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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



約束


第一章

悪友


 突然、部屋の電話が鳴った。
まだ明るくなっていない部屋の中で、電話のボタンのランプだけが点滅を繰り返している。
時計を見ると、まだ朝の七時だ。まったく、こんな朝っぱらから誰だよ。

「もしもし?」
「晶良?久しぶりね」
「…母さん?なんだよ、せっかく寝てたのに」

 電話の主はここから電車で三時間近くかかるところに住んでいる母だった。

「あらあら、久しぶりだってのに、ずいぶんなご挨拶ねぇ。どう?元気にしてた?」
「何とかね。元気かどうか心配してくれるんだったら、カップラーメンでも送ってよ」
「ま、たまにはそうしてあげるのもいいかもしれないわね。で、今度の正月はどうするの?帰って来るの?」

 正確には帰ってくる、という表現は適切じゃない。
元々俺の両親が住んでいる家は叔父夫婦が住んでいたところだからだ。
以前住んでいた「実家」は俺の大学進学と同時に引き払ってしまった。(今では借家に出してるんだっけ)
それ以来、俺の実家は従姉妹たちが住んでいる家ということになっている。少しややこしい。

「今年のお盆に帰ってきて以来でしょ?深雪ちゃんたちも寂しがってるわよ」
「…そうだなぁ、正月くらいは帰ってくるよ。どうせ暇なんだし」
「それじゃあ正月くらいと言わずに時々は帰ってらっしゃい。どうせ学校にも行ってないんでしょ?だったらいいじゃない」

 いきなり図星をついてくれる。これだから母親ってのは…

「え?……はいはい、ちょっと代わるわね」
 代わる?誰にだ?
「もしもし、晶良さんですか?」
「綾音さん?久しぶりだね」

 突然電話に出てきたのは本家の長女の綾音さん。俺より三つ年上の二十三歳だ。ものすごい美人でおまけに性格もいい。俺の初恋の人でもある。

「ええ、元気でしたか?」
「うん、何とか。そっちは?」
「相変わらずです。泉水なんかは元気過ぎるくらいですよ。ただ一昨日から深雪が風邪引いちゃって寝込んでるんです」

 深雪ちゃんか。末っ子のあの子は昔から少し身体が弱かったからな。季節の変わり目とかは決まって風邪を引く。考えてみれば可哀相だ。

「綾音さんは?」
「私は大丈夫ですよ。ちゃんとご飯も食べてますから。それより晶良さん、今度のお正月なんですけど…」
「ああ、そっちに帰るよ。多分正月前に一回くらい遊びに行くと思うから、深雪ちゃん達にもそう言っておいて。いつになるかはまだ決めてないけど」
「本当ですか?よかった、深雪が『お兄ちゃんが来なくて寂しい』って言ってたものですから…そうですか、それじゃあそう言っておきますね」

 たとえ嘘でもそう言ってくれると嬉しい。ますます行く気になってきた。

「それじゃ私はもうそろそろ仕事の準備をしないといけませんので」
「そう、それじゃ気をつけて行ってきてね」
「はい、じゃあ行ってきます」
 そっと受話器を置いた。別に母さんに代わってもらう必要はない。別にもう話すこととかはないし、それにもう一回くらい寝ておきたいからだ。

 そして昼頃、またしても電話で起こされた。今度は黒沢さんからだ。

「なんだ、まだ寝てたのぉ?さっさと起きてよ。今日飲み会するんだから」
「…飲み会だったら夕方からでいいでしょ?なんで今から…」
「今から起きてたほうが色々と用意できるじゃない。五時半に情報学部の玄関前に集合だからね」
「……タフだなぁ…一昨日旅行から帰ってきたばっかりでしょ?」
「まあね。温泉にのんびり浸かって充電してきたんだから、ちゃんと放電しておかないと」

 何でも黒沢さんが行ってきたのは大浜とか言うところだったらしい。
非常に閑静な温泉地で、人影もまばらだったそうだ。
まあ要するに人もろくにいないような田舎、という事になるのかな。
 そこについては土産話を散々聞かされた。
やれ料理がどうだったの、温泉の広さがプール並みだったのと、こっちが聞いてもいないのに次から次に暴露してくれる。
彼女といると最新情報には事欠かない、というのも当然といえば当然かもしれない。

