Back/Index/Next
Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に


プロローグ



薄暗い部屋に溶け込んでしまいそうな黒装束の男だった。
彼の目は一点を凝視していた。彼の足元に座っている、一人の子供だ。
「…何をしている? 早くしろ」
「し…しかし……」
彼の右手には刃渡り1mはあろうかという大剣が握られている。両手持ちのバスタードソードだ。
「…だっ…だめです! 私には出来ません!!」
「…神の御心に逆らうのか?」
もう一人の黒装束の男の声に、彼の身体が萎縮する。
もう一人の男は豊かな口髭をたたえ、明らかに「彼」よりも格上に見えた。
「神はお怒りだ。この子はこの世に存在してはならんのだよ」
「しっ…しかしこの子には何の罪もないはず! 神は罪無き子供も召されるというのですか!?」
「召されるのではない。地獄へ『還す』のだよ」
口髭の男の声はあくまで穏やかだ。威圧するでも脅すでもない、まるで目の前の聖書を朗読するかのような、そんな優しい口調だ。
しかし、彼はその口調に逆らえなかった。
逆らえば、彼が「神の御心に背いた」ということになってしまう。それは彼にとって耐えられないことだった。
「さぁ、どうした? この忌まわしき悪魔を地獄の闇に還すことに、何をためらう?」
「…………」
じりっと彼が子供に近づく。
子供は恐れるでもなくこびるでもなく、ただじっと「彼」の目を見ていた。
表情はない。恐れのために引きつった表情を見せてくれれば、まだ彼の気持ちも幾分かは楽になっただろう。だが、子供は氷のように冷たい表情でじっと彼の目を見続けている。
「……恨まないでくれ…私も……主の御心に逆らうことは出来ないんだ…」
「そうだ。お前は忠実な主の下僕なのだからな」
暗い部屋の天井は高い。おそらく大聖堂だろう。
口髭の男の声が必要以上に響いて、ほぼすべての方向から聞こえてくる。それはまるで神が喋っているかのようだった。
「許してくれ!」
彼は大きく剣を振りかぶった。そして、一直線に子供の頭をめがけて振り下ろす。
子供の頭は真っ二つに割られ、血と脳漿が辺りに飛び散る…はずだった。
「…………」
口髭の男の顔が明るく照らされる。
真っ暗だった部屋が、今はきれいな青白い光で照らされていた。
「な……なんと…?」
口髭の男が後ずさりした。
それを追いかけるように、「彼」であったものが倒れ込む。
彼はすでにただの炭素の塊になっていた。青白い光は、彼の全身を包む高温の炎だった。
「何ということだ…」
男の顔は蒼白だった。
青白い炎に照らされているせいではない。顔から血の気が失せている。
子供が一歩前へ踏み出した。
男はそれに合わせ2歩下がる。
また子供が1歩前へ踏み出す。
今度は、男は1歩下がった。
「来るな…」
顔一面に脂汗を浮かべ、うろたえながら後ろへ進む。
だが、彼の神は救いの手を差し伸べはしなかった。
分厚い石壁が彼の道をふさいでいた。
「おじちゃんも…」
初めて子供が口を開いた。ボーイソプラノの、きれいな澄んだ声だ。
「『かみ』のなかまなんだね?」
「…く…来るな……」
「じゃあおじちゃんも…おねえちゃんをいじめたやつらのなかまなんだね?」
子供はさらに男に近づいて行く。ゆっくり、ゆっくりとではあるが、2人の間の距離は確実にゼロに近づいていた。
そしてついに、子供の小さな手が男の黒装束の裾を掴んだ。
「ひっ……」
「……しんじゃえ」
子供が小さく呟くと同時に、男の全身を青白い炎が包んだ。
悲鳴はない。
異様なほど静かだった。炎が出す音すらほとんど聞こえない。
青白い炎が聖堂の天井を照らす。
壁画だった。荘厳な壁画が、聖堂のドーム上の天井一面に描かれている。
鏡と鎖が描かれていた。
「…………」
子供はその壁画をちらっと見上げ、またゆっくりと歩き出した。
 

Back/Top/Next