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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に






ロンドン塔はテムズ河の辺に建っている。
10世紀頃に建てられた城塞で、水門や城壁などが当時の姿をとどめていた。
「…ってワケで、ここは本来監獄みたいなものじゃなかったんだ」
「テレビだと最初から監獄として作られたようなイメージしかなかったんですけど…本当にお城なんですね」
「そうだよ。ここに『第二のアフリカの星』っていう、世界最大級のダイヤがあるんだ。見に行く?」
「え? 見れるんですか?」
「まぁね。あっちに展示してあるよ」
宝石館とでも言うべき建物へ入ると、意外と近代的な設備になっている。
エリザベス女王の即位の際のVTRなどと共に、イギリス王室の財宝とも言える宝石の数々が上映される。
「…実物はないんですか?」
「あるよ。ほら、あそこ」
アルが指差す先に、確かにガラスケースに守られた宝石がある。
なおかつ、その周りはベルトコンベアーになっており、立ち止まって長々と眺めるわけには行かないようだ。
「まぁ観光の名所だからね。たくさんの人に見てもらうにはこれが一番いいんだよ」
2人で並んでベルトコンベアーに乗り、次第に目の前に近づいてくる宝石へ目をむける。
「………うわぁ…」
もはや雪和は言葉も出ないようだ。
大英帝国の王冠、インド帝国の王冠、そして王錫などが次々に目の前に現れる。
巧妙にライトアップされ、異様なほど光を反射して見えた。
「これが世界最大級のダイヤだよ」
「…でっかい……何だかこんなに大きいと現実感が無いです…」
「あはは、そうだろうね」
それこそ、「これでもか」といわんばかりの数だ。
これだけの宝石があれば、普通なら曾孫の代まで、余裕で遊んで暮らせるだろう。
だが、少なくともアルにとっては、宝石はそれほど縁遠いものではない。
彼が生きるために使う手段、つまり金を得るための手段はまさしく宝石なのだ。
「アルさんは…砂金を作る事が出来るんですよね?」
「まぁね。金塊は作れないけど、砂金なら好きなだけ作れる。今のところ、物価が変らなければ300年は使いつづけられるくらいの預金があるから、心配しないでいいよ」
「…300…年?」
「そ。一年に5000万くらいずつ使ったとして、300年」
「……えーっと…」
「大体150億ってところかな。海に行けばいくらでも砂があるからね」
これまた現実感の無い話だ。
一ヶ月のお小遣い数千円で過ごしていた雪和にしてみれば、100万以上の金は想像がつかない。あまりの額の大きさに混乱してしまっているようだ。
「あ、あのー…」
「ん?」
「150億って………ポテトチップス1億袋…?」
「…あっははははは、そうそう、そんな感じだよ!」
「え? え? そそそれじゃあ…あのー…えぇと……」
「ほらほら、とりあえず落ち着いて。まぁ今の生活費は全部利息から出てるから、元金が減る事はないと思っていい」
「…………は、はぁ…」
天文学的な数字を聞かされてよほど驚いたのか、ロンドン塔を出て河縁を歩き出すまで、雪和はぼーっとしたままだった。
「この錬金術、もとは俺のお祖母ちゃんが使ってたやつらしいけどね」
「アルさんの…お祖母さんですか?」
「そう。ダーナ・アネクシオスっていうお祖母ちゃん。俺が生まれたときにはもう死んじゃってたけど、砂を砂金に変える技術でアネクシオス家はどんどん勢力を伸ばしていったらしい」
ダーナ・アネクシオスが開発した錬金術は孫娘のリリス・アネクシオスに受け継がれ、その後リリスの弟、アルに引き継がれた。
最初は田舎貴族で小さな領土しか持たなかったアネクシオス家だったが、この金のもたらす富で有力な貴族にまでなったのだという。
「まぁおおっぴらにはしなかったけどね。そんな事したら狙われるだけだから」
「なるほどぉ…それで、そのお祖母さんってどれくらい前の方なんですか?」
「えーっと……大体1400年くらい前かなぁ。結構長生きだったらしいんだ」
これまた悠久な話だ。
どうやらこの金銭と時間の桁と単位については、雪和が慣れるしかないらしい。
「そうそう、言い忘れてたけど」
川辺の塀に寄りかかって、振り向きざまに話し始める。
「俺がデンマーク生まれっていうのは本当だよ。まだデンマークって名前すらついてなかった頃だけどね」
