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Original Novel
MH/DAS Presents



ぬいぐるみの奇跡


第15回



 ……確かめ合うような呟きが、暗い部屋の空気を揺らす。
「誰も私のこと、信じてくれてないのかな……」
 いつも通りの弱気な発言――それが心の弱い私の素性。
「信じてくれるよね……」
 闇の中で、呟き掛ける少女の瞳の先には、いつもと変わらないぬいぐるみがあった。
「そう……」
 少女は何かを聞いたかのように頷き、視線をぬいぐるみから逸らすと、再び深い眠りの底へと沈んでいった。

――昨日はなかなか眠れずにいた。色々なことを考えていたら、何とも言い知れない恐怖に駆られた。
 その時も、私を安らかな気持ちにさせてくれたのは、やっぱりあのぬいぐるみだった。彼は私の全てを聞き、受け止めてくれてるみたいだった。
 もう私の生きる支えは彼であり、彼がいなくなったら生きていけない。そんな気さえするようになっていた。
 ただ一人、私の気持ちをうち明けられる存在。優しく受け止めて、慰めてくれる存在。その存在になり得るのは、今では彼だけのようだった。……人間ではない、ぬいぐるみの彼に。
 私は本当は、彼に何を求めているのだろうか……?
    ――私は彼らに、何か求められている……?
 自問しているだけでは何も見つからないことは承知のはずだった。私は退屈な授業中物思いに更けていることを恥じ、姿勢を正して黒板をじっと見つめる。こんな時、逆にこの倦怠感が心地よく感じるのだった。
 自分の気持ちを打ち明けられる存在は、もはやあのぬいぐるみだけ……本当にそうなのだろうか? もう私に心を許せる存在としてあるものは、無機質で無感情で……所詮は生命を持たぬぬいぐるみであるとは哀しすぎるのではないか。
 私の視線は、遠く前方に座っている友の姿を捉える。友……それこそ何の分け隔てもなく、自分の全てをさらけ出して相談できる存在なのではないのか? 少なくとも親友として理解し合っているはずの小百合を無下にしていいものだろうか。
 いつの間にかまた自問している自分。そして、自分に怒りすら覚えている今、本当に心の内をさらけ出してしまいたいはずの存在は、現れることがなかった。

 私の歩いているその横に、私の瞳を見て小さく頷く友の姿があった。
「うん、私も時々そんなことがあるよ」
 微笑混じりに友は打ち明けてくれる。親友特有のこの軽さが、私の気持ちを楽にさせた。
 あの後考えてみて……やはり小百合に少しでも相談してみることにした。いきなり全てをさらけ出せはしないだろうが、歳も同じで気の合う小百合ならば、充分に相談する意味があると思い付いたのだ。
「やっぱり親って、あまり私たちのこと理解してあげようとしてないみたい。ほとんど口には出さないけど、制約を掛けようとしてくるみたいで、見えないプレッシャーも時々感じるよ」
「プレッシャーって、進学が決まってからも続いてるの?」
「うん……でも、決まってからかえって強くなった気さえするの。ううん、考えてみると進学を重ねるたびに、プレッシャーが強くなっていく感じ。何だか世間体を気にしてるみたいなこと、私絡みで何度も感じたことがあるの」
「そっか……小百合も大変なんだ」
「私や彰子だけじゃなくって、みんなそうだと思うよ」
「うん……そうだよね。そんなに気にしてちゃダメだよね」
「気になっちゃうけど、気にしすぎると精神的に参っちゃうから、なるべく気にしないようにするか、できれば親と相談して解決していかないと、どんどん溝が深くなっちゃうから、イヤかもしれないけど何かしないといけないと思うよ」
「うん……」
 小百合の言葉はもっともなことのようだった。だが私にとって、余計に気が重くなってしまったみたいだった。気を楽にするために相談した私の理想は、小百合には見い出せず終いだった。
 私のことを思ってくれて、素直に自分のことを例にして諭してくれた友。でも今の私には、心の底から感謝する気にはなれなかった。自我は今、このうやむやな気持ちを楽にしたいことだけを、私に注文していた。
――そう言えば私、心の底から笑ったこと、いつからないんだろうか。
 形の上では笑顔で友に感謝の言葉を述べている自分に、どこか違和感を感じた上、疑問が発生する。本当に笑ったことが、しばらくないように思える。まるで笑うという行為を忘れかけているように、今の私には顔の形を変えることでしか笑うという表現をすることができなくなっているようだった。
 また一つ、自分がイヤになっていく……

「ただいま」
 久しぶりに告げた帰宅の報告。――だが返事はない。その理由は、単に声が小さくて聞こえていないだけ。告げたと言うよりは呟いただけなのだ。何かの切欠ということで実践したことも、何の意味もないままその役目を終えた。
 本当の帰宅の報告をするのは、今日も彼に対してだけ。鞄を下ろし、中から取り出すといつもの場所に置き、声に出さない報告をする。実際はずっと一緒にいて、自分と共に学校にも行っていた状態なのだから、帰宅報告をするのは変ではあった。
 ……でもこの時だけ、やっぱり自分は心から相手に告げることができているようだった。
『おはよう』
 それは些細な起床の挨拶。
『ただいま』
 それは些細な帰還の報告。
『おやすみ』
 それは些細な堕眠の前置。
 ――そんな些細なことすらも、彼にだけ求めている私。そしてその些細なことこそが、今の私にとって励みになっている……生きる意義を保っているほどに感じていた。
「おやすみ」
 今日も私は眠る。でも眠りに堕ちた向こうでも、彼は待っていてくれることだろう。なぜなら彼は、単なる存在ではなく、私が造り出した願望の産物でもあるのだから。私が望めば、きっと彼はそこにいてくれるはず。
 生きることの幸せを放棄するのは簡単なのかもしれない。そして私は今、それをしかけているような気がする。求めているのは、一縷の安らぎ。今このひとときが心地よければ、もうなんでもいいような気がした。
「……眠くない」
 布団をかぶっても、妙に目がぱっちりと開いてしまう。何故か眠ることが恐いように、向こうの世界へ行きたくないと体が言っているようだった。
 私は安らぎを得るために眠る……そのはずなのに、その眠るというのが恐い。眠ってしまうと、何もかもが消えてしまって、ますます自分一人になって、何も見えなくなってしまうような予感がした。そこに、安らぎはない……
 私の脳裏に強く焼き付く孤独のイメージ。ただでさえ孤独に感じる現実に、向こうの世界では更なる孤独が待ちかまえている。それがたまらなく恐い。自分の居場所がない。――いや、ただそんなところに行きたくないだけ。
 かぶった布団を勢いよく持ち上げると、ぬいぐるみのスイッチを入れた。……例の音が室内に反響してゆく。
 キィィィィン…………
 この音は、私の全てを呑み込んでしまうかのようだった。今まで眠る事への恐怖に怯えていた私は、いつの間にか深い眠りの淵へと誘われていた。

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