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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



約束


第五章

団欒


 ピアノの音が聞こえてくる。多分弾いてるのは綾音さんか深雪ちゃんだろう。曲の感じからいって……今弾いてるのは深雪ちゃんかな。

 カレンダーを見ると、今日はもう十二月六日。元旦まであと一月を切った。早いもんだ。もう親父達が死んで一ヶ月近く経つ。綾音さんも泉水も、一番落ち込んでいた深雪ちゃんももう完全に、と言っていいくらい立ち直ったみたいだ。
 外はものすごい雪だ。外に出る気にはならない。寒いし、それに下手に滑って転んだりしたらいやだ。

「晶良、綾姉がクッキー焼いたから食べないかって言ってるよ」
 綾音さんも暇みたいだな。結局本格的に会社に顔を出すのは年明けからになったらしい。毎日家事をこなして、時間が出来ると俺と話をしたり一緒に出かけたり、今日みたいに出かけられない日にはクッキーやケーキを作ったりしてる。

「ねえ、食べないの?」
「食べるよ。ちょっと待ってて」
 泉水と深雪ちゃんは今日は大雪で学校が休みになったらしい。朝から家の中をうろうろしてる。

 遠くで綾音さんが深雪ちゃんを呼ぶ声がした。現在午前十時。おやつにはちょうどいい時間だ。この分だと三時にも何か出てくるんだろうな。
 茶の間にいくとすでに大量のクッキーと紅茶が用意されている。
「…随分作ったね」
「ええ、ちょっと作りすぎちゃったみたいです」
 ちょっとか?どう見ても百枚以上あるぞ、でかいクッキーが。やっぱりこういうところでも綾音さんって一桁ずれてるんだよな。

 ケーキの時だってそうだ。去年のクリスマスにもケーキを作ったが、「ウエディングケーキに使えるんじゃないか?」と思えるくらい巨大なものを焼いて周囲を驚かせた事がある。全部食べるのに三日かかった。
「でもこれくらいあった方がいいかと思って…」
「作り過ぎよ。綾音お姉ちゃんっていつもたくさん作っちゃうんだもの」
「そ、そう?」

 うーん、普段がきれいで知的なだけにこういう時とのギャップがまた楽しかったりする。ほかにも「綾音さん大ボケ集」にはいろいろな逸話がある。
 茶の間で食事をしているときに消防関係の番組があった。それを見て一言。
「119番って何番だったかしら…?」
 あと、免許取りたての頃ならまだしも、最近でも時々するのが「クラッチ探し」だ。

 この家にある車はステーションワゴンで、一応はオートマ車なのでクラッチはない。免許を持ってるのが俺と綾音さんだけなので彼女も時々運転するのだが、エンジンをかけるときに左足があちこち動いてしまう。深雪ちゃんとかがその光景を見て
「綾音お姉ちゃん、何してるの?」
 と聞いたところ、
「どうしよう、この車クラッチがないわ。不良品なのかしら?」
 と言って周囲を爆笑の渦に巻き込んだ事がある。

 最後にあと一つ。何年か前、まだ深雪ちゃんが小学生の頃の正月に、四人で一緒に遊んでいたときの話だ。一通りの遊びはやり終えて、泉水の提案でしりとりをすることになった。そして何回か終わった後、綾音さんが最初に言う番が来た。彼女は自信たっぷりな表情で、しかもなんのためらいもなく
「みかん!」
 といったのだ。さすがに俺と泉水と深雪ちゃんの三人も数秒間、唖然としてしまった。
 ある意味では貴重な人材なのかもしれないな。一家に一人いたら茶の間が明るくなること請け合いだ。

 さて、この目の前にある大量のクッキーを次々と頬張りながらこれから先のことを考えた。どうなるんだろうなぁ…
「泉水と深雪は学校がありますから今までどおりです。ただ二人とももう進学が決まっていますから、来年の春からは少し変わりますけど」
「え?泉水も決まってたの?」
「何よ、あんた知らなかったの?こないだ来たときに言わなかったっけ?」

