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Original Novel
Nobuyuki Morita Presents



約束


第七章

「奴」の名は・・・


(どうだ?目覚めは)
 目覚め…?おい、ここは…?
(心配するな。お前はまだ眠ったままだ。杉原病院のベッドの上にいる)
 …何だこれは?どうなってるんだ?
(長かったぞ…お前を探し出すまで実に長かった。どれだけの月日が流れたか…)
 探す…人違いじゃないのか?どうして俺が…いや、その前にお前は誰なんだ!?
(そのうち解る。…いや、すぐに思い出せる)
 思い出せる…?
(そう、そのためにわざわざここを選んだのだからな)
 ここ…ってどこなんだよ?
(お前の心の中だ)
 ……心の…?
(そう、お前自身の心の中だ)
 ふざけるな!何が心の中だ!ここが俺の心の中ならどうしてお前がいる!
(お前が受け入れたからだ。俺がお前に触れ、お前が受け入れた。だから俺はこうしてここにいる)
 受け入れただと?俺は受け入れた覚えはない!
(…そう感情的になるな。落ち着いて話が出来ん)
 話?何も話す事なんかない!…ひょっとして…俺の身体はお前のせいで…?
(結果的にそうなる。心配するな、うまく行けば死にはせん)
 何が心配するなだ!今すぐ元に戻せ!
(それは出来ん。一度始まってしまえば誰にも止める事は出来んからな)
 始まった…?何が?
(やはり全て忘れてしまったか…)
 忘れるも何も俺はお前なんか知らない!会った事もない!
(そう、会った事はない。だが俺はお前を探していた)
 どうして?何で俺を…それよりお前は誰だよ!
(……「お前達」からは……鬼と呼ばれていた…)
 お、鬼…?
(そう、鬼だ。まあお前達人間がかってにつけた呼称でしかないがな)
 そんな…鬼が…鬼がどうして俺の心の中に…
(…仕方がない、どうやら本格的にすべて忘れてしまったらしいな。いいだろう、見せてやる。鬼の歴史を見せてやろう。そうすればお前が何者かも思い出すはずだ)
 俺が…?お、おい、それはどういう…


 視界が突然開けた。が、そこは病室じゃない。うっそうとした森だ。その森の中に変な服装をした男が大勢いる。髪型が…何となく弥生時代の髪型を思わせる。みづらとか言う髪型だったっけ。
「よいか!これより先が鬼の住み処、心して進め!」
 鬼の住み処?…なんだよ、ここ日本じゃないのか?
 剣を持ってみづらを結った男達は森の中を更に奥へと進んでいった。そしてひときわ大きな大木の前に差し掛かったときだ。まるで森の木々をなぎ倒さんばかりの咆哮が響いた。虎や熊などの獣とは違う、怨嗟の感情がこもった叫び声だ。
「いたぞ!あそこだ!」
 男が指差した先には…大柄な異形の生物が立っていた。
 二本の足で立っている。衣服も身に纏っている。が、明らかに人間じゃない。耳の後ろから左右それぞれ角のような鋭い突起が生えている。それに何より大きい。身長は人間とは比較にならない。多分二メートル半以上あるだろう。全身筋肉という鎧で覆われたような、屈強な生物だ。そう、民話や昔話の中に出てくる「鬼」がそこにいた。
 鬼は鋭い眼光で人間を見据えるとまっすぐに突っ込んできた。ものすごい速さだ。そして両腕を何のためらいもなく振り回す。
 阿鼻叫喚、というのはこういう事を言うんだろうな、と思った。鬼の拳で頭を潰されるもの、足で踏みつけられ身体を引き千切られるもの、鬼が投げた人間に当たってその衝撃で命を落とすもの。それぞれが悲鳴を上げて逃げ惑う。
 森の中にひときわ大きな鬼の雄叫びが響いた。


