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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



約束


第四章

疑惑 前編


 一週間が過ぎると随分立ち直ってくるものだ。まだ心の奥底では蟠りが残っているのだろうが、表面上はもういつもと変わらない日常が戻ってきている。
「あ、おはようお兄ちゃん」
「おはよう。今日の朝飯は?」
「鰯の味りん干しと大根のお味噌汁。あ、これテーブルまで持っていってくれる?」
「はいよ。このお盆でいいの?」
「うん、お願い」

 寒さは一段と厳しさを増しているが、泉水と深雪ちゃんは今日から学校だ。今までは喪中で一週間の休みがあったのだが、それも空けてしまった。彼女たち二人は寒い中を学校へ行かなきゃいけない。それでこんなふうに朝飯を食える時間に起こされた、という訳だ。
「泉水、お前も手伝えよ。あとご飯とお茶持ってきて」
「う〜…寒いよぉ、炬燵から出たくない…」
「ほらほら、泉水もちゃんと手伝いなさい。大体あなたまだ顔も洗ってないでしょ?さっさと洗ってきなさい」
「えー?この寒いのに?」
「お湯で洗えばいいじゃない。ほら、髪も梳かして」
 どうやら泉水は今起きたばかりらしい。きちんと着替えもしている綾音さんとは大違いだ。さらに早起きして制服に着替えて朝食の準備までしている深雪ちゃんとは雲泥の差だ。ちょっとは見習えよ。
「そう言うけどねぇ、女の着替えって大変なのよ」
「なにがだよ。男の着替えとどう違うんだ?」

 もぞもぞとこたつの中で何か動きながら「解ってないなぁ」という顔をする。どうやら靴下を履いているらしい。起きてすぐにこたつの中に入れて暖めていたのだろう。変なところだけ準備がいい奴だ。
「男より身に付けるものが多いでしょうが。それに夜寝てる間から着けてりゃいいけど、綾姉みたいにブラはずして寝てると朝着けるときに冷たいのよぉ」
 …何?綾音さんって夜は……
「い、泉水!何言ってるのよ!」
「いいじゃない、せっかく立派な胸持ってんだから」
「な……」

 一気に耳まで真っ赤になってしまった。続けて泉水が聞いてもいないのに次から次へと新事実を暴露する。
「ま、胸だけだったら私の方が上だけどね。それに背も上だし」
「背が上…ってたった四センチしか違わないじゃない」
「胸は九センチも上だもんね。アンダーは三センチ上なだけなのに」
 綾音さんが「うっ」という顔をする。どうやらこの二人、俺の存在を忘れてるな。
「た、確か六センチだったはず……」
「ふふん、こっちはまだまだ成長期なんだからね。でも綾姉も結構いい線いってるんじゃない?その身長で88のDだったらかなり大きい方だと思うよ」
 何?そうだったのか?でかした泉水!よく教えてくれた!…まてよ、それより九センチも大きいという事は泉水は…

「泉水お姉ちゃんも綾音お姉ちゃんも恥の上塗りはその辺にしたら?お兄ちゃんあきれてるみたいだよ」
 台所からお茶とご飯を運んできた深雪ちゃんの一言ではっと我に返る二人。そこで二人揃って急激に顔が真っ赤になる。綾音さんにいたっては胸のサイズを詳細にいたるまで俺に知られてしまったのだ。耳はおろか首筋まで赤くなってしまった。
「も、もう、泉水が余計な事いうから……」
「……面目ない………」
 まあ別にあきれてたわけじゃない。かえっていい情報を仕入れる事が出来た。そうか、綾音さんって見掛けによらず胸があるんだな。
「あれ?お兄ちゃん鼻の下が伸びてる……」
「あ…晶良さんっ!何考えてるんですか!」
 実に賑やかな朝食となった。一人暮らしの頃には無かったが、こうして日常で味わえるとなるといいものなんだな。