 ただ、その話の中で一つだけ興味を引くものといえば「鬼首神社」という、鬼を祭った神社の話だった。
まあ地方によくある民話なのだろうが、大浜周辺では大昔に鬼が出没しては周囲を荒らしまわっていたそうだ。で、その鬼が何らかの原因で、どういう形かは解らないが封じ込められてしまった。しかし鬼の怨念だけは外に漏れ出して疫病をもたらしたという。
結果、鬼の怨念を静めるために祠が建てられ、それが現在では神社になった、という話だ。
 よく考えてみると、それほど面白い話でもない。が、どういうわけか妙に気を引くものがある。まぁそれだけといえばそれだけなんだけどね。

「えーと、五時半に玄関前だったっけ?」
「そう。遅刻厳禁だからね。それじゃあまた後で」

 何とも強引な話の運び方だ。これもいつものことで慣れてしまった。
一年生のころから何かと彼女に引っ掻き回されるというパターンが出来上がっている。
今更何とも思わないが、よくよく考えてみれば黒沢さんって俺が何かして遊ぼうって言うときには必ずいるんだよなぁ。
 もともと俺はそんなに友達が多いほうじゃない。彼女も数少ない友人の中の一人、ということになる。
親しい友人だったら数人いるが、ほとんど学校には来ない。実にけしからん。………あ、俺が言えることじゃないか。


 家から学校までは自転車で十分と少しだ。指定された五時半少し前に玄関前に行くと、そこには黒沢さんが一人で座っていた。

「よう、遅刻はしてないでしょ?」
「うん。…よし、それじゃ行こうか」
「え?」
 繰り返し言っておくが、ここに座っているのは黒沢さん一人だけだ。周囲にはほとんど人影はない。
「行こうか…って、ほかには誰が来るの?あ、現地集合とか?」
「ううん、今日は私と古門君との二人だけ。嫌なの?」
「え?あ、嫌じゃないけど…そうか、二人なんだ」

 光栄なことと考えていいのかな。何しろ黒沢さんは大学のミスキャンパスコンテストの決勝まで残るくらいの美貌を誇っている。男子学生の人気もすこぶる高い。

「珍しいね、黒沢さんが俺と二人で飲もうなんて。二年のとき以来じゃないかな」
「……うん、そうだね」

 …なんだろう、少し様子がおかしいな。いつもに比べると格段におとなしい。普段が普段なだけに少し心配になってきてしまう。

「で、今日はどこ行くの?」
「いつもの店。あそこだったら落ち着いて話せるから」
 なんだ、今日は何か話があるのか。だったらいつもどおり学食かどこかで話せばいいのに。わざわざ飲みに誘って、そこで話すなんて…何か言いにくいことなのか?
 いつもの店、というのは学校から少し離れたところのバーだ。
ここのバーテンさんが女性で、大学の女子学生がよく利用するらしい。色々と相談に乗ってもらえるそうだ。
おまけにバーだというのに色々と食べ物も用意してあるため、酒を飲むだけでなく軽い食事もできてしまう。何かと便利な店だ。でも俺は三回くらいしか行った事がない。

「ちょっと…先に座っててくれる?」
「ああ、それじゃ先に注文しておくよ」
 とりあえずは晩飯を食べてないのでパスタを注文する。酒を飲むのはそれからだ。
「いらっしゃい。えーと、古門君…だったかしら?」
「そうです。覚えてたんですか?」
「君はインパクトあるから。真理ちゃんから男だって聞いたときはびっくりしたわよ」

