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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



約束


第二章

電話


「お帰り晶良」
 門をくぐると、すぐそこに泉水がいた。いつもどおりの元気のいい声で迎えてくれる。ここで変に気を使われるとまた気分が落ち込んでしまう。こうして普通に応対してくれるのはこいつのいいところの一つだろう。
「ごめん、私今からちょっと出かけなきゃいけないんだ。深雪と綾姉が家にいると思うから、相手してやって」
 そう言うと泉水は走って出ていってしまった。この寒いのに元気なやつだ。

 それにしてもどうして綾音さんがいるんだろう。深雪ちゃんはまだ解るとしても、綾音さんは今仕事中なんじゃないか?
「あ、お帰りなさいお兄ちゃん」
「ただいま深雪ちゃん。綾音さんがいるの?」
「うん、さっき帰ってきたみたい。多分部屋にいると思うよ。伯母さんは茶の間にいるはずだよ」

 そうか、母さんは相変わらず専業主婦だったっけ。荷物を持って茶の間に行く途中で母さんとばったり会った。まあそれもそのはずか。家の中なんだから。
「あらお帰り。疲れたでしょ?座んなさい、今お茶でも持って来たげるから」
 懐かしい感じだ。俺自身はここに住んだという経験はない。でも昔から何度となくここに泊まったことはある。まあほとんど自分の家と同じだな。

 母さんがお茶の入った湯のみを持ってくるとほぼ同じくして綾音さんが茶の間に入ってきた。相変わらずきれいだな。
「あ、晶良さん、お帰りなさい」
「ただいま。久しぶりだね」
「ええ、お盆以来ですね。晶良さんったら全然帰ってこないんですもの」
「そうだったっけ?」
「もっと帰ってきてください。伯母様も心配してるんですよ」
 心配してるんだったらもうちょっと仕送り増やしてくれよ。まったく。

「さぁてと、晶良、綾音ちゃん、ちょっと買い物に行ってくるから、留守番お願いね」
 買い物篭を持ってそう言うと、スリッパも履かずに玄関へと歩いていった。遠くのほうで「深雪ちゃーん、ちょっと買い物に着いて来てー」という声が聞こえる。やれやれ、深雪ちゃん相変わらずこき使われてるんだな。

「こき使われてるわけじゃありませんよ、深雪が自分から手伝うって言ってるんですから」
「感心な子だなぁ。で、泉水はどこ行ったの?」
「泉水は友達と買い物だそうです。……それで晶良さん、何があったんですか?」
「え?」
「昨日の電話です。何か辛い事があったんですね?」

 時々この人は「超能力でもあるんじゃないか」と思えるくらい俺の考えてる事を言い当ててしまう。多分今も俺の気持ちを少なからず分かってくれてるんだろう。
「……俺の友達に黒沢って言う人がいるんだけど…」
 こうして面と向かうと不思議と全部話そうという気になってしまう。だから俺は昔から綾音さんには隠し事は出来ない。しようと思った事も無い。

 三十分ほどかかってようやく全てを話し終えた。その間ずっと綾音さんは俺の目を見て話を聞いてくれる。仕事で疲れてるだろうに、出来の悪い従弟の話をこんなに真面目に聞いてくれるんだから感謝しなきゃな。
「そう言えば綾音さん今日仕事は?」
「今日は少し早めに終わらせてもらいました。何だか晶良さんの事が心配だったから…」
「そんな、俺のために…?」
 黙ってこくりとうなずく。そこまで俺の事心配してくれてるのか。
「だって…昨日の晶良さん何だかすごく思い詰めてるみたいでしたから…」
「そうだった?…でも話してみて楽になったよ。人に聞いてもらうだけでも随分違うものなんだなぁ」
「でも…そのお友達は…」
「多分…助からないって言ってたよ。でも…夕べと今日で何とかその時の覚悟は出来た。それに必ず助からないって決まったわけじゃないんだし」
「そうですよね、きっと助かりますよね」