 大柄な鬼の目の前に五人の武士が立っている。その内の一人は明らかに他の四人よりも位が上なのだろう、鎧がかなり立派だ。
「くくくく…鬼の王よ、その首……この源頼光が貰い受ける!」
 源頼光と名乗った男が長剣を振りかざした。が、鬼はその刀をよける。
 鬼の身体には無数の傷がついていた。周りには大勢の人間と鬼の屍が横たわっている。鬼の中で生き残っているのはその大柄な鬼だけのようだ。
「言い残す事があるのならば聞いてやっても良い」
 尊大にふんぞり返った男は再び剣を構えて鬼の前に立った。鬼の目には明らかに憎悪が浮かんでいる。後ろに控えた四人もそんな鬼の様子を見て各々の武器を構えた。
 ちらりと鬼が後ろを振り返る。そこには既に息絶えた鬼達が累々と屍をさらしている。
 鬼の両拳が硬く握られた。爪が肉に食い込んで血が流れる。両肩は怒りと屈辱のために震えているようにも見える。
「頼光様、これ以上鬼を生かしておく事もございますまい。早く首を取られては…」
「おお、そうであったな。…それでは鬼の王よ、覚悟するがいい」
 構えた長剣がじわりと動いた。


 今度は鬼と一人の若武者が対峙していた。立派な陣羽織をつけている。鬼の方も立派ないでたちだ。
「お前ら鬼には…お前達には解るまい、この私の苦しみが……」
 哀しげな目でそう呟くと、背中にさした長剣を抜いた。
「お前の首を持ち帰れば私も認められる…苦しみから解放される」
 鬼が口を開いた。だが何と言ってるのかは聞こえない。
 鬼は追いつめられていた。後ろは崖になっていて逃げる事は出来ない。だが、どういう訳かそんな状況にあっても鬼はうろたえなかった。それどころか哀れむような目で若者を見ている。
「…な、何…!?」
 一瞬、若者がたじろいだ。
「だっ…黙れ!私はそんな言葉では惑わされんぞ!何を証拠に…」
 鬼を見た若者の表情が凍り付く。視線はある一転に釘付けになっている。が、何を見ているのかは解らない。が、それまで冷酷に徹していた若者の目に明らかな動揺が伺えた。
「黙れ黙れ黙れ!もはや問答無用!その首叩っ切ってくれる!!」
 若者が地を蹴った。太陽を背にして長剣を大きく振りかざす。が、やはり鬼は一歩も動かなかった。


「どうして?どうしてそんな事を言うの?」
 若い女だ。それほどきれいな服を着ているわけではないが、顔立ちは美しい。
「お願い、嘘だと…嘘だと言って下さい!」
 彼女がすがり付いているのは…まだ若い鬼だった。どういう訳か両腕がない。哀しそうな、それでいて優しさにあふれた目で女を見ている。
 彼女たち二人は気付いているだろうか、もうほとんど周りを取り囲まれている事に。残されているのはすぐ近くの崖だけだった。
「あなたは…あなたは私が初めて愛する事が出来た人なのに……どうして?何がいけなかったんですか?」
 鬼が口を開いた。ため息が漏れているようにも見える。
「そんな事は…そんな事はありません!あなたは…あなたは何も悪い事は…」
 女の両目から大粒の涙が止めど無く零れ落ちる。それを見た鬼が静かに何かを言っている。まるで小さい子供に父親が優しく諭すような、そんな言い方なのだろう。だが、それを聞いても女は首を横に振るばかりだった。


 目の前がひときわ明るくなった。見回すと泉水と深雪ちゃんがいる。
「お兄ちゃん!」
 お兄ちゃん?…そうか、目が覚めたのか…
「今度は…どれくらい眠ってたの?」
「二日よ。全然目を覚ます気配もなかったから…」
 今度は二日だったのか。やっぱり思ってたより長かったな。
「綾音さんは?」
「隣にいるよ。昨日から寝込んじゃって…」
「寝込んだ?どうして…」
 解り切ってるじゃないか。俺のせいだ。俺が何度も倒れたり意識を失ったりするから、綾音さんも気が休まる暇がなかったんだ。そのせいで倒れたんだ。
「古門君、何があったの?」
 水野先生も疲れ切った表情だ。泉水と深雪ちゃんも何となく顔に生気がない。
「正直言ってあなたの体に起こってる事が私たちにも解らないのよ。何があったのか、聞かせて」
 心当たりはある。黒沢さんだ。
 俺の症状は黒沢さんとほとんど一緒だ。高熱と頭痛、それに異常なほど激しいカロリー消費。破傷風とインシュリン過多が併発したような症状。全て一致する。ただ違うのは俺には壊疽が起きていないという事だけだ。

