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Original Novel
NODOAME Presents


 
 
 どうしろというのだ。
 人間には、どういった状況であっても、ひとつくらいは何かやることがあるはずだ。手足を縛られて動けないなら、少しは縄を緩めてみようとする。やることを全て終えて暇になったら、暇潰しに散歩してみるのもいいだろう。
 極論を言えば、考え事をしたり何か一点を馬鹿みたいにじっと見つめ続けたり息を吸ったりすることも含めるとするなら、人間が片時も何もしていない時間というのは皆無に等しい。
 もっとも、そんなのはただの屁理屈だが。
 しかし、本当にどうすることもできない状況というのは、得てしてそういうものなのだろう。
 何とはなしに、目を開けてみる。色の無い世界が、そこに広がっていた……闇ではない。かといって、白でもない。何もない世界だ。
 肌に感じるものは冷たい……いや、感じるものが何もないから、冷たく思えるのか。
 ふと、考えてみる。考えた。
 何も考えられなかった。
 では、今この瞬間、考えているこの言葉の数々は何なのだ?
 
 どうしろと人間には手足暇歩してみ皆無屈だが本得てとはなしに色闇で白でも世界ふと考え考えられでは瞬の言葉々何なのだ?
 
「と、いうのは私が代弁してあげているのよ」
 誰だ。
「クリスミスティ=キャロルよ。分かるでしょ?」
 私?
「そう。楽園より来たりし『創る者』より生まれた、世界を管理する者。楽園の聖者。『私』のことよ」
 私は?
「あなた? あなたは誰よ」
 羽鳥優歌。
「彼女は死んだわ。三年前、心臓発作でね。あなたは死人だとでも言うの?」
 私は……
 
 それは寒い夜のことだったか。よく覚えていない……思い出は時として、無意識にその内容が脚色されてしまうものだ。
 仮にそれが事実ではなかったとしても、当人がそう思うならそれは当人にとっては真実なのだ。後のことは考えなくていい。 なんにしろクリスミスティ=キャロルは、一人の少女と出会っていた。
 出会いは……少女が、死んだ後のことだったが。
 一度死んだ人間が生き返るというのは、実は大して珍しいことではない。
 珍しいことではないと、私は『断定』した。
 核たる私の力があれば、そう少女の親たちに信じ込ませることは容易だった。彼らの記憶の中の少女を蘇らせ、私は羽鳥優歌としてこの国でしばらく生きていこうと思った。
 それは寒い夜のことだったか。そうだ、確かに寒かった……耳があまりの冷たさに痛みを感じていたことを覚えている。
 雪は降っていただろうか。降っていたかもしれない。いや、降っていた。
 凍えそうな夕闇の中、葬式に参列する喪に服した人間たち。
 私は彼らの中に紛れて、羽鳥優歌の死体が収められた棺の前に立った。
 そして、解き放ったのだ。私は世界を、彼らの記憶を改変した。
 事故は起こったが彼女は生き返った。本当に死んだのは双子の妹の『由宇』だ。羽鳥優歌は生きている!
 ……その日、私は羽鳥優歌になった。
 
「嘘つき」
 何故。
「羽鳥優歌はもう死んだのよ……死んだ由宇は架空の人物。あなたは羽鳥優歌じゃない」
 では、私は……
「……あなた、誰?」
 
 


歌姫


第25話

クリスミスティ=キャロル(羽鳥優歌)


 
 