 聞いてない。深雪ちゃんの高校進学決定のニュースしか聞いてないぞ。
「あれぇ、それじゃ言い忘れたのかな。私館立女子大に決まったからね」
 深雪ちゃんが館立女子高、で、こいつが館立女子大。俺は館立大学情報学部と、妙に館立、という文字が付いて回る。

 それもそのはず、「館立」という名前が付いた学校はここ古門家と非常に深い関わりがあるからだ。創立者が確かうちの曾々祖父さんだったかな。明治の初めくらいに創立した「館立師範学校」がその前身だという。今ではほとんど古門家の手を離れているが、それでも比較的仲のいい親戚が理事長を勤めてたりする。
 ただ、東京にある館立大学だけは曾祖父さんの代になって「東京の者に負けたくない」という実に分かりやすい理由で、もともとこの近くにあった学校を移転したのだそうだ。

「なんだ、今から受験勉強で地獄を見ると思って楽しみにしてたのに」
「残念でした、私も深雪も推薦入学で決まっちゃったもの。だから今から暇なのよ。学校行ってもほとんどする事ないし、それに一週間のうち三日くらいが自宅学習になっちゃうの。深雪もそうでしょ?」
「うん、私も」

 なんだ、それじゃこれからしばらく四人とも暇なんだ。俺が受験生のときは結構真面目に受験生してたんだけどなぁ。母さんに
「あんたお願いだから、人の半分でいいから勉強してちょうだい。人よりやれとは言わないから」
 といわれる程度に…ま、大学受験を控えた高校三年生の一日の勉強時間が一時間半じゃ親も心配するだろうね。しかもその内の一時間以上が休憩だったし。
「で、泉水は何学部になったの?」
「薬学部。卒業したら古門製薬で薬剤師になるんだ」
「ほぉ、結構まともなビジョン持ってるんだな。深雪ちゃんは将来何になるつもり?」
「うーん……まだ具体的には決めてない」
 そうか、まあそれも仕方ないな、まだ中学三年なんだから。俺が将来の方向性を決めたのなんて大学入試を三ヶ月後に控えた頃だ。具体的にどんな職業に就くかとなると、つい最近まで全然考えてなかった。

「それで綾音さんは…年明けからだったよね、働き出すの」
「ええ、ただそれまではお給料が入りませんけど、でも貯金がありますから心配しないで下さいね」

 来年からは俺達三人は綾音さんの稼ぎで食べてくことになるんだろうな。俺も何かバイトでもしなきゃ。ただ飯を食うわけにも行かないな。
「そう言えば晶良さん、東京の方ではどんなバイトしてたんですか?」
「…お、俺のバイトねえ……いいじゃない別に。ね?」

 実を言うとここに来る直前までは普通にコンビニでバイトをしていた。が、それ以前はついつい高い時給に負けてオカマバーとかホストクラブとかで働いてたこともある。あの頃が一番懐が暖かかったなぁ……大学生なのに月二十万以上稼いでたっけ。さすがに自分に嫌気が差してやめた。三年生になってからは堅気のバイトだけだ。低い時給に慣れるまで少し時間がかかった。
「お兄ちゃん、まさかオカマバーとかで働いてないよね?」
 うっ!……し、心臓が…どうして深雪ちゃんはこう心臓に悪いことを言うかな。生来の勘の鋭さのせいかもしれない。
「ままままままさかそんなことは……はは…」
 汗がたらたらと流れてくる。やばい、綾音さんにばれると非常にやばい。それに俺もあからさまに動揺してるじゃないか。落ち着け、落ち着くんだ古門晶良。
「……晶良さん、まさか…」
「し、してません!そそそんな新宿二丁目のオカマバーで働いたりとか目黒のホストクラブでミッキーって呼ばれてたなんてそんなことは全然ありませんっ!」
「へえ、それじゃオカマバーでは何て呼ばれてたの?」
「雪子って言う名前……」
 …しまった!一世一代の不覚!これじゃ自分で「そういうバイトしてました」って言ってるようなもんじゃないか!

