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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



満月の夜に


エピローグ



アルは本を読んでいた。
イギリスに帰ってくるなり、毎日のように国立図書館にこもり、一日中本を読んでいる。
もちろん、雪和もそれに付き合っていた。もちろん彼女はアルの付き添い、という形でだが。
パラレルワールド仮説、というものがある。
今この時点、この瞬間にも、世界は分岐に満ちている。
今もしAという分岐を選んだとしよう。そしたら選ばれなかったBやC、果てはZの選択肢の先に続いていた世界はどうなるのか?
通常であれば、A以外の世界は消えてしまうはずだ。
だが、もしも消えていなかった場合は? その世界はどうなるのか?
これがパラレルワールド、多重世界仮説だ。
さらに、もしもこの多重な世界に相互接点があったらどうなるのか?
「あの時こうしていれば」の結果を見る事が出来るかもしれない。「あの時こうなっていたら、世界の歴史はこうなっていた」の正解を垣間見る事が出来るかもしれ無い。
だが、その接点は無いはずだった。存在しないはずだった。
魔鏡は、二つの世界を結ぶ窓だったのだ。
鎖でつるされた魔鏡。
あの大聖堂の壁画そのものだ。
あの壁画は、もしかしたらアル・アネクシオスの運命を暗示していたのかもしれない。
魔鏡によって不死の身体になり、不死という鎖でがんじがらめに縛りつけられた運命。
もう、長い間の望みはかなわないものだと解ってしまった。
だが、今はもうその望みは持っていない。
「アルさん、コーヒー買ってきました」
「あぁ。ありがとう」
隣に小柄な娘が座る。黒い髪に黒い瞳、それに白い肌の少女だ。
暖かい缶コーヒーを一つ手渡し、自分もプルトップの蓋を開けた。
缶の口から暖かい湯気が立ち上る。
「ごめんね、毎日付き合わせちゃってさ」
「いいえ。私も本読むの好きですから。でも英語の本ばっかりでちょっと時間かかっちゃいますね」
「あははっ、それもそうか。まぁすぐに慣れるよ。時間はたっぷりあるんだから」
「そうですね」
にっこりと笑って、窓から空を見上げる。
もう空は暗くなっていた。真っ黒い夜空に、月が浮かんでいる。
「今日も月がきれいですね」
「そうだね…」
満月だった。
優しい銀色の光が当たりを静かに照らし出している。
「花間一壷酒 独酌相親無 杯挙迎明月 影対成三人……」
「…どうしたんですか?」
「月既不解飲 影従隋我身 暫伴月将影 行楽須及春 我歌月徘徊 我舞影零乱 永結無情遊 相期雲海遙…」
「…? あ、あの…?」
「高校の授業で漢詩はならった?」
「あ、はい」
「唐の時代の李白の詩だよ。今の雰囲気にあってるなーって思ってね」
「あ…月下独酌っていう詩ですね?」
「そうそう。知ってる?」
「はい。知ってます。テストに出ましたから」
くすっと苦笑して、コーヒーを一口飲み込んだ。
「でも…」
雪和がそっと腕を絡めてきた。
コーヒーを持っていた手が暖かい。
「もう…一人じゃないんですよ。私がいますから」
ごく自然に微笑み合う。
安堵感があった。
いつでも、今隣にいる人は側にいてくれる。
何があっても、ずっと自分と一緒にいてくれる。
それが何よりも嬉しかった。
「さてと…そろそろ帰ろうか?」
「はい」
ベンチから立ち上がり、二人腕を組んだまま歩き出す。
外は満月の夜。
古来ヨーロッパでは狼男や吸血鬼、魔女が徘徊するとされた夜。
悪魔の夜、とされた満月の夜も、今は明るく照らし出され、人々が街に溢れている。
コンピュータの網が世界中に張り巡らされ、人類が火星に降り立ち、空を音の速さで飛ぶ飛行機が当たり前の時代。
すでに悪魔などというものは時代遅れなのかも知れない。
だが、彼らはそんな時代も生きている。
ごく普通に、静かに毎日を暮らしている。
今日も、明日も、その次も、その次も……
気の遠くなるような程の時間を、彼らは生きて行くことだろう。
「今日の晩御飯、何がいいですか?」
「そうだなぁ…昨日は何食ったっけ?」
「えーっと…」
彼らの後ろには並んだ足跡が続いている。
この二つの足跡が途切れる事も、別れる事もないだろう。
きれいに並んだ足跡を、満月の優しい光が照らし出していた。

 
 

 
 
 
 

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