 槍が彼女たちを消し、その一瞬後。
 世界は、胎動していた。
 神楽の手の中で、グングニールの槍が蒼白い光を放つ。同時に放射されている激烈な振動波が、床を伝い、壁を伝い、天井を伝い、礼拝堂全体に無数の細かい亀裂を走らせた。そしてその亀裂の隙間から光が洩れ……
『部屋』を形成しているもの全てが、刹那にして蒸発した。
 まず、礼拝堂が、文字通り消滅する。祭壇が崩れ、ステンドグラスが砕け散り、奥の柱の間へと通じる通路さえも瞬く間にその形を失っていく。外界に露わになった柱の群れは、陽の光を浴びて狂おしげに悲鳴を発したりしていた。
 礼拝堂は、学校の体育館にあった。体育館内の空間の、裏側。光の屈折率と、空間の存在定義の操作によってその礼拝堂は形成されていたのだが、今となってはそんなのは意味の無いことだ。
 破壊は、さらに拡大していった。校舎が、まるで浜辺の砂の城を波が打ち流すかのように、あるいは雪崩のように倒壊していく。その果てには消滅。何も残らない……何も残さない。
 なんにしろ破滅は、学校の敷地より少しはみ出した程度の規模を無に還したところで、その勢力を失っていた。
 無数の柱と……瓦礫と……荒野と……自分を狙う敵だけが残されたその場所で、神楽はただ槍を握りしめていた。
 消え去ったのは無機質な物質のみ。人間たち、生きる者はそこに残されていた。
 それは慈悲のある破壊だったのか、その逆であるのか分からないが……
 いずれにしても、まだ審判の時は続きそうだった。
「……クリスミスティを、どうした」
 問いながら、静かな怒りを孕んだ眼差しで睨め据えてくる戌井を、何気なしに見返しながら神楽は答えた。
「この世界のシステムの中枢……楽園に最も近い場所に転送したのさ」
「愚かな……滅びを招くだけだぞ」
「彼女が望んだ死なら、それもいいさ。喜んで甘受しよう」
「本当に……愚かだよ、お前は」
「その愚か者を生み出したのは誰だよ」
 やけくそ気味に神楽は吐き捨てると、すっ、と槍の穂先を天に向けた。
 まるで最初から目に見えない糸で括られていたかのように、槍が空へと引き寄せられていく……
「アリス=リアルライズの血と肉。楽園と同質の存在たるグングニールの槍。接触者、主の願いを意のままに現実とする万能の槍」
 蒼穹の中へと吸い込まれていく槍を見上げながら、戌井が詩歌でも読み上げるようにつぶやいているのが聞こえた。
「不完全な万能の力。世界は、クリスミスティ=キャロルを新たな神として認めるのか……我々が用意した神ではなく」
 それは以前、神楽も聞いたことのある内容だった。彼がグングニールの槍と接触した時、戌井自らが語った槍についての説明だ。
 グングニールの槍とはつまり、アリス=リアルライズのクローン。
(神になれ得る資質を持った人間を、真なる神へと昇華させる力)
 彼は、胸中で補足した。そうだ、あの槍は、神を創る『者』。
(この世界を楽園と繋ぐ、唯一の道!)
 天高く舞い上がった槍が、とうとう見えなくなる……今もさらに上空へと上昇しているのだろうか。
 と……
 空が、槍が昇っていたところを中心に、赤く染まっていく。赤の波が世界に拡がっていく……赤く、さらに赤く。
 まるで太陽が、光の代わりに血を噴き出しているかのように。
 世界は、『赤』の中に沈んだ。
 
 
 
「結局、命なんていうのは化学現象でしかないのよ。魂が見えるというなら、それはきっとただの錯覚ね」
 私たちは堕ちていた。海の底へ……海と思われる空間の底へと。
 底など無いのかもしれない。無限に、あるいは夢幻に、この海は続いているのか。
 続いていたとして、その始まりはどこであったのか。
 自分がいつ海に堕ちたのか分からない。着水する音。口と鼻から息を漏らし、気泡が弾ける。始まりがあるなら、必ずそれらの現象は水面で起こるはずである。だが、私はそのどちらの現象も目の当たりにしていない……知覚していない。
 もう、何も知覚できないほど壊れてしまっているのか。
 だったらゴミ箱に捨てるなり燃やすなり、してくれればいいのに。それとも私は燃えないゴミなのだろうか。
 今日は何曜日だったか思い出していると、彼女が……眼前の私、クリスミスティ=キャロルが告げてきた。
「死は、停止を意味してる。意志も、心も、その瞬間、無に還る……苦痛だけを世界に残してね」
 こういう話をする時、私はうっすらと微笑むのだと、彼女の顔を見て初めて私は理解した。
「人は、誰もが内に世界を秘めている。死を以て解放されたその世界が、システムを狂わすのよ」
 そんなことは知っている。
「知っている? ふふ……だとしたら、あなたほど残酷な奴はいないわね」
 残酷?
「そう、残酷……あなたは死がどういうものであるか知っていながら、世界に死を振りまいた」
 仕方がなかったのよ……
「殺人が仕方ないで済んだら、人間なんてとうの昔に絶滅しているわよ」
 生きるために殺したの。
「じゃあ、あなたが殺されていれば、今頃あなたが殺した人たちは生きていたというわけね」
 それは……論点のすり替えよ。
「でも、道理でしょう?」
 ……私は生きなければならなかった。『彼女』を『弓』で射、この最後の世界を破滅から救うために。
「違う。あなたはそんなことを望んではいない」
  では、何だというの。
「自由になりたかっただけなのよ」
 
 今でもはっきりと覚えている……初めて、人を殺した感触を。
 ただ、想像するだけでいい。後は手順を踏んで、それを現実の空間と交換するだけだった。
 世界を一枚のパズルと仮定するなら、それはピースを部分的に別の異なるものと交換する行為に似ていた。原理だけで言えば、それは真理だった。私の意志が……世界が、眼前のそれと入れ替わる。そして起こる現象。
 光が膨れ上がる。破壊的な熱を帯びた光だ。光速で放たれた力はあっさりと敵を打ち砕き、無へと、苦痛へと還した。
 手が震えたのを覚えている。肉片ひとつ残さずに消えた相手の顔を、今でもはっきりと覚えている……覚えている。
 だが、殺さなければこちらが殺されていた。仕方なかったんだ……仕方なかったんだ……
 だから私は、この身体で戦うことにした。戦乱の地を、力無しで生きていくことはできない……私は必死で格闘術を学んだ。
 この力は切り札だ。自分の身体ひとつではどうしようもなくなった時に使えばいい。
 そう、思っていたのに……
 