「じゃあ、アルさんのご両親はデンマークの方の貴族だったんですか?」
「そうらしいよ。まぁ親の事はあんまりしらないけど。物心ついたときにはもう姉さんしかいなかったから」
「……そうだったんですか…」
「時間が出来たら行ってみよう。いいところだよ、デンマークは」
「そうですね。私も行ってみたいです」
空は快晴、というわけではないが、決してどんよりと曇っているわけでもない。
実にあいまいな天気だ。こういう天気もまたロンドンらしい。
「さてと、それじゃ次はどこに行く? ここからだったら聖ポール大聖堂が近いよ」
「あっ、そこ行きたいです!」
「よし。んじゃあ行こうか」
考えてみればおかしなものだ。
神の敵、悪魔と呼ばれるアル・アネクシオスが神を祭る大聖堂に観光に行くなど、通常なら考えられない。
「えーっと…確かこの辺だったと思うんだけど…」
聖ポール大聖堂はかなり大きな建物だ。
特に天蓋部は思わず見上げたまま立ち尽くしてしまうほど大きい。
運が良ければ、パイプオルガンの演奏も聞く事が出来る。
「あっ、あれじゃないですか?」
「んー…そうそう、あれだよ」
雪和が指差す先に、やたら荘厳な壁が見えた。
大きい。とりあえず圧倒されてしまう。
「…すごい……」
聖ポール大聖堂は、イギリスの「庶民の大聖堂」となっている。
正面の入り口には荘厳な彫刻が施されており、まず中に入る前に圧倒されてしまう。
「ほらほら、そんなに上ばっかり見てると首が痛くなっちゃうよ」
「あ、はい…」
アルが金を払い、2人分のパンフレットを持って戻ってきた。
彼の視線の矛先は雪和ではなかった。
その事を感じ取った雪和がアルに近づきながら振り返る。
騎士団だ。
黒尽くめの服に身を包んだ男が数名、アルと雪和をじっと見ていた。
まるで「この聖地を汚すな」とでも言わんばかりの、今にも噛み付きそうな鋭い目だ。
「やれやれ……せっかくの観光中に、熱心な事だなぁ…」
感心しているのかあきれているのか分からないような顔で、ちょっと大袈裟に肩を竦めてみせた。
「ア、アルさん…」
「大丈夫。そんなに怖がらなくていいよ」
にっこりと笑ってパンフレットとジュースを雪和に手渡す。
「ちょっと持っててね」
「は、はい」
まるで何の警戒もしていないかのような表情で、アルが騎士団へと近づいていく。
ゆったりとした歩調、それに余裕すら伺える表情。
以前のアル・アネクシオスとはどこかが違っていた。
自信に満ち、まるで何も恐れるものが無いかのような、そんな雰囲気だ。
「選択肢を与えてやる」
流暢な英語でそう切り出したのはアルだ。
「黙ってこの場を去るか、それとも3日後に死ぬか。好きな方を選ばせてやるよ」
「…3日後?」
「ここで殺したんじゃ警察が来る。3日後、悶え苦しんでのたうち回りながら死ぬようにしてやる。さぁ、好きな方を選んでいいよ」
「…………」
4人の男の顔が青ざめる。
この悪魔なら可能かもしれない。
普通の男が言った言葉なら一笑に伏す事も出来ただろう。だが、この言葉は彼らが1200年にわたって追いつづけてきた悪魔の台詞だ。
「答えは出たか?」
「…………」
無言だった。
が、既に答えは出ていた。
4人の男は若干遅目の歩調で、聖ポール大聖堂を後にした。
まだ若い騎士団員だったのだろう、最初からアルの敵ではなかった。
「お待たせ」
「あ、あの…あの人たちは?」
「帰ってったよ。顔が真っ青だったからね、腹でも壊したんじゃないかな?」
「は、はぁ…」
「雪和ちゃんも水には気をつけないとダメだよ。日本と違って蛇口から出た水はそのまま飲んだりしたらいけないんだ。基本的にミネラルウォーターにすること。いいね?」
「は、はい…」


 
やたらと古ぼけた墓標だ。
すでに「墓標」というよりは遺跡と言った方が良いかもしれない。それくらいの古さだ。
墓碑に刻まれた名前はもうほとんど読む事が出来ない。
「これが…?」
「そう。これが姉さんの墓。ここにリリスもいるよ」
「2人一緒にいるんですか?」
「うん。同じ名前だしね」
花束をそっと置いて立ち上がる。
周囲の風景は、志乃とシスの墓がある墓地と良く似ていた。
緑に包まれ、穏やかで静かな場所だ。
「ここは…他のお墓は全然無いんですね」
「まぁね。昔はあったんだけど、やっぱり時間が経つと墓参りに来る人も少なくなる。それで埋もれていっちゃうんだ」
2人のリリスの墓は、こうしてアルがたまに墓参りに訪れるお陰で埋もれずに済んでいるようだ。
この付近にはあまり人が立ち入らない。
