
 そしてつぶやきも、これで終わる……
「私と、一緒にいて……」

 
 
 ……ただ、私は……
 誰かに、甘えたかったんだ。
 ……だから……

「ありがとう」

                                                ≪つづく≫



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