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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に






「使徒」はかなり動揺していた。
アル・アネクシオスに加えて「不死」の人間がもう一人いるというのだ。
新たに「神の摂理」に背いたものはコバヤカワユキワという、やたら長く発音しにくい名前の少女だという。
「さて………」
窓を背にした老人が円卓の上で手を組みなおす。
「困った事になった。まさかあの悪魔のほかにも主の摂理に逆らうものが出ようとは……」
「大老、本当に不死などというものがあるんですか? ヤツらも生き物であれば死ぬのでは…」
「それが無いから、我々は奴等を『悪魔』と呼んでいるのではないかね?」
老人の声は穏やかで、昔話を小さな子供に聞かせるかのような口調だ。
円卓には合計12人が座っている。
いずれも歴史ある騎士団で、かなりの地位にあるものばかりだ。
彼らを統率するのが、「大老」と呼ばれる老人だった。
「情報によると…」
顔の下半分を髭で覆った男が立ちあがる。
この12人の中では最も若い部類に入るだろう。彼はつい先日、アル・アネクシオスと接触したばかりだ。
「この雪和という人物は人魚の肉を使う事で不死を得たものと考えられます。東洋の伝説では、人魚の肉を食べたものは不老不死になるといわれています」
「…その人魚の肉の入手経路は?」
「彼女が住んでいた神社の御神体です。それが人魚の肉であったと思われます」
「やれやれ……東洋の神を祭るなど………」
大老がため息を吐いた。
彼は徹底したキリスト教至上主義者だった。
イエス・キリストのほかに神など存在するわけがない。
もちろん、仏教で言う大日如来、道教で言う関帝聖君も、ましてやイスラムの神アッラーやヒンドゥー教のブラフマンなど、絶対に認められない。なぜならば、これらの神々はイエス・キリストではないからだ。
「それで、本当にその女は不死になったのか?」
「確かだと思われます」
「確認は?」
「まだです」
確認をしたところであまりメリットはない。
ここ百数十年、騎士団はアル・アネクシオスとは一定の距離を保ってきた。コンタクトをとったのは、ヨハンが今世紀に入って初めてのものだ。
不死かどうかの確認をするには、実際に普通の人間であれば確実に死ぬ、という手段を用いて雪和を襲う必要がある。
だが、そうする事で、またしてもアル・アネクシオスと騎士団は苛烈な敵対関係に戻るだろう。
そうすればどうなる?
相手は不老不死、しかも炎を操り、100万の大軍にもまったくひるむ事が無かったという。
いくら1300年の歴史を持つ騎士団とはいえ、こんな化け物に勝てるわけはない。なにしろ相手は死ぬ事が無いのだから。
「諸君」
老人の口調が変った。
先ほどまでの穏やかな口調ではなく、厳粛な雰囲気をもつ口調へと。
「由々しき事態だ」
一言一言、まるで絞り出すように言葉を紡ぐ。
老人の声は部屋の中で必要以上に反響し、部屋全体が喋っているような印象さえ受ける。
「神の御心を守る騎士団として、彼らを許すわけにはいかん」
彼の目は、老人のそれではない。
老人の目というにはあまりにも情熱に溢れていた。
もうすぐ80に手が届こうという年齢でありながら、彼は精力的に大老の勤めを続けている。
恐らく、彼の人生ももうすぐ幕を閉じるだろう。だが、騎士団は揺らがない。
大切なのは「大老」本人ではなく、「大老」の椅子なのだ。
そこに座る資格があるものさえいれば、騎士団は変りなく存在する。
「『悪魔を地獄の闇へ』」
それほど大きな声ではない。
普通に話をする時の声なのだが、逆らい様の無い威圧感があった。
大老を除いた11人が立ち上がる。
そして右手を左胸にあて、敬礼をする。
そのわずか2分後、この部屋は無人となっていた。
 
