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Leaf Visual Novel Series Vol.2 "Kizuato"



柏木家のカレンダー


楓のカレンダー

by 森田信之



 

 

「それじゃ耕一お兄ちゃん、ちゃんとお留守番しててね」

「はーい、わかったよ。じゃあ初音ちゃんも気をつけてね」

「うんっ、行ってきまーす」

初音ちゃんは元気よく玄関から出ていった。

さて、俺はどうしようかな。初音ちゃんの買い物についていくっていう手もあったんだけど、どうせあの子の事だ。ついてくって言ったところで

「だめだよぉ、まだ完全に熱が下がったわけじゃないんだから」

といって許してくれないのは目に見えてる。

しかし暇だ。

一日中家の中にいると、これほど暇だとは思わなかった。どうしようかなぁ…今の内にちょっと出かけようかな…って言っても、どこも行く当てがないとただひたすら疲れるだけだし、万一初音ちゃんの方が早く帰ってきてたらそれも困る。

しかし外の空気を吸いたいのも事実だ。何かいい口実は…

「……そうだ、この手があるか」

そうだ、しばらく経って、初音ちゃんを迎えに行けばいいんだ。迎えに行ったんだったら、初音ちゃんだっていやな顔はしないはずだ。それに、外に出たのも事後承諾みたいな感じで「まぁしょうがないね」と許してくれるに違いない。うん、これがいい。

そして初音ちゃんが家を出てから約三十分後、少し厚着をして俺も柏木家をあとにした。

 

ここから商店街まではそれほど離れてない。いつも梓が学校の帰りに買い物をしてきたりするのも、この近さがあってこそのものだろう。自転車だったらそれこそ「すぐそこ」という場所だ。

「あ…耕一さん?」

「え?」

不意に後ろから声をかけられた。

大人しくて、少し小さな声。昔から馴染んできた、楓ちゃんの声だ。

「あぁ、おかえり楓ちゃん」

「あの…からだは大丈夫なんですか?」

「うん、大体はね。まだ熱はちょこっとあるけど」

「……じゃあだめですよ。帰らないと」

「で、でもさぁ…そうだ、俺初音ちゃんを迎えに…」

「それでもだめです。初音は私が迎えに行きますから、耕一さんは…」

「…?」

急に楓ちゃんの表情が曇る。すごく心配そうな顔だ。

「どうしたの?」

「耕一さん、帰りましょう」

「え? だ、だから初音ちゃん…」

「そんな真っ青な顔して、どうして外に出ようなんて無茶なことするんですか」

あれ? 俺そんなに顔色悪いのかな?

「みんな心配してるんですから、病気の時くらいは大人しくしててください」

「う、うん…」

なんだか立場が逆転したみたいだな。俺が弟で、楓ちゃんがお姉さんみたいだ。それか、しっかり者の妹に手のかかる兄ってところか。

「あ、楓お姉ちゃん? …耕一お兄ちゃん!? なんで外に出てきたの?」

「いやぁ、初音ちゃんを迎えに行こうと思ってさ。ちょっと外の空気も吸いたかったし…」

「耕一お兄ちゃん、早く帰って横にならないとだめだよっ! 治りかけが危ないんだから」

「初音の言う通りですよ」

ふーむ、まさか二人に怒られるとは思わなかったなぁ……

こうして俺のわずか二十分の外出は幕を閉じた。

 

そしてその夜、楓ちゃんのいやな予感が的中したらしい。

「いててて……」

「まったく、大人しく初音の言う事聞いてりゃいいものを」

横で梓が体温計を振っている。その隣には初音ちゃん、そして俺の枕元には千鶴さんと楓ちゃんがいる。

「38度8分。病気の時くらい大人しくしてなよ」

「…今度からそーする……」

「でも前もって楓が言っててくれて助かったわ。早くにお医者さんも呼べたし」

「さすが楓お姉ちゃんだね」

「そんな、私はただ……」

今日の晩飯前、千鶴さんが帰ってくるなり楓ちゃんが「お医者さんを呼んだ方がいい」と千鶴さんに言ったのだそうだ。もうこの時点で俺の熱がぶり返すという事を予測してたんだろう。相変わらず勘の鋭い子だ。

