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Original Novel
NODOAME&keita Presents



歌姫


モノローグ

〜保坂亜弥子〜



箱庭にいる。
その囲いの中に、寒々とした空気が立ち込めている。
空気の中には、私の部屋があった。
リビングや、ダイニングキッチン、小さな浴槽に、日の当たるベランダ……
住むために事欠かないくらいの設備は充分に揃っている。
けれど……ここで私は生きられない。
一緒に住んでいる家族――血が繋がって同居しているだけの存在をそう呼ぶのならば――は
皆、のっぺら坊の人形だ。
顔がない、喋らない、何も分からない……あなた達は、いったい誰なの……?
でも多分……あちら側にしてみれば、私のこともただの人形に過ぎないのかも知れない。
……そんなことがどうでもいいと感じられる事が、人形たる証明なのか……
……人形は嫌い。だから口も利いてやらない。

家族と呼べる人達と話さなくなって、どれだけ経ったのかも、もう忘れた。
話し掛けることも、話し掛けられることもない。
磁石の同じ極は、何もしなくても自然に反発し合う……そんなもんだ。
始めは……小さな頃は、普通に話せていた……ようだ。
アルバムが忘れ去った記憶を補ってくれる……思い出したくもないけれど。
アルバムの中の私は、こちらに笑顔を向けている。
カメラを構えているのは……父親か、母親か。

「お父さん……お母さん……」
つぶやきからは違和感しか感じられない。
まるで自分じゃない自分が、どこかで何か話してるのを聞いてるみたいだ。
それくらい、実感がない。
それくらい、白々しい。
意味のない言葉なんて、言葉じゃない。
嫌いなんだ。私は両親が……家族が。

私にはただ一人、姉がいる。
姉妹同士仲が良い……なんてこともない。
私には姉が、拒絶の対象でしかない。嫌いだから。
姉に名前を呼ばれたことも、もう思い出せない。
嫌いだから、私が返事をしないから……
いつからだろう、彼女が私に話し掛けるのを諦めたのは。
……それすらも、どうでもいいことだ……

私は無償の愛なんてものは信じない。
血が繋がった者同士だって、そんなものは存在しないから。
好意には好意を、拒絶には拒絶を、
人は鏡のように――全てがそうだとは言わないが――感情を返してくれる。
全ての対の対極には、互いの心があるはずなのに。
……私達、どちらから嫌いになったんだろう。

居場所を失くした私は学校へと逃げ出した。
……逃げ込んだ場所が、ここよりも良いなんて保証は何処にもないと言うのに。

学校。
……ここの奴らも皆あいつらと同じ、人形だ。
決められたルールで縛られている分、よりそれっぽいかも知れない。
ただ一つだけ違うのは、ここでは仮面を被っていることか。
明るい自分、楽しい自分、強い自分を造ろうとしている……うそつき。
所詮造り物の仮面、造り物の自分。
それは本当のあなたじゃない、
それは本当の私じゃない……大嫌い、こんな自分。
自分も、他人も、うそつきなあなたと私も……
どちらも拒絶の対象でしかないから……だから、大嫌い。

ある時、他のクラスの男に呼び出された。
何かと思って、聞いてると……告白、だと。
……私のことを好きになった、とその男は言った。
……違う……
私のことを好きになったんじゃない。
本当の私を好きになったんじゃない。
キレイなキレイな、人形の上っ面を好きになっただけだ。
そう”私じゃない私”を。
……だから、断った。
はっきりした理由が言えない私を諦めたのか、去り行く男の背につぶやいた。
届くか届くまいかというくらい小さな声で。
「何も……私のことなんか何も、見えてないくせに」
見せていないのは、誰だ。

ある日のボタンの掛け違い。
もう遠い昔のこと……昨日だったかもしれない。一時間前?
気づかないほどの小さな齟齬が、綻びが……全てを壊してしまう。
坂を下る雪玉が、止める間もなく大きくなって行くように。
私と家族との溝は、どんどん深まってゆく。
原因は……何処にあったのか。思い出せない。思い出せないほど小さな傷跡。それは小さな小さな。
それくらい小さな出来事のせいで、こんなことになってしまったのか?

怖くなったから、拒絶した。
怖くなったから、逃げ出した。
最近、そういうことに気がついた。
私が悪かったかも知れないと思うときもある。
私があなた達を好きになっていたら、
あなた達も私のことを、好きでいてくれた……?
あなた達が私のことを好きになってくれてたら、
私もあなた達を、好きになれたのかな……?

めん鳥と卵の謎々が解けることはなく、
結局私には、何も出来ない。

「何も出来やしない」

ある日の雨降り、学校帰りの路地裏で薄汚れた子猫を見つけた。
痩せっぽちで、本当にまだ小さい野良猫だった。
雨に濡れて、ニーニー、小声でないていた。
傘を小脇にしゃがみ込み、せめて濡れないところに連れて行こうと、手を伸ばす。
……子猫は逃げ出した。
雨の中、濡れるのも構わずに、子猫は私から遠ざかってゆく。
それほど遠ざかったわけではなかったが……その距離は、果てがないように見えた。
……なんだか私と似ているような気がした。
差し伸べられた手から逃げ出した子猫と、
周りの人全てを拒絶している私と……

……私は再度、手を差し伸べる。
「おいで、おいで……」
子猫が、振りかえる。
不思議そうな顔で、私を……私の手を見ている。
しばらくそうして手を伸ばしたまま、じっと猫を見ていた。
子猫は……動かなかった。
ダメか……
と、私は諦めて、立ち上がりかけた。と――