 そして午前七時半。泉水が出かける時間となった。
「行ってきまーす!」
「はーい、車に気をつけてねー」
 やっぱりこういうところでは綾音さんはしっかり「お姉さん」をやっているのだ。
「深雪ちゃんはまだいいの?」
「うん、私は後二十分くらい大丈夫。洗い物済ませてから…」
「ああ、それはいいわよ。私がやっておくから」
 泉水が学校に行ってから急に静かになった。そう言えば今日からしばらく綾音さんと二人きりの時間が長くなるんだよな…
「お兄ちゃん、今日途中まで一緒に行かない?早目に出るから」
「ん?あ、ああ、いいけど」
「それじゃ行こ。…綾音お姉ちゃん、私そろそろ行くね」
「はーい、気をつけなさいね」
「綾音さん、俺ちょっと深雪ちゃんを送ってくるよ」
「そうですか、それじゃお願いしますね」
 珍しい事もあるもんだ。大人しくて内気な深雪ちゃんが自分から「一緒に途中まで行こう」って誘うなんて。何か話でもあるんだろうな。

 門をくぐって外に出た頃だった。ようやく深雪ちゃんが口を開き始めた。
「お兄ちゃん…お願いがあるの」
「お願い?どんな?」
 しばらくの沈黙。
「綾音お姉ちゃんと出来るだけ一緒にいてあげて。綾音お姉ちゃんを助けてあげて」
「……え?」
「……綾音お姉ちゃんね、いつもしっかりしてるように見えてもそばに頼れる人がいないとだめなのよ。前迄はそれが伯父さんとか伯母さんだったけど…だからお兄ちゃんが綾音お姉ちゃんを助けてくれれば私も泉水お姉ちゃんも安心だから…」

 この子も泉水と同じように綾音さんの事を心配しているんだ。自分だって辛いくせに、何よりも姉の事を先に考えてしまう。それだけにますます不憫だ。
 深雪ちゃんは小さい頃から一番のしっかり者だった。今でもそうだ。ボケのキャラである綾音さんと暴走しがちな泉水のサポート役に徹しているが、肝心なところはほとんど彼女が処理している。おまけに姉思いという、考えてみれば理想的な妹なんじゃないかな。

「…………深雪ちゃんは優しい子だな。わかった。出来るだけ綾音さんと一緒にいるよ。でも深雪ちゃんとも一緒にいる。いいだろ?」
「え?う、うん…」
「深雪ちゃんももっと俺にわがまま言ったりしていいんだよ。好きなだけ甘えてきていいからね」
「うん…ありがとう」
 これは本音だ。深雪ちゃんみたいな可愛い子にはどれだけ甘えられても悪い気がしない。それどころか嬉しくなってしまう。泉水にも当てはまらない事も無いかな…
「私ね、お兄ちゃんが一緒に住んでくれるって聞いたときにすごく嬉しかったんだよ」
「そう?」
「うん、だから伯父さん達がいなくなったけど、でも…いなくなっちゃったからなおさら頑張らなきゃ…今までよりもっと助け合わなきゃいけないって思ったんだ。…変かな?」
「……いや、感心したよ。しばらくの間にずいぶん大人になったね」
「…そう?…」
「ついこの前まで一緒に風呂に入ってたのになぁ」
 この寒い中で一気に顔が赤くなる。そう言えば深雪ちゃんはこの手の話ですぐ赤くなる方だったっけ。

「そ、そんな…ついこの前って小学生の頃までじゃない」
「ほんの三、四年前だよ。……今日一緒に入ろうか?」
「えぇ?……もう、お兄ちゃんのエッチ…」
「あっはははは、冗談だよ。さてと、ここら辺でいいかな?」
「うん、ありがとお兄ちゃん。それじゃ行ってくるね」
「車に気をつけるんだよ」
 はーい、という元気のいい返事が聞こえてきた。随分立ち直ったみたいだな。この前まであの子が一番落ち込みが激しかったから、綾音さんも泉水も本気であの子が自殺するんじゃないかと心配してたくらいだ。

 自殺…その言葉が頭に浮かんだとたん、今度は綾音さんが心配になってきた。そう言えば綾音さんだって深雪ちゃんに負けないくらい落ち込んでたじゃないか。
 家までの数百メートル、全力疾走で走っていた。雪のせいで転びそうになったがなんとか門をくぐる。そして玄関を開けるとそこには…
「綾音さん!」
「きゃっ!」
 夢中で飛び掛かっていた。何と廊下で包丁を手にした綾音さんが立っていたのだ。慌てて包丁を取り上げる。
「な、何すんだよ綾音さん!」
「え?…何って…柿の皮をむこうと……」

