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Original Novel
NODOAME Presents



歌姫


第20話

ミッシング・リンク



 殺す者と殺される者。
 罪悪に価値があるとすれば、死者は自分を殺害した者に最大の賞賛を送るのと同義なのであろうか。
 定められた世界で、真に価値のあるものを見出すことは出来ないのか。
 永遠の輪廻は、死で以てしか終わらすことはできないのか。
 ……殺す者と殺される者。
 いかなる場合においても結果は一つだ。そう、たとえそこにどんな契約が結ばれていようとも。
 
 
 
「箱庭的な美麗さなんて、かけらも必要なかったのよ」
 結賀さんの胸を再度踏みつけながら、私は彼女を見下ろしていた。
 周囲の、記憶操作された人間たちは皆、こちらを見据えている……だが、それまでだ。他には何もして来ない。主が危険に晒されているのを理解しているのか……あるいは、全く興味が無いのか。いずれにしろ、何らかの理由はありそうだったが。
 私は肩口にかかった髪を後ろに撥ねのけ、続けた。
「天使なんかどこにもいなかった……神なんかどこにもいなかった。楽園なんか、有りはしないのよ」
「じゃあ……あなたは、何……なの」
 苦しげに答えてくる。足の裏を通じて、結賀さんの荒い呼吸が伝わってくる。
「私は楽園の聖女よ。知ってるはずでしょうが」
「ユミル……彼女こそ、悪魔の使徒よ……」
「するとさしずめ私は、小悪魔ってところかしら?」
「悪魔がいるなら、天使もいて、しかるべき……よね」
 つぶやいて、結賀さんは笑ったようだった。もっとも、苦悶に歪んだ表情に笑みが浮かんだところで、皺が多く刻まれるだけだが。
 彼女は、忘れているわけではなかっただろう。私が、自分を殺そうとしていることを。
 その眼差しは、私の所作を一つたりと見逃してはいない。
「この、堕落した世界には……神が、必要なのよ……私たちの手で、作った……神が」
「所詮は偽善でしょうが」
「偽善で救われるなら、それは素晴らしいことだわ」
 突然……ではなかったかもしれないが。
 今まで喘ぎに近かった結賀さんの声がはっきりとして、身体にも躍動感が帯びたのが気配で知れた。
 時間稼ぎ!
 多分、話しながら密かに折れた骨を再生させていたのだろう。結賀さんは体内で何かが爆発でもしたかのように上体を跳ね起こし、同時に彼女の胸の上に乗せていたこちらの右足を左腕で挟み込んでくる!
「これは、約束なのよ!」
 そう叫ぶ結賀さんの右手が、野獣のように激しく動く……そこにはいつの間にか、さっきのとはまた別の、空間を固形化した果物ナイフ程度の大きさの刃が握られていた。逆手に持たれた黒刃が、押さえつけられた私の足の腱を狙って閃く!
「くっ……!」
 うめいて、私は即座に自由の利く左足を浮かせ、迫り来る刃をかかとで弾いた。
 その勢いを殺さぬまま前方に体重を傾け、地面を一回転しながら右足を結賀さんの左腕から抜き出す。
 私は近くの建物の壁に背中からぶつかり、その反動で一気に立ち上がった。そして一瞬で脳の中枢に浮かべたイメージを世界に解き放つ!
 その瞬間、私は体内に氷を詰め込まれたような危機的な悪寒と、それとは裏腹な情熱的な快感を覚えていた……
 
 かっ……!
 
