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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に


10



ホテルは燃えていた。
真っ赤な炎が建物全体を包み、火柱がかなりの高さまで上がっていた。
「な……何だよこれ…」
アルも呆然としていた。
村人総出で、ホテルに火を付けていた。
松明を投げ込み、ガソリンをかけ、まるで一刻も早くこのホテルを焼き払おうとしているかのようだった。
「何が起きたんだ…?」
人ごみが不意に動いた。
ざわめきが周囲へと広がって行く。
喧燥は静まり、次第に静けさが辺りを支配して行った。
人垣が割れて行く。
まるで、アルと雪和に道を譲るようだった。
だが、人々の視線は冷たく鋭い。
「なるほど…アンタか」
「なかなか悪運は強いようですな、ミスター・アル・アネクシオス」
黒服に黒い帽子、黒髭の男。
「最後の警告を無視したな。これが使徒騎士団の返事か?」
「その通りだ。やはり主は悪魔の存在をお許しにはならない」
悪魔、という言葉に人々がざわめく。
この村は敬謙なキリスト教徒が多い。悪魔である以上、すなわち彼らの敵ということになる。
「主の御名において!!」
ヨハンが叫んだ。
群集がじりっと歩み寄る。
「雪和ちゃん」
「…はいっ」
「これから雪和ちゃんはかなりショッキングな光景を見ることになる。それでも俺のそばにいてくれる?」
「…はい。何があっても」
「……ありがとう」
雪和の方を向いてやさしく微笑む。
だが、ヨハンのほうへ向き直ったとき、その表情は消えていた。
「最後に一つだけ、選択肢を与えてやる」
雪和をかばうように抱きかかえ、ヨハンに一歩近づいた。
群集がそれぞれ後退する。
「黙って道を開けるか、それとも全員死ぬか。好きなほうを選べ」
「お前に譲る道などない!」
「…そうか……」
一瞬だけ、哀しそうな目を見せたが、すぐにその色は消えた。
ホテルの炎はどんどんその勢いを増していく。
建物全体を飲み込んでなお、空まで到達しようかというほどの勢いだ。
さすがにそれが異常だ、と気づいたのはバートリーとルイスの二人だった。
「お…おい……」
「あ、あぁ…」
ただ単に確認をし合っただけだが、それでも十分意志の疎通は取れた。
炎は異常に大きくなっている。
やがて、その炎は渦を巻き始めた。
炎の渦はやがてその高さを加速度的に増し、ついに雲を貫いた。
空が真っ赤に染まる。
満月のやさしい銀色の光ではなく、まるで血のような真っ赤な光だ。
「邪魔するやつは誰であれ許さない。俺達はただ静かに暮らしたいだけだ。それを邪魔する奴は…」
炎は雨となって地上に降り注ぐ。
辺りが阿鼻叫喚の地獄絵図に変わるまでに、それほど時間はかからなかった。
「誰であれ……」
炎の渦はホテルから離れ、アル達がいる方向へとやってきた。
群集はすでに狂ったように逃げ場を求めている。
だが、逃げ場はなかった。
彼らは決して刃を向けてはならない存在に刃を向けてしまった。
後悔というものはいつも遅すぎるものなのだ。
業火が村を飲み込んだ。
炎の竜巻が暴れ狂い、周囲にあるものすべてを焼き払おうとしていた。
「ヨハン・ミュンヒハウゼン」
辛うじてヨハンに、アルが歩み寄る。
その表情には慈悲などという感情は微塵も宿っていない。
ただ氷のような冷たい表情。それに炎のような憎悪を宿した目がそこにある。
「お前はまだ殺さない。お前の神とやらがこの炎を消せるのなら消してもらおうか?」
「くっ…………」
煤にまみれた顔でアルを睨み付ける。
力に差がありすぎた。
群衆を扇動すれば何とかなる、そう考えていたのだが、それは甘い考えだったようだ。
「お前にはまだ役目がある」
砂利を踏みしめて、アルがヨハン・ミュンヒハウゼンに歩み寄った。
すでにヨハンの戦意はかけらほども残っていない。
「本部にもどれ。お前達の神は怒ってるかも知れんが、悪魔はそれ以上に腹を立ててる。それを伝えておけ」
「…………」
「次からは…もう警告はないぞ」
吐き捨てるようにそう宣告すると、雪和の手を引いて村のゲートをくぐった。
その先には、ルイスとバートリーの二人、そしてホテルの中年の女性がいまだに腰を抜かして座っている。
歩み寄ってくる二人の悪魔を見て、既に声も出ないほどおびえきっている。だが、目の前の残酷な悪魔の口から出た言葉は、意外なものだった。
「お騒がせしました。もうここには近寄りませんから」
そして、可愛らしい顔をした方の悪魔は、たどたどしい英語で、もっと意外な言葉を残したという。
「ごめんなさいおばさん、えーと…あの、チーズケーキ、美味しかったです。ごめんなさい」
まるでこの村を訪れたときのような穏やかな口調と表情でそういうと、この二人はゆったりとした歩調で歩き出した。
 
