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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



月光






「あなた…流産の経験はない?」
 びくっ、と小柄な女の子の肩が萎縮した。
「やっぱり…そうなのね?」
「…はい…」
「いつ頃?ずいぶん解りにくかったから、多分けっこう前だとは思うけど…」
「……三年前です。十六歳のときに…」
「…何だってそんな早くに妊娠したの?避妊はしなかったの?」
「……十六で子供が欲しいと思っちゃいけませんか?」
 広瀬沙耶の両目は涙で濡れている。その濡れた目でまっすぐに杉原裕子を見ていた。
「そうじゃないわ。…ごめんなさい、そういうつもりで言ったんじゃないの。どうして子供が欲しいと思ったのか…それを聞かせてもらえないかしら」
 スカートの裾を握って、しばらくはためらっていた。が、隣に座っていた女性が優しく肩に手を置くと、決心したように話しはじめた。
 彼女は十五歳の頃、兄妹のように育ってきた男性と初めて関係を持った。別に強要された訳でもなく、お互いに望んでそうなったのだという。そして、しばらくの後に彼女は妊娠した。
 二人とも子供ができたことを喜んだ。が、周囲はそれを認めなかった。
 こともあろうか、周囲の人々は彼女を夜道で襲い、腹を何度も殴ったのだという。その結果、その時にできた子供は…
「六ヶ月でした…もう手も足も、目も耳も鼻もちゃんとある立派な赤ちゃんだったのに…それなのに…」
「…ごめんなさい……辛いことを思い出させちゃったわね」
「杉原先生、彼女は本当に子供が欲しいと思ってるんです。私もすごくよく分かります。力になってあげて下さい」
「…そうね、他ならぬ綾音ちゃんの頼みもあるし…それに今の話聞いて、同じ女として許せないわね、その島の人達」
 しばらくカルテに向かって何かを書いていたが、おもむろに聴診器を取り出した。
「ちょっとお腹だして」
「はい」
 診察室が静かになる。しばらくの沈黙…
「…大丈夫ね。元気な心音が聞こえるわ。…元気な赤ちゃんよ」
「本当ですか?本当に…?」
「ええ。四ヶ月だけど、ちゃんと聞き取れるし、それに今のところ異常は全然見られないから」
 一気に沙耶の全身から力が抜ける。
「これからは少なくとも月に一回、できれば週に一回くらいはいらっしゃい。そうそう、うちは自然分娩だけど、産むときもここに来るといいわよ。綾音ちゃん達が居るから、便りになるでしょ?」
「は、はい…」
「……産まれてこれなかった子のためにも、元気な赤ちゃん産まないとね」
「はい……」
 堰を切ったように沙耶の両目から涙が溢れてくる。
「…沙耶ちゃん、よかったら産まれるまで家にいてもいいのよ。みんなと一緒にいた方が安心だし、それに私達も安心できるわ」
 だが、今すぐそれに返事をすることはできなかった。別に考える余地がある、という訳ではない。ただ、今は何も考えることができずにいただけだ。


「あ、沙耶、綾音さん」
 ようやく出てきた。ずいぶん長くかかったな。
 今日は晶良さんは仕事がある、ということでここには来れなかった。泉水さんと綾音さんの二人がここに付いてきてくれたけど、やっぱり一人で待つよりもはるかに心強い。
「祐ちゃん……」
「どうしたんだ?目が赤いけど…まさか……」
 腕の中で首を横に振る。そんな…せっかくで来た子供なのに…
「元気な赤ちゃんだそうですよ。四ヶ月だそうです。産まれるのは来年の一月の半ばくらいですね」
「え?」
「……ちゃんと心臓の音も聞こえるって…何も異常なんかないって…元気な赤ちゃんだって言ってくれたの…」
 そうか、それで嬉し泣きしてたのか。
「良かったじゃない!それで、男の子なの?女の子なの?」
「そ、それはまだ解らないみたいですけど…」
 何にしてもよかった。沙耶は一度あんな形で流産してるから、ひょっとしたら子供がちゃんと産めない体になってたんじゃないかと思ってたんだ。
 もとはといえば、あの事件が僕と沙耶が島を出る直接の原因だった。このままこの島にいたら、いつか殺される…そんな危機感が現実になった事件だった。
「泉水、私達は…」
「そうね、しばらくはずした方がいいかな」
 人気の少ない待合室でそっと沙耶のお腹に手を当てる。
 三年前は守ってやれなかった……でも今回は違う。何を犠牲にしてでも絶対に守ってやる。沙耶とこの子を守るためなら…鬼にでも何にでもなってやる。