 約三十分後、俺は綾音さんの前で正座していた。後ろで泉水と深雪ちゃんが笑っている。
あの頃は俺だって…生活していくためには仕方なかったんだよ。
「そういう事で怒ってるんじゃありませんっ!」
「あ、あの…それじゃどうして…?」
「それは……晶良さんに悪い虫でも付いたらと思って心配してるからです」
 なるほど、お姉さんらしい心配だ。中学生の頃までは本当に「綾音姉ちゃん」と呼んでたもんな。
「大体ほかにもいくらでもバイトはあるでしょう?家庭教師とかコンビニとか」
「三年になってからはコンビニだけ…」
「一年生の頃からしてればいいじゃないですか。どうしてそんな水商売を…」
「それはもう時給が高いから」

 そう言えば綾音さん、水商売ってのをなぜか嫌ってたっけ。多分俺がそういうバイトをしてたのが我慢できないんだろうな。
「……もうっ、晶良さん今日は三時のおやつ抜きですっ!」
「え〜?そんなぁ〜」
「…………」
「…そうかぁ、俺綾音さんに嫌われたんだな……」
「…え?」
「もうこれから綾音さんの作ったクッキーもケーキもドーナツも食えないのかぁ…」
「あの…あ、晶良さん…その……私そんな意味で言ったわけじゃ……別に嫌いになるなんて事……」
「…綾音さんは水商売のバイトしてた奴なんて嫌いなんだよなぁ…」
「わ…私はただ……私の晶良さんが変な女にだまされないかと思ってそれで…」
 私の?…今確かに「私の晶良さん」と言ったみたいだけど…
「ごめんなさい、機嫌直してください。…三時のおやつ、晶良さんにはレアチーズケーキ一番大きいのあげますから」

 ちらっと見てみると綾音さんも半泣きだ。そろそろやめようかな。本気でそう思ってたわけじゃないんだから。何とかしないとそのうち本当に泣き出しちゃうよ。
「ごめんごめん、俺も隠したりするつもりはなかったんだけど…」
「うぅっ……ごめんなさい…」
 あ、泣いちゃった…
「あー、お兄ちゃんが綾音お姉ちゃん泣かしたー」
「晶良、あんた何綾姉泣かしてるのよ」
 後頭部に泉水のツッコミが入る。軽くはたく程度の……

 目の前が一瞬真っ暗になった。コンクリートでできたブロックで頭を殴られたような、そんな痛みが頭全体に響く。
「……え?ちょ、ちょっと晶良…」
 あまりの痛みに両目から涙が零れてくる。頭の痛みは治まるどころかどんどんひどくなっていく。立っていられない。
「…晶良さん…?」 「お兄ちゃん…?大丈夫?お兄ちゃん!」
「晶良!ちょっと、冗談でしょ?私そんなに強く…」
 全身の力が抜けて絨毯の上に倒れ込む。声も出せないくらいの痛みだ。この前入院したときの頭痛と同じくらいかそれ以上のひどさだ。
「晶良!晶良しっかりして!」
「晶良さん!晶良さん!」
 二人が俺の名前を呼ぶ声が辛うじて聞こえる。
「私…私救急車呼んでくる!」

 全身から汗が噴き出してくる。さっきかいた冷汗とは全く別の種類の汗だ。
 これはインフルエンザじゃない。この前完治して免疫が出来てるはずだ。それにインフルエンザだったらこんなに急に頭痛が襲ってくるわけない。
 綾音さんが俺の頭を抱え込んでいる。その事は理解できた。が、そこから先はまったく解らない。解らなくなってしまった。また意識を失ってしまったようだ。

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