幽霊が出る、人魂を見た、などの怪現象が頻発しているからだろう。
だが、そんなことは「悪魔」と呼ばれているアルにとっては何でもない。それこそ、彼らの存在自体が怪現象なのだから。
「雪和ちゃん」
「はい?」
「寒くない?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そう、ならよかった」
にっこりと笑って、空を見上げる。
珍しく晴れ渡った空だ。雲が所々に見えるが、空がものすごく高く見える。
イギリスでこんなに良い天気になるのは珍しい。たいていは曇りがちで、どうもはっきりしない天気が一日中続いたりする。それがこれほどきれいな青空が広がっている。
「何か良い事でもあるのかな」
「え?」
「何となくさ、晴れてるとそういう気にならない?」
「あ、それ解ります。あと朝起きたときに目覚めがいいと、それだけでも何だか良い事が有りそうな気になっちゃいますよね」
「そうそう、そういう日には無性に出かけたくなるんだよなー」
こうして話をしているところを見ると、ただの若者にしか見えない。
彼らを見て、片方が齢1200年の悪魔だと気付くものは誰もいないだろう。
「…さてと、そろそろ行こうか」
「えっ? もういいんですか?」
「あぁ。もうこれっきりここに来ないって訳じゃないんだ。また来るさ」
「……そうですね」
「帰りに何か美味いもの食って行こう。美味いレストランを知ってるんだ。ホテルのすぐ近くにあるから」
「あ、はいっ」
 
 
その聖堂はデンマークとノルウェーの国境近くにあった。
やたら古ぼけた聖堂で、近隣の住人もほとんど近寄る事が無い。そのせいか、外面のほとんどが蔦に覆われている。
いつごろからそこにあるのか、何のために建てられたのか。
それを知るものは誰もいなかった。
聖堂を中心とした一帯は、大昔は貴族の領地だったという。
特に交通の便が良いわけでもなく、かといって産業が盛んな地域でもなかった。ごく普通の農村だったところだ。
入り口は頑丈に閉ざされ、誰も入る事は出来ない。
だが、第一次世界大戦中に入り口の扉が一度だけ、開いた事がある。
何かの拍子で「開いてしまった」のか、人の手で「開けられた」のかは、今となっては解らない。だが、「開いた」ことだけは事実だ。
そして、数名の兵士が中に入り、そのまま出てこなかったという。
「その兵士は…どうなっちゃったの?」
まだ幼い子供が振り返りながらそう尋ねた。
子供の後ろには少し腰の曲がった老婆がいた。
「ねぇおばあちゃん、その兵士ってどこに行ったの?」
「…さぁねぇ……悪魔にさらわれたのかもしれないねぇ……」
「さらわれちゃうの!?」
「そうかもしれないよ。だからここにはあんまり近寄っちゃダメだよ?」
「…う、うん…」
老婆はエプロンで手を拭いて、孫の手を引いて聖堂から遠ざかり始めた。
この時、子供の耳には誰かが読んでいるような声が聞こえていた。
「…ねぇおばあちゃん、誰か……呼んでるよ?」
「振り向くんじゃないよ! 悪魔にさらわれるから!」
「う、うん…」
だが、声はどんどん大きくなる。
呼んでいるような、それでいてただ唸っているかのような声。
その声は明らかに聖堂から聞こえている。
空には満月が浮かんでいた。
「神様…」
老婆が呟いた。
寝付けない孫の相手をしている内に、なぜかこの聖堂に足が向いてしまった。
これほどの後悔と恐怖は、彼女の70年の人生の中でもそれほど無かったほどのものだ。
孫の手を引いて、どんどん歩く。
腰が曲がっている老婆とは思えないほど、早足で歩きつづける。
このペースなら、あと5分ほどで道路に出るはずだ。
「……あぁ…神様…」
だが、目の前に現れた建造物を見て、老婆は天を仰いだ。
彼女たちの目の前には、なぜか聖堂があったのだ。
真っ直ぐ歩いたはずだ。
真っ直ぐ、この聖堂から遠ざかっていたはずなのに、どうして同じ場所に戻ってきてしまったのだろう。
「お…おばあちゃん…」
「いいかい、おばあちゃんの手を離すんじゃないよ」
「うんっ」
子供はすでにべそをかいている。
声はもう耳をふさいでも聞こえてくるほどになっていた。
手で両耳をふさいでも、まるで鼓膜を通り越して直接聴神経に響くような、そんな声だ。
「神様…どうかこの子をお守り下さい」
空に浮かぶ満月に祈り、老婆はまた歩き出した。

 
捜索願いが出されたのは、その翌朝の事だ。
「いやぁ…全く、これで4件目ですなぁ」
