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Original Novel
MH/DAS Presents



ぬいぐるみの奇跡


第16回



 ……迎えたくない朝を、何度迎えたことだろう。
 起きてみれば何でもないことだ。いつもの光景が目に入って、変わり映えのない日常がスタートする。それだけだ。それだけなのに、何で今日もこうして起きてしまったんだろう。――そんな事を思ってしまうことがしばしばになった。
 いや、起きたばかりの低血圧な数分は、考える余裕はあまりない。ただ、何となく感じる。起きたときが一番、虚無感を体で感じる気がする。これは決して、朝で体がだるいのとは違うと思う。
「ふぁ〜、おはよう」
 鬱陶しいまでのネガティヴ思考を振り払うように、明るい挨拶を努める。考えてみれば、これが最も虚しいのかもしれないが……そうしたほうが、心が軽くなる気がした。
 どうせ、無駄ばっかの人生なんだから――こんな考えにばかり、この頃は頼っている。自分でも解る、ネガティヴの渦にすっかり呑み込まれているということは。
「おはよう〜」
 再び繰り返したのは、こんなバカげたとも言える思考を、完全に切り離すためだった。朝は爽やかに、は私だってもちろん望んでいるのだ。
(おはよう)
 心の中でもう一度。――返事はない。当然のことだが、私の相手はぬいぐるみ以外にはいないわけであり、そのぬいぐるみが声を返すわけはないからだ。
 代わりに。忘れかけていたが、あの音が聞こえている。甲高いあの音が。
「おはよ」
 再び呟くように言いながら、ぬいぐるみのスイッチをオフにする。途端に例の音は鳴り止み、部屋には静寂が訪れる。この静寂は、私にとってはかえって騒音のように耳障りにも感じるのだった。

 朝ご飯は抜くことにした。いつにも増して食欲がないし、親との対面をあまりする気になれない。どうせならすぐに“学校”という巣に逃げ込みたかったからだ。
 いつものように、特に会話を交わすこともなくお弁当だけ受け取っては自分の部屋に戻る。朝は親も私の行動について文句を付けることはないのだ。私としてはとても気が楽だった。
 お弁当だけは作ってくれる母親。会話はないが、その存在に何かの意味があるように思える。――“義務”か“愛情”か。果たして今の母親は、どちらが強いのだろう?
 答えを探ろうと思ったのだろうか、自分でも解らなかったが、手はお弁当の小さいプラスチックの箱からふたを持ち上げていた。
「お弁当……っかぁ」
 何が解るわけでもない。普段と変わらぬ、ただ中身だけが微妙に違うだけ。でも、親だけあって私の嗜好を熟知しているため、私の嫌いなものは極力少ないのだった。――だからといって、好きな物であふれているわけでも当然ない。
 でも、少なくとも私のことを考えてくれている。それだけは解る内容であることは確かだ。でも……それを“愛情”の証だと認めきれないのは、私がダメな子だからなのだろうか?
『ダメな子』
――思考が別の方へ動き出した時、遠くから聞き覚えのある声を聞いた気がした。
「あれ、小百合?」
 意外ではあったが、空耳でない限りは無視することも出来ず、お弁当のふたを閉め直して鞄の中に入れると、ノートやぬいぐるみなどいつもの内容を詰め、部屋を発った。