 
「全てがどうでも良くなる時期が必ず来る。でも、それを乗り切れば普通に戻るんだ」
祐と雪和は自転車で海辺まで来ていた。
2人が乗っているのはマウンテンバイク。公園で貸し出しているものだ。
「必ず…ですか?」
「そう。俺はちょうど…どれくらいだったかな、800年目くらいか。本当に何もする気が起きないんだ。ただ一日、こんな風に海辺に座ってぼーっと過ごしてた」
「どうやってそれを乗り切ったんですか?」
「簡単さ。ただひたすらぼーっとするんだ。何もしない。何もしたくないときは何もしない」
雪和にとっては解らない事だらけだ。
時間の観念が一桁どころか二桁ほどずれてしまいそうだ。
祐のアドバイスはかなり参考になるところがある。だが、それすらあまりにも雄大な時間の中での話なので、どうも現実感を伴わない。
「ま、仕方ないさ。…要は『いつも通り』を心がけてればいいんだ。そうすれば何とかなるから」
「は、はい……」
「ピンと来ない?」
「…はい」
「あははは、そりゃそうだろうね。…まぁその内慣れるよ。のんびり構えてればいい」
「そ、そうですね。初心者なもので……」
思わず吹き出してしまった。
不老不死の初心者か。
それを言ったら、祐はベテラン中のベテランという事になる。
「あ、そうだ」
「ん?」
「何か『これはしちゃいけない』っていうのはないんですか? 例えば満月の夜は外に出なきゃいけないとか、棺で眠らないといけないとか、生き血を飲まなきゃいけないとか…」
「いや、そういうのは全然無いよ。普通に生活すればいい。巫女服着てもいいし、肉だって食べていい。特に意識しなきゃいけない事はないんじゃないかなぁ」
事実、祐は一回も意識した事はない。
特にタブーというものはないようだ。吸血鬼のように日光に当たってはいけない、十字架に触ってはいけないなどという事もない。
「ただ、これは俺のケースだからね。雪和ちゃんみたいに後天的なケースでこれが当てはまるかどうかは解らない。だからあんまり無茶はしないようにね」
「はい」
海風はかなり冷たい。
寒い地方に慣れている祐にはそれほど苦にならないが、雪和には寒いらしい。少し震えている。
「…ちょっと待っててね。コーヒーでも買ってくるよ」
「え? あ、私もいきます」
「じゃあ一緒にいこう。あそこの売店に売ってるみたいだ」
自転車を走らせようと、サドルに跨ったときだ。
進もうとした方向に黒尽くめの服を着た男が見えた。
「…せ、仙道さん……」
「大丈夫。俺に任せて」
そのまま、祐と雪和の2人は自転車を走らせる。
彼我の距離が10メートルを切った辺りで、ようやく顔が見えてきた。
顔の半分が髭で覆われた大男。
祐がブレーキを握る。
「あんた確か…」
「先日はどうも」
流暢な日本語だ。日本流の挨拶まで身につけている。
「こんな所で会うとは、奇遇だな」
「全くです」
「で、どうするんだ? この子を殺すのか?」
「……今日は金曜日です。金曜日には働くわけにはいかない。それが主の御心です」
「なるほど、そうだったっけ。…じゃあ何の用だ?」
「今日はあなたではなく、そちらのお嬢さんに聞きたい事があります」
帽子の奥の目が雪和を捉えた。
冷たい目だ。温かさや思いやり、それどころか感情そのものが全く感じられない目だ。
「あなたはなぜ、そのような事を?」
「…………」
そのような事、という言葉が何を指しているのかはすぐに分かった。
ちらっと助けを求めるような視線を祐に投げかける。
大丈夫、何も心配しなくていいから。という視線でそれに答えた。
「……一緒にいたかったからです」
「あなたは主の御心に背いた。罪の意識はないのですか?」
「なんで罪の意識を感じないといけないんですか?」
「……なるほど、あなたのお気持ちは良く分かりました。それでは失礼します」
黒いコートを翻すように、男は身体の向きを変え歩き出した。
「あれが…使徒騎士団だよ」
「多分そうだと思いました」
「まぁ、今となっては特に気にする必要はないよ。さ、コーヒー飲もうか」
まるで何事も無かったかのように祐が自転車を走らせる。
少し遅れて、雪和もそれに続いた。

 
 