 じゃっ!
 熱波が……消滅の渦が、何十もの人間を一瞬で消し飛ばす。
 彼らは怒っていた。剣を携え、私への罵詈雑言を各々好き勝手に叫びながら襲いかかってくる。
「魔女め!」
「魔女め……魔女め! 殺してやる!」
「殺してやる!」
「殺してやる!」
 何度も殺されかけた。
 瀕死の状態で、広大な雪原を這いずり回ったこともあった。その先に癒すものがあるわけでもないのに。
 ……私は、人を憎んだ。
 滅ぼしてしまおうかと考えたことも、なかったわけではない。自殺を考えたことも。
 だが、滅ぼす勇気も、死ぬ勇気もなかった私は、ただ惨めに生きるより他なかった。
 誰も手を差し伸べてくれない。誰も優しくしてくれない。誰かに甘えることもできない。
 考えてみるに、何のために私は生きていたのだろうか。
 そうだ。『弓』や『彼女』なんて、ほんとはもうどうでもよかった。
 私は……自由になりたかったんだ。
 
「自由の代償」
 クリスミスティが、私の顔を覗き込んでくる。瞳の奥に、静謐な憐れみを湛えて。
「それが、あなたの罰」
 
 槍が……
 いずこからか飛来してきた槍が、私の胸を貫く。
 苦痛に喘いでいる時間は無かった。次々と私の身体をめがけて飛んでくる無数の槍に串刺しにされ、私は悲鳴を上げた。
 痛い。
 痛い……助けて……助けて!
 
「痛いのは」
 
 槍が……
 いずこからか飛来してきた槍が、彼女の身体を貫く。
 苦痛に喘いでいる時間は無かっただろう。次々と彼女の身体をめがけて飛んでくる無数の槍に串刺しにされ、彼女は悲鳴を上げた。
 痛い。
 痛い……助けて……助けて!
「亜弥子!」
 私は弾けたように身を起こして、亜弥子の元へと駆けた。このままではあの子が死んでしまう……殺される!
 嫌だ!
「亜弥子ぉぉぉっ!」
 あと少しで……彼女に触れるにはほんの少し、刹那程度の時間があれば事足りるというところで。
 何か硬質の物体が、私の身体を縛る。両手に楔を打ち込まれ、鎖のようなものがまるで生き物のように私をその物体にくくりつける。
 硬質で……肉質な十字架に張り付けにされて、私の自由は束縛された。
 なんで! なんで動けないのよ! 動け、動け、動け、動けぇぇぇっ!
「ゆ……う、か……」
 もはや音にすらなっていない声が亜弥子の唇から洩れたのが聞こえて、私は顔を上げ……
 そして、驚愕に目を見開いた。
 無数の槍は、彼女の原型を留めることすら許さなかったらしい。
 手足は千切れ、内臓は全てぶちまけられ、はみ出した眼球に脳が覆い被さっている。
 それでも彼女はつぶやいている! 叫んでいる!
「ゆ、う、か」
 嫌。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 
「嫌悪」
 私は教室の自分の席で腕を組み伏せて、泣いていた……泣いても泣いても嗚咽が止まらない。
 身体は痙攣していた。
「最低ね……あなた。彼女は誰のせいで、あんな姿になってしまったと思っているの?」
 違うっ……!
「あなたが彼女を殺したのよ。あなたが、保坂亜弥子の友達になっていなければ、彼女は死なずに済んだ」
 違う、違う、違う、違う、違う、違う!
「それが、あなたの罰……」
 違う!
「言ったでしょ? 私はあなたの心の代弁者……クリスミスティ=キャロル」
 
 クリスミスティが、私の頬に触れてくる……周囲の風景が溶けて、再び私たちは海の中に漂った。
 無重力……無感覚。どのような無すらも当てはまらない空虚の中で、クリスミスティがこちらの首に腕を回してきた。
 そして、優しく口づけてくる。触れて、離れるだけの、どうということもないキス……
「あなが一番最初に殺した女よ」
 
 
 