バートリー・ロドル保安官は2週間前からずっとこの渋い顔のままだ。眉間にはかなり深くシワが寄っている。
2m近い身長に100Kgを越える体重という、実に立派な体格の持ち主な割に、実はハーブ栽培が趣味という、どこかアンバランスな人物だ。
「やれやれ……どうなってんだ全く…」
左手に持ったペンでこめかみを軽く掻いて、また視線を上げる。
その先には、ほとんど全体を蔦で覆われた聖堂があった。
彼も良く知っている。子供の頃は「絶対に近づくな」と良く言われたものだ。
「それで、何か変な物音とかは聞きませんでしたか?」
「いえ…」
比較的若い女性が真っ青な顔をしている。
膝ががくがくと震え、夫に支えられてようやく立っている、といった状況だ。
「きっと…さらわれたんだわ……」
「『大聖堂の悪魔』にですか?」
「だってそれしか考えられないじゃないですか!」
大聖堂の悪魔、とこの近辺の住民達は呼んでいた。
この大聖堂には悪魔が住んでいる。そう子供の頃から言い聞かされている。
科学が発達し、人類がもうすぐ火星に降り立とうというこの時代に、この地方では未だに悪魔が信じられていた。
むしろ、神よりも悪魔の実在を信じているものの方が多いかもしれない。
かといって、ここは決して悪魔信仰の村などではなかった。敬謙なクリスチャンが多い、実に静かな村だ。
「…相変わらず鍵はかかってるな…」
バートリーが大聖堂の入り口を確かめる。
ドアの周りにはホコリがつもっており、少なくとも最近は開けられた形跡は全く無い。
だが、この近辺で探していないのはこの大聖堂の中だけだ。
「かといって……」
このドアを開ける勇気があるものなど、この村には一人もいない。
いわば巨大なパンドラの箱だ。
災いが飛び出てきて、最後に「希望」などというものが残っている保証も無い、凶悪なパンドラの箱。
飛び出るのが災いならまだしも、悪魔が出てこようものならどうしようもない。
「悪魔の仕業です」
突然、バートリーの背後から声をかけるものがいた。
実に低い、落ち着いた声だ。
「この聖堂には確かに悪魔が棲み付いている」
「ちょ、ちょっと! 今ここは関係者以外立ち入り禁止…」
ですよ、と言いかけて止めた。
黒尽くめの服装に、胸には銀のロザリオ。
敬謙なクリスチャンでもあるバートリー・ロドルにとっては牧師、神父、司祭は逆らえない存在だ。
「あ、あの……」
「ロドル保安官ですね?」
「そ、そうですが…?」
黒尽くめの男が帽子を取ると、見事に側面を残して髪の毛が禿げ上がった頭が現れた。
「私は使徒騎士団のリチャード・ホーキンスといいます。神のお導きで参りました」
軽く頭を下げ、十字を切った。
「神の…?」
「その通りです。…こちらのご婦人は?」
「行方不明の子供の母親です。彼女の母も行方不明になっています」
「………お悔みを申し上げます。残酷なようですが、あなたのお子様とお母様はもう生きてはおられない」
「………ぁ…」
小さく、喉から絞り出すように声を出して、その場に泣き崩れてしまった。
「何を証拠にそんな!」
すかさず、夫が噛み付かんばかりの勢いで詰め寄った。
だが、リチャードと名乗る男は少しもたじろがない。
落ち着いた様子でポケットから、小さい水晶でできた棒を取り出した。
水晶の棒には銀の鎖が取り付けられ、振り子のような構造になっている。
リチャードはその水晶の棒をぶら下げ、じっと腕を水平に保つ。
「…?」
「どうぞお静かに……」
次第に水晶が動き出した。最初は旋回運動だったのが、いつのまにか縦の往復運動へと移っている。
「…こちらですな」
リチャードが静かに歩き出す。
バートリー保安官と若い夫婦もその後に続いた。
そのまま数百メートル歩いたところに、2人は「いた」。
2人とも目を見開き、何かにおののいたような表情のままで固まっている。
呼吸はなかった。
「これで…4件目だよ……」
バートリー保安官がぽつりと呟いた。
 
 
バートリー・ロドルの机には厚さ4cmにもなる書類の束が重ねられている。
ここ1ヶ月で、連続して4件の失踪、死亡事件が発生している。
明らかに異常だ。
彼はここで生まれ育ち、裏道の一本一本がどこに通じているかまで熟知している。
彼が生まれてからの31年間、少なくとも今月までは殺人事件など一度も起きた事はない。せいぜい起きたとしても、郵便が届かないだのトラクターが故障しただの、隣の夫婦喧嘩がうるさくて眠れないだのという、実にのどかな事件ばかりだ。
それがどうだろう?
