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Original Novel
MH/DAS Presents



ぬいぐるみの奇跡


第7回



いきなりの出来事に戸惑っていたが、彼の半ば強引な行動に、すっかりリラックスさせられた。
その笑顔はいまだ失われず、私に向かって何か求めているようでもあった。
「ねえ、もう戻ってもいいかしら…?」
いくらリラックスしてきたとはいえ、目の前に広がる人の海を見ると、とても我慢してはいられなくなる。
「えっ…、もう行っちゃうのかい?」
「まだ何か…」
「せめて、名前だけでも教えてよ」
「…柊彰子です」
「わあ、いい名前だね。僕は…」
「田端大介さんですね」
「ありがとう! 名前を覚えてくれて」
彼の笑顔が、最高潮にはじけた。
言葉はキザっぽく感じるが、その笑顔には全く偽りがなさそうに見える。
どうやら、本気で自分のことを気に入られたらしい。
嬉しいのやら、悲しいのやら、複雑な心境である。
それに、彼のことをあえて“君”と呼ばず“さん”と呼んだのは、自分との歳とは違ったものを感じたためである。
とても“君”と、気軽に呼べなかったのだ。
「じゃあ、戻らせていただきます」
「ああ、また会おうよ!」
最後まで敬語でぎこちなく、その上返事をすることもなく、私は人込みの中へと戻った。
周りがにわかにざわつき始め、中には「ヒューヒュー」と口を鳴らすものもいた。
それが明らかに自分に向けられているものとわかり、恥ずかしさで上が向けなくなった。

人込みが、まるで引き潮のように消えて行く。
フェスティバルの終了を告げるチャイムが、会場をこだましたからである。
人はどんどん、小さなドアを無理にこじ開けるように、向こうの世界へ吸い込まれていった。
こちらの世界はというと、まだ落ち着かなくて、人の波に乗り遅れた私と、関係者達ばかり。
その中に、当然彼はいたのである。
いまだに会場内に残っている私の姿を見つけるやいなや、こちらへと向かって声をかけてきた。
「ちょっと、僕についてきなよ。いいものを見せてあげる」
そう言われると引くわけにも行かず、素直についていくことにした。
私がここに来たのは、出来るだけ良い作品を目に焼き付けるためである。
自ら出展をしている彼が言うぐらいなのだから、きっと素晴らしい作品なのだろう、と確信できる。

「これだよ、見て」
“関係者以外、立ち入り禁止”の看板を無視し、彼が連れ込んだところに、目的のものはあった。
そこには、出展までにこぎつくことの出来なかった数々の作品が眠っていた。
その中の一つに彼は手を当て、その作品を語り始める。
「これは、『ある亀の怒り』という作品なんだ」
彼の言う通り、その作品は、なんとなく亀の姿が見受けられる。
しかしそれ以上に、その怒りの顔が印象的であった。
表情のないはずの亀に、なぜここまで大胆な表情を付けたのか?
…そして、彼は続けた。
「この作品の作者は、何をやるにしても遅いことで有名だったんだ。そして、ついたあだ名が『亀』。その人は、そのあだ名が最初は気に入っていて、実は亀が好きだったんだけど、ある言葉によって、その人はこの世界に反発してしまったんだ。『あいつはのろまで使えないやつ』という言葉でね。その人にとって亀とは、何事もじっくりやることが成功に繋がるということの象徴だった。それをけなされたんだから…」
そう言うと彼は、その作品を両手に掲げ、目を閉じた。
「僕が大切にしたいのは、作品を作った時に作者がどれだけ気持ちをこめられたかなんだ。この作品は、それを切々と感じることが出来る。本当に、もったいないよ。この作品がみんなに見られないまま埋もれるなんて…」
「何で、その作品は出展されなかったの?」
彼はゆっくりと目を開け、私の問いに答える。
「今言ったように、亀はのろまの象徴と世間では捉えられている。だから、出展者側は自粛したんだ」
「作者は、何も言わなかったの?」
「自殺さ…」
彼の目が潤み、衝撃の事実を語った。
「自分の考えが世間に伝えられなかった。それで作者が取った道…」
一息つくと、急に口調を強くする。
「俺が目指しているのは、そこまで自分のプライドが持てるデザイナーなんだ!」
そして再び息をつき、口調を戻す。
「僕は今まで、何もかも焦っていた。そして周りは、僕を焦らせてきた。早く才能を伸ばすためだと言われ、僕もそれを疑わなかった。だけど、それは表面だけのものだったんだ」
彼の言っていることへの理解が追いつかづ、困惑してしまう。
しかし彼は、それを気にすることなく、さらに続けた。
「プライドがないままでは、絶対にいいデザイナーにはなれないんだ! だから僕は、これから技術よりも心を磨こうと思っている」
彼の熱弁に聞き入ることしか出来なかった私は、ただ呆然とその姿を眺めていた。


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