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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に






「な…なぜだ……なぜ神はオマエのような者を…」
血まみれの男が息も絶え絶えにそう呟いた。
彼の目の前には、1人の青年が立っている。麻と綿で出来た服を着ている、ごく普通の青年のようだ。
だが、彼は追われていた。
私怨や借金取りなどという生易しいものではない。彼を追い立てているものは…
「何故に神は…」
そこまで言って男は息耐えた。
彼を追うものは、神と人々に呼ばれている存在だ。
各地の教会、修道院が「彼」の来訪を知るや否や総出で彼を「狩り」に出る。
今も、彼は「狩り」の手から逃れている最中だった。
狩る者はフリードリヒ一世。赤髭王バルバロッサと呼ばれる、神聖ローマ帝国の皇帝だ。西からはフランスのフィリップ二世、さらに「獅子心王」と噂されたリチャード一世までが、彼を狩りに来ていた。
彼の首には多額の賞金が懸けられている。平民が1000年働いても得ることが出来ないであろうほどの額だ。そして、その賞金を懸けているのはローマに居を構える法王だった。
彼は「悪魔」として追われているのだ。
「いたぞ!!」
背後から声がする。
ゆっくり振り返ると、若い兵士が3人、槍を構えて立っていた。
恐らく、彼らも「狩り」に出てきた軍隊の一員だろう。
総勢100万を超えるといわれた大軍隊。
その大軍が目指すものは、公式にはキリスト教とイスラム教の聖地、エルサレムとされていた。
だが、彼らの目的は「悪魔」討伐である。
「3人一斉にかかれば…」
「へっ、何でぇ…ただの若造じゃねぇかよ」
じりじりと3人のと男が近づいてくる。
「行くぞ!」
3人が同時に槍を突き出した。
だが、「彼」の姿はそこには無い。
「なっ…?」
「いない……?」
3人の内2人が彼の行方を見失った。
残る1人が彼を見つけたとき、彼ら3人の人生は幕を下ろすことになる。
「……っ!?」
悲鳴はない。
全くの静寂の中での出来事だった。
深呼吸を一つするだけの時間、ただそれだけの時間で、彼ら3人はただの真っ白い灰になってしまっていた。
青年はその灰に一瞥もくれずにまた歩き出す。
彼の足は、ただひたすら東を目指していた。
山脈を越え、エーゲ海を越え、砂漠を歩き、川を渡り…
そして屍の山を築きながら東へ向かう。
彼の足の向く先には約100万の大軍が待ち受けていた。
それでも彼は歩みを止めない。ひたすら東へと歩きつづけていた。
 
祐が引っ越してきて約1ヶ月、ようやく街の地理も覚え、道に迷うこともなくなった頃だ。
「今週の土曜日? …うん、空いてるけど…」
「そ、そしたら……あの…一緒に映画でも……」
真っ赤な顔をしているのは雪和だ。
神社の石段に腰掛けて、竹ほうきをくるくる廻している。
「あっ、ほ、本当にヒマだったらでいいんです!」
「じゃあ一緒に行こうよ。ヒマだからさ」
「そっ…それじゃあ土曜日の朝10時に駅の改札前で待ち合わせしましょう! 映画館までは私が案内しますから!」
「そうだね。じゃあ土曜日の10時に駅の改札前で」
「はいっ」
すっと祐が立ち上がる。それに続くように雪和も立ち上がった。
今は巫女服の上にダウンジャケットを着て掃除をしている。そこまでして巫女服に拘る必要はないんじゃないか、とも思えるが、どうやら彼女自身、巫女服を気に入っているようだ。
「それじゃ俺はそろそろ行くよ。また土曜日にね」
「はいっ。気をつけて帰って下さいね」
にっこり笑って、そのまま石段をのんびりしたペースで下っていく。
この一ヶ月で、祐と雪和の間の距離はかなり近づいていた。
雪和の母も祐を知っているだけに、文句は何も言わない。それどころか、「今度一緒に映画に行きたい」といったら「資金はあるの?」と援助を申し出るくらいだ。