 世界は、どこまでも穏やかに終わっていく。
 赤い空から降り注ぐ、赤い雪。それは世界が流す、苦痛の涙なのか。それとも……
「クリスミスティ=キャロルの『神化(しんか)』は、必ず失敗する……世界を滅ぼしたのは、お前だ。祐一」
 ……夢想は、戌井の苦々しげな声によってそこで妨げられた。
 神楽はいつの間にか浮かんでいた苦笑を引っ込めて、戌井の方を一瞥した。そして、再び見上げる……
「だったらどうするんだよ。僕を殺すか?」
 それはもはや無意味だと分かっているのだろう……戌井はこちらのせりふに、何も言い返してはこなかった。
 だが……周囲を取り巻く少年少女たち。自分と同じ、造られた者たちは、黙ってはいなかった。
「ふざけるな! 貴様が招いた滅びだろうが!」
「第一、本物のユミルはどうしたのよ!? 奴の死なくして、新たな神は誕生しないのよ!?」
「お前さえ……お前さえ生まれてこなければ!」
「欠陥品め! 出来損ないだ、貴様は!」
「死ね! 死ね!」
 お前さえ生まれてこなければ。欠陥品。出来損ない。死ね。死ね。
 浴びせられる罵倒を、神楽は無言で受け入れていた。空を……赤い太陽を、細目で見つめる。何を言われても、もう何も感じない。
 激しい怒り、絶望、憎悪の入り乱れた叫びの中でひとつだけ、意志の抜けた声だけが彼の耳に届いていた。
「それでいいのよ……祐一」
 織依だった……片腕が無いせいでバランスの取れていないふらふらとした足取りで、こちらへと歩み寄りながら。
「これがあなたの答えなのね……? あの女を堕落させて世界を壊す以外に、あいつの呪縛を断ち切る術はなかったのよ……」「織依。悪いけど、お前のことはもうどうでもいいんだ」
 自分でも恐ろしいほど冷酷に、神楽は告げていた。
 しかし織依はこちらの言葉を無視したのか、それとも鼓膜が破れてしまっているのか、構わずに続けている。
「それでいいの……それでいいのよ……あなたと一緒なら……死ぬことなんて怖くない……」
 織依がつまずいたようにこちらに寄りかかり、左腕だけでこちらの身体を抱いてくる。
 抱き返してやろうとは微塵たりと思わなかった……頭を撫でてやる気も起きない。傷を心配して声をかけてやることも……
 結局、告げたのは一言だけだった。
「もういい。もう……いいんだ。母さん……」
 言葉は引き金。そして弾けたのは現実。
 声は確実に、織依に伝わっていただろう。彼女も、その意味をきっと理解したはずだ。
 だから。
 彼女は身体の動きの全てを制止させた……まるで人形のように、ぴくりとも動かない。
 瞳から輝きが消えたのを、神楽ははっきりと見ていた……その様子に、周囲の連中も驚いているのも見えたが。
 彼は自分の身体に回された織依の腕を優しく振りほどいて……そこで初めて、彼女の頬に手を当てた。
 死んではいない……彼女は、死んでなどいない。そう、死んでなど……
「今まで……ありがとう」
 そっと告げて、彼は織依の側から離れた。
 一度は殺そうとした女。その恐怖のあまり、自分の全てを閉ざしてしまった女。『僕』を、育ててくれた女……
 唯一、母と呼べる人。
 神楽は彼女に背を向けて、『柱』の立ち並ぶ方へと歩き出した。
『柱』は、『核』が近くから消えたことで、大分穏やかな様子でそこに佇んでいた。虚ろな眼差しの少女たちを、彼はあえて見上げようとせず、『柱』の群れのちょうど中心の辺りにまで移動した。
 そして、呼ぶ。
「起きろ……有菜」
 その一言は、『柱』を共鳴させるのと同時に、戌井の顔も驚きに引きつらせた。
『柱』に絡みついている肉質の触手が、一斉にその質量を増大させ、『柱』に張り付けにされた少女たちをその内に取り込み始めた。
 十字架の形をした肉の塊ができあがる……桃色の蒸気のようなものを噴き出し、荒い息遣いが『それ』から聞こえてくる……「有菜……」
 つぶやいたのは、戌井だった。狂気すら湛えた歓喜の表情で、両手を肉の塊の群へと差し伸べている。
 肉の塊はまるで何かを求めるかのように身じろぎすると、近くの別の『柱』と融合を始めた。水気を帯びた、嫌な接触音が連鎖的に響き、肉たちの呼吸の音も徐々に大きくなっていく……悲鳴にも近い、甲高い呼吸音。
 やがてそれは、ひとつの形へと収まる……
 例えるならば、それは人間の形をしていた。女型の輪郭がゆっくりと浮き出てきて、最終的に地面に膝をついている格好になる。
「うわああああああああっ!?」
 誰が発した悲鳴だろうか……異質な人型の肉の塊を見て、少年たちの中から恐怖の声が上がる。
 そしてその肉の中から。
 七人の人間が、這い出してくる……いや、それは人間ではない。彼は、それが人間ではないことを知っていた。
 髪の長い少女の『人形』が、七体。いずれも同じ顔をした人形である。彼女たちは自分たちが生まれ出た肉の塊を母を慕ってか、寄り添うようにその物体に触れる。肉の塊が、嬉しそうに鳴いて見せる。
(有菜……アリス=リアルライズのクローン……第二のグングニールの槍の、失敗作)
 人として生まれた神の子。槍になれなかった女。
(そして……最初の『柱』)
 神楽は憐れみにも似た思いでその肉の塊を見上げた。見るべきではない……見てはならないのだと、頭では理解しているのに。
 唐突に……七体の人形が、こちらを振り向く。瞳の無い、無機質な眼球に見据えられて、彼は思わず身震いした。
「有菜……君を生むべきではなかったのだ……神は……神は、君の存在を許してくれない……」
 戌井が、希望と絶望が混沌と渦巻いた声音でうめいたのが聞こえた。彼は、さらに続ける。
「君を……君を、救えなかったこの私を……どうか許してくれ……神を殺せなかった私を、どうか……どうか……」
 彼は頭を抱えて、とうとううずくまった。恐怖か……それとも別の何かが、彼の目から涙をこぼさせた。
 哀れな男だ、と神楽は胸中で独りごちた。
 偶然、生まれた失敗作のクローンを愛してしまった男。その愛した女を、こんな醜い姿へと変化させてしまった罪深い男。
 これが……『神化』の成れの果て。
(……優歌)
 目の奥に……そして眼前の『女』に、ひたすらに想う彼女の幻影を重ねてみる。
 彼女も、『神化』に失敗すれば、こんな姿に成り果ててしまうのか。いや……今回はユミルの魂と融合した完全体のグングニールの槍を使
用している。これが失敗すれば……世界は壊れる。魂も苦痛も、全ての感情を虚無に置き去りにして、消失してしまう……
 言わば、これは賭けだった。有菜は、失敗作とは言え、グングニールの槍と同質の存在。心とココロが、羽鳥優歌の魂に呼びかける……
 