「さてと、それじゃ耕一のことは楓に任せて、私はお皿洗ってくるよ」

「あ、梓お姉ちゃん、私手伝うよ」

「ありがと。やっぱ初音は頼りになるわ。どこぞの千鶴姉と違って」

「なっ…(きっ!)」

「あ、あのぉ…千鶴さんも梓も……もーちょっと静かにして…頭に響く…」

「あ、ご、ごめんなさい…」

ふぅ、こんなふうにすぐ近くでしゃべられるだけで頭に響くんだもんなぁ…ほんとに医者呼んでもらって良かったよ。一応は解熱剤とビタミン剤も打ってもらったし、明日か明後日、とりあえず熱が引くまでは安静にしてなきゃ行けないそうだ。

やれやれ、せっかく土日でみんな休みになると思ったのに…

「あの…」

「…ん? 楓ちゃん?」

なんだ、ずっといてくれたのか。千鶴さんと一緒に茶の間に戻ったのかと思った。

「大丈夫ですか?」

「……うん、なんとかね」

「………嘘…」

「え?」

「大丈夫じゃないはずです…目を見ればわかります」

やっぱりバレちゃったか。この子には隠し事はできないな。

「…かなり……頭痛い…」

これが本音だ。電気の明かりが目に入るだけで、それだけでも頭が痛くなる。実はさっきから我慢してたりして(^^;)。

少し冷たいものが俺の額に乗せられた。楓ちゃんの手だ。

「耕一さん…可哀相……」

「…………」

「私が…代わってあげられたらいいのに」

「楓ちゃんに代わってもらうなんて…できないよ。そしたら楓ちゃんが可哀相だ」

「耕一さんの風邪なら、伝染されたっていいです。……耕一さん、私に伝染してください」

「え?」

「風邪は人に伝染せば治るって…よく言われてますから」

その通説は正確な表現じゃない。

風邪の治りかけには免疫機能が回復して、体の中の異物を外に出そうとして咳が出る。咳が出れば、風邪のウイルスとかが空気中に撒き散らされるから、周りにいる人に伝染りやすい。で、伝染った人が発病した時期にはもう治ってる、だから「風邪は人に伝染せば治る」っていわれてるんだ。だから、伝染したから治るんじゃない。治りかけだから伝染りやすいんだ。

「ね? だから今俺の近くにいたら楓ちゃんまでインフルエンザになっちゃうよ?」

「私は…耕一さんが治ればそれでいいです。私が痛くて苦しい思いをするのは我慢できますけど…」

つぅ…っと楓ちゃんの白い頬を涙の筋が伝う。

「耕一さんが痛くて苦しい思いをしてるのを見るのは……我慢できないんです……」

「…俺だって同じだよ。…ほら、いい子だから泣かないで」

「だって……だって耕一さんが苦しんでるのに……私…」

とうとうきれいな顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。この子がこれだけ素直に泣く事ができるようになったのも、俺があの事を思い出してからかな。

ずっと昔の、鬼の娘と侍の物語。

今となってはただの御伽噺のようにしか聞こえないけど、俺がその事を思い出してから、楓ちゃんは昔見せてくれたような明るい笑顔も見せてくれるようになった。そしてこんな風に泣くところも。

親父が死んだ直後のあの時期だったら、絶対に見せてくれなかっただろう。俺に対して頑ななまでに心を閉ざしてた時期だったから。

「私……耕一さんに何にもしてあげられない……」

「楓ちゃん……」

「ごめんなさい…ごめんなさい耕一さん……私…わたし……」

「………楓ちゃんが謝ることないよ」

「だって……私、耕一さんが…耕一さんがこんなに苦しい思いしてるのに…」

弱ったなぁ。本格的に泣き出しちゃった。

楓ちゃんだけじゃない。千鶴さんでも、梓でも初音ちゃんでも、こんな風に泣かれるのは苦手だ。特にこの子は、別に自分が悪いわけでもないのに自分を責める、ということが結構多い。

「それじゃあ…楓ちゃん」

「…はい……」

「もうしばらく……一緒にいてくれる?」

「……はい」

 

電気は消えている。でももう暗闇に目が慣れたのか、時計の針は見えるようになった。

午後十一時。もうすぐ今日が終わる。

「……耕一さん?」

「ん?」

静かな部屋の中には、俺と楓ちゃんの二人だけだ。他のみんなはもう寝てしまったらしい。

「まだ…起きてたんですか?」

「…うん」

「だめですよ、早く寝ないと」

「普段こんなに早く寝ないから…いつも寝るのは一時くらいだったからなぁ」

月明かりでほんの少しだけ照らされた楓ちゃんが、すごく心配そうな顔をしてるのが見える。

夕食後、俺がベッドに入ってから楓ちゃんはずっと側にいてくれている。千鶴さんが一回様子を見にきたが、その時もこの子はここから動こうともしなかった。

不思議なもんだ。頭痛がひどくなっても、楓ちゃんがそっと手のひらを額に乗せてくれるだけで、痛みが引いていくような気がする。事実、目を開けていられないくらいひどかった頭痛が、今ではこうして楓ちゃんと話をできるくらいになった。