祐の後ろ姿が見えなくなってから、雪和も家へと向かう。
あたりはすっかり暗くなっていた。
だが、小さい頃から慣れ親しんだ境内だ。別に不便でも恐くも無い。
「ただいまぁ〜」
「はいお帰り。仙道さんはもう帰っちゃったの?」
「うん。今日も晩御飯買って帰らなきゃ行けないみたいだから」
「そう。…で、どうだったの? 映画は」
「OKだって♪ 何着て行こうかなぁ〜」
巫女服の袴を脱ぎながら、実に楽しそうな表情をする。恋する女の子の表情、というやつだろうか。
「土曜日でしょ? 明後日じゃない。まぁのんびり考えなさい」
「うん。…それで土曜日なんだけど……」
「はいはい、ちょっとくらいなら遅くなっていいわよ。そのかわり、ちゃんと仙道さんにここまで送ってもらうのよ?」
「うん。わかった」
 
青年はその子供に名前をつけた。彼の姉と同じ、「リリス」という名前を。
戦争で両親を目の前で殺され、呆然と座っていた少女。
まだ自分の歳も、名前も分からないほど小さな子供だった。
その子は彼に救いを求めるように、たまたま通りがかった青年のブーツにしがみついた。
そして、彼女の旅が始まった。
旅の中でその子供は美しく成長し、養女から恋人へと変貌を遂げようとしている。
今がまさにその時だった。
「赤いな…」
「え?」
青年は窓際の椅子に座り、外を眺めていた。
夕日が遠くの地平に沈んで行くのが見える。
彼の影は長く伸び、向かい側の壁にくっきりとシルエットを作っていた。
「どうしたの?」
「ん? …いや、何でもないよ」
遠くからコーランを読み上げる声が聞こえてくる。
窓の外には、独特の形の屋根が連なっていた。
ターバンを巻いた男達、それに黒いケープで顔を隠した女達が礼拝を始めている。
夕方の礼拝の時間だ。
「ムスリム達はみんな敬謙ね」
「そうだな」
少女が窓に近寄ってきた。
少女、と呼ぶには少し大人びているようだ。ちょうど思春期辺りの年頃だろう。
彼ら二人はもうこの地に3週間もとどまっていた。
長く放浪を続けてきた彼らにとって、同じ土地にこれほど長くとどまる事は珍しい。
城塞都市、とキリスト教徒達は呼んでいた。
「……きれいね」
「ん?」
「ほら、夕日。…明日も晴れるのかな」
「だろうな」
空が赤い。
アル・アネクシオスにはこの赤が血の色に見えてしまう。
今までどれほどの屍の山を築いてきただろう。
どれほどの血の河を渡ってきただろうか。
その光景のいくつかは、今傍らに座っている少女も見てきたものだ。
「リリス」
「うん? 何?」
「…辛いか?」
「え?」
アルの眼は哀しかった。
いつも悲しそうな光を湛えてはいるが、それが今はいつにも増して哀しそうだった。
「辛かったら…俺から離れてもいいぞ」
「な…何言ってるのよ。私は自分で「アルについて行く」って決めたのよ? 離れろって言ったって離れないよ」
「………そうか…」
リリスの眼は真っ直ぐアルの目を見ていた
彼女は良く知っている。
今まで目の前の青年は何人もの、数え切れないほどの人間を殺してきた事を。
そして、この目の前の青年は人間ではない事も。
それら全てを知った上で、彼女はアル・アネクシオスという青年と共にいることを選んだ。
「アル…」
すっと立ち上がり、窓枠に腰掛けたアルに後ろから抱き付く。
「私…ずっと一緒にいるから。何があっても、絶対に離れないからね……」
ひょっとしたら悪魔かもしれない。
自分が一緒にいるこの男は、「奴等」が言うように悪魔なのかもしれない。
それでも、アルはリリスにとって育ての親だ。
今までの13年、彼女を守り、育ててくれた。
人間は彼女の親を殺し、彼女自身も殺そうとした。
それがどうだ? その人間に悪魔と呼ばれているこの青年が自分を助けてくれているではないか。
「アルが悪魔なら…私も悪魔になるよ」
「…………」
「…ねぇ、明日も…いい天気だよね?」
「……そうだな。きっと晴れるよ」
地平からほんの少しだけ、未練を残すように太陽が顔を出している。