 ワタシを貫くワタシのココロ。たくさんのココロに貫かれたワタシとココロ。
 
 その呼びかけは彼女を苦しめるかもしれない。
 だが、告げなければならない。告げる言葉はひとつだ……それ以上は必要ない。
「……………………!」
 告げた。
 ぱちん……と、電気のスイッチを切られたように、周囲が真っ暗になる。いや……視覚が肉体から切断されたのだ。
 聴覚も、途切れる。何も聞こえない。一瞬、彼は自分が死んだのだと思ったが、違う……
 彼は波に流されて漂うような心持ちで、全ての感覚が遮断された世界に佇み……
 再び全ての神経が肉体と接続された時、彼は七体の人形にその身を抱かれていた。
「有菜……」
 無意識に……だがかろうじて意識的に、彼は人形たちにそう呼びかけていた。
 人形は微笑んだりはしない。だが、彼女たちは笑った……確かに笑ったのだ!
 ……彼は、人形たちを抱き返した。
「僕を解き放て。そして、彼女を……」
 ……ありったけの感情を込めて紡ぎだしたその言葉は。
 いつの間に現れたのか、赤い空を舞い踊る無数の天使たちの歌声によって掻き消された。どこまでも切なく、楽しげな歌声。始まりと終わりのないその歌に、誰が拍手を送るというのか。彼の言葉が消えて、それでも残った意志は、天使たちの心に届くのだろうか。
 永遠の夢。永遠の始まり。しかしいつかは終わるこの世界は、どこまでも穏やかに、始まりの時を迎えていた。
 
 
 
「自分ではどうしようもないこと」
 伸びる指が、私の身体を優しく撫で回す……触れられること自体は気持ちよかった。ただ……その感触が気持ち悪い。
 矛盾した感覚の中で、私はクリミスティの囁きを聞いていた。
「何もできない自分に腹が立つ。本当に頼れるのは自分だけなのに」
 頼りない……どうしようもなく頼りない、自分だけなのに。
「あなたはこれからも、自分だけを頼り続けて生きていくの?」
「……壊したんでしょうが……」
 そのつぶやきは、私の喉を痛めた。絞るように声を発したせいだろうか……まあそんなことはどうでもいい。
「あんたが壊したんでしょうが! どうしようもないくらい何もできないあんたが、何もできなかったせいであいつは死んだのよ!」
「そう、壊したのは私……その痛みに悶えるのはあなた。分かってるじゃない」
 そっ……と、クリスミスティの舌がこちらの首筋を伝った。胸元を経由し、下腹のあたりへと。
「壊したら直せばいい。簡単なことよ」
「直す……直すですって?」
 頭の中で……正確には、頭に最も近い場所で、何かが音を立てて弾けた。その単語を繰り返して、私は叫ぶ……
「直すですって!? どこをどうつついたらそういう結論が出て来るってのよ!」
「例えば……そうね。一人の少女がいたとするわよね」
 彼女の発言は、不思議と意外ではなかった。遠い昔からある記憶……科学的に言えば、遺伝情報的な記憶。
 既視感とはこういうものだと、私はなんとなく理解していた。
「その少女は花を売って生きていた。とても辛かった……これからの人生なんてどうでもよく思えてくるほど、残酷な現在」
 クリスミスティが……私と肌を触れ合わせてくる……暖かい。心が溶けてしまいそうなほどに暖かい。
「少女は何より、自由を求めていた。自由とは何か、と模索するだけの人生経験も無い……有るのは、孤独と寂しさだけ」
「孤独は少女の心を籠の中に幽閉し……寂しさは、気を狂わせた」
 自分の意志に関係なく口が動くというのは……実際にやってみると、なんのことはなかった。
 ただ、声を出すことは、どちらかと言えば苦痛だったが。
 クリスミスティが、後を続けてくる。
「やがて少女は一人の少年と出会う……それは、運命だったのか。または、少女が自らの意志で選んだ道だったのか……」
 私はクリスミスティの身体に手を回し、半ば押しつけるように彼女の頬にキスした。
 唇と肌が接触したまま……私は、つぶやいていた。
「そして……少女は逃げ出した」
 