 そう考えよう。現実的には黒沢さんが助かる確率はものすごく低い。でも奇跡ってやつが起こるかもしれない。何とか持ち直すかもしれない。こう考えるのは現実逃避になるのかもしれないが、とりあえず今のところはそう考えよう。
「せっかく来たけど、明後日くらいに帰るよ。見舞いに行ってやらなきゃ」
「…そうですね。それじゃあ今日と明日はゆっくりしていってください。土日で私もお休みですから」
 そうだった、今日は金曜だったっけ。大学生やってるとどうしても曜日の感覚が薄れてしまう。それも授業が全然無いなんて事になるとますますだ。辛うじてバイトの日が水曜日と木曜日、という事を意識する程度か。

「親父は?」
「今日もお仕事です。今日はそれほど遅くならないって言ってましたから、多分七時くらいに帰ってくると思いますよ」
「それにしてもずいぶん長くなるよなぁ、親父と母さんがここに住むようになって」
「そうですね、伯母様はまだ三年目くらいですけど、伯父様はもう九年ですからね」
 どうして俺の親父と母さんがここにいるのか、その理由は今から九年前にさかのぼる。
 叔父さん夫婦、つまり綾音さんたちの両親が突然の交通事故で亡くなったのだ。当然の事ながら、当時まだ子供だった綾音さんや泉水、それに深雪ちゃんは路頭に迷う事になる。
しかもそれだけじゃ済まなかった。叔父さんが大企業の社長だったせいで、何と御家騒動まで起きてしまったのだ。


 その時、俺も綾音さんも大人社会の醜い一面をいやというほど見せられた。
 叔父さんの遺産、つまり会社も家も形式上は綾音さんたち三人に相続されるべきだ。それなのに遠縁の親戚がしゃしゃり出てきやがった。普段顔も見せないようなおっさん達がいろいろな方法で綾音さんに圧力をかけてくる。その現場に親父がいた。そして部屋の隅っこの方に俺もいた。

「いい?会社って言うのは難しいものなの。子供の綾音ちゃんには無理なのよ。だからおばちゃんに任せてちょうだい」
「何を言ってる!普段顔も見せないくせに!そんな事言って本当は古門製薬を乗っ取るつもりだろうが!順序からいって次の社長は年長者である私が…」
「ふざけるなぁ!何が年長者だ!そんなこと関係あるか!」
「いいかい綾音ちゃん、全ては君次第だ。君の決断いかんで泉水や深雪が路頭に迷う事になる。妹は可愛いだろう?悪いようにはしない、私に任せなさい」

 甘い言葉で誘うもの、ありもしない自分の権利を振りかざすもの、泉水と深雪ちゃんをたてに綾音さんを脅迫するもの、さまざまだった。綾音さんは大人達に囲まれてたった一人で不安そうな顔で座っていた。両親を一度に失った悲しみとショックがただでさえ彼女を追いつめていたというのに、この親戚どもはそんな綾音さんを思いやるどころか脅しをかけてきたのだ。

 できる事なら綾音さんを助けてあげたかった。でもその当時彼女よりもさらに子供だった俺にはどうする事も出来ない。ただ部屋の隅で気づかれないように座っているだけだった。話合いの間じゅう、部屋の隅でずっと綾音さんの不安そうな顔を見ていた。両目には大粒の涙が溜まっている。
「綾音、お前は黙って叔父さんの言う事を聞いてればいいんだ。ただこの書類にサインすればいい。ほら、このペンで…」

 親戚の一人が一枚の書類を綾音さんの前に差し出した。それがどんな物かは分からない。まあ今となっては大体の憶測は着く。多分「古門製薬を譲渡する」という内容のものだったんだろう。それを見た一人の中年の男がついにキレた。他ならぬ親父だ。
「お前らいい加減にしろ!だいたい兄貴の喪も明けないうちから財産がどうのこうのと… 葬式というのは故人の死を悲しむものだけが来る資格がある!お前ら今すぐ帰れ!お前らにはここにいる資格はない!」
 まさに鶴の一声。騒々しかった部屋の中が一気に静まり返った。いいぞ親父、もっと言ってやれ。
「兄貴の遺言があればそれに従うのが筋だろう!それを探しもしないで、お前らそれでも親戚か!恥を知れ恥を!」

 この時ほど親父を誇らしく思った事はない。俺と違って大柄でがっしりした体格の親父はそこにいるだけで威圧感があった。それが憤怒の形相で大声を出したんだ。多分親戚どもは恐かっただろうな。部屋の隅で隠れながらガッツポーズをしてしまった。

