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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



柏木家のカレンダー


梓のカレンダー

by 森田信之



 

 

「それじゃ耕一お兄ちゃん、私お買い物行ってくるけど、ちゃんと休んでるんだよ」

「はーい、わかったよ」

と言う言葉を残して、元気よく初音ちゃんは出かけていった。

ふぅ、ようやく監視の目がなくなったか。つかの間の自由を満喫する事にしよう。

…待てよ、そう言えば昨日は結局風呂に入ってなかったっけ。どうりで髪がべたべたすると思った。こりゃあ今の内にシャワーだけでも浴びておいた方がいいかな。

初音ちゃんたちが帰ってきたら、どうせ風呂なんて入れさせてくれないんだ。急いで入らなきゃ行けないな。

「梓ももうすぐ帰ってくるか…こりゃ急がないと」

と、独り言を言いながらそそくさと風呂場へ。

 

いやー、やっぱり風呂はいいもんだ。のんびりとお湯に漬かる時間がないのが少し残念だけど、シャワーを浴びるだけでも随分さっぱりする。当然上がった後は髪もドライヤーで乾かさなきゃ行けないな。一応は病み上がり…というか病人なんだから、風邪も少し引きやすくなってるはずだ。

そして、俺が風呂場から出てドライヤーで髪を乾かそうと茶の間に向かう途中

「ただいまぁー。あ、ただいま耕一」

「おう、おかえり。早かったな。初音ちゃんと会わなかった?」

「いや、今日は近道してきたから。そうか、初音買い物に行ったんだ」

「さっきね。ほんの十五分くらい前かな」

「ふーん……ねぇ、ところで耕一…」

「ん?」

「ひょっとして…風呂に入ってたの?」

やばい、そう言えばまだ全然髪も乾いてないんだ。それを考えれば今の俺はどこからどう見ても「風呂に入ってきたばっかりですよー」といういでたちじゃないか。首からタオルなんか下げてるし。

「あんたねぇ…自分が病人だって自覚あるの?」

「い、いや、あんまり…」

「そーいう事だからいつも風邪引いたら長引くのよっ! ほら、さっさと髪乾かして」

「う、うん…」

「まったく、夕べあれだけ千鶴姉と初音に言われてたのに、誰も見てないとすぐに勝手なことするんだから」

「そ、そーいうけどなぁ…」

考えても見ろよ、ずーっと風呂に入らないで不衛生な格好してる方が身体に悪そうなもんだ。ちょっとシャワー浴びるくらいいいじゃないか。

「…耕一、あんた保健の授業、受けた事ある?」

「おう、あるぞ。中学生の時に」

「…高校の時は?」

「ない。高校に入ったら保健が剣道になったからな」

「……まったく、男に保健やらせないとこーいうことになるのよ。いい? 風邪引いた時に風呂に入るなって言うのはねぇ、風呂上がりに今の耕一みたいに髪をぬらしたままにしとくと、乾く時に気化熱で体が冷えちゃうでしょ? その時に熱で菌とかウイルスとかを殺す免疫機能が落ちるから、熱があるうちは入るなってゆーことなのっ。わかる?」

「そ、そりゃわかるけど…」

「わかったんならそこに座んなさいっ」

「座るの?」

「そう、座るの。どーせ向こうじゃドライヤーもろくに使ってないんでしょ? 私が乾かしたげるわよ」

大人しく俺が座ると、実に手際よく髪を乾かしていく。実に慣れたもんだ。こいつはこいつなりに髪とかにも気を遣ってるのかな…?

そう言えば梓の髪って四人の中では一番短いけど、いつもきれいにブラシを通してあるんだよな。

「はい、おしまい。千鶴姉と初音には黙っててあげるから」

「お、おう、悪いな」

「まったく……人の気も知らないでさ」

「ん? 何か言ったか?」

「何でもないよ。それより初音もそろそろ帰ってくるかな…ご飯仕込んどかないと」

 

そしてその夜…

「だから言わんこっちゃない。こーいう結果は目に見えてるんだから」

「…面目ない……」

梓の言った通り、夕方に風呂に入ったのが行けなかったのか、夜になって急に熱がぶり返してきた。

「耕一お兄ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫よ。ちょっとやそっとじゃ死なないから。初音も楓も心配要らないから、千鶴姉見張ってて。また皿洗ってて食器棚ひっくり返されたりしたら大変だから」