 擬音にすればそんな感じで、眼前の空間に光が弾ける。
もし光の粒子を肉眼で正確に目視できたとしたら、ちょうど中心で渦を巻くような蠢きすら見せながら、光の波動は爆発的に膨れ上がって
いった。青白い電流を周囲にばらまきながら、一直線に結賀さんの元へと拡がっていく。
 ……光の収束。限界の超越、後、崩壊!
「おおおおおおおおおおっ!」
 私はその力を制御するだけで精一杯だった……少しでも意識を逸らせばこちらが消し飛ぶ!
 蒸発するアスファルトの地面、ひしゃげる電信柱に信号機、砂の山が崩れるように砕けていく建物の外壁。
 たとえ操られているとはいえ、辺りの無関係な人間を巻き込まないぐらいの制御はできているはずだった。
 やがて破壊が終わり……後は、事が済んだ空間に虹色の淡い輝きが残っただけだった。
 ……自分の力によって崩壊した周りの光景を眺めながら。
 私は、何故こんな強大な力を放ってしまったのか分からなかった……イメージを浮かべたのは確かに自分の意志だったが、その意志の発生源が分からない。結賀さん一人を殺すだけなら、相手の頭の横で空間破裂を起こすだけでよかったはずだった。
 ……もしかして……
「そう……これも約束の一部」
「…………!?」
 声なき悲鳴を上げて、私は総毛立つような戦慄を覚えていた。眼球の奥が震えたのを、はっきりと感じた……
 粉塵と虹色の膜の中に、結賀さんが立っていた……無傷で。
 前にもこんなことはあった……
「柱があなたを壊していく。まだ、気づいていないんだね」
 底冷えするような声で告げてくる結賀さん。左手のひらを、緩慢な動作でこちらへと向けて見せながら。
「これらは全て約束なの……私と、祐一との」
 祐一。
 その単語は、何故か頭の中を掻き乱した。痛みすら伴うその感覚の中、たった一つだけ思い出せることがある……
 神楽。
 ……神楽、祐一!
「この世界が終わっても……死が溢れても、苦痛が心を蝕んでも……あの人とならどこへでも行ける……そう約束してくれた」
「結賀さん……あなた……」
「そう、約束してくれたのよ!」
 逆鱗にでも触れてしまったように、結賀さんが怒気を込めて叫び返してくる。そして唐突に、眼前で光が弾けた……
 さっき私が使った術と同じ!?
 私は脳が理解するより早く、空間を裂いてその中に飛び込んでいた。
 一瞬の無重力の後、私は駅の中に現出していた。無人の改札口。吹き抜ける無機質な風が、いつしか熱くなっていた身体に心地よい。
 ごぅっ……!
 外から強烈な衝撃音が聞こえてきた……術が完成したのだろう。
 次の瞬間、右手の方向の空間が、波模様を描いて裂けたのが見えた。
 反射的に私はそちらに右手を振りかざしていた……次いで、刹那に構成したイメージを解放する!
 じぎぃっ!
 巨大な雷球が、裂けた空間の中心に出現する。激しく放電しながら、そこから出てくるであろう結賀さんにのしかかる……
「私と祐一との盟約を、あなたが壊そうとするから……」
 ずるずると……
 産出される赤子のように、裂け目から這い出してくる結賀さん。銃声にも似た破裂音と共に電流が彼女の頭の横で弾けたが、眼鏡が砕け散
っただけだった。他に傷は一つも無く……ただ憎々しげに充血した双眸が、ぎらりと私を睨め付けていた。
 無効化されている……!?
「だから、私があんたを壊すのよ!」
 紙をくしゃくしゃに丸めたように、結賀さんの周りの空間が歪んでいく。
 耳障りな唸りが、鼓膜だけでなく身体すらも振動させる……やがて振動は破壊的な波動へと!
 まずいっ……!
「くっ!」
 私は結賀さんの方……歪んだ空間に両手をかざし、望むがままを力に変えた。
 破砕が起こる。こちらが放った力が空間をさらにひしゃげさせ、崩壊を拡大させる。
 力と力……破壊と破壊の衝突。圧倒的な力の破裂の連続が、骨さえも軋ませた……頭痛が、吐き気が、恐怖を添えて沸き出してくる。
 そして、後は迅速に。
 
 ふわっ……
 
 視界が、全ての感情を置き去りにして消失した。
 
 
 
 「ミドガルズオルム。運命の輪……その外側には何があるというのかしらね?」
 「何も無いよ。少なくとも、僕らは知らなくていい……」
 「この命の器が、私たちの全てだって言うの? それこそ馬鹿馬鹿しいわ」
 「僕たちだって命さ。あなどれないよ」
 「……何もできない、というわけね。私たちには」
 「むしろ何もしない方がいい。世界は、決して甘くないんだから」
 
  いつか交わした言葉……いつだったか。魂が震えて教えてくれる。
  楽園が、まだ活動していた時。最後の苦痛が溢れる前。
 
  ねぇ、シエル……私、本当にこれでいいの?
 