 結局醜い家族会議はこの一声でお開きになった。(ただし、後日また集まるという条件付きで)その後、部屋には親父と母さん、それに綾音さんの三人だけが残った。ちなみに俺は机の後ろ側に隠れていたので存在は気づかれていない。何をしていたかというと、…単に暇だったから家の中をうろうろしてただけなんだけどね。
「伯父様……」
「いいんだ綾音ちゃん。疲れたろう?今日はもう休みなさい」
「……でも………」
「…綾音ちゃん、兄貴が…お父さんが遺言か何かを残してないか、心当たりは無いかい?」
「……ごめんなさい…私…私何も…」
 そこまで言うと、綾音さんは親父に抱き着いて声を上げて泣き出した。

 仕方が無い。ただでさえ精神的に疲れていたのに、あんな無神経な事をずけずけと言われたんだ。傷つき方も普通じゃなかったはずだ。…そういえば綾音さんが声を上げて泣いてるのを見たのは今までの中でこれが最初で最後だったな。
「千鶴(俺の母さんの名前)、綾音ちゃんに何か軽く作ってあげてくれんか?それから…綾音ちゃん、少し眠りなさい。ここ三日くらい全然休んでないだろう?」
「……はい…」
 何となく出づらくなったので俺はそのまま親父が出て行くのを待っていた。すると、しばらくしてから親父のすすり泣くような声が聞こえてきた。
「…遺言さえ……遺言さえあれば・・」
 祖父母は俺が生まれる前に他界している。親父にとっては叔父さんは数少ない肉親といえる存在でもあった。その人が死んだんだから、親父もショックだったんだろうな。

 遺言…何となくその言葉に引っかかるものを感じた。どこかで聞いた覚えがある。
 当時やたらと叔父さんに気に入られていた俺は(何でも叔父さんは昔から男の子が欲しくて仕方なかったのだそうだ)よく書斎に入れてもらっていた。そこで俺にも理解できそうな本を何冊か貸してくれたり、難しい言葉を教えてくれたりしていた。そこで俺は叔父さんの本棚の中に奇妙なものを見つけていた。

「…叔父さん、これ何?何て読むの?」
 表紙には何やら読みにくい漢字が三文字並んでいた。当時小学五年生だった俺には読めなくても仕方なかったかな。ただでさえ漢字は苦手だったんだし。
「何て読むか当ててごらん」
「えーと……いげん?…じゃないな、なんだろ…これどんな本?」
「はははは、本じゃないよ、これは…」

 そう、確かにあの時叔父さんは「ゆいごんしょ」という読みを教えてくれた。そしてその遺言書がどんなものであるかも詳しく説明してくれたんだ。
「…これは自分が死んだ後にどうして欲しいかっていうのを残された人たちに伝えるためのものなんだ。大事なものだから、晶良君にもまだ見せられない。でも大きくなったら大事なものなんだっていうのが解ると思うよ」

 そうだ、叔父さんは遺言書を書いていた。それはちゃんと書斎の本棚に収められてるはずだ。そう考えた俺は親父に怒られるかもしれない、という事も考えずに親父の真ん前に飛び出した。
「お父さん、遺言って遺言書の事なんでしょ?知ってるよ、どこにあるか」
「…何?本当か?本当に知ってるのか?」
「うん、確か叔父さんの書斎にあった」

 半信半疑の親父を連れて叔父さんの書斎に入る。ここは何度も出入りしてて、どこに何があるかは完璧に解っている。遺言書は確か窓際の本棚の上から三番目の左から十六番目にあったはずだ。
「ほら、これ」
 確かに「遺言書」と書かれた冊子を親父に手渡す。それを見た親父の顔色がどんどん変わっていった。
「晶良…お前どうしてこれの事を?」
「ずっと前叔父さんに聞いたから。それでいいんでしょ?」
「でかしたぞ晶良!これで綾音ちゃんも助けてやれる!」