 なるほど、そう言うことだったのか。まあ仕方ない。
「でも君がこうして真理ちゃんと一緒に来たって事は…ひょっとして付き合ってるの?」
「はぁ?」

 どこでそういう話になるのだろう。俺と黒沢さんが…付き合う?そんな話聞いたこともないし、考えたことも無い。

「……ひょっとして…違うの?」
「違うも何も…どこでどうなったらそういう話になるんですか?」
「いやぁ、こないだね…」
 そこまで言ったところで黒沢さんが隣に座ってきた。
「ああ、真理ちゃん、彼と付き合ってるんじゃなかったの?」
「え?…何ですかそれ?」
 どうやら根も葉もない話だったらしい。そっちのほうが俺としても助かる。…いや、別に黒沢さんが嫌いというわけじゃない。彼女は俺の恋愛の対象としては写ってないだけだ。
確かに彼女は欲しいが、あくまでも黒沢さんは対象外。そういうことだ。

「ひょっとしてこないだの話でそう思ったんですか?」
 なんだ?こないだの話って…
「この前ここに一人で飲みに来たときにね、ちょっと気になる男の話してたんだ。多分それでその話に出てきた男が古門君だって思ったんじゃ…」
「違ったの?」
「違いますよぉ、彼は相談相手です」
 そうか、良かった良かった。
「で、相談って事は俺に何か話があるんでしょ?何?」
「う、うん…」
 一口水を口にする。

「誰にも言わないでよ、古門君だから信用して話すんだからね」
「ああ、誰にも話さない。で?」
「……最近ね、ちょっと好きな人が出来て…それでどうしたらいいのかなぁって思ってね。古門君もそんな顔だけど、一応は男じゃない。だから色々と情報と知識を仕入れておきたいと…」
「悪かったね、こんな顔で」

 しかし回りくどい真似をするな。いつもの彼女だったらストレートに「好きですっ!」とでも言おうものなのに。
「別に深く考えなくていいんじゃないかな。好きだったら好きって言っちゃえば?」
「それが出来ればこんなふうに相談してないよぉ。ねえ、何でもいいから聞かせてよ」
「何でもいいって…何を?」
「例えば……そうだ、古門君の初恋の話とか。男ってどんな女を好きになるのかがわかんないのよ。それ聞いたら何かヒントになるかもしれないし」
 冗談じゃない。俺の初恋の話なんて…恥ずかしくてこんなところで話せるかよ。
「私ってこういう話聞くのは大好きなんだけど、自分がそういう状況になったことが無いからどうしていいかわかんないのよぉ。ね?お願い、助けると思って」
 いきなり顔の前で両手を合わされてしまった。そんな事されてもなぁ…

「いいじゃないの。話してあげれば?」
 脇からバーテンのお姉さんが苦笑気味に割り込んでくる。
「私も個人的に興味あるな。君みたいなきれいな男の子がどんな初恋を体験したのか。ねえ、料金特別にサービスしてあげるから」
 きれいな男の子…なんとなく鳥肌が立つような台詞だ。
「ねえ、ここは私が持つから。お願い、なんとなく古門君の話だと参考になりそうな気がするのよ」
「…まあ話してもいいけど、俺の初恋なんてありふれたパターンだと思うよ」
「いいからいいから、早く聞かせてよ」

 正直言ってこういう事を人に話すのは苦手なほうだ。でも大学の中でも一番の親友がどうしても、と言うのだから話してもいいか。
「何年前だったかな…俺が小学五年生の頃だったっけ。法事か何かでその時初めて親戚の家に行ったんだ」

 角まで続く長い白壁の塀、そして見るものを威圧するかのような重厚な作りの門。それが初めて目の当たりにした「古門家」だった。  俺のうちは本家じゃない。本家は父の兄、つまり叔父が継いでいた。
どういう訳かその時まで俺は本家に行く機会が無く、「従姉妹がいる」とは聞いていたものの実際に会ったことは一度もなかった。
 やたらと大きな門をくぐって中に入ると、開いた口がふさがらなくなるような大きな庭がある。一応一軒家とはいえ、それほど広くない家に住んでいた俺にとっては「テレビの中だけの世界」が目の前にあった。鹿脅しの音が庭に響き、奥には土蔵がある。日本的な庭園だ。

「ほら晶良、叔父さんと叔母さんに挨拶しなさい」

 そう言われて律義に頭を下げて挨拶をする。なにぶん昔のことなのでそれほど鮮明に覚えているわけではないが、叔父さん達も結構若々しかったんじゃないかな。
 なんとなく落ち着かないでいる俺に叔母さんは「晶良君、よかったら深雪たちと一緒に遊んでもらえないかしら?」と言ってきた。
 深雪?だれだ?それに「たち」って…