 「君は、死ぬのが怖いのかい?」
 「そりゃ怖いわよ、当然でしょう。あなたは……怖くないの?」
 
  怖くないはずがなかった。
  私に死ぬことの意味を教えてくれたのは彼だったし、そんな彼が死を理解していないはずがなかった。
 
 「でも、君は大丈夫だよ」
 
  ……何が。
 
 「君には未来が用意されて……」
 「そんなものは無かったのよ!」
 
 
 
「なんで……?」
 雲の隙間から太陽が覗くように、闇に光が。
 それは混濁した意識が覚醒しただけに過ぎなかったが、今この目に入ってきている光は紛れもなく本物だった。これを偽物の光だというの
も奇怪ではあるが。何にしろ光を認識できるということは、視神経はやられていないということだ。
 駅は相変わらずの風を放射していた。ただし今は埃っぽい……私と結賀さんの破壊の力による粉塵が舞い上がっている。
 死の風……
 そんな滑稽な単語が、脳裏をかすめる。
 破壊し尽くされた場所に吹く風は、みんな死を孕んでいる。たまにはきらめくこともあるだろう。
 湖面に陽が射し輝くように、滴る血がきらめくこともあるだろう。
 滴る血が……
 ……血?
「なんで、なの……?」
 嗚咽するように繰り返されたその言葉は、私が発したものではない。
 私は仰向けに倒れていた。背中に鈍い痛みを覚えつつ、地面に肘をついてその力だけで上半身を起こす……
 頬に生ぬるいものを感じて、私は戦慄を抑えきれず、慌ててその場から跳びのいた。背中の痛みがまるで嘘であったかのように、身体は俊
敏に動いた。
 右腕から。
 正確には、かつて右腕があった場所から。
 噴水のように血を噴き出しながら……時折、歯切れ悪く……、結賀さんが悲痛な面持ちで佇んでいた。今にも血涙を垂れ流しそうな真っ赤な双眸には、実際に涙が浮かんでいた。血が混じっているかどうかは分からないが。
 腕の切断面は綺麗だった。鋭利な刃物で一太刀……肩口から、斜めに切り落とされていた。
 亡霊のようにおどろおどろしい声で、彼女がうめく……
「どうして……裏切るの……」
 傷の痛みよりも別の痛みに顔をしかめ……心もしかめ、結賀さんはその場に膝をついた。
 私は思わず後ずさり……ふと、何かを踏んだのを感じて、反射的に足下を見た。
 全ての命に携わるものから遮断された、人間の腕。
 死にかけの魚のように不規則に痙攣している腕。
「……っぃ……!?」
 喉が一気に収縮して、しゃっくりのような声が出た……悲鳴が出損ねたらしかった。
 私は逃げるようにその腕から離れると、結賀さんの方へ向き直った。心臓の動悸をなんとか抑えながら、醜く喘いでいる彼女を見やる。
 と……彼女の背後に、誰かが立っているのを見つけて、すぐさま視線をそちらに移す。
 精悍な……だがどちらかと言えばただ端正に整っているだけの顔の、少年。
 私は彼が、少年などではないことを知っていた。
「神楽……!」
 それは優等生神楽祐一ではなかった。
 獣の目。どのような聖者よりも静謐な眼差しの男。孤独の瞳……
 彼の右手には、剣が握られていた。空間から生み出した黒い刃……ただ私や結賀さんのと決定的に違うのは、身の丈よりも遙かに長いその
刀身だった。
「祐一……ねぇ、どうして……?」
 油の切れたからくり人形のように、ぎぎぎ……というような動作で、背後の神楽に振り返る結賀さん。
「この女の……どこに愛があるというの」
 神楽は答えない。
 ついでに表情も変えない。瞬きもしない……
「私だけが……私だけがあなたを愛してあげられるのよ!」
 ここで叫んだのは致命的だったろう。傷口から一層激しく、血が噴き出る……返り血が、神楽の顔についたようだった。
「ねぇ……お願いよ……声を、聞かせて……」
 それは願いというよりも、むしろ懇願だった……あるいは祈りであったのか。
 結賀さんの左手が、神楽の顔へと伸びる……
 その震える指先はどこか透けて見えた。
「お願いだから答えてよぉぉぉっ!」
 