もうすぐ日が沈んでしまうだろう。
沈まない太陽も、終わらない夜も、やむことのない雨もない。
尽きる事の無い命も、同様にあるはずがなかった。
いつ、彼の命は尽きるのだろうか。
「…アル、泣いてるの?」
「ん? …あぁ、眼にゴミが入っただけだよ」
太陽が、砂漠の地平へと姿を消した。
 
「ア…アル……」
「リリス! しっかりしろ! しっかりしてくれ!!」
「うそ…よね? 私……死んじゃうの…?」
「死ぬもんか! 頼む! しっかりしてくれ!!」
彼の腕の中には1人の少女がいる。
口の端から、真っ赤な血が筋を作っていた。
「何にも見えないよ……アル…恐いよ…」
「……リ…リリス…」
「私……死にたくない…アルと一緒にいたい……」
「死ぬな! リリス! 俺の手を握って!」
「ア………わた……死にたく……」
ぶるぶると震える手をまるで見当違いの方向に伸ばして、ほとんど聞き取れないほどの声で呟く。
その声もすでに途切れ途切れだ。
「リリス!」
「………ア…………」
まるで糸が切れた操り人形のように、伸ばした手が落ちる。
彼女の胸には大きな傷があった。
背中まで達するほどの刺し傷だ。
ロングソードで一突きにされたときの痕だった。
傷口からはもう血も流れてこない。
「…リリス…?」
息もしていない。
すでに息絶えていた。
青年の肩が小刻みに震えている。その肩の向こう、ちょうど彼の背後には剣を構えた1人の初老の男がいた。
「悪魔の娘を討ち取った! このフリードリヒが!!」
豪奢な鎧に身を包んだその男、赤い髭を持つ男が高々と剣を突き上げる。
後方から大きな歓声が沸きあがった。
その歓声に後押しされるかのように、フリードリヒ一世がゆっくりと近づいてくる。
「さぁ悪魔よ、お前も娘の後を追うがいい」
カチャっ、という剣を構える音がする。
だが、彼は振り向かない。
戦場で拾って以来、実の娘のように育ててきた娘が、たった今目の前の男に殺された。
何の罪も、殺される謂れもない娘が、この醜悪な男の手にかかって死んだ。そして自分はそれを助けてやることが出来なかった。
「せめて一撃で葬ってくれる!」
長剣の鋭い切っ先が、彼の後頭部めがけて一直線に襲い掛かってきた。
そこでようやく青年が振り向く。
「…っ!?」
長剣は間違いなく、青年の首筋に突き刺さるはずだった。
だが、フリードリヒの剣は、高い澄んだ音を立てて折れてしまっている。
「なっ…何……?」
「リリスが…」
ゆっくりと青年が歩を進めた。
その両目からは血の涙が流れている。
白い肌に、真っ赤な涙が異様なほど映えて見える。
「あの娘が……オマエ達に何をした!!」
神聖ローマ帝国軍の大軍が放つ大歓声が一気に静まるほどの咆哮だった。
目の前にいたフリードリヒ一世は身動きすることも出来ず、その場で失禁してしまっていた。
「あの娘は…リリスは戦災孤児だったんだ……それを…それをオマエ達は…」
次第に気温が上昇をはじめた。
風が異様な動きを始め、あちこちでつむじ風が発生する。
ざわざわと青年の髪が逆立ってくる。
「かっ……神よっ! この悪魔を退けたまえ!!」
フリードリヒの絶叫が、この青年の逆鱗に触れてしまった。
「神!!」
つむじ風が竜巻に変わる。
「神! 神! 神!! それがオマエ達の正義か!!」
気温の上昇は頂点に達した。
竜巻が炎を巻き上げ始め、合計15本の「炎の竜巻」が暴れ狂い始める。
「神とやら!!」
青年は天を仰いでなおも咆哮する。
「この恨みは忘れん!! 姉さんを殺したのも、リリスを殺したのも、この忌まわしい身体を俺に与えたのも全てキサマか!!」
炎の竜巻はその勢いを増し、半径20Km以内にあるもの全てを焼き尽くし始めた。
「何が神だ!!」
ついに竜巻は天に達した。
空が真っ赤に染まり、火の粉が雨のように降り注ぐ。
「オマエが神だというなら、俺は悪魔にでもなろう!! 永遠にオマエを呪いつづけてやる!!」