「あ、そうそう、まだ紹介がまだだったわね。ここには女の子が三人いるのよ。二人は晶良君より年下で、もう一人は三つ年上なのかしら。仲良くしてあげてね」

 そうか、その三人が前から聞いていた従姉妹なんだ。それを聞いて急に肩の力が抜けた。少なくともこの家の中にも自分と同年代のものがいる、というふうに考えただけでもずいぶん楽になるものだ。
 法事は翌日からだった。当然子供の俺は暇になる。そこで、このやたらと広いお屋敷を探検してみることにした。そして、最初に会ったのが末っ子の深雪ちゃんだった。

「あ…」

 それが最初の言葉だ。その当時彼女は確か五歳か四歳。まだ幼稚園に通っていたと思う。当時からやたらとかわいらしかった。今は当然の事ながら輪をかけてかわいい。

「お………」
 なんとなく恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見ながら
「お兄ちゃん?」
 と聞いてきた。

 一人っ子でずっと弟か妹が欲しいと思っていた俺にとって、その言葉がやたらと嬉しかったことをよく覚えている。しかもそう言ってくれたのが実にかわいらしい子供だったのだ。
初対面で打ち解けるなんて事がほとんど無かった俺にしては珍しく、深雪ちゃんとはそのすぐ後にいっしょにいろいろと話をするくらいまで打ち解けていた。

 そして少し日が暮れた頃、真っ黒に日焼けした子供が帰ってきた。
多分小学三年生かそれくらいだろう。タンクトップに短パン、所々汚れていて、いかにもやんちゃ坊主、といういでたちだ。
 そいつは俺のことを見るなり「誰?」と、実にぶしつけに聞いてきた。
 が、無愛想と言うわけじゃない。それどころか、親しみを込めて(というよりも馴れ馴れしく)という口調だった。まあ名前を聞かれて答えないわけにはいかない。名字はいっしょなんだから、とりあえず晶良という名前だけを教えたら次の瞬間からそいつは俺のことを「晶良」と呼び捨てにしてきた。
 最初はさすがにちょっと腹が立ったが、なんとなく歳が近い弟が出来たような気がして嬉しかった。しかし、その直後に一緒に風呂に入ってこいつが女の子だということが解ったときにはさすがに驚いた。あんまりびっくりしたんで風呂場で転んででかいコブを作った、という逸話があるが鮮明には覚えてない。多分頭を打ったせいだろう。
 こいつは俺より二つ年下で名前を泉水という。今でも俺のことは「晶良」と呼び捨てだ。

 その日の夕食の少し前くらいの時間になってもう一人が帰ってきた。ちょうどその時間、俺は泉水と深雪ちゃんとの三人で仲良くトランプなどをしていた。当然子供ばっかりなので複雑なルールのやつじゃない。七並べや神経衰弱などの至極簡単なものだ。
 突然廊下に人影が見えた。その人影を見て深雪ちゃんが嬉しそうに
「あ、綾音お姉ちゃんお帰りなさい」
 と言い、泉水も
「お帰り綾姉」
 と言った。そこで初めて、今目の前に立っている人物が古門家の長女、古門綾音だということを知った。

「ただいま。晶良君ね?初めまして、長女の綾音です。仲良くしてあげてね、私もすぐに着替えて来るから」

 そう言ってすぐに廊下の奥へ消えてしまった。
 この時だった。中学校の制服を着て、優しい眼差しでにっこりと笑ったきれいなお姉さん、それが綾音さんに対する第一印象だ。
 どういうわけか、当時なかなかのやんちゃ坊主だった俺も綾音さんと一緒にいるときは借りてきた猫のように大人しくしていた。それに彼女から優しくされたり、時には話し掛けられるだけで嬉しくて仕方なかった。
 その年から毎年毎年、正月と盆にはそこに遊びに行くようにしていた。親が仕事とかの都合で行けない事があっても、俺だけは一人でも必ず遊びに行っていた。