『……ニー』

不意に近くで声がして……気が付くと、私の足に子猫が頬を擦り付けていた。
もう手を伸ばしても、逃げ出さなかった。
もう抱き上げてみても、だいじょぶだった。
くるくると私の足下を廻る子猫を見下ろして、思わずこぼれた笑みとともに囁く。
「強いね……あんたは」
逃げ出して、拒絶して……
全てのことから目を背けていたのなら、
差し伸べられた手の温もりに気づくこともない。
その手は優しいだけじゃない、辛いことやイヤなこともあるかも知れない。
けれど……ずっと逃げたままじゃ、そんなことにも気づかないんだ。
子猫の頭を撫でながら、私も少しだけ……ほんの少しでもいいから、
廻りの人へ、歩み寄ってみようと思った。

『暇だったから、遊んでみただけよ』
『……ありがと』
『私たち、親友よねっ!?』
『さぁっ! 三十秒待ってやるから、
さっさと本来言いたかったことをそれぞれ十五秒ずつで述べなさい!』
『私は……』
『そうね。そうかもしれないわね』
『……亜弥子』

とある女生徒の顔が目に浮かぶ。
そいつは、初対面から私の中に入り込んで来た。
ずっとずっと、こっちのペースなんてお構いなしに引っ張り回してくれた。
……お陰で好きだの嫌いだの、言ってるヒマがなかった。

『……亜弥子』

何だかんだ言っても、今の私がいるのは、少しだけ……ううん、
悔しいから本人には絶対に言ってやらないけど、あいつのお陰だとも思う。
あいつといっしょにいると、不思議な感じになれる。
なんて言うか……私を出せると言うか、引き出されると言うか……
どんなに力いっぱい、私の全てを出したとしても、
いやなところ、汚いところ、自分の嫌いなところ、全部見せたとしても……
あいつだけは、羽鳥優歌だけは……ずっと傍に居てくれると思う。
偽物の私でもいい。人形の私でもいい。
偽物のアイツでもいい。人形のアイツでもいい。
私も、アイツと一緒にいたい……?
人が怖くて仕方なかった私がどうして……惚れたか、私?

「だーれだっ☆」

ぐゎきっ!! っと真後ろから首根っこを決められた。
うぐぐぐぐ……本気で入ってるって。

「こ、んなことするのはー……優歌ぁぁっ!!」
「はい、せーかい♪ ごほーびは私のキスがいいかなー?」

そう言うと、声の主は私の肩口からそっと顔を覗かせ、からかうように唇を突きだして見せた。
私は彼女の拘束から力一杯に抜け出すと、素早く数歩ほどの距離を取った。
が、すぐに彼女はその距離を詰めてくると、
「あんたねー、こんなとこでなーにうつむいてんのよ?
てっきりどっかのクラスでいぢめられてる可哀想な娘が、
飛び降りようとでもしてるのかと思って心配しちゃったじゃない」
「誰が……飛び降りんのよ」
「あんたよあんた。フェンスに寄りかかってボーっと下なんて見てたら、
そう誤解されても仕方ないわよ?」
「……そこで普通に、『考え事してるんだなぁ〜、あの乙女は。素敵ですわ〜』
とか思ったりしない時点で、あなたの器が知れるわよね」
「誰が乙女よ」
「私が」
「よし、もう止めないから死ね」
「うっさいわねぇ! これでも黙って道端に立ってたら、
引っかかる男なんて2・3人じゃきかないのよー?」
「私はうざったいから相手しないわよ、そんなの。
5、6人くらいで囲まれたら、さすがに相手にしたいとは思わないでしょう?」
「……ほー。それで自慢してるつもりかしらね?」
「ん? もちろんそうよ、分かるでしょ? っつーか分かれ」
「分かるかそんなもん」
「ま、じょーだんはこれくらいにして……」
「あんたが言うと、冗談に聞こえない」
「まだ続けてあげましょうか?」
「続けたいだけ続けてれば?」
「続けるわよ。言われなくてもね……」

優歌が私に向けて、手を伸ばしてくる。
無意識に避けようとして……思い直す。
別に避けることないだろ? 私。
そんなこと考えてるうちに、優歌の手は眼前まで伸びて……
気づいたら……頭を撫でられていた。

「あっ……」
漏れたのは呆気に取られたような、間抜けな声。そう、漏れたのは……
「で、亜弥子。ほんとに死のうとか考えてなかったでしょうね?」
「……私だって、ちょっと一人で考え事したくなるときだって……」
「ダメ。あんたウソが似合わないんだから止めなさい。あ、これ命令ね」
「なんで私があんたの言うこと聞かないとけないのよっ!!」
「たまには甘えてみろっつってんのよ」
「は……?」
再度、間の抜けた声で、私。優歌が続ける。
「だから一人より二人のが色々便利だ、って言ってんのよっ!」
「はぁ……」

優歌は目を合わせようとしない。気恥ずかしそうに……どころではなく、頬が紅潮していたりもする。
……なんだ、そーゆーこと……
ほんとに不器用な奴。
「まぁ、便利よね。たとえば、こんな時とかね?」
腰を曲げて見上げるように優歌の顔をのぞき込みながら、くすくすと笑ってやる。
「知るかっ」
と、つっぱねる優歌の声はどこか優しい。
「……ま、あんたがそんなこと言ってくれるのなんて、今回逃したら、
次があるかどうか分からないから……今回だけは従ってあげよーかな」
「イマイチ引っかかるものがあるけど……まぁいいわ。で、何を悩んでたの?」
「あのねー……」

……結局、大したことは話さなかった。
もちろん、優歌のことが好き……なんてことは、もってのほかだ。
でも……

「ほらなにしてんの!? 早くしないと門が閉まるわよ!」
先を走る優歌の背中に告げた。
「……ま、いつか教えてあげるわ」
”好き”って言葉と、そして、”ありがとう”を。


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