 
 
 「……これが結果か」
 
 
 
 叫びが鼓膜を震わし、言葉が脳を刻み……
 絶対の拒絶感に憤りすら覚えながら、しかし決然と、私は眼前の光景を見つめていた。
 神楽の剣が、結賀さんの心臓を刺し貫いていた。
 剥かれた眼差しからは血涙が流れ落ちていた……それは右肩の傷口よりも、心臓を刺された傷よりも、ずっと痛々しかった。
 既に彼女は膝を地面につけていたが、さらにそこからくずおれるように、手前の地面に顔面から突っ伏した。血が、拡がる……
「……あ……こ、う……あ」
 最期の瞬間、何かをつぶやいたようだったが、聞き取れなかった。
 ひくひくと短く痙攣した後……結賀さんは事切れた。
 神楽は死体から剣を引き抜き、そのまま虚空へとその刃を消すと、こちらに手を差し伸べてきた。
 声が、紡ぎ出される。
「来い。俺が、お前を果てまで導こう」
 ……奇跡というものがあるとしたら。
 それは、運命の輪に抗うことを意味しているのだろう。
 私は……
 彼の、手を取っていた。
 
 
 
  ユグドラシルの聖女。
  楽園の巫女……神子。
  ウロボロス・リング。ミドガルズオルム。運命の輪。
  ……いつから、間違っていたのか。
 
 「生まれる……」
  生誕。
 「愛しい、我が子よ」
  育まれる命。
 「どうか、あなたたちの望む世界が生まれますように……」
  嘘つき。
 
 「あなたを愛したことを罪に思う……」
  破綻した愛。揺るぎ無き悲しみ。憎悪。いつか灰燼と帰す。
  愛されたのは誰だ。
  手を握ってもらったのは誰だ。
 
  愛されているはずがなかったんだ!
 
  苦痛。世界を蹂躙するヒトビトの痛み。
  ……イタイ。
 
 「『神』にはなれない、か……ロジックな、君らしい意見だ」
  破滅が、渦を巻くように。まるで世界を喰らい尽くした天使たちが、『楽園』へと還っていくかのように。
  その『楽園』に、もう果実はひとつたりと残ってはいないというのに。
 
  もう、果実はひとつたりと残ってはいないんだ。
 
 「だから?」
 「君だけが世界の中心じゃないってことさ」
 
  そして……世界は、途切れる。
 
 
 
 同時刻。
 彼は、顔を上げた。
 大聖堂、と呼べば欺瞞になろうか。ここは決して神聖ではないからだ……こういった場所が神聖でなければならないという法則もない。
 十字架に張り付けられている男の像が、彼を見下ろしている。全てを引き継いだ彼のことを。
 誰も弾いてくれる者のいないパイプオルガン。いつも斜陽が差し込んできている広間。
 ……天井から吊り下げられた、女。
(何故、私を苛む……)
 彼は呪わしげに胸中でうめいた。
 所詮は根拠の無い疑念に過ぎなかった。それは、彼も理解している……いや、理解していると思い込んでいたいのか。
 彼以外には誰もいない広間は、静かだった……音の無い静けさではない。ぶちまけられる憤懣から耳を背けているような、そんな静けさ。
 もっとも、音が無いということに違いはなかったが。
(もうすぐ終わる……あなたは、もう必要ないのだ)
 深く爪を握り込む。肉を突き破る気色の悪い感触。痛い……
 嫌な予感を振り払うように。あるいは、悪夢を必死で忘れようとするかのように。彼は苦々しくつぶやいた。
「共に果てへ行こう……アリス」
 灼かれたその想いも、言葉の果てに消えた。
 