「たぶんあれが俺の初恋なんだろうなぁ」
「へぇ、なかなかいい話じゃない。従姉妹のきれいなお姉さんか。まあ一種ありふれた話ではあるけど、それでもシチュエーションがいいわね」
「そうかぁ…で、そのお姉さんはどんな人だったの?」

 綾音さんか。考え様によってはあの人の人物像を説明するのはすごく難しい。まあ大まかにならできるけど、細かいところまでとなると…
「じゃあ大まかでもいいから。容姿とか、性格とか…」
「性格は簡単だよ。優しくておおらかで、まあ時々天然ボケの一面を出したりするけど、なんとなく暖かい感じがする人なんだ。あとはのんびりおっとりしてるってところかな」
「見た目は?」
「きれい」
「…………」

「いや、本当にこれしか適当な言葉が無いんだって。とにかくきれいなんだ」
 これの他にどう表現しろと言うのだ。本当にきれいな人は「きれい」としか表現できない。現在綾音さんは二十三歳。とにかくきれいなのだ。
 通常美人と言うものは冷たい印象を与えがちなのに、不思議と彼女にはそれが無い。なんとなく甘えたくなってしまいそうな暖かさをもってる。まあ実際に甘えて困らせたこともあるけど。
「髪型とかは?」
「ロングだね。こう…俺よりちょっと長いかな」
 俺が髪を伸ばしているのは別にロングヘアーが好きだからと言う理由じゃない。床屋が恐いからだ。高校生の頃、たまたま行った床屋で首筋を切られてしまった。ちょうど頚動脈の位置だ。それ以来、床屋が恐くて仕方ない。今でも髪は自分で切っている。
「なるほど、ロングか…」
「ねえ古門君、その…お姉さんは今何をしてるの?」
「OLですよ。親父の会社で、親父の秘書みたいなことをしてるみたい。詳しくは知らないけど」
「親父の会社って…ひょっとして古門君のお父さんって社長さん?」
「そうですよ。彼の実家ってものすごいお金持ちなんです。ほら、古門製薬って知ってるでしょ?あそこの社長なんです」

 一瞬、バーテンのおねーさんの動きが止まる。名札を見ると石川と書いてあるから、多分この人石川って名前なんだろうな。
 そして石川さんが我に返った直後、店の中に「えええぇぇぇぇーーーー!」という絶叫が響いた。目の前にいた俺と黒沢さんは周囲の視線の集中砲火を浴びてかなり恥ずかしい。なんだよ、俺のせいじゃないんだから…
「本当に?本当にあの古門製薬の社長さんなの?」
「…らしいですよ」
 といった感じでびっくりされるほど大きな会社らしい。俺は別に親父の仕事に関してはあんまり詳しくないからどうも思わないけど。でもテレビでコマーシャルとかもしてるから結構大きな方なんだろうな、という程度に思っている。
「あ、あの古門君、私今彼氏もいなくてすっごく暇で寂しい思いしてるんだけど…」
「石川さん、魂胆見え見えだってば」
 シャープに黒沢さんが突っ込む。

「で、どう?俺の話は少しは参考になった?」
 ここは強引にでも話を元の本線に戻さないと、いつまでたっても脱線したままで終わりそうだ。もともとは黒沢さんの参考のために話をしたのに、これじゃ俺の身の上話だ。
「あ、そ、そうね。うん、結構勉強になったよ。…やっぱり男ってショートより髪の長い女のほうがいいんだね」
「いや、そうとも限らないよ。ショートが好きって言うやつもいるし、ボブじゃないといやだって言うやつもいる。ほら、エヴァン○リオンとか言うのに出てくる綾波レ○みたいな感じの髪型がいいとかね」
「…そっか……で、性格とかはどんなのが好かれるの?」
「やっぱり第一に優しくないとだめだろうね。人のことを考えるだけの思いやりとか、必要最低限持っているべき物を持ってればいいと思うよ」
 あとは出来るだけ無理しないこと。だと思う。女と付き合ったことが無い俺が言ってもあんまり説得力はないだろうが、まあ一応は俺なりの意見は言ったつもりだし、黒沢さんにはほんの少しでも参考になったみたいだ。よかったよかった。