 ふと茶の間のテーブルを見ると柿が三つか四つ置いてある。ほかに小皿が二枚とフルーツ用の小さなフォークが二本。
「……あれ?」 「どうしたんですか?」
「いや…綾音さん自殺でもするのかと思って…」
「いやですね、私そんなつもりはありませんよ。ただ晶良さんが帰ってから一緒に柿を食べようと思ってただけです」
 くすくすと笑いながら俺の顔を少し上目遣いに見る。どうやら俺の早合点だったようだ。何にしても良かった。
「ごめん、ちょっと心配になったもんだから」
「……ありがとう晶良さん、心配してくれてるんですね」
「そ、そりゃあまあ…」
「ほら、心配要りませんから柿を食べましょ。熟れてておいしいですよ」

 こたつに入って黙って柿の皮むきを眺める。うーん、やっぱり器用だな。確か中学生くらいの頃から台所に立って母さんの手伝いをしてたっけ。それを眺めてた深雪ちゃんがその後を継いだ、という事になるのか。
「はい、これから食べてくださいね。こっちの方が甘そうですから」
「うん。ありがと」
 よく考えてみたら、ここしばらくこうして綾音さんと二人きりになる事なんてほとんど無かった。ここに来たらたいてい泉水とゲームしたり深雪ちゃんといろいろ話をしたりしていたせいだろう。少なくとも綾音さんが働き出してからはあんまり二人でいる時間ってのはなかったな。
「……晶良さん、私の顔に何か付いてますか?」
「え?な、なんで?」
「だって…さっきからじろじろ私の顔見て……」
「そうかな?そんな事無いよ」
 しまった、いつのまにか凝視してしまったようだ。

 それにしても相変わらずきれいだな。事細かに描写しなくてもいいくらいだ。確か結構前に古門製薬の新卒採用パンフレットの中に綾音さんの写真を載せようっていう案が出たなんていう話を聞いた事がある。結局ボツになったけど。
「綾音さん、休みはどれくらいもらえるの?」
「副社長さんに言ったら向こう一ヶ月半は休んでていいそうです。その間に私が働きやすい環境にしてくれるそうなんですけど、多分忙しくて足手まといになるからでしょうね」
 一ヶ月半か。少なくともその間に仕事が出来るくらいに回復してなきゃいけない。考え様によっては結構大変かもしれないな。
「ただ、週に一回くらいのペースで会社に顔を出して、必要な書類に目を通さないといけないんです。ただはんこを押すだけみたいですけど」
「なるほど。でも社長って言ったらハードな仕事になるんでしょ?無理はしないでね」
「はい、そうします。また倒れたら大変ですから」
 三つ目の柿をむきながら苦笑気味に微笑んだ。

 外は相変わらずうっすらと雪が積もっている。今は止んでいるものの、空は曇っていていつ降り出してもおかしくない。部屋の中は暖房が効いていて暖かいが、多分外は死ぬほど寒いんだろうな。
「深雪…大丈夫かしら」
「ん?…どうして?」
「あの子少し冷え性なんです。人一倍寒がりですし…それにまだ体の調子も戻り切ってる訳じゃないみたいですから」
「そうだね。…でもさっき話した限りじゃ大丈夫みたいだったよ。ま、無理はさせられないけどね」
「今日からしばらく晩御飯だけでも私が作りますね。泉水にもそろそろ料理の練習をさせないと」
 それがいい。ぜひそうした方がいいだろう。いや、今の内にしておかないと取り返しの付かない事になるかもしれない。