「うん…それじゃ耕一さん、ちゃんと横になっててくださいね…」

「うん……」

ぱたん、とドアが閉まる。ここにいるのは俺と梓の二人だけだ。

晩飯は俺の熱が上がったと言う事で、急遽お粥に変更になった。もちろん梓が作った奴だ。千鶴さんが「私の鶏おじやでも…」といったが、病体に鞭打つような真似はしたくないので、当然ここは梓に頼んだ。

「まったく……どーしていつもこんな無茶ばっかりするのよ」

「無茶ってわけじゃあ…」

「充分すぎるほど無茶よ。朝起きた段階で熱が38度あったのよ? それでよく風呂に入ろうなんて考えたね」

「……髪洗いたくってさ…」

「ふぅ…子供じゃないんだから、それくらい我慢すればいいじゃない。言えばドライシャンプー買ってきてあげたのに」

「…なにそれ?」

「しらないの? 水なしでもできるシャンプー。部活終わった後とかにやってたんだけど…まぁ、そんなことよりどう? 具合は」

「……頭痛い…」

正直言ってかなり痛い。こうして安静にしてても、頭が脈打つのがはっきりわかるくらいだ。

あぁ、これで隣にいるのが初音ちゃんや楓ちゃんだったら、もうちょっと優しい言葉でもかけてくれるんだろうけど……

「…大丈夫…?」

「…ん?」

「そ、その…私に何か…できる事とかない?」

どうしたんだ? こいつがこんなに心配そうな顔するなんて…俺そんなに辛そうな顔してたのか?

「大丈夫だよ。寝てりゃそのうち治るからさ」

「……うん…」

「…どーしたんだよ、梓らしくないな。そんなに心配か?」

「当たり前じゃないっ!」

急に梓が声を荒げる。見ると両目にはいっぱいに涙が溜まっていた。

「人の気も知らないで…あたしがどれだけ心配してるか……どれだけ不安かわかんないの!?」

「あ、梓…」

「もういいよっ!あんたなんか絶対看病しないからっ!」

荒々しい音を立ててドアが閉まった。

しばらくして千鶴さんが恐る恐る部屋に入ってきた。台所から物が割れる音は聞こえなかった。どうやら皿を割らずに洗えるようにはなったみたいだな。

「あの、耕一さん…」

「うん…?」

「梓、どうしたんですか?」

「…うーん……わかんない。いきなり怒り出しちゃってさ…」

「そうですか…私からも一言いっておきますね。…ごめんなさい、耕一さん」

「いや、いいよ。多分俺も悪いんだろうから。それより千鶴さん、今何時?」

「もうすぐ十時半ですよ。…そろそろ寝た方がいいですね。お薬持ってきましょうか?」

「うん、お願い」

相変わらずのんびりとした動作で部屋を出た千鶴さんと入れ違いに、初音ちゃんと楓ちゃんも入ってきた。二人とも心配そうな面持ちだ。多分さっきの梓の声が原因だろう。

「耕一お兄ちゃん…どうしたの?梓お姉ちゃんとケンカしちゃったの?」

「い、いや、そういう訳じゃないけどさ…」

「……梓姉さん、ずっと耕一さんの心配してましたよ。晩御飯作ってる時も、何度も茶の間の耕一さんの方振り返ったりして…」

「………そうだったの?」

「うん。何回も「耕一大丈夫かなぁ」って言ってた。…梓お姉ちゃんの事、悪く思わないであげてね。あれでもすごく心配してるんだよ」 

「……うん…」

「耕一さん、お薬…あら、あなたたちも来てたの?」

「あ、千鶴お姉ちゃん」

「千鶴姉さん、梓姉さんは?」

「まだ部屋にいるみたい。しばらくそっとしておいた方がいいみたいね」

 

 

夜中、どういう訳か突然目が覚めてしまった。庭の方からは虫の鳴く声が聞こえてくる。すごく静かだ。

が、そんな中で、ドアの向こう側に人の気配がある。息を殺して、部屋の中に入ってくるタイミングをうかがっているようだ。

不意に虫の声がやんだ。と同時にドアのノブが回る。そして…

「あ、梓…?」

「あっ……ご、ごめん…起こしちゃった…?」

「いや、ちょっと目が覚めてた。それよりどうしたんだよ、こんな時間に」

「うん……その……」

「?」

「ごめん、さっきはあんな事言ったりして…」

「…あぁ、俺もちょっと無神経だったよ。ごめん」

「………ごめん…」

「お、おい…」

なぜか梓は俺のベッドの横まで来ると、急に声を殺して泣き始めてしまった。どうしたんだ?