炎の竜巻が天に達した刹那、今度はどんよりと曇った雲から大粒の雹が降り始めた。
大人の握りこぶしほどの大きさの雹が、まるで滝のように降り始めた。
フリードリヒは雹と炎の嵐の中ですでに息絶えていた。
神聖ローマ帝国の大軍も、およそ半数以上を失い、残り半数も満身創痍の兵ばかりになっている。
それでも彼の怒りは収まらなかった。
炎の竜巻と大粒の雹はその後4日間暴れつづけ、周囲には「生きているもの」は何も無くなってしまっていた。
 
 
当てはなかった。
ただ足の向く方へ歩いていた。
もう何年が経っただろうか。愛娘を失ってから、どれくらいの月日が流れたのか、もう思い出す事も出来なかった。
彼は今、ルーマニアに来ていた。
ここから彼の故郷まではそれほど遠くない。だが、彼は故郷に戻ろうとは思えなかった。
故郷に戻れば、辛い思い出だけしか蘇ってこない。
姉や両親の墓などは、とうの昔に荒らされて今では墓標すら残っていなかった。
「ふぅ……」
街は完全に廃虚と化している。
道のあちらこちらには無残な屍が無数に横たわっていた。
「この街もか…」
いずれの屍も、肌が真っ黒に変色してしまっている。
丘に建つ教会も、原形をとどめてはいないほど朽ち果てていた。
黒死病、ペストだ。
この街の人口はすでに元の1割にも満たない数にまで減ってしまっていた。
病は恐ろしいほどのスピードで蔓延し、誰にも止める事は出来なかった。
死にゆく者の苦痛を和らげる神父や牧師ですら、今は廃虚と化した教会でその屍をカラスと蛆の糧としてしまっている。
時折、開いたままの窓から苦痛のうめき声が聞こえてくる。
恐らくまだ生きているのだろう。だが、恐らく今日か明日にはそこらの屍の仲間入りを果たすにちがいない。
街を歩きながら、青年はうっすらと口元に笑みを浮かべた。
いい気味ではないか。
彼が呪う神を信じた結果がこの惨状だ。
これがオマエ達の信じる神の御業とかいうものか。
これが毎日祈りをささげた事に対する報酬か。
これが神か。
これが神と呼ばれるものの本性か。
「…ふっ……」
つい堪えきれずに鼻でせせら笑ってしまう。
何が神だ。
先の十字軍戦争ではどれだけのムダな血が流れた?
罪もないイスラム教徒達を「神の御名のもとに」何人殺した?
血の海に踵までつかりながら、どれだけの虐殺を繰り返してきた?
これがオマエ達の信じる神とかいうものか。
「か……神様…」
屍のひとつだろうと考えていた男が、ほとんど聞き取れないほどの声で呟いた。
「たす……助け…」
「助かりたければ…」
青年はその男に歩み寄る。
全身に黒い斑点が浮かび上がり、すでに虫の息と化している。
「この病気を…呪いを広めた「神」に祈るんだね。オマエ達の神に」
そう耳元で囁くと、男はまるで絶望したかのように息を引き取った。
「……まぁ…祈ったところでどうなるものでもないがね…」
青年は黒い外套を翻すと、街の入り口へと引き返していった。
青年の心は荒みきっていた。
愛娘を失うまでは、彼は優しい青年だった。
だが、目の前で娘を殺されて以来、彼は神を呪い、神を信じるものに対しては冷酷に生きてきた。
考えてみれば、幼い頃から神は彼の仇でもあった。
両親の顔など覚えていない。彼の両親は「神の使徒」を名乗る者に殺された。
そして、まだ幼かった彼を育ててくれた姉は、同じく神の使徒に殺された。
彼自身、神の使徒と名乗る男達に殺されかけた。
そして彼の娘もまた、神の使徒を名乗る者に殺された。
「さて…ここにも用はないか…」
街の入り口を表すゲートはすでに倒れてしまっている。
彼はそのゲートを大股にまたいで、ゆっくりと歩き始めた。
これで12個目の街だ。
全ての街が廃虚となっている。
恐らくヨーロッパ中がこんな状況だろう。
だが、彼の胸はほんの少しも痛まない。
涙など枯れたはずだ。
娘を失った、あの日に。
 

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