 結局この日、ほとんど酒も飲まずにすぐに出てきてしまった。石川さんの絶叫から周囲の視線がちくちくと突き刺さってくるので、それで居辛くなって解散と言う事になった。


 ほんの噂に過ぎないが、黒沢さんが誰かと付き合い始めたらしい、という情報が入ってきた。うんうん、良かったじゃないか。……と思っていると、どういうわけか彼女が学校に来ないという情報まで入ってきた。
 最初のうちは彼氏といちゃついてて学校に来ないのだろう、と思っていたが、さすがにそれも一週間丸々学校に姿を見せないとなると少し心配になってくる。家に電話をしてみてもずっと留守電になっている。

「まったく、どうしたってんだよ…」

 まあ俺が言える台詞じゃないか。俺だってほとんど学校には行ってないんだ。
 そして彼女が学校に来なくなって二週間になろうという頃、一本の電話があった。他ならぬ黒沢さんからだった。

「黒沢さん?どうしたの、みんな心配してたよ」
「…あのね、私入院してるんだ・・何だか変な病気みたい……ねえ、今から来れない?」
「今から?う、うん、大丈夫だけど…どこに入院してんの?」
「大学病院。病室は855号室だから…待ってるからね」
 いつに無く気弱な声だ。こりゃあ早く行ってやらないと。
 病室に入ると、そこには以前の彼女とは比べ物にならないほどやつれきった黒沢さんが横たわっていた。顔色も悪いし、何より痩せ方が普通じゃない。どうしたんだ?

「あ…古門君…よかった、来てくれたんだ」
「どうしたんだよ!何か変なもの食ったのか?」
「わかんない…ただ温泉から帰ってずっと熱が続いてたんだけど……先週から急に熱が上がって…」
 少し体を起こしてこちらに向きを変える。ただそれだけの動作もきついらしい。
「大丈夫なのか?」
「…わかんない…先生もこんな病気見たこと無いって言ってた」
 そんな重病だったのか?でもどうしていきなり…
「で、彼氏はどうしたの?」
「…一昨日振られた……伝染されたら嫌だからって…」
 涙が一滴、右の頬を伝って流れている。さぞかしショックだったんだろう。普段あんなに明るい彼女が人前で涙を見せるなんて。
 それにしても何て奴だ。たとえあんまり長い間付き合ってたって訳じゃないにせよ、病気になったとたんに振るなんて。でも考えてみるとそんな奴とは早めに別れたほうが良かったかもしれないな。

「黒沢さん、往診です」
 ドアがノックされて、看護婦さんと医者が入ってくる。看護婦のほうは「白衣の天使」というには少し老けている上にかなり太い。が、医者のほうはずいぶんと若く、スマートな体型だ。それになんとなく見覚えがある。
「…古門君か?」
「え?…ひょっとして…杉原先生?」
 なんとその医者は俺が中学時代に通っていた塾の先生だった。そうか、医学部だったんだ。そう言えばあれからもう六年くらい経つもんなぁ、あの時の先生が医者になってても不思議じゃないや。
「いやぁ、久しぶりだなぁ。ますますきれいになって」
「…先生、それ誉めてないです」
「ま、話は後だ。とりあえずは診察を済ませるから、しばらく廊下に出てもらえるかな」
 ちょうど良かった、杉原先生だったら昔ずいぶん色々と喋ってたし、黒沢さんの病気のことも色々と聞けるだろう。

 十分ほど経って先生が出てきた。何やら深刻な表情だ。
「先生、黒沢さんは…」
「ちょっと待った。…このあと暇かい?」
「え?…ま、まあ特にすることはないですけど」
「それじゃあ少し時間もらえるかな。そうだな、六時半にロビーで待ってて。あと一時間くらいだけど、いいかい?」
「…解りました」