 結局遺言の内容はその時は俺には見せてもらえなかった。しかししばらく後にその内容が公開された。
「甲:古門公久 乙:古門隆久 甲の死後は甲のすべての財産(保険金、所有株式を含む)は全体の半分を甲の長女綾音、次女泉水、三女深雪に、半分は甲の弟乙に相続する。なお、乙は甲の長女、次女、三女の後見人となり、三人すべてが成人するまで財産を管理する。甲のすべての業務後継は乙とする。古門家の家督は長女綾音が相続する。なお、乙には甲の乙が経営権を有する「株式会社古門製薬」の経営権、人事権を含むすべての社長業務を引き継がせるものとする………」

 という内容だった。後半部分はほとんど憶えてないが、要するに叔父さんは自分の死後、どうしたらいいかを完璧に決めていたのだ。で、この遺言に従ってその後の処理が行われた。
 結果、親父が古門製薬の社長の椅子に座り、綾音さんたちの後見人となってこの家に移り住んできた。母さんは俺の大学進学までは前の実家に住んでいたが、今ではここにいる、というわけだ。
 その直前までわいわい騒いでいた遠縁の親戚はそれ以後全く連絡が途絶えてしまった。今では正月の挨拶も年賀状も何も無い。まあそっちの方がいいんだけどね。


「あのさ、綾音さん」
「はい?」
「…最近身体の調子とかはどう?」
「すごくいいですよ。ちょっと寒くなってきましたけど、それでも風邪も全然引きませんから」
「そう、良かった。深雪ちゃんの風邪は?もう良くなったの?」
「ええ。今でも少し鼻声ですけど、ほとんど治っちゃったみたいですね。…それより晶良さん、ちゃんとご飯食べてますか?」

 やっぱり来た。こういう話題になると綾音さんは必ず俺の食事関係に話題を振ってくる。
「まさかまたカップラーメンばっかりとかじゃないでしょうね?」
「い、いや…その…」
 実を言うとそうだ。学食で食べる事も多いが、それ以上にカップラーメンが非常に多い。現在の主食といってもいい。
 ここで「いやぁ、そんな事ないよ、ははは」と笑って言えればいいんだが、俺は昔から綾音さんにだけは嘘をつけない。おまけに頭も上がらないというから、はっきり言って救いようがないかもしれないな。

「…そうなんですね?」
「あぅ…は、はい…」
「もうっ、だめじゃないですか。ちゃんとバランスを考えて食べないといけないって、あれほど言ったでしょ?…前は私が作りに行ってあげられたからいいですけど、今はそういう訳にもいかないんですからね」

 一昨年、つまり俺が一年生の頃は綾音さんもまだ大学生で暇だったらしく、よく俺の家に来ては飯を作ってくれていた。考えてみりゃあの時が一番まともな食生活だったなぁ。二年生の秋頃なんかは「一週間バナナだけ」とかやって散々綾音さんに叱られてしまった。
「いいですか?勉強するにしても遊ぶにしても、それに人のお見舞いに行くにしてもまず自分が健康じゃないとだめなんですからね」
「うん、それは解ってるんだけどさ…」
「そんなずさんな食生活だと、お友達のお見舞いに行く前に晶良さんが貧血か何かで倒れちゃいますよ」
 それはちょっと大袈裟だ。でもそれだけ俺の心配をしてくれてるんだろうね。感謝しなきゃ。
 そのあと十分ほどたっぷりと綾音さんから「食生活の重要性」についての講義を聴かされた。さすがに栄養士の免許を持ってるだけはある。

そして講義が終わった頃、玄関から元気のいい声が聞こえてきた。
「ただいまぁ。綾姉、何か食べるもの無い?」
 色気も素っ気も無いこの言いよう、間違いなく泉水だ。こいつは昔から外から帰ってくると一言目に「お腹空いた」か「何か食べるもの無い?」だ。十八なんだからもうちょっと食い気よりも色気の方にも手を出せよ。

「お、ごめんごめん、二人っきりでいいところだったんだ。邪魔しちゃったね」
「何言ってるのよ、もう…ほら、冷蔵庫にプリンがあるから」
「ひょっとして綾姉のお手製?」
「そうよ。あ、晶良さんも食べますか?」
「うん、食べる食べる」
 綾音さんが作るお菓子は絶品だ。古門製薬の新製品として売りに出してもいいんじゃないかと思えるくらいうまい。

