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Tactics ONE short story



輝く季節へ


清水なつき編

第8章

by 荒竹



演奏
予感はあった。
由起子さんが、浩平の朝食を作らなくなって、もう何日たっただろう。
自分の存在が少しずつ薄れていく。それは、日に日に暖かくなっていく春の風が吹く度に、少しずつ、しかし確実に人々の記憶から折原浩平の存在を奪っていた。
そして今日。うるさい幼なじみも、ついに浩平を起こしに来ることはなかった。

(それじゃあ、オレは、いや、その女の子はどうなる?)
(いなくなるんだよ)
一週間前までは、いつも通り話が出来た瑞佳の、何も知らない無邪気な言葉が、浩平の心につきささる。
やりきれなくなって、浩平は私服のまま家を飛び出した。

異変には少しずつではあるが気づいていた。
なつきと楽しそうに話しているはずの浩平が、ふと遠い目をする。そんなとき決まって
「みさお」
と呼ばれていたような気がする。
同時に、一瞬、自分の目の前にいる少年が、赤の他人に見えてしまう。
疲れているのだろうか、とも考えたが、何か嫌な予感がしていた。兄が死んでしまったときになつきが感じた、いつもそばにいたはずの人がいない、あの悲しい違和感だ。
そして今日。
雨の日も校門でなつきを待っていた浩平が、5時を過ぎても現れない。
(もう、あんな思いは嫌!だって、あの人は)
彼なら75点をつけたであろう夕焼けが空を染め始めたころ、なつきは駆け出した。浩平の通う学校へ向かって。

どこを歩いていたのだろう。いつの間にか夜になっていた。靴は乾いた泥で白く、セーターは袖のあたりがほぐれていた。
浩平は、怖かった。どこかで「自分が」知っている人に出会うことに。そしてその人に「自分が」道ばたの石ころのように扱われることに。
だから出来るだけ遠くへ、出来るだけ人のいない道を歩いたつもりだった。よく見慣れた柵と、その向こうに広がるよく知っている建物を見るまでは。
「なんてこった・・」
浩平は思わずため息をついていた。

なつきが浩平の通う学校に着いた頃、あたりはすっかり暗くなっていた。
「はあ、ふぅ」
かなり急いできたせいで、なつきは肩で息をしていた。
丁度その時、部活の帰りであろうか。体育館の方から、複数の少女達が下校しようとしていた。
「澪!」
(確か今月の演劇部の発表に出るって・・)
少女達の中に見知った顔を見つけたなつきは、まだ呼吸も整っていないことも忘れて近づく。
中学時代のなつきを知る澪は、あわててなつきに駆け寄って、心配そうな目で彼女を見た。
「はぁ、ひゅっ。ね、ねえ、浩平さんに会わなかった?」
澪は、不思議なものでも見るような顔でなつきを見た。そして、スケッチブックに書いた文字をすまなさそうに見せる。
『しらないの』『なつきの友達?』
「そんな・・。ほら、こないだも一緒にいたじゃない!」
澪は、はうぅっ、といっそう困った表情をする。
澪はこんな冗談を平気で言える娘じゃない。そのことはなつきが一番よく知っていた。
なつきは全身の力が抜けていくのを感じた。
「ごめんね、澪。少し一人にして」
一緒に帰ろうという澪の誘いを断って、なつきは体育館裏に背もたれて座っていた。
「私、ずっと、夢を見てたの・・?」
(そんなはずない!だって、あの人は・・)
なつきはいつも帰りに握っていた、浩平の手のぬくもりを思い出すように、ゆっくりと目の前に自分の両手をかざした。
手の隙間から、月明かりで鈍い銀色に光る、学校と裏山を隔てる柵が見えた。

演奏
二人とも声を失っていた。浩平は今もっとも会いたくなかった人に会ってしまった不幸に。
なつきは今もっとも会いたかった人に会えた幸運に。
浩平は声を掛けることをためらっていた。もしなつきも自分のことを忘れていたら。
このまま知らない顔をして去った方が良いのでは。
しかし、なつきは。
放たれた矢のように一直線に浩平に向かっていった。自分でも信じられない早さで柵をよじ登り、そのままあっけに採られた顔の浩平の胸に飛び込んでいた。思わすよろけて浩平は、背中をしこたま打って倒れた。
強く浩平を抱きしめる。間違いない。確かに浩平のぬくもりがここにある。
最初は驚いていた浩平も、優しくなつきの髪にふれ、そして強くその身体を抱きしめた。
そうしてしばらく二人はしばらくそのままでいた。

ゆっくりと、浩平は自分の今の状況を話し始めた。自分が消えようとしている原因が、おそらくは幼いときに交わした契約だということに。そして、それを望んだのが、他ならぬ浩平自身だったことに。
「もうずぐ、多分オレはいなくなる・・・、ごめんな、なつき」
その時、ふと浩平はあることに気づいた。
「なあ、なつき、お前、あの時・・」
「うん、生きててもしょうがないかなって、少し思ってた」
なつきと浩平は初めてあった時を思い出していた。
「でも、あの時浩平さん、貴方に出会えたから。始めは死んだお兄ちゃんに雰囲気が似ているから、嬉しかった。お兄ちゃんが帰ってきたって。だから、側に居たいって。でも・・」
「貴方は私のお兄ちゃんの替わりじゃないし、わたしもみさおちゃんの替わりじゃなかった」
「ああ・・。無意識に、無くしたものを求めあっていたのかもな、俺達」
「でも、私は・・。わたしは、浩平さん、貴方が好き!この気持ちは、お兄ちゃんの替わりなんかじゃない」
「オレは・・」
「今すぐ答えてくれなくていいの。ゆっくり考えて。私、ずっと待ってるから」
「!」
言うなり、なつきは浩平のおでこにキスをした。
「でも、ちゃんと返事ちょうだいね」
そしてそのまま、なつきは浩平の側から去っていった。
こぼれそうな涙を悟られないように、振り返らずに。

演奏
「なつき・・・オレは・・・」
その言葉の続きは、もう、届きそうになかった。ふいに浩平の周りの景色が暗くなる。

初めて出会った交差点。一緒に通った帰り道。雨の日のクリスマス。最初で最後の「デート」。
そして、やっと気づいた、大切な人。
そんな大事なものが、大切な日々が、今・・・消える。
(なつき、ありがとな。オレも、お前のおかげで少し、前に進めそうだ)
(なのに、わるいな、こんな半端な別れ方で)
(でも、待ってろよ。きっと帰ってきて、そして・・・)

ぐっ、となつきの胸が締めつけられる。
なつきの心の中にある、「折原浩平」が急速に崩れていく、そんな感覚だ。
(うくっ!だ、だめーーーーー!!!)
必死で心のかけらを集めるなつき。
(これだけは、持って行かないで!お願い!)
ふと、どこかで薄着の少女がなつきを寂しそうな目でなつきを見つめている、そんな気がした・・・

いつの間にか、なつきは地面に座り込んでした。
「あ!?・・・あっ・・」
「なつきの中の浩平」が、かろうじて彼女の心にとどまっている事を理解した時、なつきはもう一つの、悲しい事実も認めなくてはならなかった。
「こうっ・・へ・ぐっ・・すぁ・・ん」

大粒の涙が月明かりで輝いていた。
なつきが振り返っても、そこに浩平は・・・いなかった。

演奏

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