「晶良さん」
「ん?なに?」
「…………本当に…ごめんなさい」
「…何が?」
「私が色々と気づいていれば伯父様も伯母様も……」
「ちょっと待った。その話はしないでおこう。親父も母さんも…まあ殺されたっていうところが普通と違うけど、いってみれば運命だったんだ。綾音さんが謝る必要なんてどこにも無いよ」
「でも……」
「…綾音さん、自分を責めちゃだめだよ。誰が悪いってわけじゃないんだから」
 悪いのは犯人だ。そして俺だって犯人は憎い。今この場にいたら殴り殺してるだろう。でもその憎しみをどこかにぶつけようとしたって無駄な事だ。ましてや綾音さん達にその矛先を向けるなんてとんでもない。
「とにかく、親父と母さんの事は仕方なかったんだ。後は警察が何とかしてくれるよ」
「…そうですね……ごめんなさい」
「ほら、また謝る。そうやって自分が悪い訳でもないのに謝るのは綾音さんの悪い癖だよ」
「そうですか?…ごめんなさい」
「ほらまた」
 暗い顔になっていたのがようやく笑ってくれた。この人がくらい顔をしてると何となく全員が暗い気分になってしまう。やっぱり綾音さんは笑っててくれた方がいいや。


 こたつで横になりながら、今現在自分が置かれている状況を整理してみた。
 まず両親が何者かに殺された。警察の人に聞いた話だと、鋭利な刃物ではなく錐か槍のような鋭いもので突き殺されたという。死亡推定時刻は大体夜中の一時くらい。
ちょうどそれくらいの時間に深雪ちゃんが物音に気づいているから多分そうなんだろう。そして親父達を発見したのは深雪ちゃん。とてもじゃないがまだ色々と細かい事は聞き出せそうに無いな。

 そして葬儀が一段落して東京に帰ると家が燃えてた。放火らしい。出火原因だけは聞いているが、ほかの事は全然聞いてない。誰が何のために火をつけたのかはまったく不明だ。
さらに黒沢さんが原因、病名共に不明の奇病のせいで命を落とした。あの死に方はいまだに瞼の裏に焼きついているような気がして恐い。

 大体おおまかなレベルでこんなところだな。ほんの一週間くらいの間にこれだけ立て続けに不幸と災難が降りかかってくるなんて、よほど運が悪いんだろう。いや、不運とか不幸とかでは片づけられないくらいかもしれない。
 そう言えば黒沢さんが最後に言った「ごめんね」という言葉…あれはどういう意味だったんだ?どうして黒沢さんが俺に謝ったんだ?

「晶良さん、どうしたんですか?さっきから何か思い詰めた顔してますけど」
「え?…うん、ちょっと考え事」
 それに黒沢さんはしばらくいなくなってた。自分で動く事すら満足に出来ないのに、病院からこっそり抜け出してたという。だとするとやっぱり誰かに拉致されたって事になるんだろうけど、いったい誰が何のために連れ去ったんだろう。いったいどこへ行ってたんだろう。どうしてあんなに急に衰弱してたんだろう。それに律義にきちんと病院の中に返すなんて…
「考えれば考えるほどわかんなくなるな」
「…何がですか?」
「今俺の身に起こってる出来事。あんまりにもいろんな事がありすぎて整理するのに一苦労だ。運が悪いって言えばそれまでなんだろうけど…」
「そうですね…」

「綾音さん、親父と母さんが殺される前に何か変わった事とか無かった?無言電話とか、変な郵便物とか」
「いいえ、そういった類のものは全然。ただ深雪が風邪をひいたくらいの頃ですけど、妙に不安がってました。どうしてかは分からないんですけど…」
「深雪ちゃんが?…そうか、あの子昔から勘が鋭いところがあったからね」
 しかし…考えれば考えるほど分からないのは黒沢さんの事だ。彼女の入院をきっかけにするように次々と不幸が湧き起こってきた。これはまだ憶測の段階だが、彼女を拉致した犯人がどうも俺の身の回りの一連の出来事に関係しているような気がする。

 玄関のチャイムが鳴った。綾音さんが慌てて走っていく。この家は広いんだ、走っていかなきゃ相手を待たせてしまう。
 しばらくして二人の男を引き連れて茶の間に入ってきた。一人は中年、もう一人は若い男だ。こっちの若い方には何となく見覚えがある。が、思い出せない。よく見るとスーツの肩の部分に少し雪がかかっている。また雪が降り出したのか。