4件の突然の失踪、そして失踪した者は全員死んでいる。
「ふぅ……」
12本目の煙草を灰皿に押し付け、ファイルを開いた。
「バートリー、吸い過ぎじゃないのか?」
「…ん? あぁ、そうか?」
バートリーの前に座っている同僚保安官、ルイス・ボルドーがあからさまに煙たそうな顔をしている。彼は煙草の煙が大の苦手なのだ。
「…なぁルイス、お前どう思うよ?」
「吸い過ぎだよ。やっぱり煙草は健康の敵だな」
「……いや、煙草じゃなくて、この失踪事件の話」
ルイスとバートリーは幼なじみだ。
家がすぐ近くで、子供の頃はよく一緒に遊んだものだ。
地元の学校に通い、そして2人一緒に保安官になった。今でも仕事の帰りによく一緒に飲みに行ったりする。
「そうだなぁ……ヘンって言やぁ変だな」
「だろ? あと、昨日来た『使徒騎士団』って男なんだけど…あれも結構怪しいな」
「黒尽くめの男か? それなら俺も見たぜ」
「…見たのか?」
「あぁ。リチャード……何て言ったっけ?」
「リチャード・ホーキンス。ダウジング使って死体を見つけたんだ。まぁ捜査に協力してくれるのはありがたいけど…気味の良いもんじゃないな」
「確かにね」
少し大袈裟に肩を竦めて、コーヒーを口に運ぶ。
「まぁヘンな男だったけどね。俺の名前を調べてたみたいだし、どうも好きになれないね」
「同感」
と、少しおどけた顔でバートリーが13本目の煙草に火をつけようとしたときだ。
電話のベルが鳴る。
この事務所の電話は本当に「ベル」がなるというタイプの電話だ。年代物だが、未だに現役で働いている。
「はい、保安官事務所です」
バートリーが受話器を取る。
何度か肯いた後、彼の顔から血の気が引いた。
そして、静かに受話器を置く。
「なんだよ? どうしたんだ?」
「……5件目だ…」
「………おいおい…勘弁してくれよ…」

 
「何かあったのかな?」
デンマーク国境近くの小さな村の入り口に、2人の若者が立っている。
一人は色白の青年。もう一人は黒い髪に黒い瞳の少女だ。
「何だか…騒がしいですね」
「おかしいなぁ…ここって静かな村だったんだけど…」
「ここに住んでたんですか?」
「500年ほど前にね」
500年も経てば様子が変ってもおかしくない。むしろ変らない方がおかしいだろう。
アル・アネクシオスがこの村に住んでいたのは1200年前から累計しても、大体100年ほどだ。
その他の時間は大抵放浪して過ごしてきた。
だが、ここは彼にとっては「故郷」といえる場所でもある。何しろ生れた土地なのだから。
「何かあったんですか?」
アルが実に自然なデンマーク語で保安官に尋ねた。
見るからに屈強そうな男だ。工具で言えば特大のハンマー、といったところだろう。
もう一人、大柄な保安官の隣にいる男も保安官の制服を着ている。
「いやぁ、失踪事件ですよ。ちょっと前までこんなこと無かったのに…」
大柄な男が頭を掻きながらそういうと、もう一人の保安官が少し訝しげな視線を投げかけてきた。こちらは工具で例えれば鋭いナイフといったところか。
「ここへは観光で?」
「そうです。2人でのんびりしようと思って…」
「めずらしいですね。こんな辺鄙な村に」
「だからいいんですよ。のんびり休むにはちょうどいいでしょ?」
「…なるほど」
この村には一件だけホテルがある。
実はこの村、デンマーク国内でもマイナーではあるが、「知る人ぞ知る」バカンス地なのだ。
ごく一部の金持ちの別荘も何件かあることはある。それに、一軒だけあるホテルも、外見はこの村の雰囲気に相応のものだが、内装はかなり立派なものだ。
「どれくらいの期間のご滞在ですか?」
「まぁ気が済むまでですよ。のんびり休む予定ですから」
「そうですか。…あ、私はバートリー・ロドル。こっちはルイス・ボルドーです。この村で保安官をしています。何か困った事がありましたら、保安官事務所までご連絡下さい」