 帰りの途中、車の中でのことだ。泉水さんの口から思いも寄らない言葉が出てきた。
「で、でも……」
「いいからいいから、私達家族じゃない?遠慮することなんてないのよ」
「祐ちゃん、私も綾音さんたちの言う通りだと思う…」
「…………」
 なんと、沙耶の子供が生まれるまで、古門家にいた方がいい、というのだ。いくら親戚でもそこまで世話になるのは気が引ける。
「沙耶さんは普段一人で過ごしてるんでしょう?うちにはたいてい誰か一人はいますから。特に泉水はいつでも暇みたいですからね。一人で過ごすより、だれかといっしょにいたほうが、いろいろと安心できるじゃないですか。それに近い将来の私の勉強にもなりますから、こちらからお願いしたいんです」
 なるほど、そう言えばそうか。
 沙耶は大学に籍をおいているとはいえ、学校に行くのはテストのときだけだ。それ以外はたいてい家にいる。あまり外を出歩く方じゃないからな。
 それに…夕べのあの気配。あれはたぶん島の連中だろう。どうやって嗅ぎ付けたのか…
もしあの連中が僕らの居場所を嗅ぎ付けたとしたら、二人だけでいるよりも古門家に身を寄せた方がいい。少なくとも沙耶はそちらのほうがはるかに安全だ。
「……それじゃあこちらこそ、よろしくお願いします」


 思わぬ客が訪れてきた。以前取材に応じた記者だ。どうやって僕がここにいることを?「いやぁ、探したんですよ。実はまだいろいろと伺いたいことがありまして…」
「話すことはありませんよ」
 この記者は僕が前言ったことを聞いてなかったのか?もし聞いていればこうして現れることはないはずだ。
「そう言わずに、お願いしますよ」
「…僕が前言ったことを覚えていますか?」
「えぇと…」
「僕がなぜあなたがたの前に出てきたのか…」
「そ、それは…」
 どうやら聞いていなかったようだ。じりじりと怒りが込み上げてくる。こういう興味本位で僕らを追いかける輩がいるから、沙耶が危険にさらされるんだ。僕はあの時…
「僕はあの時、あなたがたに二度と僕に興味を持たないよう「警告」したんです!あんたたちみたいに興味本位である事ない事面白おかしく書き立てる輩がいるから、だから僕だけじゃなく沙耶まで危険な目に会うんだ!」
「い、いや、それは…」
「帰れ!お前に話すことは何もない!!二度と僕と沙耶の前に現れるな!!」
 つい大声を出してしまった。
 前々からあの三浦滋という記者には腹が立っていた。しつこく電話をかけてくるし、何よりも興味本位で僕らのことを調べ上げてるというのが気に食わない。だから一回だけ取材に応じて、警告したのに…
「どうしたんですか?」
 廊下の奥から深雪ちゃんが顔を出した。少しおびえたような表情だ。
「あ、ああ…ごめん、脅かしちゃったかな…」
「いえ、私もあの記者さん見たことあるんですけど、嫌いなんです。綾音お姉ちゃんが落ち込んでるときにいろいろと聞きに来たから」
「…そうだったんだ……」
「あの…話は全然違うんですけど…」
「うん?」
「赤ちゃんの名前、どんなのにするんですか?」
「へ?」
「…あの…だから赤ちゃんの名前…」
「い、いやまだ決めてないんだけど…」
 なるほど、晶良さんが「深雪ちゃんと綾音さんは筋金入りで子供好きだからね」といってたのは本当みたいだ。
「深雪ちゃん…本当に僕らがここにいて…」
「いいに決まってるじゃないですか。だって祐介さん見てるとお兄ちゃんと一緒にいるみたいだし、沙耶さんはなんだか私の双子のお姉さんみたいなんだもの。楽しいですよぉ」
「…そう言ってくれると嬉しいよ」
 この子は顔かたちは沙耶とほとんど一緒だけど、性格はこの子の方が明るいみたいだ。それにかなりのプラス指向らしい。
「ところでさ、さっきの記者なんだけど…ここにも来たことある?」
「ありますよ。叔父さんと叔母さんが死んだときなんか、綾音お姉ちゃん達がすごく落ち込んでるときに『今のお気持ちは?』とかいってマイク突きつけてきたんです。あの時はお兄ちゃんが追い払ってくれたんですよ」
「そうだったんだ…晶良さんは深雪ちゃん達を守れてるんだね」
「……祐介さん、やっぱり三年前の事件って…気になりますか」
「…うん。本当に沙耶には申し訳ないことをしたと思ってるよ。僕が守ってやれなかったばっかりに…」
「でも沙耶さん、祐介さんに申し訳ないことしたっていってましたよ。…過去を悔やむより、今日とか明日のことを考えた方がいいですよ。私も…叔父さんと叔母さんが死んだときはいろいろ後悔しましたけど、それじゃだめなんだって解りましたから」
「……そうだね。いつまでも悔やんでたって…あの時生まれなかった子が帰ってくる訳じゃない。それより今沙耶のお腹にいる子を…」
「大事にしてあげることですね。私も協力しますよ」
「ありがとう、深雪ちゃん…」


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