「突然お邪魔して申し訳ありません。私県警の高柳と申します。こちらは…」
「県警の石倉です」

 そうそう、思い出した。館立大学病院で俺を呼びに来た警官だ。すっかり忘れてた。
「今日お邪魔したのは…その……ご両親の事なんです」
 やっぱり。警察が来るとすればその用事しかない。大方の予想は付いてた。
「検死の結果が出ましたのでそのご報告と、あと二三伺いたい事がございますので」
 警察の態度も実に丁寧だ。それもそのはず、この古門家はこの近辺ではかなりの名士で通ってる。県警署長も正月には挨拶に来るくらいだ。
「まず検死結果なんですが、直接の死因はやはり遺体に付いていた外傷でした。凶器の断定については…その……大変申し上げにくいのですが…」
「何ですか?どんな凶器だったんですか?」
「警察庁のデータベースで検索してみても該当するものが無いんです。検死官も『こんな傷は見た事が無い』と…」
「……そうですか、それで犯人の目星とかは?」
「…それも今のところは……全力を挙げて捜査をしておりますが、何分手がかりが少なすぎるもので…」
「…なるほど、それで、聞きたい事というのは?」

 さっきから話しているのはずっと俺ばっかりだ。綾音さんは俯いたままで口を開こうとしない。ここはやっぱり俺が色々と聞いておいた方がよさそうだ。
「ご両親がお亡くなりになる直前にこの家に戻ってこられたそうですが…その時に何か変わった事とかはお感じになりませんでしたか?」
「変わった事というと?」
「……その…ご家族の様子とか…」
 引っかかるものがある。どうも含みがあって隠し事をしているようにしか聞こえないな。
「つまり綾音さん達に怪しいところはなかったかと?」
「い、いえ、そんな事は…滅相もありません」
 慌てて否定するところ見ると綾音さん達を多少は疑っていると見てよさそうだ。そう考えるとどんどん頭に血が上ってくる。まだ俺を疑うならまだしも、よりによって綾音さんを疑うなんて…
「私どもはただ捜査の一環として…」
「疑う事から始めるとでも?」
「………そ、その…」
「その様子だと俺の事も疑ってるようですね。ならはっきりとそう言ったらどうなんですか?そちらが隠し事をしているのにこちらに全部話せ、というのはあまりにも不公平だと思わないんですか?」

 ついに警察も黙ってしまった。図星を付いたらしいな。
 それも考えてみれば仕方ない事だ。あまりにもタイミングが良すぎる。俺が実家に戻ったすぐ後に両親が謎の死を遂げ、そして俺の家は火事になる。まるで「俺が親を殺して証拠隠滅のために家に火をつけた」とでも言わんばかりじゃないか。
 でも俺はやってない。綾音さんもやってない。大体綾音さんも泉水も深雪ちゃんも、人を傷付ける事が出来るような人間じゃない。ましてや人を殺すなんてもってのほかだ。
「も、申し訳ございません…」
「……何も変わったところはありませんでしたよ。で、ほかに聞きたい事は?」
「は、はい。もう一件なんですが、これに見覚えはございませんでしょうか」

 高柳という中年の刑事の方がハンカチ包みの中から何かを取り出した。どうやら指輪のようだがまったく見覚えが無い。綾音さんも知らないという。それに泉水も深雪ちゃんも、この指輪は持っていないはずだ。綾音さんがそう言うんだから間違いないだろう。
「これが何か?」
「当日の現場捜索で庭から発見されたものです。指紋は検出されませんでしたが、お家の方が知らないとおっしゃるのであれば犯人のものであるという可能性が高くなります」
 犯人の指輪…?じゃあ犯人は女?
「という可能性が強まると思います。女性用のリングですから」
 銀か何かのリングの上に変わった石が乗っている。見た感じまだ新品だ。それに乗っている石も全然傷も無ければ手垢も汚れも付いていない。
「これ…なんていう石なんですか?」
「真珠石というものです。鍾乳洞などの中で石灰が溶けた水が真珠状に固まって出来たもの…らしいですが、何分私もこのようなものには詳しくないもので。ただこれの出所は分かっています。大浜という温泉地です」
「……その大浜というのはどうして?」
「この石の裏に店の名前が刻んであります。この名前の店で真珠石を取り扱っているのが大浜にあったんです」
 大浜?どこかで聞いた事がある。どこで聞いたんだっけ…?