 同時刻。
 彼女は、顔を上げた。
 暗い部屋で一人。ベッドの中で寝返りを打つ。濡れた指を恍惚とした眼差しで見つめ、再び自らを慰める。
 再度、行為に没頭するのは簡単だった。
 何も考えなければいいのだ。そうすれば、快楽は向こうからやってくる……
 向こうからやってくる。
 こんこん……
 ドアが、ノックされる音。
「……誰だ」
 行為を中断せざるを得なくなったことへのもどかしさと、急速に冷めていく想いに、彼女は苛立たしげに答えた。
(……場合によっては、殺す)
 その剥きだしにされた殺意を、ドアの向こう側の誰かは感づいたのだろうか。おずおずと、返してくる……
「さ、紗夜です……華苗様、お薬をお持ちしました……」
「……入れ」
 許可を下すと、ドアが軽い軋みなど立てながら開いていく。そして、メイドの衣装に身を包んだ黒髪の女が入ってくる……
 外見の割には、礼儀作法というものに慣れていないように見えるこの女。
 早く慣れろといつも思っていた。
(無理だね。だってこの子は、駄目な子だから)
 彼女……華苗は上半身だけを起こし、ベッドの横のティーテーブルを指さして見せ、
「そこに置いといてくれ……水は、ないのか?」
 言われるがままにテーブルに薬を置いた紗夜が水を忘れているのに気づいて、華苗は尋ねた。
 すると紗夜は飛び上がりかねないほど慌てて、ぺこりと頭を下げ、
「もっ、申し訳ありませんっ! すぐにお持ちします!」
「いや、いい……」
 華苗がそう言ってかぶりを振って見せると、紗夜は「でもでも」といった感じで彼女と出口の方を交互に見やる。
(本当に……駄目な子だ)
 自分でも気づかないうちに、華苗は唇を舐めていた……
 いや、それは嘘だ。彼女は気づいていた。
 華苗は、紗夜の手を掴んでいた。
 唐突に手を取られて、きょとんとした表情で華苗の方を振り返る紗夜……
 ぐい、と引き寄せられ。
 次の瞬間。
「……んっ……!」
 迅速に、流れるような動作で、華苗は紗夜の唇を奪っていた。
 紗夜は抵抗しない。むしろ求め返すように、華苗の愛撫を受け入れていた。
 二人の間で艶めかしく響く水音……離れては吐息。
 華苗が、告げる。
「邪魔をした罰だ」
「……はい」
 夢を見ているような眼差しで……火照った身体を自ら抱きかかえるような仕草で……紗夜がうなずく。
(駄目なのは、私も同じか……)
 紗夜と共にベッドに倒れ込んで。
 そう胸中で自嘲し、ようやく彼女は苦笑した。
 
 同時刻。
 彼女は、顔を上げた。
「……生きてる……」
 自分の身体から流れ出たのであろう血溜まりの中で。
 織依は虚ろに、息が詰まったような切れ切れの笑い声を上げていた。
 
 同時刻。
 彼は、顔を上げない。
 神を祭る時に奏する舞楽はみだりに舞ったりはしない。
 だから、彼は決意していた。
 固い、固い決意だ。
 それが壊れる時は、この世界も道連れだ。
 
 同時刻……無時刻。
 彼女は祈りを捧げていた。
 いや、それは祈りなどではなかったのかもしれない……ただ、想いを馳せていただけか。
 どうでもいいことだ……当人にとってもそうだったろう。
 実際、それは祈りなどではなかったのだから。
 この、自分しかいない世界に、他者の声が響くまでは。
「……何をしているの?」
 
                                                 ≪つづく≫



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