 病室に入ると、黒沢さんが不安そうな顔でこちらを見ている。どうしたんだろう?
「良かった…帰っちゃったかと思った…」
「なんだ、そんな事考えてたのか。俺はそんなに薄情じゃないよ」
「うん…ごめん…」
 やっぱりいつに無く気弱だ。いつもならここで「あれぇ?そうだったっけ?」とか言う言葉が返ってくるはずなのに。
「古門君…私ひどい病気なのかな…?」
「俺にはわかんないよ。それよりちゃんと食べてる?ひどく痩せたみたいだよ」
「あんまり食べてない。食べてもすぐに吐いちゃうから、今はほとんど点滴…」
「じゃあちゃんと寝てる?」
「良く眠れないのよ。寝ると必ず恐い夢ばっかり見るから…」
 それじゃあ食事もほとんど取らない、睡眠も無い。体に悪い事この上ないじゃないか。入院してから振られたってことは失恋のショックってわけでもなさそうだし、何が原因なんだろう?…ってこんな事俺に解るわけ無いじゃないか。

 その後しばらく話をして、時折弱々しくはあるが笑顔を見せるようになってくれた。そして午後六時二十分。そろそろ行かなきゃいけない。もともとここの面会時間は六時半までだ。
「それじゃあそろそろ行くよ」
「うん。……ありがと、来てくれて。嬉しかったよ」
 何となく後ろ髪を引かれる思いで病室を後にする。そしてロビーに着くと、そこにはすでに杉原先生が座っていた。

「来たな。じゃあ行こうか」
「どこ行くんですか?」
「近くのレストランにね。あの子の病気の事なんだろ?」
 ということは、ここでは話しにくい事なんだろうな。何だかやな予感がする。
 車に乗せられてすぐ近くのファミリーレストランに入った。大学生という職業柄、深夜にここを利用する事はよくあるが、そう何度も来るというわけじゃない。

「さてと…まあとりあえずは久しぶりだね」
「そうですね、もうかれこれ六年か七年くらいですか」
「早いもんだ。あの時も結構きれいな感じがしてたけど、大学は行ってからますます磨きがかかったんじゃないか?」
「そんな事言われても…全然嬉しくないですよ。それで先生……」
「解ってる。まあそれは食事を済ませてからにしよう。ここは僕が払うよ、何でも好きなの食べなさい」
 よし、これで今日の晩飯代は浮いた。ここの所全然肉類を食ってなかったから、今日は何か肉を食ってやろう。
 そして食後、コーヒーを飲みながら杉原先生が何となく重苦しそうな口を開いた。

「いいかい、今から話すことは誰にも言わない事、とくにあの子にはね」
「…どうして俺には話してくれるんですか?」
「君は昔から信用できるからね。それにほかの人が絶対にしないような方向から物事を考えられる。ひょっとしたら何かヒントみたいなものを思い付いてくれるんじゃないかと思ったんだ」
 なるほど、ギブアンドテイクって訳か。
「それで、黒沢さんはどんなになってるんですか?」
「…はっきり言って解らない。症状はバセドー氏病によく似てる。バセドー氏病にインシュリン過多を足したような症状なんだ。だけど…どうしても原因が分からない」
「あの…バセドー氏病とかインシュリン過多とかって言われても、全然何が何だかわかんないんですけど…」
「ああ、ごめんごめん。まあ簡単に言うと頭痛と高熱が続いてるんだ。あと栄養分の消耗が異常に激しい。本人は寒気とか身体全体のだるさを訴えてるんだけど…色々調べたけどバセドー氏病じゃないんだ。ほかの感染症とかの症状とも照らし合わせたけど、どうしても該当するものが無い。それにそもそも原因が分からない」