「どうもご協力ありがとうございました。それでは手前どもはこれで失礼いたします」
 二人の刑事はそそくさと家を出ていった。

 それにしても気にかかる。大浜……確かに最近聞いた地名だ。どこだったっけ…
「どうしたんですか?また考え事ですか?」
「うん、大浜ってのが妙に気になるんだ。最近聞いたはずなんだけど、誰から聞いたのかが思い出せない」
「あんまり考えすぎると毒ですよ。ほら、お茶入れましたから」
 目の前に白い湯気を立てた湯のみが置かれる。そうだな、あんまり根を詰めて一気に考えると良くない。とりあえずは気持ちを落ち着かせる事から考えよう。


 四人揃って夕食を食べている最中だった。テレビのニュース速報の独特の音が流れた。一回目は気にする事もなく綾音さんの手料理に舌鼓を打っていたが、二回目はさすがに気になってみてしまった。
 内容を目にしたとたん、俺と綾音さんの表情が変わる。

「どしたの?綾姉も晶良も、何かあったの?」
 視線はニューステロップのある一点に集中していた。「大浜」という地名が出ている。ニュース速報から約五分後、緊急番組に切り替わった。泉水が「あれぇ?」というすっとんきょうな声を出したが、どのチャンネルでも同じようにニュースが出ている。
「突然ですが、ここで臨時ニュースをお送りします。S県の閑静な温泉地である大浜で連続殺人事件が発生しました。被害者はすでに百名を超えており、警察と地元消防が全力を挙げて捜索を行っております。すでに大浜周辺には厳重な非常線が敷かれておりますがいまだ犯人は捕まっておりません。犯人は重度の薬物中毒の疑いがあり、また槍のような鋭い凶器を所持している可能性もあることから、非常に危険だとして警察は付近住民に厳重な警戒を呼びかけております。一部地域では……」
 一気に顔から血の気がひいていく。綾音さんを見ると箸を持つ手が小刻みに震えている。
「綾姉、どうしたの?具合悪いの?」
「……晶良さん…こ、これ……」
 黙ってうなずく。昼間に高柳という刑事から聞いた「大浜」だ。今度はそこで連続殺人事件が起きている。しかも犠牲者百名以上という日本犯罪史に残る凄惨な事件だ。幸か不幸かS県はここからは離れている。だが、「槍のような鋭い凶器」という部分が妙に耳に残る。ひょっとしたら……
「泉水、しばらくこのチャンネル点けたままにしてくれ」
「え?う、うん」

 ニュースがどんどん新しいものに塗り替えられていく。その内食事中に聞くには気分が悪いものまで出てきたが、さっさと夕食を終わらせたのが良かった。
「…被害者はいずれも胸や頭部を鋭い錐か槍のような凶器で一突きされているという事です。現在警察および地元消防団に自衛隊も加えての大規模な山狩りが……えっ?…あ、今最新情報が入りました。犯人が射殺された模様です。まだ詳しい情報は入っていませんが、犯人が射殺されたという警察の発表があったそうです」
「……よかったぁ、何にしても早く解決して良かったよ」
「そうだね、下手に長引いたら恐くて外に出れないもん」
 そうか、射殺されたのか。…ひょっとしたらこいつが親父と母さんを殺した犯人かもしれない。いや、十中八九そうだと思う。凶器や被害者の様子から見ても同一犯としか思えない。そうか、解決したのか……
「晶良さん……」
「うん、良かったよ、解決して」
「…そうだといいですね」

 だが、その安心もつかの間のものだった。
「えー、警察の発表によると犯人は地元土産物屋の店主、岡田安弘三十二歳で、数日前から行方不明になっていたそうです。また……」
 男?…犯人は男なのか?
「そ、それじゃああの指輪は……?」
 あの指輪は間違いなく女物だった。とてもじゃないが男の指にはめられるものじゃない。しかもそれはこの中の三人の誰かのもの、という訳でもない。夕食前にきちんと確かめた。指輪の写真をもらって、それを深雪ちゃんと泉水に見せたが、知らないという事だった。しかも指輪は大浜という温泉地で売られていた。そして連続大規模殺人が起きた。