「これで出国手続きは終了です。待ち合いカウンターでお待ち下さい」
「ありがとう」
赤いパスポートを受け取り、ゲートをくぐった。
「成田空港って…広いんですねぇ。私初めて来たんですけど…」
「迷子にならないようにね」
「はいっ」
彼ら2人の手にはロンドン行きのチケットがあった。
冬が過ぎ、春がやってきて雪和は高校を無事卒業した。
進路は一応就職、ということにしている。
彼女はもともと、高校にもそう友達が多い方ではなかった。
そのお陰か、日本を離れるという事にあまり抵抗を感じてはいない。英語は比較的得意だったし、彼が教えてくれるという。
もちろん、雪和が英語をマスターするまでは、彼が通訳をする事になるだろう。
「アルさんって…何ヶ国語話せるんですか?」
「んー…どれくらいかなぁ……日本語と英語とフランス語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、ギリシャ語、ロシア語、中国語、ポルトガル語、イタリア語、ヘブライ語、ヒンディー語、タンガロンゴ語、ベトナム語…」
「……とにかくたくさんなんですね」
「うん。長生きしてればねー」
苦笑しながら軽々と話す。
どうやら彼とくっついていれば、世界中どこにいても、言葉に困る事はなさそうだ。
「雪和ちゃんも少しずつ憶えていくといいよ。使ってる内に話せるようになるからさ」
「は、はい…」
雪和も少し変った。
髪が少し伸びて、三つ編みにする事が多くなった。
そして、以前は彼の事を「仙道さん」と呼んでいたのが「アルさん」に変った。丁寧な言葉づかいは変らないが、それでもこれは雪和にとっては大きな変化だ。
彼も、「仙道祐」という名前を使う事をやめた。
もちろんパスポートには「仙道祐」と書かれているが、このパスポートももう使う事はないだろう。
イギリスの国籍を取得したら、あとはどうとでもなる。またアル・アネクシオスの名前に戻す事にした。
「さてと…まだちょっと時間あるね。何か飲む?」
「そうですね。私買ってきますよ」
「いや、いいよ。俺が行くから。雪和ちゃんは荷物見てて。何かリクエストは?」
「あ、アイスココアがいいです」
「OK、じゃあちょっと待ってて」
とうの昔にアルは気付いている。
実にあからさまに視線を送ってきていた。
黒尽くめの服装の一団。使徒騎士団だ。出国待ちロビーにいる。人数は8人。
「……まぁ…手を出さなければいいけど…」
雪和の方を見ると、いつもどおりのんびりと椅子に座っている。時折こちらを見てにっこりと笑ったりしている。どうやら彼女は気付いていないらしい。
自動販売機の取り出し口からアイスココアを二つ取り出し、少し早足に戻る。
「はい、ご希望のアイスココア」
「ありがとうございます」
「…気をつけて。あいつらがいる」
「…え?」
「まぁ振り向いてもいいけどね。見たくないなら見なくても大丈夫だよ」
「は、はい…」
すでに「あいつら」というだけで、何者かが解ってしまうようになった。
「まぁあいつらも飛行機爆破とかの無茶はしないと思うけど…とりあえず様子を見ようか」
「はいっ」
カコっ、という変な音を立てて、缶を開けた。
成田発ヒースロー空港行きの飛行機の離陸時間まであと1時間。
「…そうだ、こういう技術もあるんだ。見せてあげよう」
「え?」
「俺の影を見て」
「かげ…ですか」
アルの足元からは、ごく普通に影が伸びている。何の変哲も無い、普通の影だ。
だが、その影が動いた。
アルは微動だにしていないのに、影だけが動いている。
「影を使って飛行機の中を調べてくる。爆弾とか入ってないかね」
「……ど…どうやったらそんな事が…」
「魔法だよ。不老不死の悪魔は魔法を使えるんだ」
ちょっとおどけたようなそぶりで軽々と言ってのける。 雪和にとっては本当に魔法そのものだ。
騎士団はアルの影には全く気付いていない。ひたすらアルと雪和の2人に神経を集中させている。
「アルさん…何でも出来ちゃうんですね」
「亀の甲より年の功って言うでしょ?」
「…そのことわざって、このシチュエーションで使うものじゃないと思います」
「あれ? そうだったっけ?」
どこまでも飄々としている。
追われるものの悲壮感などどこにも無い。
以前のアル・アネクシオスとは明らかに違っていた。
大切な存在を失う事はもうない、その確信が彼を変えたのかもしれない。
「…おっ、爆弾見つけた」
「えぇっ!?」
「ほらほら、静かにしないと…」
「あ…ご、ごめんなさい……」
「えーっと……はい、解除完了。起爆装置は外しておいたから大丈夫だよ」
「そ、そんなにあっさりと…」
「慣れてるからね。…あ、もう一個あった」
と、この調子でひょいひょいと4つの爆弾をただの「限りなく燃えやすい燃えないゴミ」にしてしまった。
「これで大丈夫。何も心配要らないな」
「は…はぁ……」
アルにとってはこんな事はいつもの事らしい。実にあっけらかんとやってのけた。
それにしてもこのアルの力は何なのだろう。
炎を操ったり、自分の影をまるで別の生き物のように操ったり…
しかも、それらの能力をまるで当然のように使いこなしている。
「さーてと…あと45分か。暇だね」
「そうですねー。何か読むものでもあればいいんですけど」
「あるよ。ほら、ロンドンの観光ガイド。雪和ちゃんロンドンは初めてでしょ?」
「は、はいっ、初めてです」
「どこか行きたいところはある? 案内したげるから」
「あ、あのっ…大英博物館とか行ってみたいです! あとテディベア博物館とかおもちゃ博物館とか、それとあと…えーと…」
「よしよし。じゃあとりあえずは博物館だな。ほかには?」
「えーと…あとは……バッキンガム宮殿とか、ロンドン塔とか、あとセントポール大聖堂とか…」
「んじゃあのんびりと観光スポット巡りでもしようか。時間は腐るほどあるんだからさ」
「は、はいっ」
 