 
重厚な樫の木で出来たドアが軋んだ。
一人の老人が車椅子に乗って入ってくる。巨大なテーブルには対になるような椅子が並べられている。
それらの椅子には整然と黒い衣装に身を包んだ男達が座っている。
老人がドアから最も離れた上座に就く。
男達が一斉に立ちあがる。
「良い」
老人がそう言うと、またしても全員が一斉に椅子に腰を下ろす。
部屋には窓が多くあった。
窓の外には美しい山々や木々、緑の自然に囲まれた館だった。
一見したところ、別荘地に建てられたごく普通の洋館だ。だが、この館は世界中に多くの支部を持ち、千数百年もの歴史を持つ「使徒騎士団」の本部だ。
西洋のみならず、世界中の歴史を動かしてきた騎士団の大老の椅子。
そこに座るものは世界の歴史を動かす事が出来る。また、数十万人にも上るといわれる騎士団員を指先一つ、言葉一つで動かす事が出来る。実質的な「王」と言える。
「ヨハン」
大老が傍らにいた男の名を呼んだ。
一人の中年の男が緊張した面持ちが立ち上がる。額には脂汗とも冷や汗ともとれない汗が浮かんでいた。
「…失敗したそうだな?」
「は、はい……」
「まぁ仕方あるまい。我々は貴奴等の力を直に見た事が無かった。侮ってしまうのも無理はない」
大老の口調は穏やかだ。
部下の失敗を叱責するでもなく、ただ事実を事実として認識しているようだ。
「問題は……」
大老が樫のドアへ視線を移した。
まるでドアの向こう側まで見透かしているかのようだ。
「貴奴等がここへやって来ている、という事だ」
「何ですと!?」
騎士団員が一斉に色めき立つ。
不意にドアが開いた。
侍従らしき男がドアを開き、その向こうから若い男女が入ってくる。
騎士団員、特にヨハン・ミュンヒハウゼンの表情には見る見る憤怒という文字が浮かびあがりつつあった
「まぁそういきり立つなよ」
アル・アネクシオスが適当な席に就く。その隣には申し訳なさそうに雪和が腰を下ろす。
「悪魔よ、この聖地に何用か?」
「とりあえず、最後の警告にね」
大老よりも尊大に構え、堂々としている。
「俺達二人に手を出すな。手を出す奴は容赦しない。以上だ」
「もし出来ない、と言ったら?」
「一人残らず死んでもらう」
きっぱりと言い切って、大老側の返事を待つ。
だが、騎士団の返事は決まっていた。
彼らがアルの要求を飲むとは考えられない。無論、彼の予想は正しかった。
「返答は…言わずとも解ろう?」
大老の声を合図に、椅子に腰掛けていた騎士団員が同時に立ち上がる。
彼らの手には銀の拳銃があった。神の祝福を受け、悪魔を殺す事が出来る…と考えられている武器だ。
「雪和ちゃん」
だが、そんな武器を持った大勢の男達を目の当たりにしても、悪魔は全くたじろがない。
「目を閉じてなさい。俺がいいって言うまで開けちゃだめだよ」
「は、はいっ」
ぎゅっと力を入れて雪和が目を閉じる。
轟音。
冷気が全身を包んだ。
一瞬の轟音の後は、異常なほどの静けさが残る。
「さ、もう良いよ」
「え? もうですか?」
雪和が目を開くと、そこには氷の彫像となった数十人の男が立っている。各々の手には凍り付いた銀の拳銃が握られている。
だが、その引き金は永遠に引かれる事はない。
氷は永遠に解ける事はない。彼らが動き出す事は、永遠に無くなってしまった。
「ふぅ……」
凍り付いた椅子の背もたれに体重を預けて、天井を見上げる。
天井も凍っていた。
全てが凍っている。
「アルさん、これって…?」
「ん? あぁ、慣れない事したからちょっと疲れたけど、大丈夫」
「いえ、あの…そうじゃなくて……」
「…原子の運動を止めたんだ。だから凍ったんだよ」
「…………」
実にあっさりと言ってのける。
炎を操れるというよりも、物の温度を操る事が出来るからこそ、できる芸当だ。
「さぁ、もうここにはくる事も無い。出ようか?」
「はいっ」
館を出ると、そこにはいつもと変わらない美しい自然が広がっていた。
雪をかぶった山脈、そして緑の木々。
小鳥の囀りや葉擦れの音が、彼ら二人を出迎えてくれる。
「さてと、それじゃあロンドンに帰ろうか?」
「え? もう帰っちゃうんですか?」
「ん? もうちょっといる?」
「せっかく来たんですから、もうちょっとのんびりして行きたいです」
苦笑気味にアルが微笑んだ。
強い子だ。この子なら、永遠に生きる苦しみに耐える事が出来るかもしれない。
この娘と一緒なら、永遠に生きるのも良いかもしれない。
そんな事を考えているアルの顔を覗き込む雪和の表情も、穏やかに微笑んでいた。
 

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