 それじゃますますもって俺には解らない。大体俺も薬屋の息子なんだからもうちょっと医学的な知識はあってよさそうなものなのに…やっぱり高校のときに生物とか化学の時間に決まって睡眠学習してたのが良くなかったのかな。
「あと…奇妙なんだ。血行は正常なのに体の一部が壊疽を起こしてるみたいなんだ」
「壊疽?あの…要するに肉が腐っちゃうって奴ですか?」
「そう言う事になる。それに毎日ブドウ糖の点滴を普通の人の三倍以上点滴してるのにあの痩せ方だ。インシュリン過多なんて程度じゃ片づけられないよ」
「…インシュリン過多って何ですか?」
「副腎ってのは知ってる?腎臓の上あたりにあるんだけど、そこの表面の副腎皮質ってところから分泌されるホルモンにインシュリンって言うのがあるんだ。普通このインシュリンは血液中の糖分を分解する働きがあって、これの働きが落ちたり血糖値が高くなりすぎたりすると糖尿病になるんだ。で、インシュリン過多っていうのはわかりやすく言うと、糖尿病の逆なんだ。血糖値が下がりすぎる」
「それっていい事なんじゃないですか?糖尿病の逆なんでしょ?」
「とんでもない。血糖値が下がりすぎると意識不明になったり、最悪の場合死ぬ事だってある」
「し、死ぬ…?」
「そう、だからインシュリン過多の人は普通の人よりも多く糖分を取る必要があるんだ。まあ毎日インシュリンの注射をしなきゃいけない糖尿病の人よりはいくぶん楽かもしれないけどね」
 どちらにせよ大変な事には変わりはない。

「古門君、君はどう思う?」
「いや、どう思うったって…ウイルスか何かじゃないんですか?」
「そう思って血液検査をしたんだけど…まだ結果は出てない」
「先生はどう思ってるんですか?」
「僕は…何か新種のウイルスじゃないかと思ってる。どこか一個所にだけ感染するような、そんなウイルスだとすると、強引ではあるけど説明がつく。後は新種の菌類に感染したか何か…」
 なるほど、一個所にだけ感染するウイルスか。でもそんなのあるのかな?少なくとも俺の知る限りはウイルスってのは感染したら数が増えて、身体全体に行き渡るようなものだと思うけど…
「そうなんだ。だからウイルス感染だとしても決定的な証拠が無い。原因も良く分からないから手の施しようが無いんだ」
「それって…どうしようもないって…それじゃもし黒沢さんの病気が命に関わるようなものであれば…」
黙って肘を突いてうつむいてしまった。つまり、今のままだと確実に黒沢さんは助からない、という事だ。
「そんな…先生、何とかなるんでしょ?手術とかで治せないんですか?」
「……今のところ…不可能だよ」

 いきなり頭をハンマーか何かで殴られたような気がした。
 自分の親友が死ぬなんてことはありえないと思っていた。しかし、大学の中で無二の親友とも呼べる黒沢さんが死の淵に立たされている。その事を納得できたのは家に帰ってからだった。


「晶良さん?どうしたんですか、晶良さんのほうから電話くれるなんて、珍しいですね」
「うん、ちょっと…」

 時計の針は九時半を指していた。家に帰ってきてから約三十分経っている。少し気持ちが落ち着いてから、自分でもどうしてかは分からないが受話器を持ち上げて実家の番号を押していた。
「…何かあったんですか?元気が無いみたいですけど」
「…うん、ちょっとね…」
「…晶良さん…どうしたんですか?何があったんですか?…良かったら、私でよければ相談に乗りますから、話してみて下さい」
「……いや、いいよ。それよりさ、明日そっちに行こうかと思ってるんだけど、いいかな」
 別に計画してたわけじゃない。突発的に口から出た言葉だった。
 昔からそうだ。何か悩みとか落ち込むような事があったときは無性に綾音さんに会いたくなる。そうする事で気持ちが落ち着くような、そんな気がするからだ。今までだって何度となく悩みを相談して、それで解決してきたじゃないか。

「…だめ…かな?」
「いえ、ぜひ来てください。いっそのことこっちでしばらくのんびりしてって下さい。何だか疲れてるみたいですから」
「うん、そうするよ。…ありがと、綾音さん」
「……晶良さん、何か辛い事でもあったんですか?」

 やっぱり解るんだ。昔から綾音さんは俺の事は何でも知ってるし、俺の事ならほとんど何でも解ってしまう。姉弟のように育ったからかもしれないな。
「いや、何でもないよ。それじゃあ明日そっちに行くから」
 そう言って静かに受話器を置いた。これ以上綾音さんの優しい声を聞いていると泣いてしまいそうで恐かった。
 黒沢さんには悪いけど、明日から二日くらい実家に戻ろう。しばらくゆっくりした方がいいのかもしれない。

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