 解決してはいなかった。親父と母さんを殺した犯人はおそらく女だ。あの指輪が数少ない証拠だ。だが今回射殺されたのは男。という事はまだどこかに犯人はいる、という事になる。なんてことだ、まだ終わってなかったのか…… 「お兄ちゃん、具合悪いの?何だか顔色真っ青だけど…」
「い、いや…なんでも無いよ」
「でも…何かあったの?」
「いや、やっぱり何でもない。…ごめん、俺ちょっと部屋で横になるよ」


 部屋のドアが静かにノックされた。多分綾音さんだろう。深雪ちゃんだったもうちょっとテンポが速いし、泉水はもっと乱暴なノックだ。
「いいよ」
 ゆっくりとドアが開き、綾音さんが入ってくる。パジャマ姿だ。
「晶良さん、あの…」
「うん、分かってる。まだ終わってないんだ」
「……晶良さんは出来るだけ外に出ない方がいいかもしれません」
「どうして?」
「私たちはまだ安全だと思いますけど、晶良さんは…」

 確かに綾音さん達が比較的安全だということは考えられる。もしも犯人が綾音さん達も狙っていたのなら親父達を殺した夜に一緒に彼女たちも殺していたはずだ。だが俺はまだわからない。というよりも狙われる可能性が高い。
 親父と母さんを殺したがその場に俺がいなかった。そこで犯人は俺の家に先回りして家に火をつけた。もし俺のこの推測どおりだとすると……
「大丈夫だよ。俺は大丈夫、自分の身は守れるから」
 いいだろう、もし襲い掛かってこようものなら返り討ちにしてくれる。腕力には自信があるんだ。人間の骨くらいなら簡単にへし折れる。手の骨だったら握り潰す事だって出来る。犯人に襲われたとしても、それが誰であれ勝つ自信はある。この手で血祭りにあげてやる。親父の仇を討ってやろうじゃないか。
「お願いです、危険な真似はしないで下さい」
「……綾音さん…」
「伯父様と伯母様を失って…この上晶良さんにまでもしもの事があったら……」
 大粒の涙が次々と頬を伝う。そうだった、綾音さんは俺の事を心配してくれているんだ。下手に動くわけにはいかないんだった。
「…わかった、出来るだけ危険は避ける。でも外出するくらいなら大丈夫だよ」
「……でも…」
「大丈夫、何かあったらすぐに帰ってくるから。…ほら、もう泣かないで」

 俺の部屋は綾音さんのすぐ隣で深雪ちゃんの真向かいになっている。ここで下手に綾音さんに泣かれると深雪ちゃんになんて勘違いされるか解ったもんじゃない。
「お兄ちゃんが綾音お姉ちゃんをいじめてる」
 という程度だったらまだしも……
「お、お兄ちゃん…綾音お姉ちゃんに何したの?」
 という方面での勘違いでもされようものなら泉水に殺されかねない。ここは出来るだけ早く泣き止んでもらわないと。
「ごめんなさい…」
「ほら、また謝る。それよりこれで涙拭いて」
 と言ってタオルを差し出す。同時に視線が綾音さんの胸元に行ってしまった。男の悲しい性だ。今朝の泉水の話のせいだろうな。

「…そうだ、綾音さん、明日一緒に出かけよう。昼頃から一緒に買い物に行こう」
「…え?」
「気晴らしにさ。買い物して映画見て、なにか軽く食べてこよう。…そうそう、俺も机が欲しいんだ。どこで売ってるか探したいんだけど、着いてきてくれないかな」
「………ええ、そうしましょう。わかりました」

 よかった、ようやく笑ってくれた。泣き虫なところも全然変わってないな。ここの所何かと思い詰めてたみたいだから、こうして無理矢理にでも外に連れていった方がいい。そうでもないと気分が滅入ってしまうだろうな。

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