「わかりました。ありがとう」
「それから、夜の外出は控えた方が良いですよ。ここ1ヶ月で5件も失踪事件が起きてるんです」
ちらりとバートリーが視線を向けた先、そこにあるのは普通の家だが、その延長線上には、大聖堂があった。
「夜はホテルで大人しくしてますよ。それじゃあ」
「それじゃあごゆっくり」
2人の若者は少し大き目の荷物を持って、小高い丘の上に立つホテルへと歩いていった。
この村に来る観光客は大抵が金持ちだ。
日本人観光客はこの村の存在すら知らないだろう。世界有数の金持ち民族なのに、もったいない事だ。
「あーぁ、まったく、どうしてこう…観光客ってのはこういうタイミングで来るのかねぇ」
「しょうがないだろ。観光客はこっちの事情なんて知らないんだからさ」
ほとんど諦めかけたような顔で、バートリーとルイスはお互いを見合わせ、パトカー代わりのジープに乗り込んだ。
アルと雪和が泊まるホテルは、雪和の想像に反して実に立派なものだ。
外見はそれほど大きくはない。ただ古めかしい建物というイメージなのだが、内装は実に洒落ている。
下手すると日本の豪華ホテルに泊まるよりも良いかもしれない。
「…ここって…1泊いくらくらいするんですか?」
「えーっとねぇ…日本円で一泊8000円。そんなに高くないでしょ?」
「8000円? 80000円とかじゃなくてですか?」
「あはは、そんなに高くないよ。食事は別だけど、泊りだけなら1泊8000円だよ」
「へぇ…」
フロントにはやたら太った中年の女性が座っている。
何か嬉しい事でもあったのか、やたらにこにこしている。人のよさそうなおばさんだ。
「予約を入れていたアル・アネクシオスです。ダブルの部屋を取っているんですが…」
「はいはい、アネクシオス様ですね。確かに承っております。それではこちらが部屋の鍵になりますので」
「ありがとう」
どうやらドアボーイなどはいないようだ。
無駄なサービスを省いて低料金を実現しているのだろう。
「さ、行くよ」
「はいっ」
「6階の…609号室。角の部屋だね」
「ここって景色もいいんでしょうね〜」
「景色は抜群にいいよ。あっちの方向には渓谷があるし、逆の方向には滝があるんだ。明日にでも行ってみようか?」
「はいっ、行きたいですっ」
村の様子が変っても自然の景色はそうそう変るものじゃない。
彼が言った通り、渓谷も滝も、アル・アネクシオスが幼かった頃とほとんど同じ姿を保っていた。
この村の主な産業は酪農と鉱業だ。
すぐ近くの山には銀とプラチナの鉱脈があり、この村の男はほとんどがその鉱業に携わっている。
「ちなみに、俺の両親が健在の頃は、この土地の主な産物は金だったんだけどね」
「…あ、砂金ですね」
「そう。どう考えたって異常だよなぁ。1日で丼いっぱいの砂金が採れるなんてさ」
「……た、確かに…」
「そのころは婆ちゃんが砂金を作ってくれてたから、鉱脈なんて探す必要が無かったんだ。ここで鉱脈が見つかったのは…いつだったっけ? 120年前くらいだったかな?」
こうしてアルの昔話を聞いていると退屈しない。
何しろそこらの「お爺ちゃんお婆ちゃんの昔話」とは歴史が違うのだ。
実際に目で見て、耳で聞き、自分の手で触り、肌で感じ、舌で味わったのだから、内容も濃度が段違いだ。
「さぁてと…今日は疲れたでしょ? うろうろするのは明日からにして、今日はもうホテルの中でのんびりしようか」
「はい、さすがにちょっと疲れちゃいました」
この後、雪和が部屋の中のやたら大きいダブルベッドを見て、一人で赤面してしまった事は言うまでもない。
 

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