 それにしても泉水はどこ行ってたんだ?買い物にしちゃずいぶん早いし…
「ん?何?私の顔に何かついてる?」
「お前どこ行ってたんだ?買い物にしちゃ早かったな」
「どこって、すぐそこの本屋さん。友達が参考書買うからついて来てくれって言うから着いて行ったんだ」
「参考書買うだけで付き添いがいるのかぁ?全く、今時の女子高生は…」
「晶良、そんな事言ってるとおじさん臭いよ」
「うるさい!」
 綾音さん特製のプリンを大きなスプーンで口に運びながら愚痴る。こんなことも昨日の精神状態のままじゃ出来なかっただろうな。

 ここに来るとこういう「何でもない日常」が出迎えてくれるから嬉しい。
こうして泉水と下らない事で言い合いをしてみたり、深雪ちゃんに少し甘えられてみたり、母さんの手料理を食べたり親父と酒を飲んだり、そして何よりも綾音さんと話をする事が出来る。これが一番嬉しい。
多分俺も卒業したらここの一員になるだろう。どうせ古門製薬で働く事になってるんだ。それならここで賑やかに暮らした方がいい。

「ただいまぁ、晶良、ちょっとこれ台所まで持って行ってー」
 玄関から母さんの声が聞こえてくる。ようやくお帰りか。
「随分買ったね。今日の晩飯は?」
「今日はすき焼き。大盛りだから楽しみにしてなさい」
 ちらりと横を見ると深雪ちゃんも健気に大きな荷物を持っている。やれやれ、この子の分も持ってやるか。
「ほら深雪ちゃん、それも持ってあげるから貸して」
「うん、ありがとお兄ちゃん」
 この家の玄関から台所までは結構な距離がある。こんなか細い女の子じゃこの重い荷物を持って行くのはきついだろう。
「深雪ちゃん、外寒くなかった?」
「うん、でも厚着して行ったから大丈夫」
「風邪はもういいの?」
「まだちょっと鼻が詰まってるみたいだけど、それ以外はもう大丈夫だよ」

 そういえば深雪ちゃんは今度の春に高校入試があるんだ。大丈夫なのかな…いや、こんな事この子に聞くのは愚問以外の何者でもないか。
 何しろこの子は頭がいい。テストの成績でも常に学年で上から三番以内にいるというから驚きだ。俺なんか上から三番以内なんて入った事も無い。高校に行ってからは辛うじて真ん中よりも上くらいだ。大学の今では…これは出来るだけ聞かないで欲しい。
 まあそんな成績を取るような子だから高校入試もバッチリなんだろうな。

「深雪ちゃん、高校はどこにするかもう決まったの?」
「うん、館立女子高に決まった」
「そうかぁ、それじゃ受験勉強とかで忙しくなるな」
「いや、だからもう決まったんだってば」
「…へ?」
「推薦入試でもう合格してるの。一昨日が合格発表だったんだよ」

 なんてこった、そういえば推薦入試ってものがあったんだ。俺には全然縁が無かったからそんなものすっかり忘れてた。
「そうだったんだ、おめでとう。少し遅くなっちゃったけど」
「ううん、ありがとう。お兄ちゃんはテストとかは?」
「俺はもうテストないからね。卒業研究のプログラムも作っちゃったし、後は来年の正月に教授に渡して卒業するだけ」
 したがって本当は俺は学校に行く必要がまったく無い。いっそのことこっちに引っ越そうかな。

「そうしようよ、そしたら伯母さんも伯父さんも心配しないですむだろうし、それに綾音お姉ちゃんだって喜ぶし…」
「…綾音さんが?」
 慌てて「しまった」という表情で口を押さえる。どういう事だ?
「深雪ちゃん、それどういう…」
「何やってんの晶良、早く持ってきなさい」
 台所に先回りした母さんだ。まったく、いつもの事ながら間が悪い。せっかく興味深い話でも聞けるかと思ったのに…

 その夜、久々に一家六人が集まっての夕食となった。俺と親父は鍋で熱燗の日本酒を流し込む。これがまたたまらなく美味い!やっぱり冬は鍋と熱燗に限るな。
「晶良、あんた何だかオヤジ臭くなってない?」
「うるさい!未成年は大人しく麦茶とジュース飲んでりゃいいんだ!」