「小百合? めずらしいね」
 玄関には、確かに小百合がいた。おしとやかな小百合らしい可憐さを漂わせる笑みで私を迎えてくれていた。
「おはよう、彰子」
「おはよ。今日はどうしたの?」
「たまには一緒に行こうかなぁって」
「ありがと。うん、一緒に行こ」
「……ちょっと元気ないみたいだね」
「え? そうかな」
 意外な一言だった。自分でも今の私が元気でないとは思えなかった。少なくとも、元気そうでない振る舞いはしていないはず。でも――小百合は何かを見抜いたのだろうか。
 優しげな瞳が私の困惑顔にひたと向けられる。
「何かあるなら相談してよ。気なんて遣わないでね」
 普通の口調。優しい表情と瞳。しかしその瞳の中には、優しさと一緒にまっすぐな気持ちが光っているようだった。
 それは“友情”というまなざし。決して裏切らず、裏切ってもらいたくもないという“意志”がある。二人の“信頼”を確かめようとしているのだ。この瞳に応えなければ、私たちの友情は否定されるような気がした。
「――うん、おねがい」
「じゃ、行きましょう」
 促す小百合に沿うように、学校へのいつもの道のりを歩き始めた。いつもと違うのは、裏切らないことを視線で誓い合った友が側にいることだった。
「辛いよね」
 切り出したのは小百合だった。口調の様からも、もう全てを読まれているようであった。
「うん、ちょっとね」
 私は素っ気なく曖昧な返答をした。これは裏切りにも近い行為なのだが……
 だが小百合は、咎める様子などない。彼女らしい、優しい表情で続ける。
「もうちょっと我慢できる?」
「ちょっと……ならね」
「ほんとに、もうちょっとだと思うから……」
 小百合も人のことを言っている場合ではない、ということは私も知っていた。しかしこの時見せた表情は、小百合にも並々ならぬ悩みがあることを切と示していた。決して私だけが苦しい思いをしているわけではない。私だって聞いてやらなきゃいけないくらいなのに……
「小百合は、もういいの?」
 訊かなきゃいけないという気持ちよりも、いつの間にか抑えられない疑問がそれを吐かせた。
 それに対する小百合の反応は、思ったよりもさばさばとしていたように思う。いつも通りといえばいつも通りに。
「私の所は一段落付いたから」
「ほんと?」
「……うん、私はもう大丈夫だよ」
 本当? ――その疑問だけは解消できない。さばさばしたままの口調に対しどこか、翳りがあるように感じられた。それは、さながら鏡で見た自分の表情とどこか共通しているように見えたのだ。
 終わっていない。……それがまだ友の言葉を素直に受け取れないでいるだろう私の結論だった。小百合もきっと戦っているのだと。
 そこでふと、また疑問が立ち上る。戦うって何だ?
 自然に考えていて出てきた“戦う”という表現。“戦い”なのだろうか、私たちの今は。誰を相手にした“戦い”なのだろうか?
 親? 先生? 大人達? ――そんな連中を相手に“戦”っているというのだろうか。それは私たちにとって必要なことであり、有益なことなのだろうか。そもそもこれは“戦い”なのだろうか?
「ね、大丈夫?」
「あ、うんうん、ごめん」
 軽く頭を二度振った。何だかバカらしい考えで頭を悩ませてしまった気がする。そんなことを考えてどうというのだろう。どうせ結論は出ないだろうに。
「そろそろ急ごっか」
「大丈夫だよ、まだだいぶ時間早いから」
 小百合はお気に入りだという、かわいらしい装飾のある小型時計を取り出しては確認すると、落ち着いた声で返答した。
 そうだ。小百合と一緒にいるぐらいなのだから、遅刻しそうなはずはない。妙なことばかりを頭で巡らし、現状を把握できなくなっていた自分が恥ずかしくなり、少しの間そっぽを向いてしまった。
 少しして取り直すと、今度は小百合をしっかり見据えて、今回の自分の出した結論を述べる。私なりの踏ん切りを付けるためだ。
「話聞いてくれてありがと。だいぶ気分がすっきりしたよ。いい朝が迎えられたってカンジだよ」
「どういたしまして」
 いつも通りの丁寧な返答にほっとしながら、残りもわずかとなり、既に眼前の大半を覆っている校舎を見ながら、久しぶりに人影の少ない通学路をゆっくりと踏みしめるように歩いた。
 そうすることで、同じ立場の二人同士、確かなステップを刻んでいくつもりになるようだった。そう、私は小百合という友達がいるのだ。話し合える友達が。
 そう考えるだけで、残り少なくなった中学生ライフも少しは有意義に過ごせそうな気がするのだった。今日は……頑張ろう。

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