 街の灯りは人の灯火。明かりあるところにヒトがいる。
 夜の薄闇は人の恐怖。ヒトが畏怖すれば夜は笑う。
 風の猛りは人の雑踏。ヒトが騒げば風も踊る。
 そして花の香りは……少女の幸せ。花は少女の翼となる。
 
「翼、欲しい?」
「どうすれば……いいの?」
「……歌えばいいわ。好きなだけ」
 
 
 
 望んでいるはずがないではないか。
 何を望めというのだ……この苦痛だらけの世界で。
 闇。自分。
 たったひとつの単語で形容される自分にしてやれることは、もはや慰めでしかないのか。
 どうしようもない世界……どうしようもない自分……どうしようもないやるせなさ。
 ……なんだ。本当にもうどうしようもないじゃないか。
 終わらない夢……壊れない現実……いつか終わる幻想。
 そうだ。どれもこれもいつかは必ず終わる。それが死んだ瞬間か……死ぬ間際か。それはどうでもいい。
 なら、僕は甘受しよう。苦痛だらけのこの世界で、どうしようもない祈りを、望みを天に訴えかけよう。
 神よ。
 僕を、人間にしてくれ……
 
 
 
「おっはよおぅっ! ついでにあけましておめでとうっ! 謹賀新年とりあえずよろしくっ!」
「やだぁ、羽鳥さんはこのクラスにはふたりもいないよー」
「あなたのように、皮肉の上手な生徒が他にいれば、考えないでもなかったわね」
「おはよう、羽鳥さん」
「僕が恋をしたのは、君だよ。羽鳥さん」
「気持ちのいいことには抗えない……どこにでもいる、普通の女の子さ」
「そうだよ、それがお前だ。分かるだろ? 羽鳥優歌」
「むー……考えてみるに、どれを取ってもあんたが意気消沈したり体調不良を起こしたりする原因には成り得ないわねー……」「羽鳥先輩っ! 慰謝料はまだかですぅっ!」
「あーっ! それ、先輩にだけは言われたくないですぅっ! 初対面でいきなり私のこと騙そうとしたくせにぃっ!」
「えー。でもでも、羽鳥先輩もまんざらじゃないって顔してるじゃないですかぁ」
「昭和八十年、中学卒業間近……突然の心臓発作で、羽鳥優歌は…………」
「もう、お前は俺からは逃れられない。分かるか? お前は自分自身の手で、自らに足枷をはめたんだ」
「分かってるわ。あれが優歌なりの表現の仕方なんだって。ふふ……不器用だもんね、あんた」
「僕は、君に逢うために生まれて来たんだよ」
「それがお前らの傲慢さだというんだ! 俺は知っている……運命は……あるんだよ。苦痛もな」
「なりふり、かまってられないんですよねぇ? 羽鳥先輩」
「それに何も知らないままじゃ、胸を張ってあんたのこと親友だって言えないもの。ね?」
「これは羽鳥さんの力なのよ? 分からないかなぁ……」
「クリスミスティ=キャロル……逢いたかったの」
「いくら君でも、もうどうにもならないんだ! だから、逃げろ……!」
「魔女め!」
「そんな長い時間を生きてきて……どうだったの?」
「私のことなんて関係ないでしょ? 優歌は今まで、そのために頑張ってきたんだから」
「だから、私があんたを壊すのよ!」
「……先輩……お願い……」
「ねぇ。あなたは、これで良かったと思ってる?」
「私を……殺して……」
「先輩には分かりません……だって……人間じゃないんですから」
「……ごめん」
「壊させてたまるか! 誰が壊させてなんかやるもんか……誰にも、誰にも、誰にも!」
「どう足掻いても、君より先に死んでしまうけれど……それでも、君は……」
 
 もう、会えないのかな。
 もう、声を聞けないのかな。
 もう……駄目なのかな。
 
  嘘をついたことはありますか?
  人を裏切ったことはありますか?
  自分を嫌いになったことはありますか?
  誰かを好きになったことはありますか?
   その気持ちは、本物ですか?
 
 ……そんなのきっと嘘だ。
 私が私でいるための言い訳だ! 自分をここに繋ぎ止めておきたかったから……
  …………そういえば。
 ……どうして?
 