「耕一さん」

「うん?」

「少し……楽になったみたいですね」

「うん、楓ちゃんのお陰だよ」

「私は…何も……」

「こうして一緒にいてくれるだけでいいんだ。…話してると何だか安心するしね」

「…………」

「……ほら、楓ちゃん、もっとこっちにおいで」

「…はい」

身体を起こして、楓ちゃんが座れるスペースを作る。すると、少し遠慮がちにちょこんと座ってきた。

「……楓ちゃん、ひょっとして…寒い?」

「え? …いえ、大丈夫です」

嘘だ。震えてるじゃないか。

十月の終わりごろとは言え、最近は夜になるとかなり冷え込む。もう厚めの毛布がないと夜はなかなか寝付けないくらいだ。そんな寒さの中でずっと俺の側にいてくれたのか……

「ほら、こうすれば寒くないよ」

「あっ…」

子供の頃は時々やっていた。今日みたいに寒い夜、一枚の毛布を二人で分け合って温めあう。親父がこの家に住むようになってからは全然してなかったが、久しぶりにやるとすごく暖かい。

ともすれば冷たく見える楓ちゃんだけど、こうしてくっついてると本当はすごく暖かい子なんだ、ということがよく分かる。

「耕一さん…」

「ん?」

「…………」

「…どうしたの?」

「もし…私が………」

「?」

「もし私が…四人の中で私を選んで欲しいって言ったら…耕一さんは私のことを嫌いになりますか?」 

「ならないよ。俺が楓ちゃんのことを嫌いになるなんて、絶対にありえない」

あんまりにも俺がはっきり答えたせいか、楓ちゃんは少し驚いているようだ。そしてすぐに俯いてしまった。

「でも…もし千鶴姉さんが本気で耕一さんのことを想ってたら……私は…」

それはある意味で究極の選択だな。そうなったら、多分俺は結論を出せないだろう。

でも、もし仮に俺がどちらかを選んだとしても、選ばれなかった方はその結論を解ってくれるはずだ。根拠はない。でも自信はある。

「もし俺が千鶴さんを選んだとしたら、楓ちゃんは俺のことを嫌いになる?」

「……いいえ」

「もし俺が楓ちゃんを選んだとしたら、千鶴さんは俺や楓ちゃんのことを嫌いになると思う?」

「いいえ…千鶴姉さんはそんな人じゃあ…」

「それなら楓ちゃんが悩む必要はないよ。…ほら、そんな顔しないで」

いつものようによく梳かされた髪を撫でる。すごく冷たい。ずっと寒いのを我慢してたんだろうな。

「ほら、もっとこっちにおいで」

「あっ……耕一さん…」

「……楓ちゃん…」

「………あ…」

優しく、力強く楓ちゃんの華奢な体を抱きしめる。そのままゆっくりと顔を近づけていった。

楓ちゃんが目を閉じる。俺も目を閉じて、息がかかるくらいの距離まで近づいていく。抵抗はない。それどころか、楓ちゃんの方から俺に体を預けるような形でもたれかかってきた。

すごく長い、窒息しそうなほど長いキスだった。

お互いの唇が離れた後も、ぬくもりを分け合うようにずっと寄り添っている。

 

この子は途方もない時間、ずっと俺のことを待っていてくれたんだ。カレンダーなんてものが意味を持たなくなるくらいの時間、ずっと俺一人を待っていてくれたんだ。それも、自分からは一言も「思い出してくれ」なんて事は言わずに。

どれだけ辛い思いをさせたんだろう。どれほど寂しい思いをさせたことだろう。

償うことなんて出来やしない。でも、せめて楓ちゃんが俺のことを待っていてくれた分だけでも、一緒にいたい。今みたいに、息がかかる距離、お互いの体温を感じられる距離で、ずっと側にいたい。

「耕一さん……」

「うん?」

「………私…耕一さんのことを待っててよかった」

「……うん」

俺がこの子のことを思い出すまでの間、楓ちゃんのカレンダーには長い長い空白があったんだろう。その空白を見るたびに、一人で心の中で涙を流してたに違いない。

でも、もうそんなものは消してしまおう。大切なのはこれから、二人のことが刻まれていく未来のカレンダーなんだ。




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