 
 
墓参りに訪れるのは1945年、第二次世界大戦が終わった年以来だ。
小さな墓標が二つ並んでいる。
「ただいま。戻ってきたよ」
日本語でアルが呟いた。
彼の腕の中には、抱えきれないほどのカスミソウの花束がある。
以前もこの花だった。どうやら彼が好きな花らしい。
前にこの墓地を訪れたときは一人だったが、今は傍らにもう一人、小柄な少女がいる。
「志乃…」
アルが右側の墓標の前でしゃがみこんだ。
もう建てられてから150年は経過しているだろう。そのとなりはさらに古くもはや遺跡のような年代物だ。
「ほら、連れてきたよ。約束通りね」
しゃがんだままで雪和の方を向いた。
「志乃と同じ日本人だよ。すごくいい娘だから、安心してていいから」
雪和もアルのとなりにしゃがみこんだ。
彼女はおもむろにバッグの中から何かを取り出した。
小さな杯のような容器、それに米と水だ。
「…それなに?」
「お供え物です。神道ではこういう風にお供えをするんですよ」
「へぇ…」
「あ、でも志乃さんって仏教なのかも…」
「まぁいいんじゃない? 細かい事にはこだわらない娘だったしさ」
「…そうですね」
志乃とシスの墓標にお供えをして、なぜか懐かしそうな目で2人の墓を見る。
不思議と懐かしい気分になれた。
ずっと前に別れた友人にまた出会えたような、そんな不思議な安堵感を憶えている。
「これからは私が…志乃さんやシスさんの代わりにアルさんの側にいますね……」
小声でそう呟くと、軽く微笑んだ。
何故だろう。
どうも他人のような気がしない。少なくとも、この墓で眠っている2人は、どうしても他人だとは思えなかった。
自分と同じ境遇だったから、という理由だけではなく、何かもっと大きな理由がありそうな気がしている。
「どうしたの?」
「え? …いえ、何でもないです」
にっこりと笑うと、ようやく立ち上がり、伸びをしながら辺りを見回す。
いいところだ。緑が多く、静かで落ち着ける。
近くには小川も流れていて、本当に映画で見たような風景だ。
「いいところですね」
「…まぁね。ここは志乃が大好きだったところなんだ」
アルも立ち上がった。
膝についた芝を軽く払って、彼もまた大きく伸びをする。
「100年前と全然変らない。静かでいいところだよ」
「……本当、のんびりしてて…この辺だったらすごく暮らしやすそうですね」
「ロンドンからはちょっと遠いけどね。どうする? この辺に家を借りて住もうか?」
「…え?」
少しきょとんとした表情の雪和。
彼女はてっきり、イギリスでの家はもう決まっているものと考えていたらしい。
「いやぁ、実は決まってなかったんだ。正式に決まるまでロンドンにあるホテルで過ごそうと思ってたからね。ずっとホテル暮らしでもいいんだけど、やっぱり家はあったほうがいいでしょ?」
「そ、それは確かに…」
「よし、それじゃあ今日はこれからホテルに行って、明日から2週間くらい観光、その間に不動産業者にいい家を探してもらおう」
「は、はぁ……」
ずいぶんとのんびりした日程だ。
てっきりこの日の内に不動産屋を回るのかと思っていたのだが、実際に家を探し始めるのは2週間後になる。これも長い間生きているかそうでないかの差ということだろうか。
「志乃さんと一緒に住んでた家って…もう無いんですか?」
「残念ながらね。第二次大戦で焼けちゃったんだ。今はごく普通のマンションが建ってるよ」
「……なんだか…寂しいですね」
「そうかな? もう慣れちゃったからね」
考えてみれば、アルにとっては「形あるものいつかは崩れる」など、至極当たり前の話なのだ。
大昔からずっと変らずにあるものといえば、彼の記憶の中にはほとんど無い。砂漠の風景くらいのものか。
「さてと、じゃあそろそろ行こうか。ここからロンドンまではタクシーで1時間くらい走らなきゃいけないんだ」
「ホテルはもう予約してあるんですか?」
「あぁ。いつも使ってたホテルがあるからね。そこに予約を入れてある」
墓地から出て待つ事約30分、ようやく通りかかったタクシーに乗り込んで、ロンドンへと向かった。
 

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