「いつまで泣いてるのよ、羽鳥優歌!」
「やりたいようにやれって言ったでしょうが! そのまま這い蹲って死んでいくつもり!? 何もしないまま殺されてもいいの!?」
「あんたが昔、クリスミスティ=キャロルって呼ばれてようが、楽園の聖女だろうが、そんなことはどうでもいいのよ!」
「転んだらまた立ち上がればいいのよ……ね? だから……」
 
 そうか、私……
 
 
 
「翼、欲しい?」
「いるか、そんなもの」
「……歌えばいいわ。好きなだけ」
「だからいらない、つってんでしょうが」
 私はそう告げて、クリスミスティの身体を突き飛ばした。そして解放された身体を空に弾くように、大きく伸びをしてみる。 身体は思いの他、自由に動いた。それこそ彼女が言ったように、翼でも生えたのかもしれない。そんなことは有り得ないが。  皮肉げに私が微笑んでいると……クリスミスティが、こちらを慄然とした表情で見上げているのが見えた。
 肌が、血を失って蒼白になっていくかのように。彼女の様子は、これまでのそれから反比例するように、眼差しから力が抜けていた。
 なんのことはない。滅びの楔が、彼女の心に打ち込まれただけのことだ。
「何が最初に殺した女よ。何が残酷よ。馬鹿馬鹿しい。そんなこと考えて悩んでいられるほど、私は暇じゃないのよ」
「……また、どうしようもないことから逃げ出すの?」
 かっ……と。
 私は頭に血が昇るのを擬音混じりに自覚しながら、眼前の女に向かって精一杯の声で叫んでいた。
「うっさいのよ、馬鹿! 逃げたいなら勝手に逃げればいいでしょうが! 私まで巻き込むな!」
「あなたは……もうどこにも逃げられないわ。だってあなたは……」
「クリスミスティ=キャロルでも羽鳥優歌でもない? それがどうしたのよ」
 私は身体を相手に向けながら、横に歩き出した。一歩歩くごとに、風景が変わる……街路、駅、店の中、視聴覚室、教室へと。
 いい加減、ちらちら景色が変わるのも鬱陶しいので、私は朝日が差し込む教室で足を止めた。次いで、つぶやく。
「私は……」
 決意は必要なかった。身体は自然に動いていた……親指で自らを指し、口元を歪める。ただの苦笑かもしれなかったが、それは今この瞬間私にできる、最高の笑顔だった。
 舌を動かす……喉を鳴らす。紡がれた音は、舌で弾かれて『言葉』へと。
 一言一言……空間に吐き出される。それにつれて得体の知れない不安が拡大していくのも、同時に感じている……
 ……絶望に泣いたこともあった。胸が苦しくて叫んだこともあった。どうしようもない気分に狂わされかけたこともあった。 きっとこれからも、私は泣き続けるだろう。運命と諦めてみるのもいいかもしれない。
 だが、今、私が紡いでいるこの言葉は……この気持ちだけは、本物だ。
 私だけの世界だ!
「私は、羽鳥優歌だ。この世界でたった一人しかいない、私だ!」
 声が、空間で弾けるや……
 周囲の景色がパズルをひっくり返したように拡散し、渦を巻きながら散っていった。
 
 光が、眼球を貫く……網膜が焼きつくような、そんな激しい光の中で。
 それは無数の火花だった。光に目が慣れ、辺りを見回して初めて、私は自分がどこにいるのか理解した。
 空。
 槍が浮いている。グングニールの槍が。
 槍の穂先に、異形の物体が突き刺さっている。肉の塊が、桃色の血を地上に向けて垂れ流している。
  私の足下には、赤い空が広がっていた。足下だけではない……上も右も左も、どこもかしこもが赤一色に彩られていた。
 私の……一番嫌いな色。
「おねえちゃんも……神様にはなりたくないの?」
 声は……背後からした。
 脳が認識するより早く、私は反射神経だけでそちらを振り返っていた。足下には何も無いというのに、まるでそこに床があるかのようにあっさりと身体を回転させることができた。
 そして、見る。
 幼い……年の頃なら七、八歳程度の黒髪の少女が、そこに立っていた。今にも泣き出しそうな、悲しげに潤んだ眼差し。
 触れれば、壊れてしまうかもしれない……
 指先が少女の頬に触れ……ひび割れて……そこから肉がはみ出して……溶けるように流れていく……
「どうしてみんな……わたしをひとりぼっちにするの?」
 と……少女が本当に泣き出して、私は飛び上がるように妄想の世界から帰還した。
 告げる言葉を、私は持たない……何も分かっていないのだから。
 だが、目の前のこの少女が誰なのかは分かる。あなたは……
「ようやく、会えたわね」
 我知らず……というわけではなかった。ただ、思うより早く、私は彼女にそう囁いていた……
「夢の世界は、楽しかった?」
「楽しくなんかないもん……なにも楽しくなんかないもん」
 少女は、ひぐっひぐっ、としゃくりあげながら、それでも懸命に答えてきた。しかし、それはこぼれ落ちる涙の数を増やしただけだった。
「どうしていじわるするの……? ここにいちゃいけないの……?」
「……この世界は、嫌い?」
 尋ねながら……私は、少女の小さな身体に指先で触れていた。自分でも何故だか分からないが。
「好き……好きなのに……なんでわたしを裏切るの……なんで……? ねぇ、なんで?」
「誰も裏切ってなんかいない」
「嘘っ! クリスミスティのこと……信じてたのに。でも、お姉ちゃんはわたしと一緒にいてくれなかった!」
 ……そうか。
 私は理解した。この少女は……最初からそのつもりでこの世界に降りたのだ。楽園を捨てて、この最後の世界へと。
 ここには、花園なんてどこにも無いのに。
「みんなわたしを消そうとしてるんだ……わたしを白くして見えなくするつもりなんだ!」
 ……こめかみが痛んだ。少女の悲鳴が鼓膜を突いたというわけではない。心から来る痛み。脳で認識する心の痛み。
「だから……苦しいことでいっぱいにしてあげるの。わたしが黒になれるように……」
 少女を抱くように。
 突如、眼前の空間に発生した光の中から、『私』が現れた。クリスミスティ=キャロル……いや……
 アリス=リアルライズの『人形』。
「クリスミスティがいてくれれば、わたしは大丈夫……わたしだけのクリスミスティ=キャロル」
 私は我知らず、少女……アリスの側から離れていた。固く拳を握り締め、そこにいてはいけないものを鋭く見据える。
 そして口を開く……洩れた声は、わずかに涙を含んでいたかもしれない。
「どっちみち、いつだって終わっている存在を始まりに還すには、手段を選んではいられないってことよね」
 一歩、前に踏み出す。足の裏が赤の空に、まるで吸い付くかのように滑り出る。
 こちらの意図を察したか、クリスミスティがアリスを庇って、同じく踏み出してくる。右の拳は、いつでも突き出せるように構えられていた。左足は、既にすり足で、徐々にこちらとの間合いを詰めて来ている。
 互いの視線が不可視の剣となり、交差する……
 