「…しょーがないな、泣くなよ……」

「ごめん……ごめん…耕一…」

「いいから、俺も気にしてないって。それよりほら、これで顔ふけよ」

「……あたしって…いやな女だよね。…心配してるのにあんな意地悪な事言って……」

「…………」

そんな事を言うためにこんな夜中まで起きてたのか…

たかだかあれだけの事をずっと気に病んで、それで眠れなくなってたのかな。

「耕一…ごめん……明日、土曜日だから…あたしが一緒にいるよ」

「…うん」

「ずっと…一緒にいるから」

「?」

「あたし、地元の大学に行く。家から通うよ。そしたら…耕一と離れないで済むから」

「な、何言ってんだよ。それよりほら、もうそろそろ寝ないと…」

「…うん。それじゃあ…」

「あぁ、それじゃおやす…」

「ここで寝ていい?」

な……

「何ぃ!?」

「しーっ!みんな起きちゃうよ」

「あ、わ、悪い…ってそうじゃないだろ? どうしてここで…」

「だって…耕一の事が心配だから……また急に熱が上がったりしたら…」

「でもなぁ………」

「……だめ…?」

うっ…

こいつのこんな目は初めて見るぞ。上目遣いで少し甘えるような視線。こいつ、いつのまにこんな「女の武器」を…?

「しょ、しょーがないな…ほら」

といってあっけなく布団を半分空ける。こうすれば、少し狭いが二人でも一緒に寝れるはずだ。

「うわ……耕一、暑かったんじゃないの?」

「少しね。それより蹴っ飛ばしたりするなよ。お前昔は寝相悪かったからな」

「そ、そんなことしないよ。耕一こそあたしの事突き落とさないでよ?」

「誰がんなことするかよ。それより…」

「ん?…なに?」

「……いや、いいよ。もう寝るぞ」

「うん…お休み」

パチン、と言う音とともに部屋が暗くなる。何も見えない。ただ、手の届く場所に梓がいる、と言う事はわかる。

暖かくて柔らかい、それでいて少し華奢な梓の身体が、今すぐ近くにある。

 

いつのまにこんな風になったんだろう。

昔、一緒に川で遊んだり、水門で釣りをして遊んでた頃は、こいつは俺にとって弟みたいな存在だった。一緒に風呂に入った頃もあるし、一緒に寝た事だってある。

空気のような存在だったはずなのに、どうして今、こんなふうに一緒にいるだけで鼓動が早くなるんだろう?

「耕一……」

「…ん?」

「……あのね…」

「うん?」

「夏休みの事…憶えてる?」

「あぁ、憶えてるよ」

「……あの時のお礼…まだしてなかったよね?」

「…そうだっけ?」

「うん……ありがとう…」

そう言うと、ただでさえ近くにいた梓が身体を密着させてきた。そして、俺の顔を引き寄せる。

何秒、いや、何分ぐらいのキスだっただろうか。お互いの唇を話した時に、自然にため息が漏れるくらいだった。

子供の頃は考えもしなかった。でも、今俺の腕の中にいる梓は少なくとも子供じゃない。止まる事のない時間が、梓を少しずつ変えていったんだろう。

「耕一…」

「ん?」

「…こっちに引っ越す日が決まったらすぐ教えてよ。カレンダーに花丸つけとくから」

「あぁ、すぐ電話するよ」

花丸…か。

こいつの事だ。ど派手な花丸つけとくんだろうな。しかも自分の部屋のカレンダーにだけ。茶の間のカレンダーには普通のマル印だけで済ませるかもしれない。

「……こんど来年のカレンダーも買いに行かなきゃね」

「そうだな。俺も買わなきゃ…」

「耕一の分も買っておくよ。こっちに来てから使う分は」

「ん、頼むよ」

 

この先の事はわからない。明日の日付の欄に、どんな出来事が書き込まれていくのかも分からない。ただこれからの梓のカレンダーには俺の事が、そして俺のカレンダーには梓の事が書き込まれてる。そんな気がした。




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