 彼女は死の直前、俺に向かって右手を投げつけた。正確に言えば右腕を振り回した拍子に右腕が肩から外れて俺の腕をかすめていった。その時に小さな傷ができてしまった。多分その時に黒沢さんがかかっていた病気に感染したんだろう。
「杉原先生は…?」
「大学病院に行ってるわ。あなたの血液サンプルを取って、もっと細かく分析するって言ってたんだけど…」
「そうですか…」
「ねえ晶良、私たちが知らない間に何があったの?」
「……わかった、全部話すよ」
 全部を説明するのに約一時間かかった。大浜に旅行に行ってから黒沢さんという俺の親友が原因不明の病気にかかってショッキングな死を遂げた事、その時に俺もその病気に感染したかもしれないという事も。
「……お、お兄ちゃん…」
「黒沢さんは…なす術もなかった。身体が腐って…それで死んでいったんだ」
 部屋の中の空気が重くなった。外は雪が降り続いている。

 俺の身体は更に痩せていた。肋骨の形がはっきりと浮かび上がっている。腕も下手すると泉水や深雪ちゃんよりも細くなっているかもしれない。顔を触ってみると頬骨が浮き出ていて目も少し落ち窪んできている。
 でもどういう訳か今は自分の病状よりも夢の事が気になった。
 鬼ってどういう事だ?なんであんな夢を…どんな夢か詳しくは解らないが、とにかく鬼が関係した夢だという事は確かだ。でもどうして俺があんな夢を見るんだ?それに俺が何者か思い出すって言うのは…あれはどういう事なんだ?
「古門君、とにかくあなたは安静にしてなさい。ブドウ糖の点滴は絶対に欠かせないのよ。それくらい弱ってるわ」
「……水野先生、綾音さんは…?」
「彼女は大丈夫、今は疲れて眠ってるだけよ。しばらく経てば目を覚ますわ。…綾音ちゃんね、あなたが倒れてからずっと付き添ってたのよ。ほとんど一日中、あなたの側を離れないでずっと手を握ってたわ」
 よく見ると綾音さんの腕からも点滴のカテーテルが伸びている。そうか、点滴うたなきゃいけないくらい疲れてたんだな。

「それより古門君、あなた意識を失う前に声がどうのこうのって言ってたわよね、あれどういう事?」
「…声が聞こえたんです」
「誰の?」
「………解りません」
「何て言ってたの?」
「…………」
(準備が出来た、と言ったはずだ)
「ま、また…」
「お兄ちゃん?どうしたの?」
(準備が出来た、と俺は言ったんだ。覚えていないとは言わせない。それに俺はちゃんとお前に教えたはずだ。俺は鬼だとな)
「また声が聞こえる…」
「晶良、私たちには何も聞こえてないよ」
(あの歴史を見ても何も思い出していないのか…)
「歴史…?思い出すって何を思い出せばいいんだよ!」
(お前は…本当に覚えていないのか?)
「覚えていないも何も…どうして俺が…」
(仕方ない…もう一度だけ見せてやる。もう一度だけ、今度はもっと詳しく見せてやる)
「やめてくれ!俺はもう見たくない!もう…もうやめてくれ!」
「……晶良さん…?」
 綾音さんが起きてしまった。ほかでもない俺のせいだ。俺が大きな声を出すから…
 突然綾音さんが俺の頭を胸元に抱きかかえた。
「お願い!晶良さんをこれ以上苦しめないで!」
(な、何…?)
「晶良さんが何をしたって言うの?ただ私たちと一緒に静かに暮らそうとしてるだけなのに…何がいけないって言うの?」
(こ、この女……そうか、この女が…)

 どういう訳か綾音さんは泉水にも深雪ちゃんにもまったく聞こえていないはずの声の主に話しかけていた。しかし、相手の姿がここになければそれも空しい抵抗でしかない。俺はまた夢の中に引き摺り込まれていった。
(どうやら長い年月の間にすべてを忘れてしまったようだな)
 忘れる?何をだ?俺はお前の事なんか知らないし、それに鬼とは何の関わりもない!
(思い出せ!われわれのあの虐げられた歴史を!我々の屈辱、怒り、憎悪を全て忘れたというのか!)
 何を思い出せって言うんだ!俺は人間だ、鬼の歴史なんか知るはずがないだろう!
(…そうか、ならば教えてやる。我々が何なのか、お前達人間という生き物がどういう者なのかを。そうすればお前も自分が何なのかを知るだろう)

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