 「本当に頼れるのは自分だけなのに」
  まったくだ。私もそう思う。
  本当に頼れるのは、どうしようもなく頼りない自分だけだ……
 
 私は、地を……空を、蹴っていた。
 吹き抜ける風のごとく、素早くクリスミスティの横手に回り込み、相手のこめかみを狙って肘を放つ。
 クリスミスティの動作は、緩慢だった……必要最低限の動きでこちらの攻撃をかわすと、右膝を前に突き出してくる。
 狙いは、私の腹部……ではない。フェイント。ただの踏み込みだ。
 間合いは、完全に相手に掌握されている。このまま何もしなければ、確実に一撃を受けることになってしまうが……
 果たして、クリスミスティは……彼女を創造したアリスは知っていただろうか。
 相手を打ち砕く時、たったひとつだけ必要な武器の名を。
 
 「やがて少女は一人の少年と出会う……それは、運命だったのか。または、少女が自らの意志で選んだ道だったのか……」
  なんのことはない。
  それは、ただの『結果』だ。
 
「おおおおおおおおおおおおおおおお!」
 光が弾けるように。全てが飲み込まれてしまうかのように。咆哮したのは私だった。
 クリスミスティの踏み込みに合わせ、私も前方に足を投げ出して、相手の踏み込んだ足を思い切り踏みつけていた。
 みし、と骨が軋む感触が、足の裏から伝わってくる。そのまま全体重を前に乗せ、拳を突き出す……
 同時に、私のもう片方の足は、さらに前方へと跳んでいた。渾身の踏み込みが空の上で破裂し、拳は相手を打ち砕く!
 
 「そしてこれが、君の選んだ結果。運命より運命的な、君自身が導き出した答えだ」
 「いつだって人は、道を選んでいるわ。それは運命の交差点なのかもしれない。でも、確かに自分の意志で選んでいるのよ」
 「僕も、こうなることを選んだ」
 「……あなたは、これからどうするの?」
 「僕は、君と共に。君は、彼女と一緒にいてやってくれ」
 「言われるまでもないわ。だって、あいつは……」
 
 ふわっ……
 刹那、周囲にあるもの全てが跳ね上がるように霧散する。
 迅速な破壊。瞬間の消滅。
 光が、世界を、私を、彼女を熱く抱擁する……それはどこか、眠りにも似ていた。
 ……いや、眠りなどではない。これは……
 聖歌?
 光の翼が、私とアリスを包み込んでいる。誰だ? 私たちを抱いているのは。
 ……それは、見たこともない女性だった。いつの間にそこに現れたのだろう。背中の光の翼は、彼女の笑顔と同じく穏やかだった。
 誰だ、あなたは……?
 自問自答する間もなく、さらに頭上から再びあの槍が姿を現した。槍は緩やかにその形を変貌させ……
 最後に槍の中に、私は見慣れた暖かい笑顔を見たような気がして……
 今この瞬間、認識できるものが全て弾け、私の意識は光に消えた。
 
 「僕は、君と共に。君は、彼女と一緒にいてやってくれ」
 「言われるまでもないわ。だって、あいつは私の大事な友達だもの」
 
 神様になれなかった人形たち。
 その時、神は……
 
「おねえちゃん、おねえちゃんっ……」
「もう、いいのよ」
 
 その赤い瞳は、誰よりも人間らしく。
 
「いつまでもあなたのこと、好きでいてあげる」
                                              ≪つづく≫


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