 こうして話してる間にも綾音さんが酌をしてくれるおかげでどんどん酒が進む。親父には母さんが、時々深雪ちゃんが注いでやっている。どうやら綾音さんは俺の専属らしい。安い酒でも美人に注いでもらうとうまくなるっていうのも不思議だな。
「しかし久しぶりだな、こうして晶良と酒飲むのも」
「そうだっけ?結構ちょくちょく酒飲んでるからなぁ」
「……この飲んべ大学生」
「はんっ、酒も飲めない奴にいわれても悔しくも何とも無いね」
「何よぉ、私だってお酒くらい飲んだ事は…」
 そこまで言ってようやく自分の失言に気がついたらしい。恐る恐る綾音さんの顔を覗き見ると…
「泉水〜…あなたって子は……」
「ち、違うのよ綾姉、これは言葉のあやで…」

 少し怒ったような顔の綾音さん、あからさまにうろたえる泉水、それを見て「仕方ないなぁ、二人とも」という顔をする深雪ちゃん。やれやれ、こういうやり取りも慣れちゃったな。ここにくればいつもの事だ。
「まあまあ、綾音ちゃんも別にいいじゃないか。晶良だって十八の頃には浴びるほど飲んでたんだろう?」
「そんなに飲んでないよ、せいぜい一晩に一升くらい…」
「晶良さんも飲み過ぎですっ。今日も程々にしておいてくださいね」
 鍋の中身が無くなると、忙しいはずの高校生と中学生は自分の部屋に戻って行った。茶の間に残されたのは年の上から四番目までである。

「…そうか、そんな事があったのか」
「でも明後日には帰るよ。見舞いに行ってやりたいしね」
「そうだな、そうしてやりなさい。…それより晶良、お前もう学校に行かなくていいんだろう?じゃあこっちに引っ越して来ればいいじゃないか」
 さっそく切り出してきた。この話はお盆にもしたっけな。当時はまだ単位が少し足りなかったから断ったけど、今となっては少し状況が違う。どうしようかなぁ…
「ま、今結論を出せとは言わんよ。ゆっくり考えなさい」
「とりあえずは明日いっぱいのんびりして行きなさい。帰りに何か缶詰でも持たせてあげるから」
「何があっても晶良なら大丈夫だ。…しっかりやれよ」
 との親父の言葉にしきりに母さんも頷く。何だよ、まるでこれから当分会えなくなるみたいじゃないか。…考え過ぎかな。
「晶良」
「ん?なに?」
「…いや……次はいつ頃来るんだ?」
「さあ、わかんないよ。まあ正月前にもう一回くらい来るかな」
「そうか、じゃあ来る前にちゃんと電話するんだぞ」


「お兄ちゃん、次は何日くらいに来るの?」
「そうだね、近いうちにまた来るよ。どうせ暇なんだからね」

 日曜日の夕方、綾音さんたち三人が駅まで見送りに来てくれた。大袈裟だからいい、と言ったのだがどうしても深雪ちゃんが着いて行くと言い張るので、仕方なくこうして着いて来てもらった。
「何かあったらまたいつでも来てくださいね。ひょっとしたらこちらから呼ぶかもしれませんけど」
「呼んでくれれば必ず来るよ、また何か美味いもの出してくれるんなら」
「それじゃ今度は綾姉が何か作ってあげれば?晶良の事だもん、多分それなら這ってでも来るよ」
 それは嬉しい、冗談抜きで熱があっても行くだろうな。今回も綾音さんが作ったプリンにドーナツ、その他にもレアチーズケーキまで作ってくれた。またあの美味いケーキが食えると思うと実に楽しみだ。

「おっと、来たみたいだな。それじゃまた」
「気をつけてね、お兄ちゃん」
「大丈夫だって、晶良だったら車に轢かれても車の方が大破するよ」
「一応家に着いたら連絡くださいね」
「うん、じゃあ行くよ」
 電車に乗り込んで指定席に座る。とてもじゃないが三時間も立って乗る気にはなれない。
 何度か駅のホームを見てみたが、こちらから見えなくなるまでずっとそこに立っていたようだ。いやぁ、我ながらいい従姉妹を持ったものだ。

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